第11話:「眠れない騎士団長」カイウス・ヴェイグ
ティモ少年が元気になった一件は、乾いた土地に染み込む水のように、ゆっくりと、しかし確実に村人たちの心を変えていった。
私の小屋を遠巻きに眺めるだけだった彼らは、一人、また一人と、様々な相談事を抱えてやってくるようになった。それは、農作業で負った切り傷であったり、長年悩まされている腰痛であったり、あるいは夜泣きの止まらない赤子のための安眠薬であったり。
私はその一つ一つに、私の持つ知識で丁寧に応えた。傷には消毒効果のある薬草をすり潰した軟膏を。腰痛には血行を促進する湿布を。夜泣きには、鎮静作用のあるカモミールのハーブティーを。
私の薬は、劇的な奇跡を起こすわけではない。だが、自然の力に寄り添い、体の内側から優しく治癒を促すその効果は、化学薬品や魔術に頼らない確かなものだった。
村人たちは、対価として食料や生活必需品を持ってきてくれた。瑞々しい野菜、産みたての卵、日持ちのする干し肉。マーサさんは、宿屋で余った薪を定期的に届けてくれたし、腕の立つ猟師は、時折獲物の肉を分けてくれた。村長エルマーは、表立って何かを言うことはなかったが、村の子供たちが私の畑に悪戯しないよう、それとなく見張ってくれているようだった。
私はもう、飢える心配も、凍える心配もなくなった。このアーズブリー村に、ささやかだが確かな私の居場所が、少しずつ形作られようとしていた。
そんな穏やかな日々が数週間続いたある日のこと。村に、久方ぶりの来訪者があった。
辺境の村々を巡回する、王国の騎士団の一隊だった。土埃を上げて村に入ってくる数騎の馬の姿に、村人たちがわずかに緊張するのが分かった。そして、その先頭を馬上で率いる人物の姿を認めた瞬間、私の心臓が、とくん、と一度だけ嫌な音を立てた。
陽の光を反射して燃えるような赤毛。屈強な体躯を包む、見慣れた騎士団長の制服。
カイウス・ヴェイグ。
あの断罪の夜、私に不利な証言をした、攻略対象の一人だった。
なぜ、彼がここに? 緊張でこわばる体を、私は必死で普段通りに見せようと努めた。もう、私は公爵令嬢ではない。ただの村の薬草師ロゼリアだ。彼と私には、もはや何の関係もない。
騎士団は、村の中央広場で馬を止めると、村長のエルマーと形式的な挨拶を交わしていた。どうやら、村の治安状況の確認と、物資の補給のための立ち寄りらしい。
私は彼らに関わらぬよう、そっと自分の小屋へ戻ろうとした。だが、運命とは意地悪なものらしい。
「――おい、村長。この村に、腕のいい薬師がいると聞いたが、本当か?」
カイウスの張りのある声が、私の背中に突き刺さった。彼の視線が、村人たちの視線に導かれるように、まっすぐに私に向けられる。
見れば、彼の部下の一人が、腕に痛々しい包帯を巻き、顔を青くしている。どうやら、酷い怪我を負っているようだ。
エルマーは、しばらく黙って私とカイウスの顔を見比べていたが、やがて、諦めたように重々しく口を開いた。
「……あそこにいる、ロゼリアという女だ。薬草の知識は、確かだ」
村長からの、初めての肯定の言葉だった。
カイウスは、驚きに目を見開いた。私があのロゼリア・フォン・アルドールだと気づき、信じられないという顔をしている。だが、彼はすぐに騎士団長としての顔つきに戻ると、部下に肩を貸しながら、私の小屋へとまっすぐに歩み寄ってきた。
「……そなたが、薬師なのか」
彼の声には、侮蔑ではなく、純粋な戸惑いが滲んでいた。
「ええ。何か、お困りでしょうか、騎士団長様」
私は平静を装い、あくまで村の薬草師として、彼に問いかけた。
「部下が、訓練中に剣で深く腕を斬られた。手持ちのポーションを使ったのだが、治りが悪く、熱を持っている。化膿しているのかもしれん」
私は小屋の中に彼らを招き入れ、騎士の腕の傷を診た。思った以上に、傷は深い。質の悪いポーションを使ったせいで、傷口の表面だけが塞がり、内部で膿が溜まり始めている。このままでは、腕が壊死する可能性さえあった。
「……これは、酷い」
私はすぐに煮沸消毒した小さなナイフを手に取ると、躊躇なく塞がりかけた傷口を再び切り開いた。騎士の苦悶の声と、カイウスの息を呑む気配がする。
「何をする!?」
「黙って見ていてください。このままでは、彼の腕は二度と使えなくなりますわ」
私の有無を言わせぬ気迫に、カイウスは押し黙った。
私は手早く傷口の膿を洗い流すと、二種類の薬を取り出した。一つは、森で採取した殺菌作用の強い薬草を練り込んだ、鮮やかな緑色の軟膏。もう一つは、私が畑で育てたハーブを調合して作った、液体のポーション。それは、一般的な治癒ポーションとは異なり、細胞の再生を促す成分と、感染症を防ぐ成分を、前世の知識で組み合わせた、私の特製品だった。
「軟膏で菌を殺し、傷の内側から肉の再生を促します。このポーションは、体の治癒能力そのものを高めるものです」
淀みなく説明しながら、手際よく処置を終える。その一連の動きに、もはや貴族令嬢の面影はどこにもなかった。
カイウスは、何も言わずに、ただじっと私の手元を見つめていた。その瞳には、かつての私に対する軽蔑の色はなく、ただ純粋な驚きと、薬師としての私の腕を値踏みするような、真剣な光が宿っていた。
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翌朝、カイウスは再び私の小屋を訪れた。その顔は、昨日の比ではないほど、驚愕に染まっていた。
「……信じられん。部下の熱は完全に引き、傷はもうほとんど塞がっている。王宮の薬師が使う最高級ポーションでも、これほどの即効性はないぞ……」
彼は、まるで奇跡でも見たかのような目で私を見た。
「一体、何なのだ、君の薬は」
「私が持つ知識と、この土地の恵みの結晶ですわ」
私は静かに答えた。カイウスはしばらくの間、何かを深く考え込んでいたが、やがて、決意を固めたように顔を上げた。
「ロゼリア殿。君に、頼みがある。騎士団が巡回任務で使うポーションを、君から定期的に購入させてはもらえないだろうか」
それは、願ってもない申し出だった。安定的で、まとまった収入。これで、私の生活はさらに安定する。
「お受けいたします。ですが、代金は金貨だけではございません」
「……何が望みだ?」
「王都でしか手に入らない、薬草の専門書や、珍しい植物の種。それから、錬金術に使うための器具をいくつか。私の知識をさらに深めるためのものが、必要ですの」
金や贅沢品ではなく、さらなる知識を求める私の言葉に、カイウスは虚を突かれたように目を瞬かせた。そして、すぐに深く頷いた。
「……分かった。取引成立だ。君は……王都にいた頃とは、まるで別人のようだな」
彼はそう呟くと、少しだけ、寂しそうな、それでいてどこか眩しいものを見るような、複雑な笑みを浮かべた。
その時、私は気づいた。彼の目の下に、深く刻まれた隈があることに。騎士団長という重責が、彼を眠らせていないのだろうか。
「眠れない騎士団長」、か。
私の頭の中に、新しいハーブティーの調合が、ふと浮かび上がっていた。




