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第5話 いざ、社交!

 第二皇子に案内された客室に荷物を下ろしたレイは、簡易服チュニック一枚になって寝台に腰かけると、さてどうやって事を最小限に収めるかと考えを巡らした瞬間、爆睡した。

 そして、二日後の夜。


(…………なんで!?)


 眼前に広がる光景に、レイの頭に疑問符の嵐が吹き荒れた。

 周囲を取り巻くのは、金と青で装飾された華やかな壁に、顔が映る程に磨き上げられた大理石の床。緩やかにアーチを描く天井にもふんだんに金が使われ、第一の神々誕生の物語が見事な精緻さで描かれている。

 その間からは三段に重ねられた華美なシャンデリアが何本も垂れ下がっている。神識典ヴィヴロスが彫言されているようで、照らされた室内はまるで昼間のごとく明るい。


 そんな何百人と収容可能な大広間を賑やかせるのは、貴婦人が纏う色とりどりのドレスの花である。紅に薄桃に浅黄に紺、生花や飾り羽根や宝石を身に着けた妙齢の女性たちが思い思いに着飾り、素敵な男性に手を取られて踊る姿は、まるで夢のように華やかで幻想的だ。

 広間の奥には宮廷楽士の一団が陣取り、絢爛豪華な空間を更に賑々しく盛り立てている。澄んだ笛の音が何重にも響く管楽器に、リズミカルな打楽器、弦楽器などは細かったり太かったり大きかったりと、音色だけでなく形状まで様々だ。聞いているだけで胸が躍る。

 そこまでは、まだいい。


(場違いも甚だしいけどね)


 その中心で棒立ちするしかないレイの感想はその一言に尽きた。だが自国にいた時にも、こういったきらびやかさには何度か遭遇している。全く不得意ではあるが、免疫はある。まだ頑張れる。

 疑問なのは、その中心に立つのが自分一人ではないということで。


「くそ、何で俺がこんな女なんかと……」


 手を取り胸が触れ合う距離に立つもう一人の人物――城下で見た蒼天の髪と藍晶石カイヤナイトの瞳を持つ美しい男が、苦々しげにそう毒づいた。




       ◆




 時は二日前に遡る。

 日暮れ前にはレテ宮殿二階にある客室に収まることのできたレイたちは、明けて朝、仕事の早い第二皇子リッテラートゥスの尽力のお陰で、早速皇帝陛下との面会が叶ってしまった。

 とは言ってもあくまでも非公式な訪問ということもあり、謁見と会議の合間の隙間時間にということになった。

 レイは朝食もそこそこに応接室に案内された。付き人はハルウだけで、ヴァルは部屋で待機である。


「どんな男かなぁ」

「喋りかけないで。覚えたの忘れちゃう」


 何故かうきうきしているハルウを黙らせて待つこと数分、見事な顎髭を生やした偉丈夫が現れた。


「お待たせしてしまい、申し訳ない」


 朗らかにそう言いながら、向かいのソファに腰を下ろす。笑っていても威圧感が凄い。

 深みのある栗色の髪に、明るい青色の瞳が目を惹く。だが何よりレイが釘付けになったのは額と眉間に刻まれた深い皺だった。表情は柔和に見えるが、それでも消えないその皺が、彼が今までに刻み付けてきた威厳と貫禄を表しているようで、どうにも近寄りがたい。

 ヴァルからは御年四十七歳と聞いているが、即位前は弟とともに帝国軍将軍職に就いていたというだけあって、まだまだ若々しく感じる。


(この人が、エングレンデル帝国皇帝ドウラーディ二世)


 そして、もう一人の英雄神サトゥヌスの直系でもある。

 レイは慌てて立ち上がって、昨日からヴァルに叩き込まれていた挨拶を緊張しながら口にした。


「あっ、いえ、こちらこそ、お忙しい中お時間を取っていただき、ありがとうございます」

「九年前の和平記念の式典以来ですな」

「はい。ご無沙汰してしまい申し訳ありません」


 黎明から中立を掲げるプレブラント聖国ではあるが、初代ユノーシェル二代目フュエルの時代には度々エングレンデル帝国から侵攻を受けた過去がある。

 間に何度かの停戦を挟みながら和平条約を結んだのが双聖暦八十九年のことであり、その四百年を記念してエングレンデル帝国で開かれた和平条約締結四百周年記念式典には、プレブラント聖国からも女王とその家族が招待された。


(実はほとんど記憶にないんだけど)


 当時、レイは七歳である。決して寝こけていた訳ではない。


「お会いできて光栄です」

「こちらこそ。聖国の方々は中々国外にはお出にならないからな。息子への贈り物の礼も、あの式典の時にやっと直接言えた程だった」


(贈り物?)


