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第5話:最初の仕事は、荒れ地の開墾

よそ者を拒絶する、冷たく硬い沈黙が、私と村人たちの間に横たわっていた。誰もが私を遠巻きに見つめるだけで、一歩も近づこうとはしない。その視線は、まるで得体の知れない獣でも見るかのようだ。

 このままでは埒が明かない。私は意を決し、村人の中でも一番年長に見える、腰の曲がった老人――護衛騎士から通達書を受け取っていた人物――に向かって、静かに歩み寄った。


「……何の用だ」

 私が数歩先に立ったところで、老人は地面に吐き捨てるように言った。皺だらけの顔に刻まれた深い警戒心。私が元貴族だと知っているからこその、侮蔑と反発がその瞳にはっきりと見て取れた。


「本日より、こちらでお世話になります、ロゼリアと申します。村長のエルマー様でいらっしゃいますか」

 私は貴族としての名も過去も全て捨て、ただのロゼリアとして名乗った。そして、貴族の令嬢が決してしないであろう、深々としたお辞儀をしてみせた。

 私の予想外の振る舞いに、エルマーと名指しされた村長は、わずかに目を見開いた。周囲の村人たちからも、小さな戸惑いの声が上がる。彼らは、私がもっと傲慢で、高圧的な態度で接してくるとでも思っていたのだろう。


「……いかにも、わしが村長のエルマーだ。世話になる、だと? 勘違いするな。お前さんは、王命によってこの村に預けられた罪人だ。厄介者以外の何者でもない」

「重々、承知しております。皆様にご迷惑をおかけするつもりは毛頭ございません。ただ、雨風をしのげる場所と、わずかな食料を分けていただければ、あとは自力で生きていく所存です」

「ふん、自力で、だと? お前さんのような、土も触ったことのないお嬢様が、この厳しい土地で何ができるというんだ」

 エルマーの言葉は辛辣だったが、それはこの土地で生きてきた者としての、紛れもない真実だった。私は彼の言葉を否定せず、ただ静かに、まっすぐに彼の目を見つめ返した。

「私には、薬草の知識が少しばかりございます。あるいは、皆様のお役に立てることもあるやもしれません」


 私のその言葉に、エルマーは初めて、ほんの少しだけ興味を示したように見えた。彼は私の瞳の奥にあるものを探るように、しばらくの間じっと私を見つめていたが、やがて諦めたように大きなため息をついた。

「……好きにするがいい。ついてこい。お前さんの住処を案内してやる」

 エルマーはそう言うと、背を向けてゆっくりと歩き出した。その背中に、私は「ありがとうございます」と静かに頭を下げた。


.


 村長のエルマーに案内されたのは、村の最も外れ、鬱蒼とした森との境界にぽつんと建つ、一軒の掘っ立て小屋だった。

 もはや小屋と呼ぶのもおこがましいほどの、廃屋。壁はところどころ崩れ落ち、屋根には大きな穴が空いている。扉は傾き、窓にはガラスさえ入っていない。かつては、森の猟師か炭焼き職人でも住んでいたのだろうか。

「ここだ。文句はあるまい」

 エルマーの言葉には、棘があった。貴族のお嬢様に対する、ささやかな意趣返し。こんな場所に住めるものなら住んでみろ、というわけだ。

 しかし、私の反応は、またしても彼の予想を裏切るものだった。

「……十分すぎます。このような場所をありがとうございます、村長様」

 私は再び、深く頭を下げた。お世辞ではない。心からの言葉だった。

 確かに、およそ人が住める環境とは言えない。だが、ここは誰の監視もない、私だけの城だ。公爵邸の豪華で息の詰まるような部屋よりも、よほど私の心を自由にしてくれる。ここが、私の新たな人生の出発点なのだ。


 私の素直な感謝の言葉に、エルマーは何か言いかけたが、結局「……勝手にしろ」とだけ吐き捨てると、踵を返して村の方へ戻ってしまった。その背中が、ほんの少しだけ丸く、小さく見えた。


