第51話 閉じ込められた希望
リォーたちがそれ以上の話柄に踏み込めないでいる中、レイはクァドラーとハルウを見比べて、ふと二人の共通点に気が付いた。
「もしかして、ハルウとクァドさんって兄妹?」
「は?」
「だって血の縁によって導かれたなら、家族ってことでしょ? それに、目の色も同じだし!」
ハルウは右目が栗色で左目は緑色の虹彩異色と言っているが、左目は義眼で、視力もないとも言っていた。つまり栗色が生来の色ということになる。
それに、複雑な事情を抱えるライルード伯爵家が婚姻政策で一族を広げるということもなさそうだし、おそらく近い血縁の可能性が高い。
そしてハルウは二十代後半の年頃だ。兄妹か、遠くても従兄妹かと思ったのだが。
「まぁ、生き別れたお兄様ですの? 会えてうれしいです」
ぽかんとするハルウに代わり、クァドラーが両手を合わせて声を上げる。ともすれば感動の再会のはずなのに、二人の反応は淡泊というよりも明らかに適当だった。
「あぁ。違うよ。そんな近縁じゃない……と思うよ、多分」
「え、そうなの?」
ハルウが、苦笑と共に手を振る。何か根拠があるのかとも思ったが、その先はなかった。
足元のヴァルが、阿呆を諭すように口を挟む。
「大体、栗色の瞳の人間なんてどれだけいると思ってんだい」
「あ」
その通りであった。思い出せば、聖砦に出入りする女官や教師にも、栗色の瞳は多くいた。
さすが私、と思っていたレイは、決まり悪くぽりぽりと頬を掻いた。
「しかし、そんな重要な話、聞いたことがないが」
レイの発言に少しだけ空気が弛緩したからか、リォーがそんなことを言う。
一方、すっかり話は終わった気分らしいヴァルは、後ろ足で耳を掻きながらそれに答えた。
「そりゃあね。隠すだろうさ」
「陛下はご存知だと思うか?」
「そんなこと、あたいが知るかい」
ばっさりと、ヴァルが否定する。それもそうだとレイは思った。
帝国の汚点とも言える貴族の秘密を代々の皇帝が隠しているという事実を知っているとなれば、最早ただの情報通では済まされない。
「ライルード伯爵家は、あのことを徹底的に秘匿したはずだ。こんな屋敷まで作ってね。帝国が、それをどこまで暴いたかだ」
「潰せてないんだから、知らないんじゃない?」
「知っていて、都合よく利用してるって可能性もあるがね。あるいは、恐ろしくて手が出せないか」
事もなげに物騒な仮説を返すハルウに、ヴァルが更に剣呑な言葉でやり返す。
だがそのどちらも、あり得そうな話だった。この屋敷を作るまでにも、陰惨な軋轢が何度もあっても不思議ではない。
「一族を貶めたのも娘たちだが、一族を存続させているのもまた娘たちへの恐れ、ということか」
リォーが、考えを纏めるように独り言ちる。その口振りは、まるで皇室と伯爵家との間で暗々裏の取引があったと確信しているようだった。
「だがそうなると、ここの場所を知るのは無理そうだなぁ……」
そろそろ体力の限界なのか、リォーが寝台に顔を突っ伏して呟く。
確かに、疑問が解決したのは翼下避行の神法だけで、出口がないことも、敵との位置関係も分からない。
だがこれに、やはりヴァルがあっけらかんと答えた。
「昔と変わっていなければ、大まかな位置は分かるよ」
「本当か」
「昔のライルード伯爵家は、クラスペダ山岳地帯の北端辺りにあった。多分よその土地にも行けないだろうから、秘密の屋敷を作るなら山の中とかじゃないのかい」
「となると、ウィーヌム州か?」
「国が勝手に決めた今の線引きなんか知らないよ」
やっと得た答えにリォーが期待を込めるのに反し、ヴァルの返答は実に素っ気なかった。
今の、という辺り、ヴァルの関心が昔で止まっている気がして、レイはがっくりと肩を落とした。
「おばあちゃん……」
「誰がババアだい!」
◆
喋り疲れたリォーを休ませるため、レイはクァドラーの片付けを手伝うことにした。
カーランシェは傍に付き添うからと残り、ヴァルは法術を見てくるとまた散策に出た。ハルウはレイにくっつくと言うかと思ったが、先程の部屋に戻って休んでいると出て行った。
ハルウの体調がどこか思わしくないのも、血縁であることが関係しているのだろうか。
