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第49話 呪われた伯爵家

「盗み聞きかい?」


 ヴァルが平淡な声で問う。詰問という程には強くはないが、親しみがあるとは言い難い。だがクァドラーは特に悩むでもなく、長い髪を垂らして顔だけを部屋に覗き込ませた。


「いえいえ、滅相もない。話の邪魔をしてはならないと、厳しーく言われてますので」


 言われている、という現在進行形の言い方に、レイは内心で首を捻った。ヴァルの確認した範囲では、他者の気配も痕跡もなかったということだが。


(誰にだろう?)


 例の一族とやらだろうかと考えていると、隣からこそっと質問が来た。唯一まだ面識のなかったカーランシェだ。


「……どなたでしょうか?」

「クァドラーさんって言って……寝台を貸してくれて、治療も助けたくれた人、なんだけど……」


 なんと説明したものか、と頭を捻る。だがそれも、続く二人の会話に気を取られて掻き消えた。


「だったら、何の用だい?」

「気付けの香と、ご飯を持ってきましたです。香は、不要になったようですけど」


 言いながら、クァドラーが目覚めたカーランシェを見てにこりと破顔する。

 だがレイは、それどころではなかった。


「……ご飯!」


 衝撃的事実再びである。ぎゅるぐぅぅぅ~っと、腹の虫まで驚愕している。

 思えば、朝食を食べてさほどもせずに逃亡を開始したレイたちは、山で気絶している間に昼食をやり過ごし、そのまま夕食の時間を迎えようとしていた。

 レイの荷物にあった非常食も、リォーが城下で買った保存食もない。クァドラーの申し出がなければ、その夕食までも食いっばぐれるところであった。


「買い食いし損ねた……帝都ウルビスで食べるご飯を楽しみにしてたのに……!」


 レイは愕然とくすんだ天井を振り仰いだ。

 思えば、帝都の食事を堪能したのは数度もない。しかもその内の一度は大神殿の清貧な食事だった。レテ宮殿では豪華な食事を堪能したが、レイは聖砦ではまず出てこないような下町の料理を期待していたのだ。帝都でなら、その味も洗練されて格別だろうと思っていたのに。理想と現実が違いすぎる。


「どこまで観光気分なんだい」

「お前はいちいち緊張感を壊さなきゃ気が済まんのか」

「うっ」


 半眼になったヴァルとリォーが、悲嘆に暮れるレイに追い打ちをかけるように口々に非難し、


「さすが僕のレイ」

「おねえさま、わたくしと一緒に食べましょう。ね?」

「…………」


 右と後ろからはよく分からない賛辞がきた。

 誰も、慰めも共感もしてはくれなかった。




       ◆




 日持ちのする固パンとチーズ、干し肉入りのスープを、レイはがっしがっしと一気に平らげた。

 ハルウはスープの中に浮かぶ緑や茶や赤の葉っぱを避けて食べ、ヴァルはチーズと肉だけをあむあむと齧っていた。

 リォーはまだ起き上がれないし、食欲もないと言ったが、スープは傷に良いからと言われ、カーランシェに食べさせてもらった。

 そうして、ひとまず腹が満たされてから。


「それで、この家が何なのか、そろそろ聞かせてもらいたいんだけどね」


 食後の毛繕いもきっちり終えてから、ヴァルがそう切り出した。


(ハッ。そうだった!)


 すっかり人心地がついて満足していたレイは、そう言えばそんな話をしていたと思い出す。


「この家、ですか?」

「さっき廊下を一周してみたけど、窓が一つもなかった。窓があるのは部屋の中だけで、その部屋も全部廊下の内側に作られてた。だから見えるのも中庭だ。だがその中庭の上にも、鉄格子があった」

