08:紅茶の入れ方
「あのね、わたくしたち貴族は、お茶会や夜会なんかに出てただ『おしゃべり』しているわけじゃないのよ。そこで戦っているの」
「戦ってるって……」
テレサがふっと鼻で嗤う。
もはやそれだけで不敬罪に問える内容であるが、ルシャーナはそのまま冷静に言葉を重ねた。
「それに、ギイトのことだって。彼のことは、社交界ではそれなりに知られたことだわ。それなのに、公爵家にも引けを取らない辺境伯がそんな男に引っかかったのが露見すれば、そのうち過ぎた権力だと言われかねないでしょうね」
「まさか! そんなことあるわけ……」
「でも、あなた方の思う社交界とはそういうところよ。だからこそ、皆さまつながりを大事にするし、情報収集を欠かさない。今回のことも、もともと社交界とのつながりがあったら、もっと用心深く当たれたかもしれませんもの。社交の免除はされているかもしれないけれど、推奨されていないわけではないでしょう。現に、前辺境伯夫妻はシーズンになると、必ず顔を出されていましたし」
「お、大旦那さまと大奥さまは、そういうのはお好きでいらっしゃったから!」
「……本気?」
「……え?」
「それ、本気で言っているの? 夜会に参加する貴族が全員、社交に興味があると?」
この会話だけで、侍女長が貴族に対してどんなイメージを持っているのかがわかる。傲慢で、怠惰で、着飾ることにしか興味がない――。
無論、そういった人間がいることも確かだろう。
ダンスが好き。
雰囲気が好き。
そんな理由から、積極的に夜会に顔を出す者もいる。しかし、そうでない人たちのほうが多いだろうということは、決して忘れてはいけないのだ。
「言ったでしょう。わたくしたちはわたくしたちなりに戦っていると。あなたはそれを笑うけれど、笑われる謂われはないわ。少なくとも、あなたは自分の仕事も全うできないようだもの」
「な、っ。なぜ奥さまにそんなこと言われなきゃいけないんです!?」
「『奥さま』だからよ。使用人がミスをしていたら、正すのも女主人の務めでしょう」
「間違いですって……!?」
「ええ、例えば――」
細い指先が、テーブルの上に置かれたティーカップを指差す。
「ティナリア産のミューゼね」
入室したそのときから、ルシャーナはこれが気になって仕方なかった。
『ミューゼ』。
ティナリア男爵が代表を務める商会を通してのみ、購入できる高級茶葉である。この茶葉自体に問題はない。
むしろ、人をもてなすのには十分すぎるぐらいの代物と言っていいだろう。
「……それが何か?」
まるで『最高の接待をしたはずだ』とでも言わんばかりの表情に、やはり、とルシャーナは肩を竦めた。
彼女はロドニーとのつながりを理由に採用されたらしいが、それゆえ、最初から上級使用人となってしまったがために、一般的な侍女としての教育を受けていないのだ。最初からこのように攻撃な性格なのだとしたら、わざわざ教えようなどと思うわけがない。
「香りが特徴的だからわかったのだけれど、まあ、それはいいとして……相手がお客さまであれば、なんでもかんでも高級な茶葉を出しておけばいいというものではないのよ」
「はあ?」
王都では見たことがないような使用人にあるまじき態度に、ハリーが控えめに吹き出した。
そういう自分もわりと雑な物言いをする人間であるが、それはひとえに、ルシャーナとの関係性がしっかり確立しているからなのである。お互いにわかっていれば、そして公私の区別ができていれば問題はない。
「ティナリア産のミューゼといえば、それこそ王家に献上されるほど希少価値の高い高級茶葉。ギイトは、確かにもてなすべきお客さまだったかもしれないけれど、あくまでも一介の商人よ。つまり、平民です」
「それが……?」
「あなたは、同じお客さまであれば、相手が王族だろうと平民だろうと同じ茶葉を提供するというの?」
「……平民と王族で差別しろと言うんですか?」
「差別でなく区別です。いらっしゃるお客さまの立場やこちらとの関係性を鑑みて、提供すべきサービスも変える。優秀な使用人というのは、そうした観察眼があってこそです。ただなんとなくお茶を淹れて、なんとなくそれっぽい空間を作ればいいだけではないのよ」
もはや、それは反射的な行動なのだろう。
テレサが言い返そうと口を開く。しかし、声が絞り出される前に、ルシャーナは「それに」と話を続けた。
そして、ひとつのカップに口を付ける。位置的には夫のだ。はしたないかもしれないとは思いつつ、量を見るとまだ手が付いていないようだったので、そこは見逃してほしい。
「うん、ミューゼにしては渋い」
細い眉が、わずかに持ち上がった。
「な……っ。お、奥さまにあたしたちの仕事がわかるとでも!?」
「奥さま、それはさすがに行き過ぎでは?」
使用人として看過できない領域だったのか、ロドニーは不愉快げに顔を顰めた。それはわかる。誰だって、自分のテリトリーに土足で踏み込まれたら良い気分にはならないだろう。
