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第73話 九年前の邂逅

 兄妹の少しだけ和やかな会話をぼうと眺めていると、突然声をかけられた。


「話は終わったかい」


 ヴァルだ。体力が回復したらとっとと出ていくかと思ったのだが、全員から適度に距離を保った位置にちょこんと座っている。


「……まだ、用があるのか」


 居心地悪く、そう返す。まさか、レイを連れ返すのに協力しろとでも言うのかと、リォーは少しだけ身構えた。

 だが返されたのは、予想の埒外の内容だった。


「あぁ。あんたが持っている黒泪ダクリュオンを寄越しな」

「……は?」


 突然の要求に、リォーは瞠目した。無意識のうちにズボンのポケットを押さえる。


「そこか」


 その仕草を見咎めて、ヴァルがゆっくりと歩み寄る。リォーは反射的に抜き身のままの剣をヴァルに向けていた。用心深く言葉を選ぶ。


黒泪こくるいを持ってるのはレイの方だろう。俺は盗っちゃいない」

「そんなことは知ってる。あたいが言ってるのは、あんたが貰った方だよ」

「!」

「今も持ってるんだろ。誕生祝いに貰って、肌身離さず持っているようにと厳命されたはずだからね」


 立て続いて言われた言葉に、ついにリォーは押し黙った。服の上から押さえたままのポケットを――ポケットの中に隠したものを握り込む。

 リォーは、確かに黒泪型の首飾りを持っている。だがその存在は、両親以外誰も知らないはずだ。


「……なぜ、それを知ってる」

「渡したのはリリレィツェル――先代の斎王の意志だ。その場にあたいもいたんでね」

「なに?」


 突拍子もない告白に、リォーは思わず声がひっくり返った。

 そういえば、嘘か真か、英雄神の供をしていたと話していたことを思いだす。それが事実かどうかはさして興味がないが、十六年前のことくらいならば知っていてもおかしくはない。


(嘘……ではないか)


 何より、今この時にそんな嘘をつく必要はない。

 それでもなお、リォーは首飾りを人の目に触れさせることを躊躇った。


 誕生祝いとして、リォーは確かにプレブラント聖国から黒泪型の宝石が嵌め込まれた首飾りを受け取った。赤子の頃から母の手によって常に身に着け、物心つく頃からは、決して手放してはならないと幾度となく言い含められてきた。

 だがそれを、リォーは一度奪われた。

 九年前の和平条約締結四百周年記念式典の折、贈り主である聖国の女王も訪れるとなって、普段は隠している黒泪の首飾りを、その時は見えるように首にかけていたのだ。

 それがあだとなった。

 相手は、いつもリォーをからかってくる貴族の子供たちだった。式典での挨拶に疲れ、玉妃の小庭アウレーに逃げ込もうとしていた所で掴まり、いつものように髪の色や血の色を揶揄された。

 そしてその中の一人に、首から下げた飾りを見咎められた。


『顔が女だと、趣味も女々しくなるんだな』


 リォーは呆気なく奪われた。それがどれほど大事なものか分かっていなかったリォーは、大した抵抗もせず泣き寝入りした。

 いつも隠れる生垣の陰に座り込んで、擦り剥いた膝を抱えて泣いていた。

 そこに現れたのが、七歳のレイだった。


『だいじょーぶ』


 血はみんな同じと笑った少女の顔を、今もまだ鮮烈に覚えている。

 座ったままのリォーに目線を合わせるため、前屈みになったその首元から垂れていた、見覚えのある首飾りとともに。


『同じ……』

『これ?』


 先程奪われたばかりの黒泪型の首飾りに、リォーは思わず手を伸ばしていた。まさかレイが取り返してくれたのかと変な期待をしてしまったが、その顔を見る限りそういうわけではなさそうだ。


『ぼくも持ってたんだ。でも……とられちゃって』

『そうなの? これをとられちゃったら……わたしもすごく悲しい。とっても大事なものだから』


 意気消沈するリォーに、レイは自分のことのように眉尻を下げて共感してくれた。すとんと横に並んで座り、優しく寄り添う。

 そして突然、


『そうだ!』


 と言った。


『わたしの、貸してあげる! 式典がおわったらかえらなくちゃだから、今日一日だけだけど……お守りなんだ。守ってくれるよ!』


 名案とばかりに、レイは目を輝かせた。

 きっと、めそめそと泣き止まないリォーを少しでも喜ばせたかったのだろう。今思えば恥ずかしいどころの話ではない。

 それでも、馬鹿な男の子はそれがとても素敵なことのような気がして、その提案を受け入れてしまった。

 これを返す時に、また少女に会える。そんな下心もあった。


『はい。どーぞ』


 レイが自分の首から紐を外して、リォーの首にかけてくれる。そっと盗み見れば、額がぶつかりそうなほど近くてどきどきした。頬が熱くなって、気付けば涙はすっかり引っ込んでいた。

