「秘密」の始まり
兄と妹、二人でお留守番
せせらぎ荘、101号室。
「あの、なんでここにいるの?」
源さんは、そう話しかけられて、一瞬たじろいだ。
「この子も俺が見えるのか?」
そう思って、
「俺の名前は源さんだ、さくらちゃんから、こた って聞いているぞ、
にいちゃん、名前はなんという?」
そう問いかけた。
しかし、その子は何も答えない。
そのうち、源さんを見ていた視線がおぼろげになり、その眼は源さんを捉えなくなっていた。
「さくらちゃん、にには俺が見えるのか?」
仕方なく、さくらに聞く。
さくらは源さんの問いかけには答えず、
「にに、これ源さんだよ」
と兄に教えていた。
「そっか」
兄はそう言うと、源さんの方を向き、
「僕はこうた、6歳だよ。さっきは源さんが見えたんだけど、もう見えなくなっちゃった」
と言った。
そうか、この兄の方は俺が見えたり見えなかったりするのか。
「おい、さくらちゃん、ママはどうしたのか、兄ちゃんに聞いてみろ」
源さんは先ほどから気になっていた母親不在の理由を兄に問いただそうとした。
「にに、源さんが、ママはどうしたの?だって」
さくらはこうたに聞いた。
「ままはお仕事だよ」
とこうた。
「ままはおちごと、だって」
とさくらが源さんに言う。
仕事だ?
それなら子供を家に残したままなのはおかしいだろう。
「保育園」というところに預けるのではないのか。
源さんは、二人の様子が気になって仕方ない。
「さくらちゃん、ママは本当におしごとか?にいいちゃんに聞いてみろ」
ふたたび源さんが言う。
「まま、おしごとほんとに、だって」
さくらは兄のこうたに問いかける。
こうたも詳しく知らない様子だ、
「さ、さく、おにぎり食べたから、テレビみていよう、ママが帰ってくるまで。
もう少ししたらおやつの時間だからね」
とさくらを促し、居間のテレビを付けた。
テレビからは子供向けのアニメが流れている。
しかし、二人はあまり興味がないようだ。こうたは小型ゲーム機で遊び、さくらは床にならべた画用紙に絵を描いていた。
テレビの音と、ゲームの音だけが聞こえる小さな居間。
二人は静かに過ごしている。
「今日は寒いがいいお天気だ。こんな日は子供は外で元気に遊ぶもんじゃないのか」
源さんは二人の様子を見ながら思う。
自分が知っている小さな子供、というのは外が暗くなるまで元気いっぱいに遊んでいる姿だ。
しかし今時は学齢期前の子が保護者なしで、外で遊ぶなんてこたとはないらしい。
「世知辛い世の中だ」
ぽつりとつぶやく源さん。
「ちぇちがらい、って何?」
その声を聞いたさくらが問いかけた。
「さくらちゃん、外で遊んだりしないの?」
「うーんとね、まえぱぱがいたときは公園にいったよ」
さくらは言う。
「さくらちゃんのパパ、どんなひと?」
「うーんとね、わかんない」
さくらが「パパ」という言葉を言うたび、頬が緩むのを見た源さんは
さくらがパパッ子だったのだろうと察した。
それなのに、パパのことがわからない。
いつから会っていないんだろう。
どれくらい時間がたったのか、日差しが傾いてきたころ、玄関が明るくなるの源さんは感じた。
母親が帰ってきたのだ。
相変わらず源さんには、母親の姿は見えず、声も聞こえない。
かすかな気配がわかるだけだ。
「ただいま」
母親はこうたとさくらを抱きしめる。
「ににとね、おにぎりたべたよ」
「さくに、テレビ見せてあげたよ」
さくらもこうたも母親にいろいろ話しかける。
「それから、源さんが来たよ」
そういうこた。
その言葉に、母親はさっと顔色を変えた。
「その人、家に入れたの?」
「だって源さんは」
さくらがそう言いかけたが、母親は遮るように、
「二人だけの時、誰が来てもドアを開けてはダメ。
返事をしてもダメ。わかった?
源さんがもし、また来てもだよ」
こう言った。
その日の夜、心配で様子を見に来た源さんをさくらが見つけた。
母も兄ももう寝ている。
「源さん、だめって」
さくらはこう言う。
「ダメか」
言葉足らずのさくらの言い方でも、源さんは察することが出来た。
俺、出禁だ。と。
「でもさ、俺の事、ママはみえないようだからこっそり来るってのはどうかな。
俺のことは、ママには内緒だ。さくらとにいちゃん、そして俺の秘密ってことにしよう」
源さんにそう言われたさくらはしばらく考えたが、
「うん」
と元気に答えた。
秘密という言葉はさくらのお気に召したらしい。
小さな女の子は「秘密」が大好きなのだ。
「じゃ、あしたににとひみつしよう」
そう言うとさくらは布団に戻って行った。
源さんとさくら、こうたの秘密が始まった。
さくらちゃん、何歳なのかしら。
女の子はおしゃべりが達者ですが。
応援していただけると嬉しいです。