(本当に、無味乾燥な家)
クァドラーについて廊下を歩きながら、レイはヴァルから聞いた間取りを再確認していた。
屋敷はロの字型のようで、外周に廊下、内側に決して隣接しない私室、中心に中庭という構造だった。
淡く輝きだした月光に照らされた中庭には、天井の鉄格子まで届く大木が一本と、蔓が巻き付いた古井戸、そして中心に古色蒼然とした水時計があった。その他の敷地は、全て薬草や食用野菜の畑で埋まっている。
(何百年も前から……機械時計が出来るずっと前から……)
大木の一枝は接する壁を突き破っているし、井戸の欠けはそのまま放置、廊下との出入口以外の壁はほとんど蔓草で覆われていた。
これらも、クァドラーの伸ばしっぱなしの髪同様、男手や人手がないことに起因する現象の一つなのだろう。
まるで、朽ちるに任せ、いずれ知らないうちに消えてくれるのを待つような。
(……ひどい)
レイは、どうしても、自分と比べることを止められなかった。
ここは、あるかもしれない――否、十分にあり得る自分の未来なのではないかと。
「レイ様?」
「!」
足を止めてしまったレイに、先を行くクァドラーが小首を傾げて呼びかけた。慌てて追いつく。
今は、クァドラーが替えの服を貸してくれるというので、それを見に行く途中だった。
「ひとまず、良さそうなものがあったら合わせてみますです?」
歴代の女性たちが着ていたという服が押し込められた納戸に入って、篝籠に火を入れると、クァドラーがそう言った。
貴族の衣裳部屋とは違い、この部屋には服しかなく、装飾品もなければ、鏡すらない。
(目的のためだけの部屋って、感じ)
台所もそうだった。この屋敷に、余分なものは何一つない。飾るものも、癒すものも、思いやるものも、生きることに必要のないものは、何も。
「えっと……じゃあ、動きやすそうなものを」
一見して目に入るのは簡素なワンピース型のドレスだったが、やはり実用一辺倒だった。それでも、旅には不向きだ。
とは言っても、この屋敷の目的のせいで、男物は皆無だ。ズボンは畑仕事用のものくらいしかない。
そして気付いた。
(しまった)
リォーの服がない。全員の中で最も服を損傷しているのはリォーなのに、ここには男物がない。
「あちゃー……」
レイは服を選ぶ手を止めて苦笑いした。今夜眠るにも汚れていない服の方がいいだろうに、女物を持って帰っては治る怪我も悪化する勢いで怒りそうだ。
「どうかしたのです?」
「男物って、ないかなぁって思って」
「……ああ!」
クァドラーも気付いたようだ。だが深刻な問題ではなかったようで、すぐに「それなら」と続けた。
「繕いましょうか。このような感じに」
そう言って、レイが手にしたズボンを指す。
「ズボンになっていれば良いですよね? スカートの裾を割って、膝下を絞れば、恐らく作れますですよ」
「おお!」
なければ作るという発想のなかったレイは、大いに感心した。聖砦でも刺繍や裁縫は習ったが、絶望的だなとヴァルに言われて以降、すっかり存在を抹消していたのだ。
レイは勢い込んで頭を下げた。
「お願いします!」
「では、ついでに他の繕いものもしましょう。洗濯もあればしますですよ」
「あっ、じゃあ、外套をお願いしてもいいですか? 肩口の、穴が空いた所だけでいいので」
ざっと見た限り、防寒着はあっても外套はなさそうだ。レイもリォーも穴だらけの外套を羽織っていては、この先々、村でも町でも危険人物と思われて入れてもらえないかもしれない。
「代わりに、洗濯はします! あの、教えて頂きながらに、なってしまいますが……」
言いながらも、手伝おうと思ってついてきたのに結局仕事を増やしてしまう事態になり、レイは悄然と肩を落とした。
だがクァドラーは嫌そうな顔どころか、反対に嬉しそうにさえ見えた。
「喜んで」
そして実際、そんな風に応じた。そんな顔で笑うと、やはりただ人が好いようにしか見えない。
レイは上下が分かれている服を幾つか選びながら、たどたどしく謝罪した。
「あの……、本当にすみません。次から次へと、面倒をかけて」
