第三話 約束を守る男と約束を利用する女
「では、条件を整理しようか。書面にする必要もあるだろう」
公爵がテーブルの上のベルを鳴らすと、すぐにワトソンがやって来た。
「紙とペンを」
「かしこまりました」
彼が去ってから間もなく、紙とペンが用意された。
上質だと分かる薄い羊皮紙。
うちではまず見ない品だ。
「記載は私が行う。君が他に望むことは?」
ペンを手にした公爵が、私の腹の底を探るように尋ねる。
そんなに警戒する必要ないのにと、私は内心で苦笑する。
「私は多くは望みません。基本条件は、公爵殿下がお決めください」
正妻にさえしてくれればいい。
陛下の了承を得て、紙一枚にサインさえしてくれれば、私は白い結婚であろうと、住まいが別であろうと構わないのだ。
公爵が、何人愛人を作ろうと気にしない。
「本当に、君には他に要望がないと?」
「そこまで強欲に見えまして?」
「いや、引き際も心得ているように見えるよ」
「そう言っていただけて、安心いたしました」
紅茶はぬるくなっていた。
これから基本条件を詰めるとなると、家に帰れるのは何時になるのやら。
私はチェストの上の置き時計に目をやる。
「この後、何か用事でも?」
「いえ。ただ、何も言わずに家を出てきましたので、家人が騒いでいないかと気になっただけです」
私は、今日にも娼館に売られるとの話だった。
肝心の売り物がいないと、今頃義母がヒステリーを起こしていてもおかしくない。
「君の家には、今晩君は私の屋敷に泊まると使いを送ろう。結婚するんだ。今後は君がこの屋敷にいた方が、説得力も上がるだろう」
「願ってもない申し出ですが、陛下の許可を得てからの方が良いのでは?」
「家に帰しては、君を妻にすることが難しくなる。一刻の猶予もないから、私の元へ来たのだろう?」
否定はできなかった。
公爵の馬車に送られたと知ったら、父はかえって行動を早めるかもしれない。
私の体の傷は、王家から秘匿するように契約を結んだもの。
王家の不興を買うのではないかと、心配させる恐れがある。
「安心していい。私は、約束は守る男だ。君と違ってね」
「私、娼婦にでもならない限り口外いたしませんわ」
「自棄になった人間は、怖いもの知らずだな」
公爵の軽口に、私は澄ましてぬるい紅茶を飲む。
菓子にまで手を伸ばすほど、厚かましくはない。
――例えそれが、我が家では一生口にすることはないだろう、綺麗な薔薇の形をしたケーキだったとしても。
「これから共に生活するんだ。部屋の用意や侍女の選定、君が使用できる金額の上限等決めていくことはあるだろう」
「お任せいたします。部屋は寝られれば物置でも構いませんし、自分の支度は自分で行えます」
実家で屋根裏部屋暮らしをしていた私は、一人になれる部屋があるのならどこだって構わない。
寝付きの良さには自信があるし、料理だって簡単なものなら用意できる。
なにより、公爵家の居候になった以上、寝食の心配をすることもないはずだ。
「ここに置いていただけるのでしたら支出の予定もございませんので、本当にお気になさらず」
「承知した。君の要求はあくまで『私の正妻』。それ以上の希望はないのだね?」
「えぇ。私、遺産は不要ですが、別れる気はございません。それさえ明記していただけましたら、白い結婚でも構いません。どうぞ公爵殿下のご随意に」
ピクッと、公爵のペンを持った手が止まった。
口元を下げ、冷めた目で私を見てくる。
私の要求はただ一つだけ。
最初から一貫していると思うのだが。
「君の意思はよくわかった。こちらから提示する事項をほぼ飲み込むつもりだと解釈して問題ないな?」
「ございませんわ」
公爵が、顎に手をやり暫し考え込む。
「では、まずは互いに名で呼び合うこととしよう。お互い、ヴァンロート伯爵令嬢やエルヴァイン公爵と呼び合っているようでは、とても結婚する仲には見えない」
「そうかもしれませんわね」
政略目的なら有り得るかもしれないが、私たちは『恋愛結婚』だ。
少なくても、国王陛下にとっては。
「また、この屋敷で君が女主人として認められる必要がある。夫婦の寝室を作り、その両側を互いの自室とする」
「あら、そんなお気遣い不要ですのに」
「屋敷に客人が来たとき、君が軽んじられていては、お互いのためにならないと思うが?」
「それは……そうかもしれません」
侍女の軽口などが、客人に耳に届くのは確かにマズイ。
でも、私に公爵夫人が務まるとも思わない。
そもそも、努める予定などなかったのだから。
「私は、君を妻にすることを陛下に認めさせなければならない。これからの社交には、君にも同伴してもらう必要がある」
「存じております」
「片時も私から離れないように。噂を手っ取り早くまかなくてはならないからな」
「……よろしいんですの?」
「どういう意味だ?」
硬い声に、私は逡巡した後、おそるおそる口にした。
「イルミナ侯爵令嬢やロイトン伯爵夫人。なにより、エミール公爵令嬢が公爵殿下のお側を離れないのでは?」
夜会や舞踏会で見かける度に、彼のアクセサリーのようにくっついて離れない高位貴族令嬢や未亡人。
彼自身は丁寧に接していたが、距離を置いているのも知っている。
だからこそ、相手は必死にしがみつくのだ。
「つまらぬことを言う。あの者たちを蹴り落として私のそばにいなくてはならないのが、君だろう? リュシエラ」
それまで不機嫌そうだった公爵が、薄い笑みを浮かべた。
あー、そういうことね。
一方的に利用されるつもりはない、と。
「承知いたしました。必要とあらば、露払いもいたしましょう。アレクシス様」
娼館に売られるよりは、目上の貴族に喧嘩を売った方が幾分マシか。
独身女性にとってこれ以上ない相手である公爵の妻になるのだから、相応のリスクと考えれば受け入れなければ。
「君のお手並み拝見だな。楽しみだ」
今にも鼻歌を歌い出しそうなほど機嫌を直し、紙にペンを走らせる公爵を見て私は感じた。
――もしかしたらこの選択、早まったかもしれない。