 リォーは再び自分の首元に戻ってきた、懐かしくも今までと違う新しい温もりを持つ黒泪の首飾りに、戸惑いながらも胸がぽかぽかして、どうしていいか分からなかった。どこに視線を向けていいか分からず黒泪の宝石を見ていたが、そのうちに少女から目を逸らしてしまったのが勿体なく思えて、リォーはもう一度そっと顔を上げた。

 すると美しい橄欖石ペリドットの瞳と目が合って、リォーはハッと瞠目して、それからやっと笑顔を取り戻した。


『あ、りがとう……』

『どういたしまして! ねぇ、きみの名前をおしえてよ』


 レイが、にっと笑って、首飾りの革紐から手を放す。

 思えば名前を聞かれるなど初めてのことだった。今まで、青い髪を見られただけで反応は二つに決まっていたから。

 名前を伝えるのは恥ずかしくも嬉しいことなのだと、初めて知った。

 はにかみながら、リォーが口を開いた時だった。


『ぼく、は――』


 闇が、レイの笑顔を塗り潰した。


 そこから、リォーの記憶はない。


『…………?』


 次に目を開けた時、リォーは宮殿内の医務室にいた。

 あれ、と思った。自分は玉妃の小庭にいたはずなのに。いつの間にこんな場所に来たのだろうか。

 何があったのか少しも思い出せないうちに、母が駆け付け、遅れて父も女王を伴って現れた。

 エレミエル女王は、倒れていたリォーよりも死にそうな顔をしていた。目は泣き腫らしたように真っ赤で、唇は蒼褪めて震えていた。

 女王は、ぽかんと驚くリォーを見るなり酷く責め立てた。


『あなたのせいよ! どうして失くしたりするの! どうして奪うの! どうして……出会ったりしたの……!』


 今にもリォーの頬をぶちそうなほど取り乱した女王を、父が宥め、母が追い出した。

 あの剣幕の女王を、両親がどうやって説得したのかは分からない。母は、全く事情の呑み込めないリォーの手を握って、声もなく泣いていた。母の涙を見たのは、後にも先にもあの時だけだ。

 その様子があまりに申し訳なくて、リォーは理由も分からないまま泣きながら謝った。また自分が何か失敗をしてしまったのだと。それで母を苦しめてしまったのだろうと。

 だが、そんなことでその失敗を取り戻すことはできなかった。女王は二度とリォーに顔を見せることはなく、あの少女と突如現れた闇がどうなったかを聞くことさえ叶わなかった。

 手元に残ったのは、どうやって戻ってきたのか、奪われたはずの黒泪の首飾り。そして二度と手放すなという、女王の厳しい警告だけだった。


「さぁ、早く寄越しな」


 回想に心を囚われていたリォーは、その言葉に意識を今に戻す。それでもまだ躊躇していたリォーだが、ヴァルは容赦のない言葉で急き立てた。


「それがないと、本当にレイが死んじまう」

「は!?」


 どこでそんな話になったのか、急な話の展開に素っ頓狂な声を上げていた。文脈の流れが全く分からない。

 だがそう言われて、真っ先に想起したものがある。

 九年前に忽然と現れた、あの闇だった。

 原因も理由も皆目不明の、虚無のようなつつ闇。思い出しただけで、胃の腑を氷の手で掴まれたような悪寒がする。

 途方もなく茫漠として無窮に続いていた気がするのに、誰も見ていないという。レイもリォーも玉妃の小庭で眠るように倒れていて、どちらも傷一つなく、エレミエル女王だけがその事実にあそこまで取り乱していた。

 何もなかった。

 エレミエル女王以外の誰もが、困惑するリォーにそう答えた。そしてそれは、親切な嘘でも、事実の隠蔽でもなかった。

 ただあの日以来、近くにあった噴水の欠けた曲線だけが、あれが現実だったと教えるのみだ。


「どういうことだ」

「……神法を使えないあんたの場合は少しくらいなら離しても平気だが……レイは違う。あいつは、少しでも手放せば、命に関わる」

「…………」


 嘘がある、とリォーは思った。ただの勘だが、ヴァルは全ての情報を話していない気がする。レイの身が危ないことには間違いないだろうが、まだ何かを隠している。

 リォーは決めきれずに、背後を振り返った。真っ先にアドラーティと目が合った。

 少しやつれた、けれどいつもの穏やかな表情。微笑むと、兄妹で一番母に似ている。


「行ってこい。後のことは気にするな」

「兄上……」

「守りたいんだろう?」

「…………」


 守りたい、かどうか、リォーには分からなかった。

 そもそもレイは並みの神法士程度には強いし、ハルウとはレイの方が付き合いが長い。何より、リォーには関係のないことだ。

 王証がなければ、出会いさえ――再会さえしなかった。


(だから、関わりたくなかったのに……)


