03:名前を呼ぶ
湯浴みをさせると、ジェスはさらなる美少年に仕上がった。
美人が多いと言われる貴族の中に交ざっていても、おそらく違和感のない容貌。王太子の端麗な容姿を見慣れているルシャーナですら、汚れを落としたその美貌を目の当たりにしたときには思わず拍手をしてしまったほどだ。
「灰色の髪の毛ということは、異国の血が入っているのかしらね」
義息子を足の間に置き、丁寧に髪の毛を乾かしてやりながら、ルシャーナが頬を緩める。
「まあ、この国であまり見ない髪色ではありますね」
次いで、カミラが感心したような口ぶりで言った。
職務に忠実な彼女は立っていることのほうが多いが、今は部屋の隅でフルーツの皮を剥いている。
部屋に放置され、すっかり冷えていた朝食のスープ代わりに。
カミラが改めて調理場から調達しようとしたものの、いかにも迷惑そうな顔をしたシェフたちに「すでに洗い物が終わっていて、今からランチの準備に入るから出て行ってくれ」と言われてしまったのだ。
そのため、仕方なく、おやつ代わりにと王都から持ってきていたフルーツを与えることにしたのである。
「ねえ、ジェス」
ルシャーナが呼びかけると、大人しく足の間に収まっていた幼子が体ごと振り返る。
視線だけで次の言葉を待っているジェスは、人との関わりを持ってこなかったからか、口数が多いほうではないらしい。しかし、目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、水晶のような瞳には疑問の色が浮かんでいる。
「あなたはずっと、あそこにいたの?」
いくらか慎重に投げかけられた質問。
ジェスは少し考えるような素振りを見せたあと、小さく頷いた。
それに対して、「まあ」とカミラが眉根を寄せたそのとき――。
「お嬢、聞いてくれよ!」
ノックもなく、勢いよくドアが開かれた。
「ここの使用人、騎士団はえらく主人に従順だと思わねえか? 騎士団の訓練を見に行ってきたんだが……」
後頭部をがしがしと掻きむしりながら入ってきたのは、王都から同行してきた専属護衛のハリーである。
大股で歩み寄ってきた彼は、おそらく許可なくソファーに座るつもりだったのだろう――が、声が尻すぼみになり、ついに消え入ってしまったのは、この空間にいたのがいつもの三人だけでなかったからにほかならない。
大きく見開かれた瞳が、麗しい幼児へと向けられていた。
「これは、また……」
言いたいことはわかるわ、とルシャーナはヴェールの下で微笑んだ。
「……殿下の子どものころと張り合えそうだな」
「やっぱり? わたしもそう思っていたの」
「王太子殿下の幼少期は、まさに天使のごとく、でしたからねえ」
思わず三人で頷き合う。
「ハリー、ジェスよ」
成人男性の大声に驚いたらしい義息子のわずかな怯えを感じ取って、ルシャーナは強張った体から緊張を取り払うように、ジェスの肩をさすった。
「おう。坊ちゃん、よろしくな」
にっかりと気取らない笑みを見せたいつも通りのハリーに、「兄さん!」とカミラが悲鳴を上げる。
ハリー・エルウッド。性格こそまったく異なるものの、彼はカミラの実の兄だ。
そんなハリーを不思議そうな表情で眺めていたジェスは、一度ルシャーナを見て、それからまたハリーに視線を向けた。
「ジェス、ハリーよ。ハリー。言える?」
――なんとお可愛らしい!
意図的に兄を視界から排除し、主人と幼子のやり取りを見守っていたカミラは、思わず膝をついて天に祈りを捧げたくなった。心の中ではすでに滂沱のごとく感涙を流している。
(女神のような美しさと聡明さを併せ持つルシャーナさまと、王太子殿下の幼少期にも引けを取らない麗しさを持つジェスさま……ああ、天国はここにあった……!)
感動に体を震わせているうちに、「ハリー……?」とジェスが無垢な表情で呟いたので、とうとう堪えきれず、カミラは床に崩れ落ちた。まさに、先ほどまでの自分を棚に上げて、である。
付き合いの長い他二名にとっては、よく見る光景である。慣れた様子でさらりと無視をした。
「そうね。わたしはルシャーナ」
「ルサー……?」
「……難しいかしら。ルシャーナよ」
「ルシ、ルサー……」
「ええと、そうね、うーん、『シャナ』ならどう?」
悩んだ末の提案に、ハリーが物憂げな表情を浮かべる。
しかし、それは一瞬のことで、ジェスが「……シャナ」と繰り返すとうれしそうに微笑んだ。
「それから、彼女はカミラ」
「カ、ミラ」
「ああ、神様……!」