13:親子の語らい
『嫁の紹介』を名目とした、しかしなんとも不穏なお茶会が解散となったあと。現オルコット辺境伯と前辺境伯夫妻は使用人を追い出し、向き合っていた。いわゆる、ここからは『家族同士の語らい』というやつだ。
無論、新しくオルコットの一員になったルシャーナにも声を掛けたのだが、彼女は「義息子が待っているので」と辞退し、颯爽と自室に戻っていった。
「お二人は、彼女と面識があったんですね」
喉の乾きを自覚したメルヴィンは、唇を紅茶で湿らせて、気になっていたことを口にする。
「もちろん。今の貴族で彼女を知らない人間はいないでしょう。王太子妃になるべくして育てられ、それに見合った――いえ、それ以上の働きをしていたお方だもの。彼女のことは、こーんなに小さなころから知っているわ」
メリッサは、床と平行に手を翳して柔らかく微笑んだ。
「それに、陛下が彼女の降嫁先を探していると伺って、ぜひ我が家にと立候補したのはわたくしたちよ」
「……え?」
「あなたがいまだ前妻を思っているのは知っています。彼女だってあなたからの愛情を求めているわけではない。ただ、あなたの性格上、それでも彼女を邪険にし、蔑ろにすることはないだろうと思っていたのだけれど……」
大事に育ててきた一人息子が、あまり領主に向かない性格であることはわかっていた。流されやすく、優柔不断。優しいと言えば聞こえはいいが、それは『人に嫌われたくない』という気持ちの表れでもある。
それでも、周りを優秀な人間で固めれば、それは些細な問題となるはずだったのだ。貴族といえど、誰も彼もが領主らしく生まれてくるわけではないのだから。
無論、それでも息子は可愛い。結婚相手を勝手に決めてしまうことへの申し訳なさもあった。しかし、恋愛結婚でも構わないと息子に任せていた結果、あの前妻を選んできたのだから、女性を見る目はなかったのだろう。
子持ちの平民女性という時点で、口だけの反対はしていたものの、調べてみると、政治的に後ろ暗いところはなさそうだったので、何が起きても高いレッスン料だったと思うことにしたのだ。教育が悪かったのか、元来の性質なのか、息子はどうも人を信じすぎてしまうきらいがある。何度言い聞かせてもそうなので、もうこれは一度痛い目を見なければわからないだろうというのが、オルコット夫妻の考えだった。
といっても、婚姻関係にあるうちは、万が一にも彼女が変な気を起こさないよう、メリッサの息がかかった侍女を送り込んでいたのだが。
(それにしても、あの様子では『レッスン』にはなっていなかったようね……)
そんな経緯があったため、次の結婚相手を選ぶのは難航した。
息子本人は前妻が忘れられないようで、結婚の『け』の字も口にしない。しかし、彼は腐っても貴族の息子だ。それも、嫡子である。血を残すのも義務のひとつであり、努力してなお駄目だったというのであればまだしも、妻を迎えないというのは許されない。
そこで、次こそはと意気込む前辺境伯夫妻のもとに届いた報せが、ルシャーナの件だったのである。我先にと飛びついてしまったのは、仕方のないことだろう。
「それにしても、なんなの、あの使用人は?」
「……テレサは少し気が強く――」
「気が強いのと、無礼なのではまったく違うわね。あのルシャーナを見下した態度ったら……自分がどれほど偉いと思っているのかしら?」
「いろいろと許されてきたから、自分が罰せられるはずはないと高を括っているのだろう。ロドニーと懇意にしていると聞けば、他の使用人たちもあまり強くは出られまい。むしろ、従わざるを得ないだろうな」
程度のほどはわからないが、ファイサル・ルルーシュ次期公爵からの情報によれば、少なくとも女性の使用人とはうまくいっていないということだった。
目の当たりにしてみればわかる。
侍女長があの態度で、しかも、それを主人と補佐役が注意ひとつしないのだ。いくらルシャーナの手腕をもってしても、ここまで空気が悪ければ手の付けようがないだろう。
「それに、使用人の中には、あなたのことを良く思わない人もいるのではなくて?」
母親からの指摘に、メルヴィンはわずかに目を見開いた。少々――どころではなく、かなり考えなしなきらいがある息子に、メリッサは嘆息する。
「当然でしょう。我が家に昔から仕えてくれる人たちを差し置いて、ただロドニーと親しいというだけで、新しく雇い入れた女性を侍女長などという高い役職に就けたのだから。それって、彼女たちからしたら、自分たちの働きを無碍にされているも同然のことだわ」
