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幕間 手紙Ⅰ

 カーランシェが見当たらないとリォーが飛び込んできてから、事態は急に二転三転したように、クァドラーは感じた。

 レイとリォーは屋敷を行き来して神法を使い、執事のエストも屋敷の中をもう一度入念に捜索した。その間、クァドラーはどの部屋からも比較的容易に見ることのできる廊下の真ん中に立っているように言われた。監視は、今は一旦置いておくことにしたようだ。

 だが、どちらも成果は得られなかった。


 そこに、神職者のような一団が現れた。

 会話は聞こえなかったが、レイたちの戸惑いようから、待ち望んでいた来客でも敵でもなさそうなことだけは推察できた。

 だが、空気は益々剣呑なものになった。


(冒険って、やっぱり大変なのね)


 最初に敵がいると聞いた時は、どんな楽しい冒険をしてきたのだろうかと胸が弾んだが、やはり楽しいだけではないようだ。

 クァドラーがそうしてぼうっと眺めている間に、話し合いは終わったらしい。リォーが、まだ戸惑っているレイの腕を強引に掴んで、屋敷の中に駆け戻ってきた。

 隣で同じく戸惑っているエストに頭を下げる。


「エスト。……悪いが、すぐに出ることになった」

「殿下、頭をお上げください」


 雲上人よりも視線が高いなどあってはならないと、エストが慌てて膝を折る。リォーはその意味を承知しているようで、すぐに頭を上げた。それを待ってから、エストは姿勢を正して頭を下げた。


「どうぞ、お行きくださいませ」

「……手伝うと言ったのに、すまない」

「お気になさいませぬよう」

「……エストさん」


 眉根を寄せて謝罪するリォーの横で、レイもまた悲しげな顔をして頭を下げた。


「あの、ごめんなさい。結局なんにもできなくて……。でも、また必ず戻ってきますから」

「お嬢様……」


 リォーの謝罪にも淡々と感情を表に出さなかったエストが、その情けない声についに眉尻を下げた。


「この屋敷は、常人には探せぬようになっております。お気になさることはありません」

「それでも、いつか必ず戻ってきます」

「……できることなら、お忘れいただくのが、この一族のためなのですが」

「忘れない。絶対に、忘れません」


 決然と顔を上げたレイに、エストは少しだけ驚いたように橄欖石ペリドットの瞳を見つめ返す。けれどすぐに諦めたように眉を落とした。それから、心なしか目元を和らげて答える。


「……お待ち申し上げております」

「はい」


 積極的とも消極的とも判じ難い返事を、レイは心に刻むようにして受け取る。それから、その真っすぐさが今度はクァドラーを射抜いた。


「クァドさん」

「行かれるのですね」

「はい。あの……とってもお世話になりました。クァドさんのお陰で、助かりました。……色んなことが」


 レイが、丁寧に頭を下げる。その頭頂部を見下ろしながら、クァドラーはこの数日のことを感慨深く思い出していた。

 クァドラーにとっては、初めて会った外の世界の人。最初は警戒心を隠しもせず、仲間のことばかり心配して、傷だらけの自分のことは全然見えていなくて。

 クァドラーのことを知れば、怖がるどころか自分が泣きそうな顔になっていた。何にでも必死で、馬鹿正直で、曲げられないひと。


(生き辛いだろうなぁ)


