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第35話 皇女カーランシェ現る

 降り注ぐ炎を何故か剣で一刀両断できたあとのリォーの動きは、野狐のように俊敏だった。崖際を巧みに利用して突進と回避を繰り返し、既にに三人の帝国軍人が落ちてきた。


(でも、ここからじゃ援護することもできない)


 神法隊はリォーとは反対側の、レイたちが隠れているほぼ真上に陣取っている。神法の気配を察して妨害することは出来ても、縦横無尽に動き回るリォーを守り続けることは不可能だ。

 そして。


「っぐぁあ!」

「リォー!?」


 リォーの苦鳴が聞こえ、レイは居ても立っても居られなくなった。


「私も上に行く」


 腕に獣化したセネを抱いたまま、二人に告げる。しかしそれは、ヴァルに言下に却下された。


「ダメだ」

「でも!」

「もし天剣クシフォスが奪われそうになったら、風の神法で奪い返せばいい。それが無理でも、今なら追跡は容易だ。見失うことはもうない。機会はまた訪れる」

「でも、リォーは殺されるかもしれないんだよ!?」


 確かにレイたちの目的は王証だ。だが今もっとも大事なことは、国の命運でも母からの信頼でもない。

 一人の命だ。

 けれどヴァルの紅玉のような瞳は小動こゆるぎもしない。こうなった時のヴァルの説得は、レイには不可能だ。


「ハルウ!」


 レイは視線を横にずらして、洞窟の出口を塞いだ土砂の壁にもたれていたハルウに呼びかけた。


「セネをお願い」

「嫌だよ」

「断る」


 こちらもまた言下に断られた。しかもセネからも。


「なんで……!」


 だがその先を続ける前に、腕の中からセネがよろりと飛び降りた。


「セネ!? まだダメだよ!」

「あんな男に触れられるくらいなら、死にそうでも一人で歩く」


 後を追うレイに、セネが黄褐色の尻尾を力なく振ってぴしゃりと突き放つ。なぜそこまで嫌うのかと若干呆れたレイだが、それを口に出すことはなかった。

 何故なら、ネストルの恫喝のような下知が聞こえたからだ。


「腱を斬れ」

「!?」


 瞬間、レイは風の神への枕詞を唱えながら駆けだしていた。


「希うは神獣のよく、この身に宿れ、風鳳ふうほうの大翼!」


 詠み切ると同時に風が背中を押す。今度はレイ一人分だけだ。見えない風の階段を蹴るようにして、一気に崖上まで跳躍する。


「き、弓兵!」

「放て!」


 地面に押さえつけられているリォーの左右に展開する弓兵が、突然縦穴から躍り出たレイに狙いをつける。だがレイはそれらを全て無視して、リォーを押さえている三人を着地点に定めた。


「リォーから離れて!」


 神法の風を調整して、勢いよく落下する。そのレイへ向けて、左右から幾つもの矢が襲い掛かった。


「レイ!? 何で上がって――」


 押さえつけられたままのリォーが、首を限界まで捻って驚愕の声を上げる。その真上で、レイに無数の矢が突き刺さる――前に、てんでばらばらに弾き飛んだ。風鳳の気流に巻き込まれたのだ。

 そして。


「か、回避をッ」

「駄目だ離すな――ぐァッ!」


 その足元にいた逃げるに逃げられない兵士三人を、レイはそのまま両足の靴裏で踏み潰した。

 着地成功だ。


「おまっ、何でこんな危険な真似を――!」

「いいから掴まって!」


 感謝よりも説教を始めるリォーを遮って、強引にその腕を持ち上げる。まだ死んでいない風に心の中で何度も呼びかけながら地を蹴る。二人の体が再び、背後に開いた奈落の底へと傾く。


「逃がすな!」


 ネストルの怒号に我に返った兵士が、一斉に駆けだす。しかしその手は届かない。既に二人の体は宙にあった。それを追って、弓兵と神法士が狙いを定める。

 だというのに、落下する空中でリォーがぐいぐいとレイの体を押し戻してきた。


「ちょっ、何すんのよっ?」

「いいから放せ!」

「は!? 何でよ!」


 意味が分からない。レイの傍にいれば風の神法で少しは軌道を逸らせるのに。

 レイはムキになりながらリォーの腕を引っ張り返した。折角助けに来たのに、今手を放したらリォーだけが地面に叩きつけられるではないか。

 と意地になったところ。


「……くそっ」


 小声の悪態が聞こえたと思ったら、逆にギュッと抱きしめられた。


「!? なんっ、なっ」


 掴んでいた腕を掴み返され、反対の腕ががっしりとレイの腰を抱き寄せる。激しい風の音の中でも互いの心音が聞こえそうなくらい、二人の体が隙間なくぴったりとくっついた。

 その思わぬ力強さに、レイは自分から抱き着いておきながら目を白黒させた。だがそのリォーの肩の向こうから三度みたびやじりが迫るのが見えて、レイは慌ててその首を引っ込めた。

