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07:社交免除の実

「つまり、その……合成カラーチェンジサファイアというアレキサンドライトの偽物だから、価値が低く、母上への贈り物としては不適切ということかな」


 初夜に口喧嘩をして――というより、一方的に喧嘩を売って以降、初めて夫に向き合ったわけだが、意外にもしっかり会話になっていることに、ルシャーナは驚いた。

 無論、再び言い争いになると考えていたわけではない。

 ただ、どうも自分の夫となった人は気弱な一面があるようだったので、避けられるかもしれないぐらいのことは思っていた。


「ああ、今回の場合、合成カラーチェンジサファイアをアレキサンドライトとして売り込みにきたので『偽物』と言っただけで、合成カラーチェンジサファイアを合成カラーチェンジサファイアのまま販売するのであれば、れっきとした本物ですわ」


 言いながら、ルシャーナは手のひらの中の石を揺らす。

 光に照らされたそれが、深い青色から妖艶な赤紫色にゆらりと変わった。


「このように、比較的安価に入手できる石は、普段使い用の宝飾品として持つのに非常に便利です。おそらく――」

「平民が頑張って働いて、やっと買える宝石を『普段使い用』だなんて、あたしたちのことは考えてくださらないんですかっ」

「……あなた、いちいちわたくしに噛みつかないとお話ひとつ聞けないの?」


 貴族の(やしき)で働いておきながら、平民平民とうるさいことだ。身分差になにかしらのコンプレックスを抱いていることは明白である。

 「お願いだから、ちゃんと会話する努力をしてちょうだい」と言い置いて、ルシャーナは言葉を続けた。


「ええと、おそらく、前辺境伯夫人も普段身に着けているのは、宝石のレプリカか類似石から作られたアクセサリーのはずです。見栄を張ることも貴族としてある種義務のようなものですが、なんでもないときにまで高価な宝石を身に着けていて、盗まれたり壊したりしたら大変ですもの」

「なら……」

「とはいえ、普段使いできるものなど、贈り物としては不適切です。その程度のものなら、ご自分でいくらでも入手できる立場のお方ですから。まあ、単に()()()()()()()()()というのであれば、前辺境伯夫人もお喜びになるでしょうが……こちらの合成カラーチェンジサファイアを見てくださいませ」


 イヤリングを指でつまみ、窓の外から入り込んでくる陽の光にさらす。

 光の当たり具合によってキラキラと色を変えるそこに、一本の筋が入っているのが見えた。よく見なければ気にならない程度のものであるが――。


「これは、傷?」


 ルシャーナはうんと首肯した。


「加工されるときに出来たものでしょうね。こんなに目立つ場所にあっては、もはや普段使いにすらなりませんわ」


 宝石を宝飾品に仕立て上げる過程で、うっかり傷が入ってしまうことは間々あることだ。それ自体で宝石の価値が大きく下がるということはないものの、その宝石の用途や傷の位置によって、それは()()となる。

 自身が宝石とは縁遠い男性であっても、普通、こういったことは女性との付き合いの中で学んでいくものである。それができないということは、おそらく、今まで宝石をプレゼントするような相手がいなかったということなのだろう。





「ギイト」


 空気に似合わない穏やかな声に、男は一度びくりと肩を震わせて、しかしのろのろと顔を上げた。視線が忙しなく部屋の中を彷徨っている。


「わたくしは、この件を王宮に報告しなければなりません」

「……あ」

「あなたがどうしようもない悪人でないことは知っているわ。きっと何か理由があったのでしょう。ですが……わかるわね」


 確かに人を騙そうとしたかもしれない。

 ()()は、それを『悪いこと』だと認識していない節もあった。

 しかし、今は違う。

 少なくとも、彼を罪人とし、別れる直前には自身の罪を認めていた。また、その後もその行動は王太子のドウェインに監視されていたので、すでに罪を償い終えていることも、ルシャーナは知っていた。

 現在は、王都追放の刑が残っているだけだ。これは、他の刑罰とは異なり、本人(ギイト)が生きている限り続く。

 ただ、それ以外では、ほとんど改心したと言えるギイトのことだから、またあえて罪を犯そうとするはずはないと思っていた。

 弱者を搾取してはいけないと――駄目なものは駄目だと考えられる程度には、ギイトは驕ったところのない、ある意味素直な男なのであった。


「お、王太……ああ、いや、夫人。私は……」


 視線をうろうろとさせた商人が口を開くと、ルシャーナは「待って」と制止をかける。


「弁明は王宮で。わたくしの立場は以前とは少し異なるのよ。まあ、あなたのことは丁重に扱うように、手紙でも(したた)めておくわ」

「あ、でも、もし彼に罪があるのであれば、こちらで(さば)く必要があるのでは? 一応、辺境伯領内で……というより、その本邸で行われたことだし」


 頼りなくはあるが、一応辺境伯としての自覚はあるらしい。

 たったそれだけの事実に、ルシャーナはほっと息を吐いた。平民を使用人に取り立てる貴族はあれど、それは家に益をもたらしてくれる優秀な人材に限られた話で、決して『居心地のいい空間』づくりのためではない。

 補佐役や侍女長といった上級使用人の役割は、主人の()()()()()仕事を忠実にこなすこと。しかし、それは誰かを意図的に貶めるようなことであってはならないのだ。

 もし、主人の意思が間違いだと思われるようなことだったとしたら、今度は(たしな)める必要もある。


(でも、ロドニーといい、テレサといい……とてもそれができているとは思えない人たちを周りに置いていたから、ちょっとどうかと思っていたけれど。『辺境伯』という――いえ、『貴族』という矜持(きょうじ)はなんとか持っているみたいね)


