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第18話:王子が見たもの、聖女が失うもの

私の小屋の前には、奇妙な静寂が満ちていた。

 穏やかな寝息を立てる少女を抱いた母親の安堵の表情。薬草の確かな力を目の当たりにし、畏敬の念を浮かべる村人たち。そして、目の前で起きた現実を受け止めきれずに立ち尽くす、王子とその側近たち。

 春の長閑な日差しだけが、まるで何もなかったかのように、その場にいる全てを平等に照らしていた。


 最初に沈黙を破ったのは、ジークハルトだった。彼は、今まで絶対的な信頼を寄せていたはずの聖女に、初めて疑念の目を向けた。

「……リリアン。これは、どういうことだ。説明してくれ」

 その声は、もはや彼女を庇護する者のものではなく、真実を問いただす為政者の響きを帯びていた。

「そ、それは……殿下……」

 リリアンは狼狽し、必死に言葉を探した。

「わ、私の聖なる力で、あの子の体から病魔の大部分を追い払ったのですわ! ですから、その……仕上げに、ただの薬草でも効果があった……それだけのことです!」


 苦し紛れの言い訳。以前のジークハルトならば、それを信じたかもしれない。だが、今の彼の目には、私の薬湯を飲んで健やかに眠る子供の姿と、動揺を隠せないリリアンの姿が、あまりにも鮮やかな対比となって映っていた。

 彼の脳裏に、半年前の記憶が蘇る。

 身に覚えのない罪を突きつけられても、決して涙を見せず、ただ毅然と「わたくしはやっておりません」とだけ言い続けた、かつての婚約者の姿。

 あの時、彼女の瞳の奥にあったのは、絶望ではなく、裏切られたことへの深い悲しみと、揺るぎない矜持だった。なぜ、自分はそれを見抜けなかったのか。なぜ、涙で訴える少女の言葉だけを、鵜呑みにしてしまったのか。


 ジークハルトは、改めて私を見た。

 土で汚れ、質素な服を纏い、もはや貴族令嬢の華やかさはない。だが、彼女は自分の足で立ち、自分の知識で人を救い、誰にも媚びることなく、凛とした強さでそこに存在している。それは、彼が今まで知らなかった、ロゼリアという人間の本当の姿だった。

 それに比べて、リリアンはどうか。常に彼の庇護を求め、その権威を笠に着て、今も必死に言い訳を重ねている。

 王子が見たもの。それは、偽りの聖女と、本物の薬草師というだけではない。他者に依存して生きる女と、自らの力で生きる女との、決定的な違いだった。


「殿下」

 張り詰めた空気を破ったのは、カイウスだった。彼は一歩前に出ると、ジークハルトに深く一礼した。

「長旅でお疲れのことと存じます。これ以上の滞在は、村の者たちをいたずらに困惑させるだけ。本日は一度お引き取りになり、お考えをまとめるお時間を取られてはいかがでしょうか」

 それは、王子を立てつつも、この場を収めようとする彼の精一杯の進言だった。そして、これ以上私に余計な圧力がかかるのを防ごうとする、彼の意志の表れでもあった。

 ジークハルトも、今の混乱した頭では正しい判断が下せないと悟ったのだろう。彼はこくりと頷き、撤収の合図を出そうとした。


「お待ちくださいませ、王子!」

 このままでは終われないリリアンが、悲鳴に近い声を上げた。彼女は最後の悪あがきとばかりに、私に作り笑いを向ける。

「ロゼリアさん、あなたの薬草、本当に素晴らしいですわ。ぜひ、わたくしも学ばせていただきたいの。今後の治療の参考にいたしますので、その……力の源である薬草を、少しだけ分けてはいただけませんか?」

 その言葉の裏にある、私の力を探り、奪おうとする貪欲な本性が透けて見えた。


 私は、にっこりと微笑んだ。聖女の仮面を被った、本物の悪魔に返礼するように。

「ええ、もちろん、構いませんわ」

 私はそう言うと、畑の隅に行き、そこに生えていたありふれた雑草を数本、根から引き抜いた。毒にも薬にもならないが、少しだけ見栄えのする、ただの草。

「どうぞ、聖女様。これが、私の力の源ですわ。よろしければ、王宮の庭にでもお植えになってくださいな」

 私が差し出した雑草の束に、リリアンの顔が屈辱で真っ赤に染まった。だが、ジークハルトやカイウス、そして村人たちが見ている手前、彼女は怒りを爆発させることもできず、震える手でそれを受け取るしかなかった。

「……あ、ありがとう、ございます……」

 蚊の鳴くような声でそれだけを言うと、彼女は俯いてしまった。


.


 王家の一団は、来た時とは比べ物にならないほど、重く気まずい沈黙の中で村を去っていった。

 去り際、ジークハルトは一度だけ、深く、そして何かを乞うような、複雑な感情を込めた瞳で私を振り返った。私は、彼に何の表情も返さなかった。

 リリアンは、馬車の窓から、私を殺さんばかりの憎悪の視線を投げつけてきた。私は、彼女には憐れみの笑みを返してやった。

 そして、カイウス。彼は、馬上でこちらを振り返ると、案ずるような、そしてほんの少しだけ誇らしげな、温かい眼差しを私に送ってくれた。私は、彼にだけ、小さく頷いてみせた。


 彼らの姿が道の向こうに消えると、村は再び、春の静けさを取り戻した。

 だが、その静けさは、以前とは全く違う意味を持っていた。村人たちが、私を見る目が変わっていた。畏怖と、尊敬と、そして、自分たちの村の薬草師が国の王子を追い返したという、確かな誇り。

 マーサさんが私の肩を力強く叩き、エルマー村長が、遠くから私に向かって、初めて、ほんの少しだけ頭を下げたように見えた。

 私は、このアーズブリー村の、本当の一員になれたのだ。


 私は彼らが去っていった道を見つめながら、これで全てが終わったわけではないことを、はっきりと感じていた。

 今日、私が蒔いた新たな種は、王都で、きっと大きな嵐を巻き起こすだろう。

 望むところだ。私はもう、運命に翻弄されるだけの、か弱い令嬢ではないのだから。

 私は空を見上げた。春の空は、どこまでも青く、高く澄み渡っていた。

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