第二話 公爵殿下、私とあなたの仲ですもの。遠慮なさらないで。
「君は、一つ思い違いをしているのではないかな?」
「どういうことでしょう?」
公爵の言葉に、私は小首をかしげてみせた。
視線に先ほどの鋭さは消えていたが、こちらの真意を見定めようとしているのがわかる。
「君の境遇には同情する。だが、それは君の家の問題であり、私が関わる話ではない」
正論だ。
だが、私は正論を聞きに来たわけではない。
「そうですわね。公爵家には関係のない話かもしれませんわね」
「傷のことを言っているつもりなら、あれは既に王家から十分な療養金が出たはずだ」
「えぇ。随分いただいたようです。父の事業の失敗で消えてしまいましたが」
「ならば、これ以上は……」
「話にならないと? あれは、王家と当家の話。私が話したいのは、あなた様と私の話にございます」
腰を上げかけた公爵が、ソファーに再び座る。
簡単に逃すわけがない。
ここで折れる計算は、最初からしていない。
「……なるほど。それは聞かなければならないな」
ドアがノックされ、公爵が中に入るよう指示を出す。
侍女たちが茶と菓子をワゴンで運び入れ、私たちの前に並べた。
侍女たちが礼をして、部屋を出る。
それを待って、私は口を開いた。
「10年前、私は身を挺してあなたをお助けいたしました」
「あぁ。その恩を忘れたことはない」
「その『恩』を、今この場でお返しいただきたいのです」
――公爵殿下ご自身から。
私の言葉に、カップに伸ばしかけていた手が止まる。
視線をゆっくりと動かし、私の全身をくまなく見る。
「それで、その姿なのか?」
「えぇ。私の決意表明と受け取ってくださいませ」
首元から胸元まではレースで編まれ、胸元から腰までは体のラインに沿って絞り、腰から裾までふんわりと大きく広がった白いドレス。
亡き母親のウェディングドレスである。
売られることを予想し、こっそり自室に隠していたものだ。
「断らせる気がないようだな」
「後がないものですから」
表情を消した男の前で、純白の扇を広げ、紅を差した口の端を上げる。
「娼館に行くことになりましたら、私の体にある傷の説明もしなくてはならないでしょう」
「確かに、それは私にとっても都合が悪い」
顎に手をやり、私を見つめたまま公爵が黙り込む。
なにしろ、私の傷は王家絡みだ。
彼らが私たちに口をつぐませる必要があると判断した――その程度には。
私はカップを口元に運び、ただ答えを待つ。
ウェディングドレス姿で、辻馬車を使ってエルヴァイン公爵邸まで来たのだ。
十分に人の目に触れた。
あとは、黙っていても誰かが面白がって書き立てる。
「……いいだろう。君への『恩』を返すことにしよう」
「賢明なご判断かと」
互いに紅茶を口にし、部屋に沈黙が訪れる。
ひりひりした空気が、重く肩にのしかかる。
「それで? 私は何をしたらいいのかな?」
「まずは、陛下を説得していただかなくては。あの方も、もう『終わった話』だとお考えでしょうから」
王家は、我が家に多額の療養金を支払い、我が家も口外しないことを約束している。
よって、私は王家の手前『傷』以外の理由で公爵と結ばれる必要がある。
「どのような手段、理由でも私は構いません」
「結果だけを要求して、手段は私に丸投げか」
「あら? 私が直接赴いた方がよろしいですか?」
あることないこと申し上げますが。
私の思惑が伝わったのか、公爵は口元を歪めた。
「いや、失言だった。陛下には私から伝えよう。君は、よく口がまわるようだからね」
「お褒めにあずかり光栄です」
「私の妻になるのなら、もう少し可愛げがほしいな」
「前向きに検討いたします」
「そういうところだよ」
嘆息し、足を組む。
ソファーの肘掛けに肘をつき、頬を乗せて私を睨めつける。
どうやら私に対し、猫をかぶるのは止めたようだ。
「陛下への説得材料など、一つしかないだろう」
「公爵殿下ほどのお方なら、いくつか手札がございましょう」
あったとしても、簡単で強力なカードは一枚だけだろうが。
「よく言う。私が君となら身を固めてもいい。……そう陛下に伝えるのが、一番確実だ。君も承知しているだろう」
「それで通るでしょうか? 私、陛下にとっては目の上のたんこぶみたいなものでしょうし」
公爵の視線が、再び鋭くなった。
彼にとっても不本意なのは、私だって百も承知だ。
「私が君に惚れた。それを周囲に認知させ、公然のものとする」
「生憎、舞踏会や夜会に着ていくドレスがございませんの」
「早急に作らせる。採寸は明日行う」
「ありがとうございます」
オーダーメイドとは、随分な厚遇だ。
不機嫌な表情と紳士らしからぬ態度が、気にならなくなるくらいに。
「公爵殿下」
「何かな?」
「私、今のあなた様の方が好ましく思いましてよ?」
一瞬、彼が目を瞠ったのを私は見逃さなかった。
「……私は、昔の君の方が好みだったよ」
「あら、残念」
彼が、私に何を重ねていたのかは、聞くまでもない。
私は、手にしていたカップをまた口にする。
いただいた紅茶は、これまでで一番甘露だった。




