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第45話 神法が使えない

化け物(エリープシー)が怖くて気絶したぁ? まさか、そんなはずないだろ」

「いや、あり得るね。あいつ子供の頃に、神の谷(テオスナポス)の底には大喪失クレヴォ時代のお化けが大量にうようよしてるって話したら、五日くらいセレニエルの布団に潜り込んでたし」

「疲れただけじゃないのか? 空間神法ってのは数人がかりでやるもんだろ?」

「あぁ、可哀そうな僕のレイ。僕に神法が使えたら、すぐ治してあげるのに」

「もしかして、わたしのせいなのでした?」

「いいや。絶対ただの怖がりのせいだと思うけどね」

「でもそれにしたって」

「んハッ!?」


 周囲の騒がしさに悪口が紛れている気がして、レイは勃然と目が覚めた。そしてカーランシェを除く全員から覗き込まれていることに気付いて、レイは二度驚いた。


「なん、何でみんなして……?」

「お前が突然悲鳴上げてぶっ倒れるからだろ?」


 目をぱちくりさせるレイに、リォーが不満げに状況を説明する。その横にいたハルウも、いつもの通りにレイにすり寄る。


「心配したよぅ。平気?」

「全く、ガキの頃からちっとも成長してないね」


 ヴァルの憎まれ口も、いつもと言えばいつも通りだ。

 そして。


「気が付かれて何よりですの」


 にこにこと、無邪気に微笑む妙齢の女性がいた。

 年の頃は二十歳前後だろうか。膝裏に届きそうな長い栗色の髪に、同色の瞳を柔らかく細めている。愛嬌のある可愛らしさだが、その分どこか幼くも見える。


「…………誰?」


 レイは困惑を更に深めて、問いを上げた。

 全く知らない顔である。翼下避行よくかひこうの空間神法は対象者の所縁ゆかりによって出現場所が変わるから、誰かの知り合いかと他の面々を見たが、反応は思わしくない。

 レイが気絶している間にリォー辺りが事情を聞き出していそうだと思ったのだが、それもないらしい。

 それを察したのか、女性が笑顔のまま口を開いた。


「初めまして……じゃなくて、二度目まして、でしょうか? わたし、クァドラーギンターと申しますです。気軽に、クァドラーとか、クァドちゃんとお呼びくださいませです」

「…………」


 レイは助けを求めるように周りを見た。

 ヴァルは我関せずという顔で毛繕いを初め、リォーまで突然あたたっと右肩を手で押さえ出した。ハルウに至っては、レイから離れた途端気力が萎えたように床に転がっている。

 レイは、諦めて女性に視線を戻した。


「えっと……それって、通り名とかですか?」

「いえいえ。れっきとした名前です……と思いますが、まあそこはお気になさらずです」


 気にするに決まっている。クァドラーギンターとは、古語で四十番目という意味だ。とても女性につける名前ではない。

 しかし本名を明かす気がないという意思表示なら、今のところ特に追及するような話題でもない。

 レイは仕切りなおすように、「では」と続けた。


「クァドラーギンターさん」

「クァドちゃん」

「クァドラー……さん」

「クァドちゃん」

「…………」


 話が違う、とレイは訴えたかった。レイたちを警戒しているから本名を明かさず、適当に気安く振舞って距離を詰める算段だろうと思ったのに。

 圧が。


「昔から、ずっと愛称で呼んでもらうのが夢だったのです」


 ほほほと頬に手を当てる笑顔の圧が、意外に強い。

 レイは再び諦めて、話を進めることにした。


「クァド……さん、あの、変なことを聞くんですが、私たちがどんな風に現れたか、見てました?」


 まず一つ目の懸念。自分たちの出現をどのように捉えたか。

 神法士は有名な職ではあるが、その数は相対的に見て少なく、一般的ではない。神法士に対して、偏見や先入観を持つ者もあるし、危険人物だと見る意見も少なくない。

 だがレイが見たことのある神法士といえば、聖砦のある町エフティヒアに最も多い巡礼者の護衛で、話に聞くほどの荒くれ者は見たことがなかった。だが用がなければ神法使いだとは名乗らない方がいいとは、旅の者だけでなく教師からも忠告を受けていた。