 手を矢に向けてがむしゃらに叫ぶ。


「か、風よ風よ風よ!」


 風鳳の神法はいまだ維持している。レイたちを取り巻く風はまだレイの意に従う。

 だが神法は神への祈りによる奇跡の具現化だから言葉は何でもいいとはいえ、神法使いとしては恥ずべき動揺っぷりではあった。


「ちょっ、ばか、黙ってろ!」


 突如不規則に荒れ狂う風に、リォーがたまらず怒声を上げる。と同時に、背後でヒュッと何かを払う動作をする。

 腰の後ろに隠した短剣で飛来する矢を逸らしたのだと気付いたのは、どうにか洞窟の足場に着地できた時だった。

 だがそれに言及する時間はない。こんな場所にいては矢と神法で狙い撃ちにされるだけだ。


「レイ、早く!」


 ヴァルとハルウが待つ横穴に文字通り飛び込む。後から考えれば別の横穴に逃げた方がまだしも逃走の可能性は上がったかもしれないが、今はそんなことは二の次だ。

 だが必死に逃げ込んでも、その背を火が焼くことはなかった。


「やめろ!」


 木々をどよもす程の大喝に、兵士全員が動きを止める。ネストルだ。

 レイたちは突如静かになった崖上を油断なく見上げながら、死角となる横穴の壁に張り付いて次の動きを窺った。

 だが頭上ばかりを警戒してもいられない。

 横穴の先は壁を崩して完全に封鎖してあるが、幾つもの軍靴や話し声が反響しているのが漏れ聞こえていた。この向こうにいる兵士たちがこれを崩せば、レイたちは終わりだ。


「今度は何をする気なの?」


 急に訪れた沈黙に、レイは先程までとはまた違う冷や汗を感じていた。

 それに応えるように、ネストルが縦坑の崖の縁まで進み出る。


「フェルゼリォン殿下。お待ちかねのお客人です」

「……客人?」


 何のことかと、隣のリォーを窺い見る。ネストルと内密に取引でもしたのかと勘繰ったが、当のリォーもまた怪訝な様子であった。

 レイに目配せしてから、リォーが横穴から顔を覗かせる。

 そして固まった。


「な……!」


 何が見えたのかと、レイもリォーの背に隠れて窺う。

 まず見えたのは、ネストルのすぐ傍らに立つ、この場には不釣り合いなドレスの裾。フリルとリボンで飾られた上質な布地を伝って視線を上げれば、吹き上げる風に揺れる亜麻色の髪が見えた。


「うそ、なんで……?」


 果たして、そこにいたのは。


「フェルお兄様……」


 淡褐色ヘーゼルの瞳を不安に揺らした、エングレンデル帝国第一皇女カーランシェであった。




       ◆




「カーランシェ殿下」


 呼び止められたのは、帝国軍内の情報収集を担当する通信科からの事情聴取から一旦解放され、母のいる玉妃スフェラ宮に戻ろうとしていた道すがらであった。

 侍従武官二人と女官を供に歩いていたカーランシェは、慎重に振り返った。


「何かしら」


 廊下を塞ぐように立っていたのは、四人の帝国軍人であった。子供の頃から側に仕えている武官二人が、すかさずカーランシェを守る位置に立つ。

 朝、忽然と行方を晦ませた皇太子アドラーティに続き、フェルゼリォンもまた姿を消した。しかもフェルゼリォンに至っては、裏では皇太子の誘拐、もしくは殺害の嫌疑で捜索されているという。

 必然的に義兄のリッテラートゥスや同母妹のカーランシェらにも事情聴取が行われ、同時に護衛も強化された。

 その上で接触してくる軍人にどこか不穏なものを感じるのは、現在進行形でレテ宮殿を包む剣呑な空気のせい、だけではないだろう。

 どうしても表情がぎこちなくなるカーランシェに、先頭の一人が低頭して用件を述べた。


「カーランシェ殿下に、内密にお伝えしたいことがございまして」


 心持ち声を潜める男に、カーランシェは反射的に身を硬くする。同時に、周囲に人の気配がまるでないことにも気が付いた。

 カーランシェが呼び止められたのはレテ宮殿二階の東回廊だ。公人が使用する部屋は多くはないが、人通りはそれなりにある。だが今は、ちらりと背後を盗み見ても通る人影を見付けられなかった。


(どうして……)