「えっ? 鉄格子?」


 中庭とは、家畜を放したり子供の遊び場だったり、憩いの場として設計されるのが一般的なはずだ。鉄格子の必要な中庭など、聞いたこともない。


「そういえば、窓にも……」


 高い所に設けられた、横長の窓を見上げる。等間隔の鉄格子の向こうに、茜と薄藍色の混ざり合った空が見えた。


「場所が『極秘』で、目的は脱走防止で、出口はなく、神法は使えない」

「……牢獄か?」


 ヴァルの要約に、それまで沈黙を守っていたリォーが導き出される答えを引き取った。

 レイは実際の牢獄を見たことはなかったが、クァドラーが善意とは呼べない意思でこの陰鬱な屋敷に閉じ込められているのだろうことは、否定しようのない事実に思えた。


(犯罪者? には見えないけど……他に理由って)


 何があるだろうかと、ない知恵を絞って考える。閉じ込めるのは、危険だからか、見たくないからか、隠したいからか。あるいは、全てかもしれない。

 少なくとも、クァドラーを守るためにということはないだろう。そんな思いが少しでもあるなら、こんな薄暗く殺風景な場所にたった一人で入れたりしないはずだ。


(広くて、寂しくて、一人じゃ出られない……)


 似てる、とレイは唐突に思った。地下に墓所がある点もそうだ。

 最後の聖砦(エスカトン・フルリオ)にも、代々の斎王が眠る王墓がある。何かから逃げる時、レイはいつもその中のユノーシェルの墓石に隠れていた。

 監視がなければ目の前の町にも行けない、王女なのに誰も会いには来ない、広くて寂しい場所。


(……もしかして、私?)


 不意にピンときた。クァドラーと所縁があったのは、自分かもしれないと。現実的な縁ではなく、その境遇という点において。

 レイが独り眉根を寄せる中、ヴァルとリォーがクァドラーに是非を問う視線を向ける。事情がまだ飲み込めないだろうカーランシェでさえ、戸惑いながらも会話の行方を見守っていた。