 外の世界を知らないクァドラーでさえ、そう思う。きっと、彼女はこの先も様々な悲しみに出会って、自分のことのように苦しむだろう。寄り添い、共に沈み、傷付いて。

 現に今も、彼女に非はないはずのことに、まだ頭を下げている。


「それなのに、恩を仇で返すようなことになってしまって……」

「楽しかったです」


 だから、クァドラーはわざと言葉を遮った。悪いことだけではなかったと、思い出してほしくて。


「レイ様たちが来てくれて、目が回るくらい楽しかったです。もう会えないみたいなので寂しいですが……会えて良かったです」

「クァドさん……」


 顔を上げたレイの手を取って、精一杯の感謝を伝える。レイの愁眉はまだ開かれなかったが、クァドラーは心から笑えていると思った。

 憎まずに済んで良かった、と。


「さようなら、です」


 心から見送ることが出来て、本当に良かった。




       ◆




 神職者たちに両側を囲まれて山を下りるレイたちを見送ったあと、クァドラーは伯爵邸に戻ってエストの手が空くのを待つこととなった。

 一人で山の上の屋敷に戻っても良かったのだが、それではエストの気が済まないようだし、そもそも無為に時間を潰すのは得意だ。

 クァドラーは片付けをするエストに許可を取って、伯爵邸内を見て回ることにした。

 木と土でできた、温もりのある家。大きな窓から光が取り込まれる部屋は、無駄なく隣り合っている。壁一面に大きな肖像画がかけられただけの部屋もあった。どこにも共通点もなければ、親近感も何一つない。

 だが、ただ暇潰しに順に眺めていた肖像画の最後で、足が止まった。

 歴代当主の、最後の額縁。


「……この人が、今の当主」


 クァドラーと同じ、栗色の髪と目。少し下がった目尻。穏やかだけど、覇気のない表情。

 オクトー・ライルード。額縁の下のプレートには、生年月日とともに、そう書いてあった。


(この人が、お父様……?)


 どうにも実感は湧かないな、とクァドラーは思った。視線を横に滑らせると、やはり似たような顔をした男たちが順に額縁に収まっている。


(見分けが付かないわ)


 すぐに興味が失せて、視線が下がる。けれどそこに見覚えのある日付が見えて、クァドラーは知らず視線を止めていた。


(これ……)


 それは、隣の肖像画の下に貼られたプレートの没年月日だった。

 屋敷の中だけしか知らないクァドラーにとって、日付などあってないものだ。屋敷では新年も誕生日も祝わない。日付を知るのは、薬の小瓶を渡された時だけ。小瓶に、渡した日付が記されているからだ。

 だからこそ、伯母の棺に彫った日付は正確に覚えている。そして今目の前にある日付は、伯母のそれよりも二日だけ早かった。

 偶然にしては近すぎる。

 何故、と考えた時、勃然と思い出した。


(……手紙)


 十一年前、伯母に渡された薬についていた、小さな手紙。息を引き取った伯母の枕元にあって、一緒に埋葬した手紙。


(誰から、だったんだろう)


 きっと酷いことが書いてあると、あの時は怒りに任せて中身も確認せず握り潰してしまった。悪足掻きをせず潔く命を絶てとか、そんなことが書いてあるのだと決めつけていた。

 けれど、そうではなかったとしたら。


「クァドラーギンター様、お待たせ致しました」


 窓の向こうが、少しだけ赤みを帯び始めた頃。やっとエストがそう声をかけた。

 殺された二人の遺体をどこにか安置し、血で汚れた床や割れた窓を片付け、山の上の屋敷も壊れた壁や扉を直し、法術を施し直してと、やることは無数にあったはずだ。それを一人で全て終えるには、流石に早すぎる。

 そもそも、エストは神法士ではなさそうだから――神法が使えるのなら、レイたちのように神法で他の使用人を探すなりしただろう――法術を施すことがまずできないはずだ。だというのに、クァドラーを呼びに来た。

 夕方には戻るという次期当主――弟と、鉢合わせしないようにしたいのかもしれない。

 だが、クァドラーはそんなことはどうでも良かった。


「えぇ、お願いしますです」


 愛想よく頷いて、先導するエストの後に続く。

 今は、一刻も早くあの屋敷に戻りたかった。誰もいない、石壁が冷たい無機質な、歴代の女児が眠るあの屋敷に。

 戻って、地下墓所に行って、今や一番新しくなった棺を開けよう。伯母を埋葬して以来、決して近寄らなかったあの棺を。

 そして、手紙を読むのだ。きっと嫌なことしかないと決め付けて押し込めた、伯母の大切な気持ちを知るために。

 今思えば、伯母があの手紙を隠さず、破りも燃やしもせず枕元に残して置いておいたのは、きっとそういうことなのだと。

 クァドラーにも読んでほしくて、あえて目につく場所に置いていたのだと、今なら思えるから。


(伯母様も……本当は違ったのかしら)


