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第48話 奇妙な屋敷

 リォーの治療部屋から、レイはそそくさと逃げ出した。

 少しだけ眠れたからか、貧血の症状が和らいだように思う。だが頬が熱いのは、僅かながら血が戻ってきたことだけが理由ではない気がする。


(あんな、真剣な顔して言うから)


 少しだけ認めてもらえたような気がするという、それだけのことなのに。

 何故こんなにも背中がむずむずするのか。


(変なの……)


「レイ」

「ひゃいっ!?」


 出し抜けに背後から声をかけられ、レイは奇声と共にその場に飛び上がった。


「ヴ、ヴァル!? なっ、なんでそこにっ」

「? 散策してくるって言っただろ」

「……。そう、でした」


 ちーんと肩を落とす。言外に、頭は大丈夫かと言われた気分である。


「えっと、ちなみにどのくらい経ったか、分かる?」


 レイはいそいそと話題を逸らした。だが返されたのは意外なものだった。


「さぁな。今のところ時計は見かけてないから分からないが……一、二時間程度かな」

「そうなんだ?」


 聖砦や王宮しか知らないレイは、今まで時計が高級品だということや、一般家庭には普通置かれていないということも、今回の旅に出るまで知らなかった。

 この建物が一般家庭の規格からははみ出していることは何となく察してはいるが、時計がないと言われてもそれが不自然かどうかまでは判断できない。

 そんなものかと流したところで、レイはヴァルが散策に出た理由を思い出した。


「あ、そういえば、出口あった?」


 クァドラーの言葉が本当かどうか、確認してきたのだろうと思ったのだが。


「……面倒だから、みんなのいる時に話すよ」


 ふらりと尻尾を揺らして、ヴァルが先に歩き出してしまった。どうやら本当に出口がないのか、もしくはあっても面倒な話があるのかもしれない。となると、手間は一度で済ませた方がいいのは道理だ。

 レイは一人納得して後に続くと、カーランシェの眠る部屋に入った。


「ハルウ、調子はどう?」

「んー……」


 椅子に座り、机に突っ伏すようにしていたハルウが、手だけを上げてそう応じる。やはりまだ怠そうだ。


「もう一つ、寝台を貸してもらおうか」

「要らない……レイにくっついていれば、平気」

「もう……」


 こんな状態でもまだそんな返答をするのだから、なおもって本気かどうかわからない。

 レイはハルウを後回しにして、カーランシェの傍らに膝をついた。

 再び触診し、脈を計り、呼吸の深さを確かめる。それから、そっと頬に手を触れて、呼びかけた。


「カーランシェ皇女。目を開けてください」

「ん……」


 ぺちぺちと、数度たたく。苦しそうな声ではない。レイはよしと更に顔を覗き込んだ。

 長い亜麻色の睫毛の下から、淡褐色ヘーゼルの瞳がゆっくりと現れる。焦点はすぐに結ばれた。


「あ……」

「良かった。目が覚めましたか?」


 しっかりと目が合うことに、レイはひとまず安堵した。

 のだが。


「……ユーリーオン様……」

「ん?」


 熱視線で、脈絡のない単語を呟かれた。

 ユーリーオンと言えば、神代の終わりに名を馳せた英雄の一人である。学問の男神と芸術の女神の血統を持ち、絶世の美男で、特に琴を得意とした。自信家だったユーリーオンは、麗姿種オモルフィの大陸へ行ったり凪の大精霊と恋をしたりして、最終的に天上の星として召し上げられた。