 皇太子へだろうか。同盟国や隣国など、友好の証や将来的な婚約を見越して未来の王太子などに贈答品を送ることは決して珍しいことではない。だが、中立を掲げるプレブラント聖国は婚約外交をしてはいない。

 何故、と思ったが、余計なことは聞かないに限る。

 レイは最初に決めた通り、本題だけに応じた。


「はい。そこで比較的自由になるわたくしが、私的な探し物をすることになりまして」

第二皇子リッテラートゥスから話は聞いている。協力はできそうにないが、見つかるまで滞在してくれて構わない」

「突然の訪問にも関わらず寛大に受け入れて頂き、感謝申し上げます」


 レイは座ったまま深々と頭を下げながら、内心で拳を握り締めた。

 レイはプレブラント聖国の第二王女ではあるが、今回はあくまでも私的な訪問であり、国賓扱いではない。そのため、改めて形式的な滞在の許可を口頭でもらえれば、目的はもう達したも同然である。

 何より、ヴァルに暗記させられた言葉の在庫ストックがもう尽きる。


(さぁ早く帰っていいですよ。忙しいでしょ)


 作り笑顔で、早々のご退室を心から願うレイである。しかし皇帝のくせに気さくなドウラーディ二世は、レイの願いとは反対の言葉を口にした。


「なんてことはない。あと、この後も時間があるようなら会わせたい者がいるのだが、どうだろうか」

「へっ?」

「聖国の王女殿下がいらしたと聞いて、是非にと望んだ者がいてね」

「……あー」


 笑顔が固まった。ヴァルに教え込まれた言葉は、あと一つしかなかった。


「……わたくしなどで良ければ、是非」




       ◆




「皇帝の紹介を断れる奴なんかいないって」


 ドウラーディ二世が退室したドアを睨みながら、レイは盛大な溜息を零した。背後で黙って控えていたハルウが、笑いながら同意する。


「断れたら大物になれるとは思うけどね」

「そんな所で頑張りたくはない……」


 どんよりと項垂れる。

 レテ宮殿に来た目的は勿論王証探しだが、レイの個人的最重要課題は今や聖国の心証を悪くしないことに移行シフトしていた。


「それにしても、今のがサトゥヌスの子供かぁ。あんまり似てないね」

「子供って、もう何代も前でしょ?」


 双聖神が生きていたのはもう四百年以上も昔の話だ。母のエレミエルも、初代ユノーシェルから数えて実に二十三代目だ。ロングギャラリーには英雄神から始まる肖像画が幾つも飾られているが、面影は徐々に消えていっている。

 ちなみにユノーシェルは輝くような朱金色の髪に、太陽のような金色の瞳を持っていたとされる。そしてサトゥヌスの肖像画は、群青色の髪と目で描かれる。

 レテ宮殿のただっ広い玄関ホールの正面にもサトゥヌスの即位式を描いた巨大な絵画があるが、あれも全体的に幾つもの青の顔料を使い分けて描かれていた。レイのように美術品に興味のない者でもなければ、端から端まで何十分眺めていても足りないくらいだ。


「でも、やっぱり神の血は強いね。目が青い」


 ほぅ、とハルウが独り言のように答える。その言葉に、そう言えばリッテラートゥスの瞳も青みがかっていたなと思い出した。

 やはり神と人の子となると、神の血が強いのは基本のようだ。それが髪や目の色などの外見に現れるか、身体能力や神法などの内面に現れるかは様々なようだが。

 実際、聖国王家でも第三王女は艶やかな金髪だし、セレニエルの瞳も金ではないが明るいはしばみ色だ。


(私には、全然ないけど)


 レイは、神祖どころか、誰にも似ていない。それもまた、劣等感を拗らせる原因の一つになっていた。

 背中まで真っ直ぐに伸びるレイの髪は麦穂色ではあるが、お世辞にも輝いているとは言えない。まるで刈り込み忘れて枯れる寸前のようにくすみ、夜にはもっと深い色になる。

 瞳は、まるで緑色に輝く湖底の砂粒の一つひとつが見えそうな高純度の橄欖石ペリドット色だが、やはり家族の誰にも似ていない。それが余計にレイの劣等感を刺激した。

 女神の血のせいか圧倒的に女系の王族の中、ユノーシェル唯一の男児が翠の瞳だったとヴァルからは聞いたが、慰めにはならなかった。何故なら、聖国王史のどこにも似顔絵が残っていなかったのだ。


(肖像画も残ってないって、どんだけ活躍しなかったのよ)


 フュエル王の時代だから戦もそれなりにあったはずなのにどこにも記録がないということは、華やかな武勲も戦功もない――つまりあまり優秀ではなかったということなのだろう。


