101号室の住人
せせらぎ荘、101号室の新しい住人がやってきた。
ここに居座る源さんは、まずは新入りがどんな輩なのかを調査する。
怖がりかどうか、自分のような存在を信じているかどうか、そして住人の精神状態はどうか。
これらを調べ、どのくらいで、どの程度で脅かすかを決める。
前の101号室の若い夫婦は、妻の方が極度の怖がり、夫もとても頼りがいがない。
新婚のわりに、ふたりとも心が満たされておらず、絆も浅い、と感じていた。
そういう訳で、あまり大げさに怖がらせないように、さらっと仕掛けることにした。
「ここで病んでしまっても困る」
源さんは妻の繊細な心を心配したのだ。
入居してほどなくして、妻が
「何か変な音がする」
と夫に訴えたが、夫は取り合わなかった。
それどこか、
「仕事もしないで暇だから幻聴でも聞こえるんだ」
とまで言った。
その妻は夫の希望で仕事を辞めたのに。
それから、源さんは夫に向けて物を動かしたり、音を出したりした。
驚き、怯えた夫はすぐさま、引っ越すことにした。
それでも、妻を気遣うことはなく、
「お前が陰気だから、俺まで変な音が聞こえるようになった」
と言い捨てていた。
こんなことなら、夫をもっと盛大に怖がらせるんだった。
源さんはそう思った。
引っ越しが近くなると、妻は密かに仕事を探していた。自立するつもりらしい。
少しだけホッとする源さん。
そして、その後101号室の住人となったのが、
あの女の子と家族だ。
その子が言った通り、この部屋に父親の姿も気配もなかった。
「母子家庭か、じゃ手加減しながらやるかな」
その日の夜、さっそく源さんはその部屋に不吉なラップ音を出した。
6畳間に3人で眠る家族。
子供二人が先に布団に入り、かなりたってから母親がその側にそっと横になった。
「だれも気付かないのか」
源さんはため息交じり言った。
すこしボリュームを大きくしてならしてみたが、やはり同じだった。
「今夜はこれくらいにするか」
そう言い、退散しようとした時、
あの娘がまたしても原さんの目の前に立っていた。
「なんだ、驚かせるな。お前、おしっこか?」
小さな子が夜中に起きるのは、それ以外考えられない源さんが聞く。
「げんさん、ちずかにちて。ままがねむねむだから」
女の子が源さんに怒った顔をしながら言った。
「なんだ?うるさいから静かにしろって?」
頷く女の子。
「まま、ねむねむ」
その子がもう一度言う。
母親の姿を源さんははっきりと見ることができない。
しかし、その気配で熟睡していることが感じられた。
「わかった、もう音は出さない、だからお前ももう寝ろ」
と源さんが言うと、
「おまえじゃない。さくらちゃん」
その子が言った。
「さくらちゃん?それが名前か?」
頷く女の子、その子はさくらという名だった。
「にには、こたくん」
「兄ちゃんか?こたくん?」
「ちがう、にに。 こたくん」
「さっちゃんの、ににがこたくん?」
「ちがう、さくらちゃん。さくらちゃんのにに こたくん」
さくらの声が大きくなってきた。さっちゃんと呼ばれるのは気に食わないらしい。
源さんは、慌てて、
「わかったよ、さくらちゃん、ににはこたくんだね。
もうねなさい」
そう小声で言い、さくらに布団に戻るように促した。
「ねなさい、じゃない。ねんね」
さくらは言い返しながら布団にもぐった。
自分の居場所、せせらぎ荘の廊下の隅に戻った源さんは、
さきほどのさくらとのやり取りを、思い返していた。
「なんだ、あれは」
どっと疲れたのがわかった。
しかし、ああいう会話、どこかで聞いたことがある。いや、体験したことがある。
小さな子と話をするってあんな感じだ。
翌日、アパートの前に、さくらが一人でいた。
側に、母も兄もいる様子がない。
「おい、どうした、一人か?」
源さんが話かけると、
「まま。おちごと。にに、ねんね」
とさくらが言う。
「部屋に入っていようか、外は寒い」
部屋着のままでは寒い季節、源さんはさくらと部屋に戻った。
さくらの言った通り、部屋の中には母親の姿はなく兄がまだ寝ていた。
「お前、じゃない、さくらちゃん、飯は食ったか?」
源さんが聞くが、さくらはポカンとしままだ。
「飯、食ったじゃ通じないか」
そう思った源さん、
「ごはん、たべたのか?」
そう言いなおした。
すると首を振るさくら。源さんが部屋を見渡すと台所の流しの横に、
おにぎりが置いてあった。その横には子供が好きそうなお菓子が少し。
流し台はさくらには手が届かないから、おにぎりを取ることもできない。
「ににが起きないと、おにぎり食べられないなあ」
源さが言うと、
「にに、ねぼすけ」
と言って笑うさくら。
「ねぼすけ」は知ってるんだ、と源さんも笑った。
そうこうしてる間に寝ていた兄が起きてきた。
寝ぼけ眼で台所にやってきて、
「さく、おにぎり食べよう」
そう言って、おにぎりとお菓子を取り、居間のテーブルに並べた。
並んで座って、黙々とおにぎりをほおばる二人。
なんだか、とても慣れているような感じだ、と源さんは思った。
兄さんといってもまだ幼い。
そんな子二人だけにして、母親は不在。
しかも初めてではないようだ。
すこしさくらに聞いてみたほうがいいかもしれない、
「よく二人だけなのか?」
「そうだよ、ににと ふたり」
おにぎりを食べながら答えるさくら。
「ままはどこへ行った?」
「わかんない」
源さんは、側に兄がいるのもお構いなしにさくらに聞いた。
なんだか、知らなくてはいけないような気になっていた。
小さい子が家に子供だけでいる。
それがおかしいとは思わなかった、子供というのは留守番をするものだ。
源さんはそう言う考えだったが、最近はそうではないと知っていた。
「今のご時世、こんな子を家に二人だけで置いておくってやはりおかしい」
どうしたものか、そう思案していた時、
「あの、なんでここにいるの?」
と兄が源さんを覗き込むように話しかけてきた。
古き良き時代は、子供が家でお留守番はよくありましたよね。
でも今どきは事情が違います。
何かわけがあるようです。
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