第四話 公爵殿下、私の部屋間違っていませんか?
特に要望もなかった私は、後で契約事項のまとまった書類を公爵に見せてもらう約束をした。
今は、執事のワトソンに案内され客室に向かっている。
「こちらでございます」
ワトソンが足を止め、部屋のドアを開けた。
我が家のリビングほどの広さの部屋に、私は一瞬目を丸くする。
白を基調とした部屋で、大きな窓は南向きに設置されていた。
鏡台、姿見、ソファーにクローゼットとベッド。
私にはもったいないほどの厚遇である。
「クローゼットにはドレスやワンピースをご用意しております。サイズが合わない際は、その場で侍女がお直しします」
陽光が部屋の奥まで入り込み、白い壁がさらに白く見える。
恐らく、この公爵邸の中でも上客用の客室のはずだ。
ワトソンが部屋の中に入り、クローゼットを開けて見せてくれる。
中には、ドレスやワンピースで既に半分占められていた。
「明日の午前中に、当家御用の仕立屋より職人を呼び、採寸を行わせる予定となっております。大変申し訳ございませんが服が出来上がるまでの間、こちらをご使用ください」
「本当に、この部屋で間違いない?」
「はい。主から、そのように指示を受けております。将来、奥方になられるのですから、最上級のもてなしをするようにと」
ワトソンの表情は変わらず、声も抑揚がない。
思うところはあるはずだが、表に出さないところはさすが公爵家の執事である。
『奥方』と言われたときは、自分でもドキッとしたが、そもそも私が言い出したことである。
ここはきちんと未来の正妻らしく振る舞わねばならないところだろう。
「ワトソンと言いましたね。あのドアの向こうはバスルームで間違いないかしら?」
「はい。ご入浴の際も侍女がお手伝いいたしますので、遠慮なくお声がけください」
「ありがとう。素敵な部屋ね」
ドレス付きのクローゼットだけでなく、バスルーム付きの部屋である!
正直、屋敷の隅にでも追いやられると考えていた私は、この状況に戸惑いを隠せない。
だって、2時間前に来たところよ?
交渉中に、公爵はここまで調えさせたというの?
交渉だって、公爵がその気になれば『王家が下した判断が全てだ』って言って、私を追い返すこともできたはず。
受け入れてくれただけでも、十分すぎるほどなのに。
「専属の侍女をご用意いたしました。……リンダ。入って来なさい」
「はい。失礼いたします」
20代後半に見える黒髪のエプロン姿の女性が、しずしずと入ってくる。
ワトソンの隣に並んだ姿は、地味で生真面目な女性に見えた。
「この娘は、リンダ・アンダーソンと申します。アンダーソン伯爵家の三女で、本日からリュシエラ様のお世話を担当いたします」
「リンダ・アンダーソンと申します。精一杯努めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「えぇ、よろしく」
私は手短に答える。
アンダーソン伯爵家は、私の生家であるヴァンロート家に比べれば歴史は浅いが、金持ちである。
リンダ嬢も、マナーを身につけるために公爵家で一時的に働いているだけだろう。
そんな女性が、私の専属侍女?