(そんな人と一緒って……)


 相変わらず、いつ考えても落ち込む。


「レイは綺麗だよ」

「…………」


 脈絡もなくそう褒められ、レイは苦笑した。振り返れば、ハルウが笑みを深めてレイの髪の一房に口付ける。


「特に君の髪は、夜になると美しい藤色に見えるから」


 そう続ける顔は、相変わらず陶然として色気がある。

 ハルウはいつだって、レイを肯定してくれる。それは時に父のように、時に物語の中の騎士のように、傷付いた心を慰め、レイを甘やかす。子供の頃などはそれを愛と勘違いして、淡い恋心を抱いたことさえあった。

 だが、違うのだ。

 ハルウには、ちゃんと想う人がいる。


『……ルーシェ……』


 左手首の腕輪を握り締め、そう誰かの名を呟く背中を、レイは一度だけ見てしまったことがある。

 あの夜、レイは自覚すらしていなかった恋に裏切られた気がして、子供ながらに何日も落ち込んだ。

 今も、ハルウが慈しむように接してくれる度に、酷くやるせなくなる時がある。

 その言葉の先にいるのは、自分ではないのだと。たとえハルウの言葉に嘘がなくとも、それはレイが望む愛とは、どうしたって違うのだと思い知らされて。


「……ありがと」


 胸にきざした小さな痛みを隠して、曖昧に微笑む。

 その時丁度(こう)の音がして、レイは安堵しながら返事をした。


「どうぞ」


 侍従の手によって、扉がゆっくりと開く。現れたのは、煌びやかなドレスと、それに負けない美しい女性であった。

 高く複雑に結い上げた栗色の髪に、淡褐色ヘーゼルの瞳を持つ貴婦人だ。肌は陶器のように白く、頬も唇も艶やかに朱い。まるで美化された精霊が絵画から抜け出してきたかのように、どこか幽玄で隙がない。

 三十代前半にも年齢不詳にも見えるが、続けられた自己紹介にレイは素直に驚いた。


「玉妃レリアと申します。よろしくお見知り置きくださいませ」

「プ、プレブラント聖国第二王女レイフィールです。こちらこそ!」


 どこまでも優雅な女性の所作に圧倒されながら、レイも慌ててぎこちなくも礼を取る。が、同じ形式の礼をしているはずなのに、全く別物にしか見えない。これが都鄙の差かと、しみじみ痛感する。

 だが応じるレリアはどこまでも自然体だった。


「まぁ。お気を楽になさって」

「あ、ありがとうございます」


 にこにこと微笑まれてどうにか笑みを返すが、内心では背筋に緊張が走ってそれどころではなかった。

 大陸各国ではジオの考え方から一夫一妻制が多く、それは王族でも同様だ。だが帝国では、皇帝は即位と同時に国と対を成すと考え、対を失う皇妃は二人で一対になるように法を作り替えた。それが玉妃と令妃の始まりである。

 そして現在の皇太子は玉妃の第一子であり、何事もなければ目の前の人物が未来の皇太后ということになる。


(こんな話聞いてないって!)


 予想外の大物の登場に、どんどん血の気が引く。一夜漬けで叩き込んだ帝国の情報が、現在進行形でぼろぼろ零れだしていた。

 しかしレイの動揺を知ってか知らずか、レリア玉妃はお手本のような笑顔のまま会話を進めていく。


「帝国はいかがかしら。観光はもうされて?」

「き、昨日ウルビスに到着したばかりで、まだ少ししか」

「そうでしたの。確か、お探し物がおありとか」

「はい。内々の物ですが」

「城下でしたら、得意な息子が一人おりますわ。是非案内に使ってくださいまし」

「えっとぉ……」


(お断りします、と言えない自分が憎い……)


 だが頭の中に、頼りのヴァルの答えの在庫はもうない。レイは最良ベストな答えが導き出せないまま、回答を先延ばしにすることにした。


「ちなみに、その息子さんって皇太子殿下とかですか?」

「まあ! 気になります?」


 少女のように目を輝かされた。失敗したと悟る。


「いいえまったくこれっぽっちも」

「うふふ。照れていらっしゃるの?」


 つい真顔で返してしまったが、レリア玉妃は冗談と取ったようである。

 少女の笑顔のまま「ところで」と話を進められた。


「明後日、娘の十五歳の誕生日を祝う内々の舞踏会を開きますの」

「はい?」


 話が全然違う所に飛んだ。と油断したのがいけなかった。


「是非参加していらして?」

「……はい?」


 笑っている、と思った淡褐色の瞳は、実は少しも笑っていなかった。



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