実のところ、この一年の間に数多くの使用人が自主退職していた。引き止めようとしても、彼らの決意は固かったとロドニーから聞いている。
もしかしてそういうことだったのだろうかと、ここにきて、ようやくメルヴィンは『かもしれない』理由に思い至ったのだった。
「僕は……」
喉が渇く。
「……『頑張る』と言った、テレサの言葉を鵜呑みに」
父と母は事も無げに邸を取り仕切っているようだったから、なるようになるだろうと安易に考えてしまった。
無論、必要なことは学んでいた。実践もしていた。
ただ、両親から爵位を引き継ぎ、自分ひとりで決断し、責任を取るということがどれほど大変なことなのか、ひしひしと感じてもいた。
ロドニーやテレサを『信じていた』。メルヴィンはそのつもりだったが、その実、信頼を口実に、『人任せ』にしていただけなのである。
「頑張る。ええ、まあ、彼女は実際、そのつもりだったのでしょう。けれど、いったい何を頑張っていたのか、それは聞いたの?」
「……いいえ」
「侍女の仕事は、まず女主人を大切にすること。間違っていれば、それを諫めることもあるけれど、大前提として忠誠を誓う気持ちがなければならないわ。彼女が頑張った結果、それはできていた?」
「いえ、むしろ……」
――むしろ、蔑ろにしていた。
感情の機微に疎いメルヴィンも、テレサが後妻を嫌っているのはわかっていた。それが、前妻を愛する自分を守るためだとも。
だが、本当にそれだけだろうか。それだけなら、ファイサルや前辺境伯夫妻の前でまで、ああも貶めようとする必要はなかったのではないか。
「そもそも、頑張った結果、なにひとつおもてなしの心が身についていなかったようだけれど?」
言いながら、メリッサは紅茶を口に含んだ。そして、すぐに顔を顰める。
「紅茶ひとつ、まともに淹れられないなんて……」
彼らは、テレサが紅茶を淹れる様子を目の前で見ていた。――ゆえに、以前ルシャーナが『カップは温めておくように』と指摘した部分を無視したことも、メルヴィンは気がついていた。
そもそも、とメルヴィンは思う。
そもそも、テレサは前妻と面識がないのだ。いつか「旦那さまの愛するお方なら、きっと素敵な方なんでしょうね!」とは言っていたが、顔すら知らない相手をそこまで持ち上げられるものだろうか。
「まあ、わたくしたちの勝手で再婚することになったのは……申し訳なかったわ。ごめんなさいね」
「え? あ、いえ……」
突然の謝罪に、メルヴィンは目を瞬かせた。
確かに前妻が戻ってくるのではと淡い期待を抱いているいま、なんて理不尽なと感じないわけでもなかったが、悲しいことに、自分がずっと独身でいられないことぐらいはわかる。
「ただ、あの娘にとっても選択肢がなかったことです。それを……侍女に好き放題させるなど言語道断。あの娘がただされるがままになっているとは思わないけれど、せめてあなたには味方になってあげてほしかったわ」
遅かれ早かれ妻を迎えなければならないというのなら、ルシャーナという人物は、最適以上の存在だ。それを、王族とのつながりを得たいだけの他家に奪われるわけにはいかなかった。
「彼女は……」
やや考え込んだ様子のメルヴィンが、口を開く。
「……なぜ、あんなヴェールを?」
気になっていたのは、まずそこだった。
確かに悪い人間ではないのかもしれない。けれど、素顔を見せない人物をどう評価したらいいのか、わからなかった。一般的に、そのような人間は信用されないだろう。
「あら、本人に聞いてみればいいじゃない」
夫婦なんだから、と微笑するメリッサ。「わかっていますよね」とメルヴィンが眉根を寄せるも、前辺境伯夫妻は肩を竦めるだけだった。
「残念ながら、わたくしたちにもわからないのよ」
「……わからない?」
「ええ。小さいころはヴェールなんて被っていなかったわ。それこそ、大人たちがこぞって『雪月花の妖精』と呼ぶほど、愛らしい容姿をしていたのは覚えている。でも、いつのころからか……そうね、十歳になる前ぐらいからは、お顔を隠すようになったのではないかしら」
「雪月花の妖精……」
要は、それほど美しいということの例えなのだろうが、なんとなく、あの気高く美しい人のことだから、そんな呼び名を嫌がるような気がした。