 神話や伝記の中でも、特に恋愛方面に脚色された話が多く出回っている英雄ではあるが、多分この状況で出てくる名前ではない。


「えっと……大丈夫ですか?」


 やはりどこか打ったのかと、レイは心配になった。二度触診した中では、特に怪我や打ち身がありそうな箇所はなかった。呼吸は規則正しく、呻き声もなかった。

 だが精神的に弱っている可能性はある。状況が状況だっただけに、錯乱しているのかもしれない。

 レイは色々と懸念しながら手を伸ばす。それを、ひしっと握り返された。


「……んん?」

「わたくしのユーリーオン様……」


 カーランシェが、なぜか瞳をうるうるさせてそう続けた。心なしか、頬も上気して見える。


「熱……は、ないみたいだけど」


 握り合わせた手に意識を移してみるが、特に熱っぽいという感じはない。夢と現実の区別がついていないのかとも考えたが、焦点はしっかりレイに固定されている。


「もしまだどこか辛いようなら……」

「おねえさまこそ、わたくしの理想の英雄ですわ……っ」

「は? ちょっと、本当にどうしたの? もしかしてリォーと勘違いしてる?」

「こんなにも胸がときめくなんて、わたくし生まれて初めて……!」

「え、えぇ? ね、ねぇ、ヴァル、どうしようっ?」


 よく分からないうちに潤んだ瞳で見上げられ、レイはついに助けを求めた。

 ヴァルは突然始まった茶番に他人事を決め込んでいたが、話が進まないと感じたらしい。呆れ切った声でこう言った。


「動けるようなら、兄貴の様子を見に行くよ」

「あにき……?」


 第三者の言葉に、レイだけしか目に入っていなかったカーランシェの瞳がやっと動く。聞き慣れない単語を、ゆっくりと咀嚼する。


「あに……っフェルお兄様!」


 そして重要なことを思い出したらしい。掛布を払い落とすようにして起き上がり、色を失くして周囲を見回す。

 カーランシェは恐らく空間神法と同時に意識を失っていた。そのため彼女の中のリォーは、竜蜥蜴に喰われる寸前で止まっているはずだ。


「歩けるようなら、一緒に行きましょうか」


 レイは改めて、リォーが無事であることを示すように微笑んだ。


「お兄様はご無事ですか!? お兄様はっ」

「もちろん。別の部屋にいますよ。手当ても受けましたし」

「ほ、本当に……っ」


 詰めていた息を小さく吐き出して、カーランシェが瞳を潤ませる。その肩のあまりの細さに、レイは自然に手を添えていた。


「立てる?」

「……! おねえさま……」


 一時離れていた手が、再びひしっとレイの手を掴む。レイは最早苦笑するしかなかった。


「……えぇっとぉー」


 目が覚めたら、カーランシェとは最低限の会話や接触になるだろうと思っていた。

 彼女の誕生会で初めて会った時には仮想敵かと思うような嫌われっぷりだったし、再会した時には大好きな兄と行動を共にしていた上、カーランシェを危険な目に合わせてしまった。兄を誑かしたのかとか、レイが危険を呼び込んだのだと言われる覚悟も、内心していたのだが。


(もしかして、身を挺して庇ったから、とか?)


 あれはただの反射で、深い意味も意図もなかったのだが。嫌われるよりはましなので良しとしよう。

 と、レイはひとまず結論付けた。




       ◆




「お兄様!」


 部屋の入り口まではレイにべったりと張り付いていたカーランシェだったが、寝台の上のリォーを見つけるなりその手に抱き付いた。


「カーラ……?」


 レイが去った後も少し朦朧としていたのか、リォーは首から上だけを動かして妹を見やる。

 カーラはその左手を自分の頬に押し当てるようにして、深く長く息を吐いた。


「お兄様、お怪我が……なんて痛々しいお姿に……!」


 カーランシェの嘆く通り、リォーの上半身は服の代わりに包帯がぐるぐるに巻かれていた。素人治療のためか、出血も完全に抑えられたとまでは言えず、少量ずつだが血が滲み出している。しばらくは短時間での包帯の交換が必要になるだろう。


「平気だ。カーラは大丈夫だったか?」


 心配する妹の手をほどいて、リォーがその頬に触れる。身を起こすにはまだ辛そうだが、意識はしっかりしているようだ。

 だというのに、


「はい。わたくしは……おねえさまに助けて頂きましたから」


 妹は兄の心配を根底辺りからごろんと覆した。しかもポッ、と頬を赤らめる。

 リォーが半眼で入口に立つレイを睨んだ。


「…………(お前、うちの妹に何をした!?)」

「…………(いやいや私何もしてないから!)」


 お互い目だけで意思疎通をした。レイはぶんぶんと首も横に振ったので、誤解は解けたと信じたい。

 などとやっていると、背後からこれ見よがしの嘆息が割り込んできた。


「さて、そろそろ本題に入ってもいいかい」


 遅れて入室してきたヴァルである。背後には、脱力したままのハルウもいる。

 まずはとハルウを椅子に座らせてから、レイたち四人はヴァルの話を傾聴することとした。

 ちなみにカーランシェには寝台の足側を勧めたのだが、何故かレイが一緒でないと座らないと言われ、現在ぴったり並んで座っている。リォーの視線がなかなか痛いが、ひとまず指摘しないでおく。