 しかしそれを受けるクァドラーは、あっけらかんと否定した。


「いえいえ、違いますですよ。牢獄は、悪いことをした人が入る場所ですよね? わたしは何もして……」


 食事を載せてきた台車ワゴンに食器を戻していた手が、そこではたと止まった。


「あれ? 違うかな? 先祖が悪いことをしたからみんな入っているんだし、もしかして牢獄なのかも……? しれませんですね?」


 途中から、否定なのか質問なのか分からなくなった。が、五人の中で最も切れ味の良い突っ込み役は、残念ながら治療直後で反応が鈍い。

 そしてレイはというと、物申したい箇所がありすぎてさっぱり理解できなかった。


「え、先祖って、昔の人がしたことのせいで、閉じ込められてるってこと? クァドさんじゃなくて?」

「それは勿論。だって女はみんな生まれてすぐにここに来るから、良いことも悪いこともできないですよ」


 まるで常識のように言われてしまった。確かに外の世界に出られないのなら、大抵の罪は犯しようがない。

 しかしレイには、先程から気になる単語があった。


「みんなって、他にもいるんですか?」

「? もう会ってますですよ?」

「えぇ!? ど、どどどこで……!?」


 今度こそ化け物(エリープシー)だとでも言うのかと、ぞわりと肌が粟立った。まさか今もここにいるのかと、自分で自分を抱きしめながらきょろきょろと室内を見回す。

 が。


「どこって、地下墓所で」

「…………」


 クァドラーがきょとんと答える。どうやら、すでに故人という意味だったらしい。

 レイはじわじわと頬が熱くなった。


「化け物が苦手って、本当なんだな」

「阿呆」

「レイは僕が守ってあげるからね」

「おねえさま、可愛いです……っ」

「……ッ」


 居たたまれないとはこのことである。

 レイは赤面した顔を隠すように俯きながら、視界の端で床を掃くヴァルの尻尾を引っ張った。が、鬱陶しいとでも言うようにピッと逃げられた。

 しかし願いは聞き入れられたらしく、ヴァルは会話を進めてくれた。


「ちなみに、その先祖は何をやらかしたんだい?」

「駆け落ちです」

「…………」


 にっこりと、クァドラーが躊躇なく明かす。

 これは、さすがのヴァルにも予想外の回答だったらしい。何時も淡泊なヴァルが、珍しく固まっている。

 リォーも、俯せのまま考え込むように眉根を寄せている。

 しかしレイには今一つピンと来なかった。


「かけおち……って、牢に入るような犯罪だっけ?」


 十六年の人生において、駆け落ちどころか恋愛についてすらまともに考えたことのないレイには、どこを問題点にすればいいのかがまず分からなかった。


「犯罪、とまでは言えないが……」


 リォーが、言葉を選ぶように答える。だがそれに続いたのは、悲しげな顔をしたカーランシェだった。


「けれど、貴族階級での結婚というのは家同士の権力が絡むものですから、駆け落ちした者を捕まえて閉じ込めたりすることは、少なからずあったみたいです」

「そうなの?」


 カーランシェはレイよりも真っ当な皇女としての教育を受けてきた分、結婚に関する知識にも詳しいらしい。

 明日は我が身でもないだろうが、歴史を習えば知らずに済ませることもできない内容だけに、続く声にも力が籠っていた。


「でも……例えば母親が駆け落ちしたから娘も孫も閉じ込めておくなんて、常軌を逸していますわ」

「? そうなの、ですか?」


 険しい眼差しで見上げるカーランシェに対し、クァドラーはやはりどこかのんびりと答える。だがそれも真剣さがないとか、理解力がないというわけではなかったのだ。

 クァドラーには、そもそも世間一般の常識を知る術も機会もなかったのだ。あるいは、意図的に情報を遮断されたのかもしれない。クァドラーが、疑問や反意を抱いたりしないように。


「……酷い」


 奥歯を噛み締めて、呟く。誰とも知れない相手を、暗澹と呪っていた。


「おねえさま……」


 カーランシェが、抱き付いていた両手に知らず力を込める。それで、レイはハッと正気に戻った。


「ごめんね、大丈夫だよ」


 無理やり笑う。

 今はカーランシェの方が不安なはずだ。彼女はネストルたちに騙されて王宮を連れ出され、そのまま見知らぬ場所で目覚めたばかりだ。レイ以上に、身を守る術を持たないだろう。

 自分に重ねて取り乱している場合ではない。


(そういえば……)


 レイが不安定になる時はハルウが真っ先にちょっかいを出してきたのに、珍しく何もなかった。食事を終えてまた、レイの背中にくっついてはいるが、思えば反応が薄い。

 まだ疲れが取れないのだろうかと、肩越しに振り向く。その一方で、ヴァルが中性的な声を更に低めて、こう聞いた。


「あんたは、自分を閉じ込めてる奴らの名前――家名を、知ってるのかい?」

「えぇ、知ってはいますですよ。名乗るのを許されてはいませんですけど」


 内容だけ聞けば人非人のようなことを、クァドラーが何でもないことのように言う。そうして続けられたのは。



「ライルード伯爵家」



 聞いたことのない家名だった。だが。


「…………!」


 ハルウが、背後で卒爾と立ち上がった。緑髪の長躯を目で追えば、その顔は大きく驚愕していた。


「ハルウ、どうしたの?」


 いつも飄々とにこにこしている印象しかなかったレイは、初めて見るその形相に思わず腰を浮かした。

 だがそれを横目で一瞥していたヴァルは、ついに理解したというように嘆息した。


「呪われた伯爵家、か」

「呪われた……? 知ってるの?」


 問いながらも、その口振りから、ヴァルが何かしらの事情を知っているのは明らかだった。

 だがその答えがもたらされるよりも先に、


「…………最悪だ」


 そう一言吐き捨てて、ハルウが部屋から飛び出した。


「ハルウ!」

「放っておきな」


 腰を浮かしかけたレイを、ヴァルが冷めた声で制止する。その訳知り顔の雰囲気に、レイは益々混乱した。

 追うにも追えず、尻尾を揺らす生き字引に問いかける。


「どういうことなの?」


 それは、ハルウは大丈夫なのかとか、一体どんな関わりがあるのかという意味の問いだった。

 けれど返されたのは、全く別のこと。


「空間の神コーロスが導いたのは、奴だったってことさ」


 それは、ヴァルがまず解決すべきとして提示した疑問への答えだった。

 そして、ハルウのことを少しも知らないレイにとっては、想像の埒外の――あるいは知らないのだからこそ当然の、初めて聞く素性に関わることだった。



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