 全てを承知して、受け入れて、諦められる、クァドラーに見せていた完璧な大人などではなくて。理不尽も不平等も全然許せなくて、辛くて、分別ふんべつの利かない子供のような部分が、隠しているだけで本当はまだいっぱいあったのではないか、と。

 それを知るのは、少しだけ怖いような気もするけれど。


「……こちら側の壁や扉については、明日以降、順次修復します」


 瓦礫の山となった見えない境界線を挟んで、エストが丁寧に監禁を告げる。


「ここを妨げるものは何もありませんが、出入りについては……」

「はい。出ません。それでは」

「…………」


 言いにくそうに出るなと続けるエストをまどろっこしく思いながら、クァドラーはおざなりに答えてとっとと薄暗い廊下の奥に向かって小走りに駆け出した。

 次にくるのは七年後だと思っていた地下墓所の坂道スロープを駆け下り、伯母の入っている石棺に飛びつく。重い石の蓋をずらすためだけの道具を取りつけ、汗を掻きながら、目的の手紙に辿り着く。

 かしゃりと、歪な皺のよった紙を、恐る恐る押し開く。



『愛しい、愛しい我が娘へ。

 お前を三十九年間閉じ込め続けたこと、ここに初めて謝罪する。

 お前が私の娘であることは、生涯変わらない。だが、いくら謝ろうとも、お前の人生の全てを奪ったこともまた変えられない。

 私は、やっと私の役目を全うした。

 お前が命を絶つ日は、孫息子の七つの誕生日と決まっている。ために、一足先に死の神タナトスの御前にてお前を待つ。

 やっとお前に会えること、心の底から楽しみにしている。その時は、どうぞ尽きぬ恨み言をぶつけておくれ。お前だけが、私に本当の死を与えることが出来る。罪深い父を、抗えぬ弱い父を、決して赦してくれるな。

 愛していると、もう一度ここに記す。死の神タナトスのもとで会う時には、きっと聞いてはもらえないだろうから。

 お前を愛する、唯一にして無二の父より』



 ぽとり、と石床の色が濃く変わる。それを眺めながら、クァドラーは十一年越しに知った事実をゆっくりと、ゆっくりと咀嚼していた。


(……追いかけて、いかれたのね)


 冷たい、死者しかいない地下墓所に座り込んで、クァドラーは十一年ぶりに涙をこぼした。

 伯母は最後の最期にまで酷い言葉をかけられて、苦しんで追い詰められて、絶望の果てに死んだのではなかった。

 自ら死を選んだのだ。

 ずっと、死んだもののように打ち捨てられ、見捨てられてきたと思った人生の果てに、僥倖のように初めて届いた父からの手紙に応えたくて。

 その先がたとえ死の神タナトスの膝元だったとしても、伯母には些末なことだったのだ。

 我が子のように育てた姪との約束も、残りの一月を捨ててでも、まだ見ぬ父の愛を確かめたくて、毒を呷った。

 その事実は、やはり少なからずクァドラーの心を苦しめたけれど。


(わたしのお父様も、少しはそんな風に想ってくれているのかしら)


 羨望のような、裏切りを受けたような思いも、やはりある。けれどそれ以上に、何も知らないクァドラーのせいで、伯母を無理やり大人にしてしまったという後悔があった。そしてクァドラーはそのことを一度も考えたこともなかったし、何より謝れなかった。

 だが伯母は、自分の死とこの手紙で、クァドラーに最後に大事なことを教えてくれようとした。

 諦めたふりをして絶望しなくていいのだと。


(もう少し、生きてみようかしら)


 死んだように生きるのではなくて、そう、たとえば。


あの子(レイ)のように)


 少しだけ、自分の感情に正直に、悩んで苦しんで、見当違いにじたばた足掻いて、それでも前を向いて、生きてみるのもいいかもしれない。




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