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04:つきまとった悪評

「カミラって突然感情がぶっ壊れるわよね」

「お嬢さま! 『ぶっ壊れる』だなんて、そんな俗な言葉……!」


 くう、とハンカチを食いしばりそうな勢いで悔しがるカミラに、ハリーは鼻を鳴らした。


「お嬢の()はこっちだろう」

「兄さん! 兄さんみたいなのが近くにいるから、お嬢さまがこんな俗な言葉を覚えてくるんだわ!」

「……俺じゃなくて、王太子殿下の影響じゃねえか?」

「そ、それは……それも……一理ある、かもしれない……」

「ちょっと二人とも。殿下はそんな下町言葉なんて使わないわ。まあ、()()というのであれば、否定はしないけれど」


 この大陸の三分の一の面積を占める大国ガーランド。

 歴史の長い王家の王太子に現在立っているのは、ドウェイン・キンブル・ド・ガーランドである。幼いころは神童と呼ばれ、今でもその名は衰えていない。

 そんな王太子に長年付き合わされてきたのだ。ルシャーナ・ボスフェルト――旧姓ルシャーナ・ロズウェルの素質は言わずもがなだろう。


「それに、()でいられるのなんて、ここではカミラとハリーの前でだけなんだからいいじゃない。ああ、今はそこにジェスも追加ね」


 もとより、ルシャーナはどちらかといえば()()()と言われていた女性である。王太子を含む幼馴染みたちと庭を駆け回り、敵わないことがあれば悔し泣きをし、歯を食いしばってついてきた。

 その結果、今こうして辺境伯に嫁ぐことになってしまったわけであるが。


「お嬢さま、今、遠い目をしていらっしゃるでしょう」

「……わかった?」


 ヴェールの下に隠れた表情を見透かしたように、カミラが苦笑する。

 ルシャーナは思わず肩を竦めた。この侍女にはなんでもお見通しのようだ、と。


「……シャナ」

「ん?」

「おなか、すいた……」

「えっ? あ、ああ! カミラ、お願いできる?」


 ルシャーナがちらと視線をやると、「あ」と小さく零したカミラが慌てて手に持っていたプレートをローテーブルに乗せる。


「お待たせいたしました、ジェスさま」


 フルーツが盛り付けられたプレートを、ジェスはじっと見つめた。それからすぐに、確認するようにルシャーナを振り返る。

 雛が最初に見たものを親だと思う『刷り込み』のようなものだろうか。先ほどから、ちらちらと反応を確認するジェスに、ルシャーナは柔らかく笑った。そして、フォークをそっと取り上げる。


「ジェス、レチアを食べたことはある?」


 尋ねられて、ジェスは小首を傾いだ。おそらく『ない』ということなのだろう。


「うーん、どうかしら? そのまま食べるには、結構好き嫌いのわかれる味なのよね」


 自身も一欠片口に入れて、「まあ! お行儀の悪い!」と小さく悲鳴を上げるカミラを横目に、フォークに突き刺したレチアをジェスの口元に運ぶ。

 ジェスは少し躊躇ったあと、恐る恐る口を開いた。

 しゃり、と音がする。

 ――刹那。


「あらっ、見た? ねえ、カミラ、ハリー、今の見た?」


 用心深く義息子を見つめていたルシャーナが声を弾ませた。どうやら無表情がデフォルトであるらしいジェスが、一瞬口をすぼめてぎゅっと目元に皺を寄せたのに気づいたのだ。


「す、酸っぱいって顔をしたわよ」

「ああ、これはまさに神の采配がごときお可愛らしさ……!」

「……いや、俺はむしろ、お嬢がまだそんな顔できたことに感動したけどな」

「ええ? というか、あなた、わたしの顔なんて見えていないでしょう」

「いんや? ちゃんと見てれば、お嬢が今どんな顔してるのかなんて、だいたいわかるよ」

「あら……」

「ええ、ええ、お嬢さまは意外とわかりやすいですからね」


 軽やかな笑い声を上げながら、カミラは部屋から出て行った。――ナイフを洗いに行ったのだろうけれど、指でくるくる弄んでいたのは見間違いかしら?

 さすがハリーの妹だわ、とルシャーナは胸の内で拍手を送った。

 もう一欠片、レチアをジェスの口に放り込む。酸っぱい顔をしながらも一生懸命咀嚼する様子を見ると、好きな味ではあるのだろう。


「そういえば、ハリー。あなた、さっき何か言いかけていなかった?」

「ああ? さっき?」

「……ガラ悪ぅ。ほら、この部屋に入ってきたときに」


 ヴェールに覆われた顔が不満げに歪んでいるのを想像して、ハリーは微かに笑った。そして、ああ、そういえば、と思い出す。


「なに、たいしたことじゃねえよ。ただ、ほら、さっき騎士団の訓練場に挨拶がてら顔出してきたんだけどな、『王都育ちのお綺麗な護衛ごときと一緒にされるのは虫唾が走る』んだと」


 ひゅっと息を呑んだ。

 ()()()()――。

 つまり、甘やかされて育ってきたのだろうと言いたいのだ。実際、初対面の侍女長も似たようなことを言っていたため、王都(都会)に対してなにかしらのコンプレックスや差別があるのはわかる。

 王都を拠点にする貴族の中にも辺境の貴族を『田舎者』と揶揄する者がいるが、それと同じことである。

 ルシャーナはジェスの髪の毛を指で弄りながら、俯いた。


「……ごめんなさい、ハリー。わたしに()()なんてものがあるから、こんなことを言われるのよね」


 ――曰く、王太子の寵愛が得られず不義を働いた。

 曰く、王太子に寵愛されている妹に嫌がらせをした。

 曰く、次期王太子妃としての責務を放棄したのにもかかわらず、贅沢ばかりを好んでいた。

 曰く、ヴェールの下に隠された顔は、醜くて見せられたものではない。


 など。

 この噂をどう見るかは人それぞれだが、王都から物理的距離があり、噂の真偽を確かめる術を持たないオルコットの人間はどうやら、それらすべてを真実だと思っているらしい。


「お嬢のせいじゃねえだろう」


 清廉な空気が霧散したのを感じて、ハリーは気まずそうに視線を泳がせた。愚痴っぽくなってしまったのは認めるが、責めるつもりはなかったのだと。


「だいたい、噂の真実がどうであれ、どういった類のものなのか見極められないあいつらにも責任はある」

「でも……」

「誰も噂を()()()否定することはないが、耳聡い貴族連中ならそれが()()()()()()()()()ぐらい察しているしな。それに、殿下とお嬢が話しているのを見たことがないから、あんなのを鵜呑みにするんだろう。社交が免除されているからと王都に寄り付かなかったから、知らないだけだ。お嬢もわかっていると思うが――」


 ハリーはやや苦々しい顔をして、何かを飲み込むように幼子(おさなご)の頭に手を伸ばした。

 ぐわっと迫ってきた大きな手に首を竦めたジェスだったが、自分を害する気配がないことを察知すると、すぐに体から力を抜いた。


「貴族にとって、無知は罪だ」

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