 特にレイは正式な神法士ではない為、資格を証明する徽章バッジも所持していない。無資格の神法使いはなおさら疎まれた。

 だがレイの心配をよそに、クァドラーはあっさりと首を横に振った。


「残念ながら見ていないです。物音がしたので来てみたら、あなた方がいたというびっくり」


 両手を顔の横で開いて、クァドラーが目と口を開く。どうやら、心象を表現してるらしい。

 レイは言いたいことを飲み込んで、二つ目の懸念に移った。


「えっと、ここって……?」


 場所の特定である。

 人がいるということだから、クラスペダ山岳地帯からは抜けたと考えるのが妥当だ。だが、どの程度離れたのか。帝国や貴族と関わりがあるのかどうか。

 聞きたいことは山ほどあるが、クァドラーが敵と繋がっていたら、言動の一つ一つが命取りになりかねない。

 という、レイとしては緊張を含んだ問いのつもりだったのだが。


「地下墓所です」

「…………」


 笑顔で不吉な単語を返された。全くもって知りたくなかった。


「そ、そうではなくて、この家……墓所? の、場所とか、位置とかを知りたかったんですけど」

「場所?」


 小首を傾げられた。いちいち仕草が幼い。

 レイは警戒を悟られないよう、ごく自然に話題を移したつもりだったのだが、まさか察するものがあったのだろうか。

 背中が痛むふり(実際、まだ鏃が刺さったままのはずだから痛いのだろうが)をしていたリォーが、そっとレイの傍らに立つ。ヴァルの紅玉の瞳もちらりと覗き、レイの緊張が高まる。

 そんな視線を感じてかどうか、クァドラーはぽんっと手を叩いて「あぁ」と言った。


「それは『極秘』です」


 刹那、ハルウ以外の全員の空気がピリッと緊迫した。レイが次の出方を窺う前に、リォーが剥き出しの白刃を晒す。直前で奪還に成功した彫言の剣(レスティンギトゥル)だ。

 鞘は竜蜥蜴グアンロンの牙によって折られてしまったため、ずっと抜き身を晒していた直剣は乾いた血がついたままで、振り上げられていなくとも嫌な迫力がある。

 しかしクァドラーは、それを見ても怯える素振りはなかった。どころか、身を乗り出して検分しそうな勢いすらあったが、その前にリォーが口を開いた。


「理由は?」

「それは勿論、脱走防止だと思う……ですけど?」


 顎に指を当て、クァドラーが思い出すように答える。

 その瞬間、リォーが身を固くしたのが分かって、レイは思わず止めていた。


「リォー、ダメだよ!」

「まだ何もしてない」


 ぶすりと返された。確かにリォーはまだ動いていないが、その手の先は違った。


「でも、剣が光って……」

「なに?」


 レイの戸惑いに、リォーが珍しく対象から目を逸らして剣を見る。そして瞠目した。


「なんだ……? 彫言、か?」


 リォーの言う通り、剣全体ではなく、剣身に施された彫言が光っているようだった。と、覗き込んだのがいけなかったのか。

 リォーの体が、ぐらりと傾いだ。


「ッ、リォー!?」

「へ、いき、だ……」


 咄嗟に支えに入ったレイの手を押し戻して、リォーが応える。だがその手にも額にも、いつの間にか大粒の汗が幾つも浮かんでいた。


「平気じゃないよ! どんだけやせ我慢してたの!?」

「誰がやせ我慢……っ」


 背中に矢の先が二本も刺さったままなのだ。今までは緊張と気合で自分すら誤魔化していたのかもしれないが、それも限界だったのだろう。

 状況はまだ全然把握できていないが、ともかく治癒をしなければと枕詞を唱える。だがそれを遮って、クァドラーが顔を近付けた。


「あらまあ。お辛いようなら、お休みになっていっては?」

「……敵か味方かも分からないような場所で、そんなこと……」

「まあ! 敵? 敵がいるのですのっ?」


 何故か目を輝かされた。リォーが一瞬でどっと疲れた顔になった。


(気持ちは分かる)


 つい胸中で頷いていた。だが今はそんな茶番をしている場合ではない。


「あの、治療をしたいので、少し席を外してもらえますか?」

「まぁ。寝台も治療具も貸しますですのに」


 クァドラーが、好奇心と心配の中間の顔でそう申し出た。

 確かに床は怪我人を寝かせるには硬すぎる石だし、レイたちは身に着けている以外の荷物のほとんどを戦闘中に手放すか放棄してしまっていた。身一つで出来る治療などあるわけもない。