 一人残された私は、改めて自分の「城」を見渡した。そして、静かに闘志を燃やす。

 やることは、山積みだ。

 私はまず、鞄から荷物を取り出した。数枚の着替え、アンナがくれたパンの包み、そして私の知識の源である『大陸薬草学全書』と『錬金術基礎論』。最後に、懐からハーブの種が入った布袋を取り出し、失くさないように鞄の奥深くにしまった。これが私の全財産。心許ないが、絶望するにはまだ早い。


 私はすぐさま、行動を開始した。最初の仕事は、この廃屋を人が住める場所へと変えることだ。

 まずは、掃除。幸い、小屋のすぐ裏には澄んだ水が湧き出る泉があった。マントの裾を破って即席の雑巾を作り、何度も泉と小屋を往復する。積年の埃と、カビ臭い空気を追い出すように、床を磨き、壁を拭いた。

 次に、燃料の確保。森に入り、枯れ落ちた枝を拾い集める。前世では、こんな肉体労働とは無縁の生活だったが、今は生きるためだ。不思議と、体は軽かった。

 そして、屋根の修繕。これも、森の恵みを利用する。大きな木の葉や、しなやかな蔓、粘土質の土を泉の水でこねて、屋根の穴を根気よく塞いでいった。完璧とは言えないが、これで当座の雨露はしのげるだろう。


 夢中で体を動かしているうちに、陽は西の森へと傾き始めていた。

 掃除の途中、小屋の隅で、打ち捨てられていた古い道具を見つけた。錆びて刃こぼれした小さな鎌と、柄が半分折れた木製の鍬。

 普通ならガラクタとして捨ててしまうようなものだろう。だが、これからハーブ園を始めようとしている私にとって、これらは何よりも価値のある宝物だった。私は錆を布で丁寧に磨き上げ、自分の道具として大切に壁に立てかけた。

 ふと、小屋の周りの地面に目をやると、そこには見慣れた植物が自生していることに気づいた。ギザギザの葉を持つセイヨウノコギリソウ。踏みつけに強いオオバコ。これらはどこにでも生えている雑草だが、前世の知識を持つ私からすれば、立派な薬草だ。セイヨウノコギリソウは止血効果があり、オオバコは咳止めや傷薬になる。

 この土地は、死んではいない。私に、生きろと語りかけてくれている。

 小さな発見が、冷え切っていた心に温かい希望を灯してくれた。


.


 夜の帳が下りる頃には、あれほど荒れ果てていた小屋は、なんとか「家」と呼べるくらいの姿を取り戻していた。

 小屋の中央にある古びた囲炉裏に、拾い集めてきた薪をくべて火を熾す。パチパチと薪がはぜる音と、揺らめく炎の暖かさが、孤独な心を優しく包み込んでくれた。

 夕食は、アンナがくれたパンと、小屋の周りで摘んだ野草で作った即席のスープ。鍋などないので、泉で拾った平たい石を火で熱し、その上で葉を焼いて、パンに挟んで食べた。

 公爵令嬢として過ごした日々では考えられないほど、粗末な食事。

 しかし、自分の手で得た食事は、どんな豪華な晩餐よりも、ずっと深く、温かく、私の体に染み渡っていった。これが、「生きる」ということなのだ。


 食事を終え、私は壊れた窓枠に腰掛け、空を見上げた。

 王都の空とは比べ物にならないほど、無数の星が、まるで宝石を撒き散らしたかのように夜空いっぱいに輝いていた。その圧倒的な美しさに、私は思わず息を呑む。

 ここで、私は生きていく。

 誰に決められるでもなく、誰に縛られるでもなく、私自身の力で。

 辺境の地での最初の夜。私の心は、不安ではなく、不思議なほどの静けさと、これから始まる未来への確かな高揚感に満たされていた。

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