 もっとも、常識人である前辺境伯夫妻が育児をおろそかにしたとは思えないので、疑っていたわけではないが。


「ええ、通常であればそうでしょうね。ただ、彼の場合、少し状況が特殊というか」

「特殊?」

「以前にも詐欺罪でしょっぴか――ええと、捕縛されたことがあると申しましたけれど、あの件には我が国の王太子殿下が直々に関わっていらっしゃいまして」


 思わず『しょっぴかれる』とカミラが聞けば叫びだしそうな俗な単語を使ってしまって、ルシャーナは軽く咳ばらいをして誤魔化した。背後からは、意外と公的シーンでの言葉遣いに厳しいハリーの物言わぬ圧を感じる。

 普段は飄々とした様子の彼も、やはり名のある家門のもとに教育を受けた貴族なのだ。


「王太子殿下が?」


 メルヴィンが複雑そうな表情を浮かべているのは、ルシャーナが婚約解消の憂き目にあったと思っているからだろう。


「やり口も以前と一緒……ということを考えれば、他にも余罪があるかもしれませんわね。前回の罪も鑑みて、総合的に判断しなければなりません。こちらで調査をしたうえで、最終的には殿下にお任せしましょう。少なくとも、わたくしはそれが最善かと思いますが」

「奥さまが旦那さまのやり方に口を出すのは、いささか横暴ではありませんか?」


 それまで口を噤んでいた補佐役は、嫌悪感露わに眉根を寄せている。ルシャーナはちらとそちらを見やって、しかしすぐに夫へと視線を走らせた。


「わたくしは口を出しているのではありません。こう思う、と意見しているのですけれど。聞き入れるか否かは旦那さま次第ですわ」


 とはいえ――。


「ああ、そうだね……」


 ()()()()()()()()()彼のことだから、もっともらしい理由があれば、わざわざ否定することはないだろうと踏んでいた。


「旦那さま!」

「その、僕は前の事件を知らないけれど、王太子殿下が関わっていたということは、それなりに大きなこと……というか、必要なことだったんだろう」


 ひとつひとつの事実を咀嚼するように話す夫に、ルシャーナは、あら、と思う。


「それに、もし他領に関わる余罪が見つかった場合、うちのみの判断で刑罰を決めるのは難しいよ。彼女の助言は、王太子殿下を僕たちよりよく知っているからこそのものだと思う。なら、こちらとしても否やはない」


 意外としっかり考えているな、と。

 補佐役も侍女長も『主人のため』を大義名分に我を通すタイプのようだったので、てっきり言いなりになっているとばかり思っていた。

 初夜での発言は面白くないし、許すつもりはないが――過小評価していた部分はあったかもしれない。


「なにを……!」

「あなたこそ、いったいなんの不満があるの?」

「……不満?」

「旦那さまがわたくしの話に耳を傾けたとて、それをどう感じるか、どう判断するかはすべて、旦那さま次第だわ。いろんな人の話を聞くことはむしろ、貴族として好ましい姿勢と言えるのではないかしら。それとも、まさか旦那さまは自分の意見を聞いてさえいればいいと? それこそ、旦那さまをいいように使っているということではなくて?」


 元より健康的とは言えない色白の顔に羞恥が走る。しかし、言い返してはこなかった。おそらく、どう切り返したところで、ルシャーナにやり込められるのがわかったのだろう。


(嫌味の応酬が常である貴族社会で生きてきたんだもの。使用人ひとり黙らせるぐらい造作もない……のだけど、気持ちがいいことではないのよね、やっぱり)


 だが、仲良くしたいと言ったところで通じそうな相手ではないので、ルシャーナはこれを早々に諦めた。

 親しくなるにも、それ相応の譲歩が必要なのである。()()()


「旦那さま、彼を呼んだのは初めてではありませんね?」


 (やしき)を警備している職務中の騎士を呼び、ギイトを(貴族ではないが)貴族用の牢に連行してもらったあと、ルシャーナは再び()()と向き合った。


「あ、ああ。でも、なんで……?」


 メルヴィンが戸惑いの表情を浮かべる。


「昨日、到着してから不思議に思っていたんです。――この(やしき)には、レプリカらしきものがちらほらあるな、と」

「レプリカが?」

「ええ。レプリカ自体が悪いとは申しません。レプリカにはレプリカなりの良さがありますし、貴族の中でも見える場所はあえてレプリカでそろえているという家もございます。でも、明らかに価値が高いものがあったかと思えば、その近くにはレプリカが並んでいる……というのは、かなり珍しいケースですから」


 言いながら、ルシャーナは夫の隣に腰を下ろした。


「こうした場合、貴族の常識的には、旦那さまが『真贋の見分けができない人物』であると判断されてしまいます。むしろ、ご自分からそのように吹聴しているようなものになるので、貴族社会での旦那さまの評判が非常にまずいことに……」

「……なるほど」

「まあ、旦那さまは貴族社会での評判はあまりお気になさらない……というより、歴史だマナーだ、慣習だと口うるさい貴族社会がお好きでないのかもしれませんわね。だからこそ、社交界から遠ざかっていらっしゃるのでしょうし」

「だ、旦那さまはっ、社交を免除されてらっしゃるんですよ! そんなこともご存知ない!?」

「いいえ、()()()よ」


 知っている。

 知ってはいるが――。


 そもそも、社交自体、強制力のあるものではない。確かに、記念日や慶事などの際に王城で開催される舞踏会なら、多少の圧が働くだろう。

 それでさえ同調圧力のようなもので、特殊な事例を除いては、王命によって強制されるものではないのだ。

 つまり、社交が免除されるということのメリットは、他の貴族から『あの家は社交免除の免罪符があるから、この夜会にも来ていないのね』と思ってもらえるということ一点のみ。

 実際には、たいしたうま味がないのである。

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