「では、私はこれで失礼いたします。何か御用向きがございましたら、リンダを通してご連絡ください」
「わかったわ」
ワトソンが、リンダを部屋に残して去ってしまう。
私は自然とリンダと向かい合うことになってしまった。
ちゃんと顔を合わせたら、地味なだけではなく、黒髪に黒い瞳の理知的な女性に見えた。
年相応の落ち着きもある。
「ねぇ、リンダ」
「はい」
「あなた、アレクシス様のことをどう思う?」
女性関係は、早めに把握しておくに限る。
いきなりこんなことを聞かれると思っていなかったであろうリンダは、回答まで間があった。
だが、顔を赤らめたり動揺したりしていないところは、私の侍女として及第点はつけてもいい。
「……敬愛する主人にございます」
「あなただって、伯爵家の娘でしょう? 家に何も言われなかったの?」
「何もなかったとは申せませんが、主人に迷惑をかけるのは、使用人としてあるまじき行為だと考えております」
「そう」
優等生な答えだ。
これから、キャットファイトが始まるかと思ったのに。
「私のことで、まだ何かご懸念される点はございますか?」
直立不動。
表情筋も動かすことなく、リンダが尋ねてくる。
彼女から悪意は感じないが、思わぬところに落とし穴があるのが貴族社会だ。
「私は落ちぶれたヴァンロート伯爵家の娘。アンダーソン伯爵家のご令嬢からしたら、何か言いたいことがあるのではなくて?」
わざと、挑発的に言ってみる。
この程度で煽られるようなら、即侍女を外してもらおうと考えていたのだが。
「私はあくまで、エルヴァイン公爵にお仕えする者でございます。リュシエラ様が主人の奥様となり、この屋敷を仕切るようになりましたら、私はあなた様にもお仕えする身。それが少し早くなっただけのことにございます」
媚びへつらいも、色目も嫉妬も見えない表情に、私は安堵する。
公爵かワトソンかはわからないが、人選は的確だったようだ。
「見事な忠誠心ね。アレクシス様もお喜びでしょう。これからよろしくお願いするわ」
「ありがとうございます。至らぬ点もございましょうが、どうぞよろしくお願いいたします」
腰を90度に折って挨拶する姿勢は好ましい。
私は、ソファーに腰掛け、一つ息を吐いた。
ここに来てから、気の休まる間はなかった。
今だって、完全に気を抜くことはできない。
「リュシエラ様。失礼ながら、お召し替えをされてはいかがでしょう? お手伝いいたします」
「着替え? あぁ、そうね。このドレス動きづらくって。でも、一人でできるわ。あなたはお茶の用意をしてくれる?」
「お召し替えをされた後、ご用意いたします。私は、リュシエラ様のお手伝いをするためにここにいるのです」
普通はそうなるわよね。
リンダの言葉を責める気はない。
だが、私の体には人に見られては困る傷がある。
公爵だって承知しているはずなのに。
「リンダ。あなた、公爵かワトソンから私は大抵のことは一人でできるから、手伝いは最小限にって言われなかった?」
「そのようには承っておりません。誠心誠意尽くすようにとのことでした」
リンダの侍女の鏡のような言葉に、私は答えに詰まる。
これは、公爵の手落ちなのか。
それとも、家の者は信用に足るとの公爵の認識なのか。
「……私、体に傷があって、人に見られるのが嫌なのよ。アレクシス様はご存じなのだけれど」
リンダの反応をうかがいながら、告げてみる。
「存じ上げております。リュシエラ様のお体のことも含めて、丁重にとのワトソン様からのお言葉でした。明日の採寸にも私が立ち会うこととなっております」
「そう。そうだったの。では、着替えを手伝ってもらおうかしら」
「かしこまりました。動きやすいワンピースがよろしいでしょう。御髪は金色ですし、緑色などいかがでしょう?」
さらりと勧めてきたけれど、それって公爵の瞳の色よね?
リンダ、なかなか侮れないわ。
クローゼットから何着かリンダが選んだワンピースの中から、私は首元まである一番地味な服を選ぶ。
ベージュに、緑色の小花が散っている落ち着きのあるデザインだ。
「これにするわ」
「承知いたしました。では、お召しになっているドレスを脱ぐところから始めさせていただきます」
「お願いするわ」
リンダは、余計なことを口にしないところが気に入った。
私が選んだワンピースについても口にすることなく、淡々とドレスのホックを外してくれる。
いくら交渉のネタにするためとはいえ、ウェディングドレスはさすがに重い。
私は、黙ってリンダがドレスを脱がしていく姿を眺めていた。
やがて、私の胸元で一度手を止め、また何事もなかったかのように作業を進める。
私の胸に、横一線につけられた傷。
傷自体は治ったが、跡は残ったまま。
これが公爵の借りであり、私の交渉材料だった。