 心のどこかで、予感があった。

 再会すれば、少しでも共に時間を過ごせば、きっと目を離せなくなると。

 だがそれは、決して許されないことだ。

 エレミエル女王の剣幕を、リォーは今もなお鮮明に覚えている。警告は「二度と首飾りを手放すな」だったが、その裏には「二度とレイに近付くな」という言葉が表裏一体で潜んでいたと、リォーは思っている。

 だから、レイの素性を突き止め、その無事を確認できても何もしなかったし、放浪の旅に出るようになっても聖国にだけは一度も足を運ばなかった。


(それが、何で……!)


 後悔しかなかった。

 身の潔白のために共に逃げたが、やはり一緒に行動すべきではなかった。必死に詰め寄ってきても、帝都を出たところで分かれていれば、こんなとこにはならなかった。魔獣の巣窟でもここでも、危険な目に遭わせずに済んだのに。


(何をするにも危なっかしくて、気になって目が離せないから……!)


 どんな仮説を考えても、無意識に言い訳が始まってしまう。帝都で分かれても、きっとレイは隠れてついてこようとしたとか。帝国軍に捕まれば何をされるか分からないとか。それなら一緒にいた方がマシだとか。


(あぁっ、だからそうじゃなくて……ッ)


 何をどう考えても答えが出ないと苛立つリォーに、アドラーティが大らかに歩み寄ってその青髪をくしゃりと掻き回した。


「お前の泣きそうな顔、久しぶりに見たな。……俺のせいだ」

「違う!」


 苦笑交じりの声を、リォーは言下に否定した。


「それは違う。……俺が、何も分かってなかったから」

「そうか。でも、分かってなかったら、間違ってはいけないのか? 分かっていてすら、間違えることはある。肝要なのは、動くことだ」

「でも……」


 動いて、更に状況が悪化したらどうするのかと、嫌な言葉が喉元まで出かかる。だがリォーがそう言う前に、アドラーティの背中にいたカーラがずいっと顔を出した。


「フェルお兄様の意気地なし」

「!?」

「おねえさまが危ないのなら、わたくし自らお救いに行きたくらいですわ!」

「カーラ……」

「けれど……足手纏いにしかならないことは、承知しておりますもの」


 兄と同じ色の瞳を潤ませて、カーラが目を伏せる。その悔しそうな顔は、冗談でも、リォーに発破をかけるためでもなく、本気だった。神法の一つでも使えれば、本気でハルウに向かっていきそうな覚悟がある。


(……バカか、俺は)


 妹にここまで言わせた自分の不甲斐なさに、リォーは自分を大いに罵った。

 そして、決然とヴァルを振り返った。


「やっぱり、渡すことなんか出来ねぇ」


 きっぱりと拒絶する。

 果たして。


「……だったら、お前ごとでもいい」


 案の定、ヴァルはそう妥協した。


「よし。なら」

「その前に」


 早速ヴァルを拾って飛び出そうとしたリォーを、アドラーティの声が引き留めた。それから、用は済んだとばかりに一人掛けの椅子に座って寛いでいた異母兄を見やる。


「リッテ。二人に治癒を」

「……小生は、神法は苦手で」

「ベネウォルス侯爵に今すぐ連絡を」

「ラリス! 出てこいラリス!」


 リッテラートゥスがすぐさま叫んだ。

 先ほどリォーに治癒を施そうとしていたのだから使えることは明白なのだが、一体何故と周囲を見ると、扉から衛兵隊とは様子の違う者が現れた。侍従文官の制服を着た細面の青年で、一瞬目が開いていないのかと思うくらい目が細い。


(こいつは、確か……)


 クラスペダ山岳地帯でリッテラートゥスに追従していた男だ。軍人の中にたった一人文官の装いで、違和感が凄かったのを覚えている。


「ラリス。この一人と一匹に治癒を。ついでに小生も治せ」


 現れた青年――ラリスに、リッテラートゥスは説明もせずに命令する。


「…………。御意に」


 ラリスは、物言いたげな間を空けはしたが、素直に従った。その背に、リッテラートゥスが椅子にふんぞり返ったまま冷ややかな問いを投げつけた。


「ちなみに、ラリス。今まで何をしていた?」

「……。要請がなかったもので、待機をば」

「二度と髪は触らせん」

「だからこうして文句の一つも言わずに働いているじゃありませんかあっ」


 リォーとヴァルの治癒をさっさと終わらせて、ラリスがリッテラートゥスにしがみつく。


「相変わらず、気の抜ける主従だな」


 どこまで知っていたのか、アドラーティが苦笑するように呟いた。



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