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第9話:癒やしのハーブティー、心の棘を溶かす

おかみさんに軟膏を渡した翌日、私は少しだけ落ち着かない気持ちで畑の手入れをしていた。

 私の知識に間違いはないはずだ。だが、薬の効果は相手の体質や症状の重さによっても変わる。もし、全く効き目がなかったら? やはり元貴族の戯言だと、村人たちの不信感を煽るだけになってしまうかもしれない。

 そんな私の不安を吹き飛ばすかのように、村の方からけたたましい足音が聞こえてきたのは、陽が中天に差し掛かる前のことだった。


「いたよ! あんた、すごいじゃないか!」


 息を切らし、顔を紅潮させて私の前に現れたのは、昨日のおかみさんだった。その表情は、昨日の警戒心に満ちたものとは打って変わって、驚きと興奮で輝いている。その手には、約束通り、年季の入った鉄鍋と、ずっしりと重そうな革袋が抱えられていた。


「昨日はどうも! おかげさんで、うちの亭主が、今朝、自分で起き上がって歩き出したんだよ!」

「まあ、本当ですか! それは良かった」

「良かったなんてものじゃないよ! あれだけ唸ってたのが嘘みたいに、今日はもう宿屋の看板を直し始めてるんだから! 一体全体、あの軟膏に何を入れたんだい? まるで魔法みたいじゃないか!」

 おかみさんは、私の手を掴んでぶんぶんと振りながら、興奮気味にまくし立てた。その飾り気のない率直な喜びように、私も思わず笑みがこぼれる。


「魔法ではございませんわ。薬草の持つ、自然の力です。旦那様の体が、それに応えてくれたのですよ」

「謙遜するんじゃないよ! あんたは、うちの亭主の恩人さ! さ、約束の品だよ。鍋は古いが、まだまだ使えるはずさ。塩も、うちの宿屋で使ってる上等な岩塩を分けてきたからね!」

 そう言って、彼女は鍋と塩の袋を私に手渡した。ずしりとした重みが、腕に心地よい。これで、ようやくまともな料理ができる。スープも、煮込みも、パンだって焼けるかもしれない。お金では買えない、今の私にとっては何よりの宝物だった。


「ありがとうございます。本当に、嬉しいですわ」

「礼を言うのはこっちの方さ。……そうだ、あんた、名前は何て言うんだい? 私はマーサ。この村で、宿屋と酒場をやっているんだ」

「私はロゼリアと申します、マーサさん」

 初めて、村人に名前を名乗った。マーサさんは、「ロゼリアかい、綺麗な名前だね」と快活に笑った。

「よろしければ、中でお茶でもいかがですか? たいしたおもてなしはできませんが、お礼のしるしです」

 私はマーサさんを、昨日より少しだけ片付いた小屋の中へと招き入れた。


 手に入れたばかりの鉄鍋を囲炉裏にかけ、泉の水を沸かす。そして、森で摘んで乾燥させておいた、カモミールによく似た白い花びらを持つハーブを数輪、お湯の中に落とした。すぐに、りんごのような甘く優しい香りが、小屋の中にふわりと立ちのぼる。

 湯呑み代わりの、木の器に注いでマーサさんに差し出すと、彼女は「おや、いい香りだねえ」と言いながら、一口ゆっくりとすすった。


「……まあ……美味しい……」

 マーサさんの目が見開かれる。

「なんだいこりゃ。花の香りがするのに、蜂蜜みたいにほんのり甘い。それに……なんだか、体の力がすーっと抜けていくみたいだよ」

「心を落ち着かせる効果のあるハーブですの。きっと、旦那様のご看病で、お疲れだったのでしょう」

「……あんたには、お見通しかい」

 マーサさんはふっと笑うと、二口、三口と、慈しむようにハーブティーを飲み干した。その横顔から、昨日までの険しさがすっかり消えている。この一杯のお茶が、彼女の心の棘を溶かしてくれたようだった。


「それにしても、驚いたよ。あんたみたいな若い娘が、これほどの薬草の知識を持ってるなんてね。王都の貴族ってのは、みんなこうなのかい?」

「いいえ、私だけが、少し変わっているだけですわ」

 私は曖昧に微笑んだ。まさか、前世で植物学者だったとは言えるはずもない。

「ふうん……」

 マーサさんは何かを納得したように頷くと、ぽつりぽつりと村のことを話し始めた。この村には、もう何年も医者がいないこと。一番近い町に行くにも、山道を丸一日歩かなければならないこと。冬は深く雪に閉ざされ、怪我人や病人を出しても、ただ祈ることしかできないこと。


「だからね、みんな、あんたみたいな人が来てくれて、本当は助かるんだよ。ただ……どう接していいか、分からなかったのさ。なんせ、本物の貴族様なんて、みんな初めて見るもんだからね」

 マーサさんの言葉に、私は村人たちの態度をようやく理解した。あれは、単なる侮蔑や拒絶ではなかった。自分たちとはあまりに違う世界から来た者への、戸惑いと、恐れが混じった感情だったのだ。


 その後、マーサさんはしばらく世間話をすると、「また来るよ!」と言い残して、快活に帰っていった。

 彼女が帰った後、村の方から聞こえてくる人々の声が、昨日までとは少しだけ違う響きを持っていることに、私は気づいた。

 きっと、マーサさんが私のことを話して回っているのだろう。

「あの元貴族の薬は、本物だよ!」と。

 実際、午後になると、何人かの村人が、私の小屋と畑を遠くからではあるが、以前よりもずっと興味深そうな目つきで眺めていた。中には、腕や腰をさすりながら、こちらに来ようかどうしようかと迷っているような素振りの老人もいる。


 村長エルマーも、自宅の窓から、腕を組んでじっと私の小屋を見つめていた。その表情は相変わらず険しいままだったが、そこには侮蔑ではない、何か別の感情が浮かんでいるように見えた。


 私は、手に入れた鉄鍋を丁寧に磨きながら、静かに微笑んだ。

 薬草師ロゼリアとしての、確かな第一歩。

 私は今日、この村で初めて、信頼という名の小さな種を蒔くことができたのだ。この種が、これからどんな風に育っていくのか。それは、これからの私自身の行動にかかっている。

 私は囲炉裏に薪をくべ、新しく手に入れた鍋で、今夜のスープを煮込み始めた。じんわりと体に染み渡る暖かさが、未来への希望を静かに育んでいた。

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