10.秩序の審判
"「常に凡人と取り引きをするのは、わりと好きなほうなのよね」
オリヴィアはそんなふうに微笑んだ。
それでも、“邪神”という肩書を持つ彼女は、本来こうしたやりとりを蔑んできた立場のはずだ。
いや、正確に言えば、神格の高い存在から見ても蟻同然の凡人が、そもそも“条件を交渉する”などという行為自体が論外なのだろう。
至高なる“至尊”は、そのときどきの気分で罰や恩恵を与えることができる──理に縛られる必要などどこにもなく、気まぐれに振る舞うだけでよい存在……。
しかしながら、この世には例外もいるらしい。
たとえば、ラインハルトのような傲慢さを秘めた“野馬”には、オリヴィアも興味をそそられるのか、少しばかり手間をかけて“落とす”価値を感じているようだ。
ちっぽけな“虫けら”だと思っていた男を屈服させ、さらに堕落へ導き、しまいには古竜姫たるオリヴィア殿下の“しもべ”に仕立てあげてしまう──その過程こそが、きっと何よりの愉しみなのだ。
「ふふ……あなたには、私を満足させるだけの取引材料を示してほしいわね」
そう告げて、オリヴィアはどこか鷹揚に首をかしげた。
「俺はハイン帝国の皇子だ。いずれ権力を握った暁には、地上で殿下の宗教を盛んに布教して、存分に享楽をお届けするつもりだ」
ラインハルトはそう断言する。
「ふうん。私に忠誠を誓う人間は、みんなそう言うのよね」
オリヴィアはあくまで気だるげに返すが、そのまなざしはわずかに期待を帯びているようにも見える。
ラインハルトは慌てずに、一拍おいて言葉を継いだ。
「さらに、俺が王位を継いでから十年──その間に、ハイン帝国と共に殿下の威光を大地の隅々まで届けることを誓うよ」
その一言に、オリヴィアは心を揺さぶられる。
そばで黙って話を聞いていたシア・コンスタンスですら、驚いたようにラインハルトを見つめた。
「へえ……おもしろいじゃないの」
オリヴィアは目を細め、ラインハルトという凡人をあらためて値踏みするようにじっと見据える。
ひょっとして、この男はただの道楽者なんかじゃないのかもしれない。
ラインハルトのわずかな言葉から、彼が望む“協力”の内容を察してしまったのだ。
きわめて大それた野望があってこそ、神の領域にいる彼女の力を必要としている──そうでなければ話が合わない。
(あの昼間から酒と女に溺れていた放蕩皇子、ただのバカかと思いきや……それとも、将来有望な支配者になりうる?)
「あなた、私の力を借りて……本気で凡世を統一しようってわけ?」
オリヴィアはくつくつと笑い出す。
「正気とは思えないわ。秩序が黙っちゃいないからね。あなたという存在を、灰も残らないほど焼き尽くしてから、魂を晶槍に貼り付けて永遠に責め苛むかもしれないのよ?」"