 だがその理由を考えるよりも先に、男が続きを口にした。


「実はクラスペダ山岳地帯にて、フェルゼリォン殿下らしき方発見の報告があったそうです」

「えっ? それは」

「ですが大変警戒されているようで、説得のためにカーランシェ殿下にご同行願えないかと」

「わたくしが?」


 それは、カーランシェからすれば驚くに値する情報であった。鋭意捜査中と先程聞かされたばかりだから、この迅速さには自然と喜びと懐疑が入り混じって湧き上がる。

 何故魔獣の棲息地とされる山中にいるのかとか、フェルゼリォンは帝国軍から逃げているのかなど、疑問も勿論ある。

 だがカーランシェにとってもっとも大事なのは、大好きな兄二人の安否であった。


「それはアディお兄様もご一緒なのですか?」

「残念ながら、そこまではまだ確認が取れていません。ですがともに行動されているか後々合流する可能性も考えられます。カーランシェ殿下がご協力くだされば、より迅速に皇太子殿下発見の報もお届けできると考えます」

「協力、ですか……?」


 重ねての要求に、カーランシェは今度こそ真剣に考え込んだ。

 長兄が消えた理由も、次兄が逃げる理由も、カーランシェには皆目見当がつかない。それでも最も懸念するのは、二人が何者かに襲われたり、命の危機に晒されていないかということだ。

 だが帝国軍がフェルゼリォンを見付けたというのなら、命の心配はないはずだ。協力すればアドラーティも早く見つかるとなれば、否やもない。


(お母様に相談して、了解を頂いて、それで……)


 そこまで考えて、カーランシェは違和感に気が付いた。


(それでは手順が逆だわ)


 こんな重要な話が、父王や母妃を通さずに直接持ち込まれるはずがない。普通に考えれば、両親のどちらかに第一皇女を同行させる許可を取り、その上で(今までならば)母から説明がなされる。

 だが彼らは、先程の説明にそのことを一言も入れなかった。カーランシェを頷かせるのに最も有効な一言を。


「その前に、陛下はなんと仰っていましたか?」


 不安になったカーランシェは、上目遣いにそう窺う。

 これに、男は一拍の間を空けてから鷹揚に頷いた。


「勿論、ご許可は既に頂いております。事は急を要しますので、私共が直々に参りました」

「そう、でしたか……」


 言われてみればもっともな判断ではあった。

 手順を飛ばして事を急く程、事態は緊迫しているということだろう。


(そうよね、皇子が二人もいなくなったのだもの)


 つまりカーランシェ自身にも、ぐずぐずと迷っている時間はないということだ。


「……分かりました。では」

「いけません」


 ついていく、と答える前に、盾として構えていた侍従武官が口を開いた。


「テリス」

「皇女殿下が外出されるとなれば、玉妃殿下から直接ご用件を承る必要があります。このような非公式なやり取りで決定をされてはなりません」


 それは、侍従としては当然の意見であった。彼らは皇族の世話係だが、その本質は保護と監視でもある。不用意な行動を許容するはずがない。

 普段なら、カーランシェは逆らったりしない。気は強いし矜持も高いし、兄の事となると攻撃的にもなるが、基本的に傲慢な姫ではない。

 だが今は、その兄が関わっている。


「でも、急がないとフェルお兄様が危ないのよ? 近衛は連れて行くのだから問題はないでしょう?」

「ですが、皇子お二人が次々と行方不明になっているこの時期に、軽率な行動は」

「近衛も既にこちらで選抜してあります。馬車も手配済みですので、すぐに出発できます」


 なおも引き留める侍従武官を遮って、男が答える。

 準備が良すぎるとは、カーランシェも気付いている。だがもし彼らの言い分が事実で、ここで疑い続けたせいで兄を見失うことになったら。


(それで、もう二度と戻ってこられなかったら)


 それは、フェルゼリォンがふらりといなくなる時には決まって抱く不安であった。

 次兄は城の生活を好んでいない。城を空けている期間が長ければ長い程、フェルゼリォンは逞しく、清々しい表情で帰ってくる。

 そしてまた鬱屈とした陰がちらつきだすと、ふらりと姿を消すのだ。

 いつもなら、我慢して待つ。兄の笑顔が戻るのならと。

 けれど今回は違うのだ。

 もしこれが皇位継承権に関わる何らかの対立の一端で、フェルゼリオンが追い詰められているとしたら、彼は二度と戻ってこないだろう。フェルゼリオンは、皇位に興味がないどころか、疎んでいるくらいなのだから。


(このままお別れなんて、いや)


 カーランシェは皇女である分、言い寄る男には事欠かない。ましてやカーランシェは美しく、その立場に見合って十分に賢い。

 だが言い寄る男たちはどれも外見や肩書だけのような詰まらない者たちばかりで、二人の兄のどちらにも敵わない。そんな男たちに辟易していると助けてくれるのは決まってフェルゼリオンだった。

 嫁ぐなら、幼い頃から教養として読んできた神話の中の美しく逞しい英雄のような男がいいと内心思っているカーランシェにとって、フェルゼリオンは最も理想に近いと言えた。それが叶わぬ恋なのか、恋とも呼べぬ憧憬なのかは定かではないが、少なくとも今この背を押すくらいにはその想いは強かった。


「……えぇ、お願いします」


 カーランシェは、挑むような眼差しで頷いた。



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