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01:屋根裏部屋での邂逅

 翌日、孤独すぎる朝食を終えたルシャーナのもとを、ロドニー・エクラムが訪ねてきた。彼の母親がメルヴィンの乳母だったとのことで、男爵を賜っているエクラム家は、代々オルコット辺境伯に仕える家系なのだそうだ。

 ロドニーには兄もいるが、年回りが近いことから、メルヴィンの相手をするのはもっぱらロドニーの仕事だったのだという。

 もっとも、これはオルコットの誰かに聞いたわけではなく、結婚相手について調べていたときに知った情報なのであるが。


「ジェス……」


 大股で歩く補佐役を小走りに追いかけながら、ルシャーナが呟く。無表情のまま、ロドニーは頷いた。


「ええ、旦那さまのご子息です」


 王命によって定められた望まぬ結婚。持て余すであろうその嫁をどうするか考えに考えた末、息子の世話役に宛がわれることになったらしい。

 とはいえ、血のつながりがないことはわかっている。


 これもまた複雑というか、なんとも自分勝手な話で、この息子というのは前妻の連れ子だったのだとか。

 妊娠中にオルコット辺境伯と婚姻を結んだ母親は、もともと病弱だったため、出産後は体調を崩し、寝込みがちになったという話だ。しかし、()()()()も疑わしいとルシャーナは感じていた。

 なにしろ、病弱でベッドから起き上がることもままならなかったという話なのに、嫁いできて一年もしないうちに、(やしき)に勤めていた庭師の男と駆け落ちしたのである。どう考えても、か弱い女ではない。

 それなのに、なぜだかオルコットの面々は前妻を信じている。


 そして、駆け落ちするだけならまだしも、子どもを置き去りにしたというのだから驚きだ。


 当然、オルコットの血を継いでいない赤子をどうするかという議論は白熱した。――孤児院に入れるべきだ。外に養子に出すべきだ。

 いろんな意見が飛び交う中、すでに自分の籍に入れていた子どもをそのまま引き取るとしたのは、メルヴィン・ボスフェルトその人だった。


 では、彼が息子に対して愛情を持っていたのかというと、そういうことでもない。ただ、愛する前妻が残していったものだから。それだけの理由で手元に置いておくことにしたので、父親としての自覚はなく、放置されているだけの状態だった。


 そこに嫁いできたのが、ルシャーナ・ロズウェル。事前に知っていた情報ではあったが、輿入れ当日に直接聞かされた義息子の存在は、メルヴィンにとっては本当にどうでもいいものだったのだろう。

 現に、ジェスという名前があるのにもかかわらず、メルヴィンは終始「あの子が」「子どもが」と言っていた。


 その様子に、カミラは「なんて無責任な!」と憤慨し、専属護衛のハリーも、珍しく表情をなくしていた。


「質問をしてもよろしいかしら」


 息を弾ませながら、目の前の背中に問い掛ける。「どうぞ」と無機質な答えが返ってきた。

 背後を歩くカミラが低く舌打ちをしたが、聞こえなかった振りをした。


「その……ジェスは、旦那さまが本当の父親ではないと知っているの?」

「ああ、別段隠すことでもないですから、知っていますよ」

「……そう」


 突き放すような物言いに、声のトーンが下がってしまったのは仕方のないことだろう。


 ――ひどい。


 ルシャーナは、前辺境伯夫妻と面識がある。愛情深い彼らが、息子(メルヴィン)を大事に育てているのも知っていた。

 それなのに、なぜこうも自分勝手な愛に酔いしれる人間になってしまったのだろう。


「こちらです」


 ロドニーが立ち止まる。それに(なら)って足を止めてから、ルシャーナはぎょっと目を見開いた。


「こちらって……こちら?」


 はっと息を呑んだカミラが小さく「嘘ぉ……?」と呟く。――ありえない。そう、まさにありえないことがオルコット邸では起こっていた。


 一定間隔に調度品が並んだ廊下の奥の奥。

 あまり人が立ち入らないだろうと予測されるようなそこには、さらに上へと続く階段があった。


「……ここ、屋根裏部屋ではなくて?」

「ええ、ですから、そこがあの子の部屋です。この時間なら、まだ寝てるんじゃないですかね」

「まだ寝ているって、誰も起こしていないの? 朝食の時間は過ぎているでしょう」

「朝食なら机の上に置いてありますから、心配いりま――」

「そう、もういいわ。案内ありがとう。あとは、わたくしに任せてちょうだい」


 それ以上、聞いていられなかった。

 まだ幼い子どもを屋根裏部屋に閉じ込めた挙句、食事だけ与えてあとは放置。これはほとんど虐待ではないか。


「なぜですか……?」


 不満げな表情で立ち去っていくロドニーの背中が消えたあと、カミラが震える声で吐き出した。怒りよりもショックが先んじているらしく、紙のように真っ白な顔色だ。


「子どもになんてむごいことをっ」

「……誰もむごいと思っていないことこそが、最たる問題でしょうね」


 鉛を飲み込んだかのように、胃の奥が重たくなる。

 引き取るか否か。

 それを決める権利はメルヴィンにあった。にもかかわらず、手元に置いておきながらも、養育する義務を放棄した。それをあの前辺境伯夫妻が許すとは思えないが――。


 階段を上り、ドアを押し開ける。

 途端、むせ返るような悪臭が鼻をついた。


「お嬢さま、これ……」


 長い間、換気さえされていなかったのだろう。埃と熱気が入り混じったような、不快なにおいだ。


「……ジェス?」


 灯りは点いていない。

 カーテンの隙間から漏れてくる太陽の光だけが頼りだったが、しばらくじっとしていると目のほうが薄暗がりに慣れたようだった。


「ジェス……」


 かたり、と音がする。


「お嬢さま、わたし、ネズミも虫も駄目なんですけど」

「黙って」


 確かに、まともに掃除もされていないようだし、ネズミや虫が出てもおかしくはない。肌が粟立つのを感じながら、ルシャーナは部屋の中に視線を走らせる。

 そして、見つけた。

 マットレスの上に、シーツが丸まっている。その隙間から、透き通るような水色の瞳が覗いているのを。

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