 だから、


「もしかして、神法とかを使うつもりですか?」

「…………」


 クァドラーのこの推測も、当然と言えば当然であった。敵意を持っていると邪推する以前の話だ。

 それでも、治癒の神法を使うところはまだ所属不明者アンノウンには見られたくはない。


「お心遣いには感謝します。でも、お願いですから外に出ててください」


 レイは多少強引ながら、そう言い切った。だが返されたのは、承諾と拒絶のどちらでもなかった。


「使えませんですよ?」

「……は?」

「ここには神法や魔法の類は使えないように、法術が張られてますから」

「え……えぇっ!?」


 それは、レイにとって予想外を通り越して衝撃的発言であった。

 神法使いであることを隠すという意図も忘れて驚愕の声を上げる。隣でヴァルが呆れたように前肢で額を押さえていたが、レイは言い訳をする余裕もなかった。

 何故なら、神法が使えないとなったら、レイは控えめに言わなくともただの役立たずだからだ。


「でも、だって、ここには翼下避行の神法で来たはず……」


 焦りに焦って、折角隠したことまで明かす。この疑問にも、クァドラーは大して気にした風もなく答えをくれた。


「外からはどうも問題ないみたいですけど、内側からは全部できませんですの」


 しかしそれは、あまりにもふんわりとした説明であった。

 納得できず、レイはリォーの他の傷――背中の矢傷はまだ鏃を抜いていないので手を出せない。盛大に擦りむいて皮膚の剥げている前腕の傷――で治癒神法を試してみることにした。

 早口で、水と風の神への枕詞を唱える。


「希うは慈愛の息吹、全てを癒せ、光霞こうか慰撫いぶ


 皮膚の下を流れる血が少しだけ力を増すように、全身が温かくなるいつもの感覚が兆す。

 しかし、それだけだった。

 リォーが試しに乾いた血を軽く拭ってみれば、再び血が滲みだした。


「そんな……」

「嘘じゃないみたいだな……」


 リォーが、荒い息を吐きながら項垂れる。

 法術は、短時間で完成する作業ではない。少なくとも、レイたちが現れてから作成したと考えるのは自然ではない。


(ど、どうしよう。神法が使えないんじゃ、リォーが……)


 焦りだけが強まるレイに、床に転がったままのハルウの言葉が更に追い打ちをかけた。


「なんでもいいから、早く出ようよ。僕も……ここは、なんだか嫌だ」

「ハルウ……」


 その顔はいつもの我儘というにはどうにも深刻だった。悩んでいる時間はない。


「じ、じゃあ、出口を教えてください!」

「出口はないですよ?」

「ないって、そんなわけ……墓所だから!?」


 レイはひぇぇっと蒼褪めた。確かに死者に出口は必要ない。などと愕然としていると、ヴァルからの冷静な指摘がきた。


「墓守と参拝者は出入りするだろ」

「あ」


 言外に阿呆と言われた気がした。

 そんなやり取りを、クァドラーはやはりにこにこと見守っている。レイが真意を求めるように視線を投げると、それでやっと補足が要ることに気付いたらしい。

 ぽんっと手を打って、こう続けた。


「ここは、一族の者がいないと出入りができないのですよ、多分。毎月の来訪は先日終わったばかりですし、誰も入ってこないと思いますですよ、多分」


 多分が多い。信頼度がここまで低い説明もなかなかないとレイは思った。

 だが、今はそれよりも気になる単語があった。


「一族?」

「えぇ。法術が張ってあるとかで」


 また法術だ。やはり一般の民家という可能性は低そうだ。

 だが一族ということは、やはりこの五人の中の誰かが血縁関係にあるのだ。と思ったのだが、見回す面々の反応はやはり芳しくなかった。

 レイは不安が消えるどころかいや増したが、これ以上の押し問答を続ける時間はなさそうだった。隣から聞こえる息遣いは徐々に荒く浅くなっている。


「……では、寝台をお借りしてもいいですか? 二つ」

「いくらでも。部屋は余っていますですので」


 レイの要求に、クァドラーは頼もしげに頷いた。まるで頼られたのが嬉しいとでもいうように。


(なんだか……反応が予想できない、けど)


 どうにも敵のようには思えない。軽やかな足取りで光の射す方――目が慣れた今なら分かるが、ただの扉だった――へ歩き出す。


「な、なぁんだ。出口あるじゃない――」


 出られる、と安堵した横で、ついにリォーが崩れるように膝をついた。


「リォー!」


 慌てて支えるが、抱き起して歩かせるには、同じくあちこちを負傷している今のレイには重すぎた。


「ハルウ。リォーを連れていくのを手伝って」

「誰が、そんな奴の手なんか……」

「嫌だよ」


 血の気の失せた顔でまだ強がりを言うリォーに、ハルウが覇気のない声で断りを返す。


「僕だって、調子が悪いんだ」

「でも……」


 ハルウの言がただリォーを嫌っているためでないことは、その顔色を見れば分かる。だが、カーランシェも運んでやらなければならないのだ。

 悩んでいると、扉で待っていたクァドラーがやり取りに気付いて振り向いた。


「良ければ、手押し車をお貸ししましょうか?」

「あっ、お願いします」

「……俺は荷物か」


 リォーの唸るような文句は、誰にも届かなかった。



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