「結論から言うと、普通の出口はなかったね」

「普通の?」

「あぁ。出入口らしきものは一か所あったが、法術か何かで塞がれていた」


 一言目からよろしくない出だしだと思っていたら、更に不穏な単語が出てきた。だが法術については、確かクァドラーもそんなことを言っていたと思い出す。


「あの、一族しか出入りできないとかいう?」

「それともまた違う気がするけど……この屋敷にある法術は、一つや二つじゃないみたいだしな」

「法術って、普通の家にもあるの?」

「普通はないな。金持ちなら警備とか火災対策で建築時に組み込むこともあるとはいうけど」

「じゃあ、やっぱりここって、貴族の屋敷とか?」

「女一人で住むには、大きすぎるのは確かだな。だが使用人どころか、歴代の肖像画の類もない。四方を壁で囲まれた中庭からは空が見えたが、やはり出ることはできなかった」

「うーん……?」


 空が見える中庭なら、風の恩寵を持つヴァルなら屋根を飛び越えることも容易いはずだ。それが出来ないとなるなら、やはりただの中庭ではないということなのだろう。

 やはり聞けば聞くほど正体が分からなくなってきた。とりあえず、ますますもって不穏ではある。


「この屋敷って……何なの?」


 年代がかった石積みの建物なのはまだしも、窓もなく、時計もなく、地下には不釣り合いなほど広い墓所がある。部屋は数があっても隣り合うことはなく、至る所に法術がある。女主人は明らかに偽名だし場所も極秘、その上出入りにも制限がある。


(言葉遣いもなんか変だし)


 敬語を使い慣れていないというか、子供の間違った法則のような。だというのに治療は手慣れているし、怪我にも動じる様子がない。むずむずするようなちぐはぐさが散見する。

 建物もその住人も、レイの狭く浅い常識では容易く推し量れないほど複雑怪奇のようだ。

 だがこの疑問については、ヴァルの次の言葉で先送りになった。


「さぁな。だが今解決すべき疑問は、この場所が誰に対する導きなのか、だ」


 この発言に、神法に詳しくないカーランシェ以外が困惑と共に互いを見合った。


「誰、だろう? 私は心当たりがないんだけど」

「当然だろ。十六年間引きこもってた小娘に期待なんてしてないよ」

「ひどいっ」


 真剣に答えたのに、相変わらずの雑な扱いだった。しかも訴えも無視されてさっさと次に移る。


「ハルウは?」

「知らなーい……。僕もレイにくっつくー」

「ぐぇっ」

「まぁっ」


 背後から、首を絞められるのと大差ない勢いで抱き付かれた。カーランシェが、何故か対抗するようにレイの右腕にぎゅっと抱き付く。


(……なんなの?)


 レイにくっついていれば平気という言葉を信じるわけもないが、ハルウの気が紛れるのなら蔑ろにするほどのことでもない。

 それをヴァルが阿呆を見る目で一瞥してから、寝台のリォーに視線を移した。


「坊主は?」

「悪いが、分からないな」


 リォーの回答もまた、予想通りだった。さすがのヴァルも、紅い瞳を細めて沈黙する。

 それをうーむと眺めながら、レイはふと閃いた。


「……もしかして、リォーの剣とか?」

「レスティンギトゥルが?」


 リォーが瞠目する。レイとしてはそんな大層な名前があった方に驚きだが、突っ込むと話が進まなくなるので、簡潔に理由を述べた。


「だって、ほら、光ってたし」


 翼下避行は対象者の所縁により場所を選ぶが、それは人だけに限ったことではなかったはずだ。特に彫言や法術の類は神法士の血と力が籠められ、感度も上がる。

 という指摘に、リォーは思い当たるものがあったらしい。


「まさか、師匠の……?」

「師匠……って、なに? 学校の先生のこと?」

「違う。私的な……下町で、レテ宮殿の外のことを教えてくれたひとだ」


 リォーが、少しだけ恥ずかしそうに答える。どうやら、リォーが城を抜け出すたびに会っていた人物のことらしい。


「もしかして、魔獣と遭遇しても迷っても、どうにか出来るようにするのが目的とか言ってたのも、その師匠の方針?」

「まぁ、な」

「……わたくし、その方のこと、好きではありませんわ」

「カーラ……」


 頷くリォーに、それまで沈黙していたカーランシェが憮然と呟く。どうやら、妹にとっては大好きな兄を奪っていく憎むべき存在らしい。むべなるかな。


「でも、今は光ってないんだろ?」


 少しだけしんみりとした空気に、ヴァルがずばりと口を挟む。レイはうっと言葉を詰まらせた。少しばかり名推理を気取っただけに、正論が胸に痛い。


「……あるいは」


 反論の言葉もないレイの代わりに、思案げだったリォーが口を開く。


「皇家やラティオ公爵家に関係があるのかもしれない。権力者は往々にして、不審な建物を所有していても所有者を誤魔化したりして隠すからな」

「隠す? なんで?」

「そりゃ、弱味や不正に繋がるものは隠すだろ。失脚したくないからな」

「弱味って、例えば?」

「それは、あの女に直接聞いた方が早いだろうね」


 リォーの煮え切らない説明を引き取って、ヴァルが背後の入り口に赤眼を滑らせる。

 その視線の先には、戸の陰に隠れるようにしてクァドラーが立っていた。



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