「全然です。ここの生活は単調だし、伯母様が亡くなられてから初めての会話なので、楽しいくらいです」
「伯母さん……は、ご病気で?」
初めて出てきた第三者に、レイは逡巡を挟んで問いかけた。
伯母ということは、クァドラーの父の姉で、やはり生まれた時から閉じ込められていた女性だろう。もしかしたら、クァドラーの育ての親だったのかもしれない。
そんな存在を失って、こんな寂しい場所で独りでいては、レイならきっと気が狂ってしまう。
しかしクァドラーは、なんてことのないように首を横に振った。
「いえ。薬で」
「薬……? 体に合わなかったとか?」
「あぁ、違います。餓死か毒死かを選ぶ際に、薬を選んだということです」
「なっ……」
「次期当主の男児が七歳まで無事に育つと、保管期限が切れるので」
その語り口は相変わらず淡々としていて、だからこそ余計に残酷さが際立った。
クァドラーの伯母は三十九番目で、やはり生まれた時からこの屋敷に来たという。だがその前の三十八番目の伯母は違った。先代がおらず、屋敷が無人だったため、幼少期はライルード伯爵家本邸で育てられたそうだ。
そのせいか常に家族を恋しがり、死ぬ時まで両親が迎えに来てくれると信じていた。死を命じられた時も薬を拒絶した結果、物資を止められ、まだ少女だった三十九番目の伯母もともに飢えに苦しんだ。菜園を掘り尽くし、蔦まで食べたという。
「その時の苦しみを覚えているから、自分は薬を選ぶのだと、伯母様は言っていました。――ほら、あそこ」
と、クァドラーは納戸から出ると、廊下から見える中庭の壁の一か所を指さした。
「あそこだけ、蔓が薄いでしょ? って言っても、分からないですよね。わたしも、本当は分からないです」
クァドラーは、やはり笑った。レイは、なんと答えれば良いかすら分からなかった。
容赦なく壁を覆う蔦は鬱蒼としてはいるが、月明かりに照らされる様子は、場所が場所であれば趣があるとも見える。レイに分かるのは、それだけだ。
悲しい歴史の塊のような場所を見ても、知っても、神に祈ることしかできない。
「だから、気にしなくていいんですよ」
クァドラーが、話は終わりとばかりに微笑む。その笑みは少しだけ柔らかくて、寂しそうで。
「出ましょう。一緒に、ここを!」
心の中でユノーシェルへの祈りを唱えようとしていたレイは、勃然とそう言っていた。
(違うんだ。やっぱり、何にもないんじゃない!)
クァドラーが笑っているのは、全てを諦めているからだ。回りまわってるわけでも、感情が生まれる以前なのでもない。
蓋をしているだけなのだ。気が狂わないように。感じるもの、心を傷付けるもの、希望さえも。
そんなのは、当たり前のことだったのに。
「出るって……」
クァドラーが、ぱちくりと栗色の双眸を瞬かせる。
「出られない、ですよ? ここは、一族の者を出さない法術が」
「私が壊します! だから、一緒に出ましょう!」
「神法を使えないのに?」
「っ」
クァドラーが、無垢な少女のような瞳で問い返す。責めているわけではない。けれど、レイは言葉に詰まった。
「それ、でも……」
今のレイは、無力だ。神法は使えないし、神に祈っても奇跡は起きない。
ヴァルが法術を破壊する術を見つけてくれなければ、自分で出ることさえままならない。
『それで使命だなんだとよく言える』
いつかにレテ宮殿でリォーに言われた手厳しい言葉が、再びレイの胸を抉る。
(……私、少しも進歩してない)
口先だけ、気持ちだけで、何もできない。
否、何もできないよりも質が悪い。ただの共感と義憤から安易な誘いを持ち掛け、クァドラーが何年もかけて殺してきた希望に光を与えようとした。出来る目算など一つもないのに。
結局そのまま先を続けられなくなったレイを、クァドラーは非難することなく、労わるように笑った。いつもの、空虚な顔に戻って。
「毎月の物資運搬は終わってしまいましたが、緊急用の連絡手段はあるので、それを後で上げておきますです」
「……それって、つまり本当は、いつでも」
「数日のうちに使者が来るはずですから、その時に出られるよう、頼んでみましょう」
レイの憶測を遮って、クァドラーはやはり笑って言った。




