第4話 王城と皇子
プレブラント聖国女王の署名入り書状の効果は覿面であった。
妙な獣と優男を引きつれた気品の欠片もない小娘でも、どうにか入城を許された。
「お……っきい……」
正門から続く直線の道を延々と歩きながら、どんどん目の前に迫ってくる威容に、レイはついにそんな声をこぼしていた。
レテ宮殿は、広大だった。
レイたちが通ってきた正門から広がる前庭は、有事には閲兵式なども行うのだろう。芝がきれいに刈り揃えられ、幾何学模様に整えられている。残りの三方には、前庭を取り囲むように幾つもの建造物が建ち並んでいるが、そのどれも建築様式や時代はばらばらで、何度も増改築を繰り返していることがよく分かる。
その屋根の向こうにもまた幾つもの建物が見えるが、その中に一つ、昨日今日で見慣れた建物があった。レテ宮殿の象徴のような存在感を放つ、宮殿内でも最も背の高い鐘塔だ。
(でもなんかまだ遠い……)
つまり、それほどの規模ということだろう。敷地面積で言えば聖砦も負けていない気もするが、根本的に違うだろうことはレイでも分かった。
何より、その奥に聳え立つレテ宮殿本館は、四百年の歴史を感じさせるのに十分な蒼古さと重厚さを滲ませて、訪れる客を圧倒していた。
「聖砦と比べるなよ」
「わ、分かってるよ」
先導する門衛には聞こえないように、ヴァルが小声で釘を刺す。
レイは当然のような顔で頷きながらも、内心ではあまりの違いに早くもびくびくしていた。既に比べてしまったとは言うまい。
そしてそれは、やっと辿り着いた建物正面にある、左右から半円を描いて二階部分に続く階段を上りきったところで頂点に達した。
「ここで暫しお待ちくださいませ」
広大な玄関ホールに到着するなりそう言い置いて消えた門衛を見送って、レイは思った。
(いやもう帰りたい……)
住む世界が違いすぎる。
聖砦にも美術的価値のある装飾や芸術品は幾らかあったが、レテ宮殿はあまりにもきらびやかで華やかで豪奢であった。どこを見ても眩い金や銀がふんだんに使用され、精緻な装飾が施され、丁寧な彫りがある。
その密度は目の休まる所がない程で、口を半開きにしてあちこち見回しているうちに時間はあっさり過ぎた。
「間抜け面……」
ヴァルが呆れきった呟きをもらす。ハルウはというと、正面の壁に掛けられた巨大な一枚画を熱心に眺めている。
レイが我に返って口を閉じたのは、次に足音が近付いてきた時であった。
「大変お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「っあ、いえいえ!」
出し抜けに掛けられた声に、咄嗟にそう返す。それから声のした方を振り向いて、レイは思わずポカンと見つめてしまった。
(……この人、もしかして)
回廊の先から現れたのは、二十代前半らしき長身の男性だった。灰と青の中間色のような瞳に、綺麗に切り揃えた黒髪が印象的だ。高い鼻筋と切れ上がったその眦からは、高貴な美しさが滲み出ている。
纏っているのは、軍服だろうか。黒地に青の刺繍や装飾を基調とした立ち襟の制服で、左胸には交差した剣と鎌と、王冠を被った青獅子の国章が縫い取られている。日に焼けていないからか、軍服とはどこかちぐはぐな雰囲気なのも目を惹いた。
今更ながら、まるで王女らしさのない自分の格好――汚れの目立ち始めた旅装と外套に、レイは手遅れの羞恥と引け目を感じてしまった。
(本物の王子さまだ……)
本物という尺度で言うならレイも本物の王女であることは間違いないのだが、この場合の「本物」は意味が違った。
レイが真っ先に想起したのは、現実の身分の話ではなく、最後の聖砦で毎日のように読み漁っていた絵本や英雄譚の中に出てくる艱難辛苦の運命を背負った王子の方だった。誰も倒せなかった魔獣をたった一人で倒したり、愛しい姫を救うために颯爽と現れたり。