それが見えない場所でのことであれば、ルシャーナも口を噤んだに違いない。しかし、接待に関するものなら話は別である。
使用人の評価は、そのまま女主人への評価につながるのだから。
「まず、使う茶葉の種類によって水は変えている?」
「……は?」
「この国には軟水に合う茶葉のほうが多いわね。だから、普通に紅茶を淹れるとしたら、使うのは軟水でしょう。でも、ことミューゼに限っては、硬水のほうが推奨されています」
「な、なにを偉そうにっ」
――だから、『偉そう』でなく偉いのよ。少なくともあなたよりは。
とは、思っても口に出さずにおいた。
「素材の持ち味を生かすという意味では軟水もいいけれど、苦味をより引き立ててしまうのも軟水です。渋さを抑えたいときには硬水にしてみてもいいかもしれないわね。まあ、どちらにしろ、ミューゼは硬水用の紅茶なのだけれど」
「ですが! 今まで紅茶に文句を付けられたことなんて……」
「そんなこと言うわけないでしょう。他人さまの家で出された紅茶に文句を付けるのは、普通にマナー違反ですもの。その代わり、余所で言われるのよ。『あの家の使用人は紅茶ひとつまともに淹れられない』『辺境伯邸での接待はひどいものだった』と」
この場合、女主人は使用人の教育ができていないとして。そして、辺境伯はそんな女主人を嫁にした、あるいは女主人の言うことを聞かない使用人を雇用しているとして、口さがない者たちの口の端に上るわけだ。
「あとは、そうね。おそらく蒸らし時間が長すぎるのだと思うわ。何分ほど時間を置いたの?」
「なんでそんな――はあ、五分ほどですが?」
これ以上言い争っても無駄だと感じたのか、テレサが渋々といった感じに口を開く。
「三分よ」
「……は?」
「ミューゼを蒸らすのにベストな時間は三分。それ以上になると余計な渋みが強くなるから、お客さまによっては顔を顰められてしまうでしょうね」
解説しながら、ルシャーナはカップの表面を指でなぞった。客人のもてなし方については言いたいことが山ほどある。が、今は自分のやり方がすべてではないとわかってもらえればいいだろう。
もっとも、そう簡単にいく人間なら、ここまであからさまに噛みついてはこないのだろうが――。
「茶葉は三グラム。お湯は九十五度まで温めて、蒸らし時間は三分。苦いのが極端に苦手な人に淹れるのであれば、茶葉をやや減らすこと。これがミューゼの正しい淹れ方よ。あと、こちらは紅茶全般に言えることだけれど、お茶を淹れる前にカップは温めている?」
カップの表面が冷えきってしまっている。
商人が訪れたのは何時間も前の話ではないだろうから、おそらくそのまま出したのだろうとルシャーナは予想した。
はいともいいえとも言わないテレサだったが、その『言いたくない』という態度から、どうも本当にそうらしいと確信を持つ。
「茶葉にもそれぞれ性格があるのよ。『こんなものだろう』『どれも同じだ』と思って淹れるのは失礼でしょう。特にミューゼは王族に献上されている茶葉。これを飲み慣れている人がいるとすれば、王城の教育され抜いた侍女が淹れた紅茶に馴染みがあるということだから、取り扱い要注意なのよね」
「そ、そんなに貴重な紅茶なら、奥さまがそこまで知っているというのも可笑しい話だわっ」
「……あのねえ、わたくしを誰だと思っているの?」
そこまで言って、しまった、と一度口を噤む。
(なんだか、とてもナルシストみたいなことを言ってしまったわ……!)
その居た堪れなさが護衛にも伝わったのだろう。ハリーが声なく笑うのが、空気を通して伝わってきた。
「お忘れかもしれないけれど、わたくし、これでも王太子殿下の婚約者だったのよ」
それも、生まれてからずっとその地位にいたので、王族やその周辺の人々、上位貴族の面々には準婚状態にあるものとして知られていた。つまり、王族同然の扱いだったということである。
「……だからって、あたしのやり方に口を出していいとでも!? あ、あたしはこの一年、侍女として自信を持ってやってきました! それの何がいけないんです!? 奥さまは王太子さまに捨てられたから、旦那さまに取り立てられているあたしたちを邪魔に思うのかもしれないですけどっ、奥さまがここで愛されることはないし、あたしたちに大きな顔をするのも可笑しな話なんです!」
――いろいろ。
なんだか、いろいろと間違っている。
思わず本気の「え?」が出てしまったのも、仕方のないことだろう。どこから突っ込めばいいのか、もはやわからない。
侍女になってまだ一年だったのか、とか。それなのに侍女長などにして、古株の使用人もいただろうに反感は買わなかったのか、とか。夫が取り立てている使用人を邪魔に思うとはなんなのか、とか。
言いたいことがありすぎて、ルシャーナは逆に口を噤んだ。――そのとき。
「ふ、あははっ。お前のとこの使用人は相変わらずだねえ、メルヴィン」
軽やかな笑い声が割り込んできた。