それはまるっきり子供の感想ではあったが、それ以外にレイの驚きを現す語彙がない。それ程に、目の前に現れたのは非の打ち所がない人物に見えた。
「プレブラント聖国のレイフィール第二王女殿下ですね?」
「あっ、はい!」
贅を尽くした宮殿と貴公子然とした皇子の完璧な取り合わせに気後れしていたレイは、突然名を呼ばれて反射的に返事をした。
その緊張ぶりを、男は優しく見て見ぬふりをして微笑む。
「ようこそお出でくださいました。帝国は英雄神ユノーシェルが子、レイフィール王女殿下を歓迎します」
「こ、こちらこそ、突然の訪問を受け入れて頂き感謝します」
「小生は令妃ヘレンが子、第二皇子のリッテラートゥスと申します。お部屋までご案内させて頂きます」
「はい、よろしくお願いいたします」
互いに形式的な挨拶とお辞儀を交わしながらも、レイは動揺がいや増していた。
女王の署名があったとはいえ、今回の訪問はあくまでも私用である。それなのに案内役に第二皇子を寄越すなど、思ったよりも大事になりそうな予感がして背筋が震えてしまう。
そんなレイの心中を知ってか知らずか、リッテラートゥスは朗らかにレイたちを回廊の先へと案内し始めた。
「ここまでの長旅、さぞお疲れでしょう。今日はゆっくりお休みください」
「お気遣いありがとうございます」
「しかし王女殿下が供を一人だけとは……随分お心寂しいのではありませんか?」
「えぇ、いえ、私的な探し物ですので、あまり引き連れてくるようなものではありませんから」
やはりヴァルは供には勘定されないんだなと思いながら、事前にヴァルに覚えさせられた定型句でどうにか会話を乗り切る。
そうして無難な応答でどうにか間を繋ぐうち、レイたちは用意された客室の前に辿り着いた。
改めて、急なお願いに迅速に対応してくれた門衛や皇子にお礼を述べる。
「本日はこんな時間に押し掛けてしまって、誠に申し訳ありませんでした。皆様の誠実な対応に心から感謝申し上げます。ご迷惑でなければ、改めてご挨拶と謝罪をしたいのですが……」
「いいえ。こんな可愛らしいお姫様のエスコートが出来たのですから役得です」
「おひ……」
にこりと、リッテラートゥスがお手本のような笑顔で首を横に振る。そのあまりの真っ直ぐな表現に、レイの方が気恥ずかしくなってしまった。
恥ずかしながら、こんなにも正統な「女の子扱い」をされたのは、ハルウを除けば初めてのことである。妙に胸がどきどきして顔が赤い。
ヴァルから授かった定型句にも、流石にこんなお世辞への返答例はない。レイがもじもじと言葉に困っている間に、リッテラートゥスはやんわりと言葉を繋いだ。
「今日はもう遅いですし、お疲れでしょう。挨拶など堅苦しいことは明日以降ということに致しましょう。皇帝陛下にも、そのようにお伝え致します。ですが何かありましたら、遠慮なくお申し付け下さい」
「はぁ……」
本音を言えば、皇帝になど全くもってお目通りかなわなくて結構である。だがリッテラートゥスのあくまでも紳士然としたそつのなさに感心して、つい反応が遅れてしまった。
その足に、ヴァルが死角からガブッと噛みついた。
「いっ」
「?」
思わず悲鳴が出かかったが、リッテラートゥスの怪訝な眼差しを前にどうにか飲み込む。
何をするのかと全力で文句を言ってやりたかったが、言いたいことは分かる。皇帝陛下への挨拶が翌日以降に調整されるとなったなら、現時点での長居も雑談も無用の長物である。とっとと返事をして話を切り上げろということだろう。
レイはどうにか笑顔を作って、改めて頭を下げた。
「な、何から何まで、お心遣い痛み入ります」
「貴国とは友好国。当然のことです。女官なども、本日は御用以外ではお邪魔しないように申し付けておきますので、どうぞゆるりとお休み下さい」
「それは、まあ、ほほほ……」
頬に手をあて、見よう見まねで上品ぶってみるが、本物の輝きの前にはどんな足掻きもくすむのだなと実感するしかないレイであった。