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第34話 追い詰められたリォー

 黒地に青の刺繍。胸には古風な騎士の鎧と、交差した剣と鎌の紋章が縫い取られている。何年も見慣れた帝国軍の制服と皮鎧の一揃え。


(さすがに多いか?)


 縦坑の天井を覆い隠していた木々やうねる根の向こうに、二十人以上の制服姿が見えた。振り向けば、穴の反対側にも同じような輩がリォーの背を狙っていることだろう。

 いつもなら、隙を見て逃げる。

 だが今はレイがいる。助けても利益はないが、この状況で見捨てても後々が面倒だ。

 それに。


(……レイがいる)


 最初は威力も加減できないほどの未熟さだったのに、今は神言の詠み上げも速く、集中力も上がってきた。驚嘆する習熟速度だ。

 それが神の血筋のためか、努力の賜物かは知らないが、今はどちらでも構わない。

 背中を預けるというにはまだ到底心許ないが、いざとなればという気持ちも、少しだけ芽生え始めていた。

 リォーは全方位への警戒を怠らずに、ゆっくりとネストルの立ち位置を見定めながら口を開いた。


「火を放てと命じた奴は誰だ」

「第三皇子フェルゼリォン殿下ですね。ご同行願います」


 左右に展開する陣形の中、指揮官と思しき中年の男が野太い声で応える。矢が三方からリォーを狙う。その後方で、リォーに対してでなく動く者たちがいた。


(見付けた)


 緩んできた筋肉を帝国軍の制服に押し込めた、髭面の中年男。本隊兵団長を務める、フィデス侯爵家のネストル。

 瞬間、リォーは地を蹴った。

 それを追って一斉に矢が放たれる。矢羽根が唸る。それを風靴ウォラーレの助けを借りて空中で一回転しながら蹴散らす。だがその足元にも、抜き放たれた白刃がリォーを待ち構えていた。

 着地すると同時に五人以上の兵士がリォーに斬りかかる。その中で最も速かった剣士の刃を叩き折り、返す刀で二番手、三番手の連携を掻い潜って斬り伏せる。

 そこからは乱戦だった。

 剣士が間合いを取れば、背後に控えた弓兵が一斉に矢を放つ。それを一薙ぎでまとめて叩き落せば、振り切ったその隙をついてまた剣士が間合いを詰める。

 だがこうなった場合、リォーの戦い方は決まっていた。

 最も効率よく武器を破壊すること。

 彫言の剣(レスティンギトゥル)には水の神の彫言ちょうごんが施されており、その切れ味は抜群だ。願えば、大抵の物体と神法は切れる。逆に気を付けなければならないのは斬る箇所と、人体まで斬らないようにすることだけだ。


「殺すな! 生け捕りにしろ!」

「回り込め! 両側から挟み撃ちしろ!」

「ですが……ッ」


 指揮官の怒号に、兵の足並みが乱れる。

 何しろ、リォーは陣形の中に踏み込んでは跳躍して崖の淵まで戻るということを繰り返していた。挟み込んで武器ごと押し返されようものなら、穴の底に落とされるのは明白だ。


(殺すつもりのない連中なんか、怖くねぇんだよ!)


 ネストルがどんな指示を出したかは知らないが、踏み込みの弱い敵などいくらでも隙がある。上から横から立て続く白刃を流して壊して、時折針の穴を通すような気骨ある射手の放つ矢を荒々しく切り落とす。服や肌を浅く掠める矢は全て無視した。

 ネストルの指揮権があるのは帝国軍の本隊歩兵科全軍だが、戦争でもなければ実際にこの男が動かせる数はそう多くはない。しかも今回の理由は職権乱用に近い。この場に動員されたのは、フィデス侯爵から少なからず恩恵を受けている家の者ばかりだろう。でなければ、こんな少人数では済まなかったはずだ。


「行け! 死ななければ問題ない!」


 ネストルが木の向こうの安全圏から発破をかける。一瞬の躊躇を開けて、左右の敵の突進速度が明らかに上がった。

 突進する一人の背に隠れて、もう一人がぎりぎりまで身を低くして剣の根元を狙う。


「お覚悟!」

「っんの!」


 ガキンッと振動が手の平に強く伝わる。弾き返すことも流すこともできず、じりじりと押される。


(力自慢か!)


 剣の切れ味が無関係となると、リォーの筋肉はまだまだ未発達だ。踏ん張っても、足場の悪さも相まってどんどん後退する――途中で、ふっと力を抜いた。


「なっ!?」


 その横面目がけて右足を蹴り上げた。敵も腕を上げて防ぐ。が、そのまま押し切る。

 そこに、矢が来た。


「ッ!」


 この瞬間を狙っていたのだと気付いた時には、避け損ねた一矢がその右肩を深く掠めた。服ごと皮膚を抉り取られる。

 そこに更に、背後からも風を裂く幾つもの風切り音が迫った。


「リォー! 避けて!」


(っ無茶言うな!)


 穴の下からの警告に怒鳴り返す余力もなく膝を折る。その頭上を、レイの神法でも落としきれなかった氷の刃が通過した。

 ドスドスッと地面に刺さる凶悪な音が立て続き、ガラッと崖の脆い部分が抉られる。その音が止む前に膝を立て、


「っぐぁあ!」

「リォー!?」


 今度は左のふくらはぎを矢が貫いた。短く呻くリォーの体を、一斉に屈強な男たちが押さえ込む。


「……は、はは。これでやっと、まともな話し合いができそうですね」


 リォーの抵抗が三人の男の手によって完全に塞がれ、幾つもの荒々しい呼気がどうにか落ち着いた頃。

 やっと木の陰から出てきたネストルが、地べたに押し付けられたリォーの前で仁王立ちしてそう言った。


「……この状況でまともとは、正気ですか」


 下草と落ち葉の間からどうにか顔を上げながら、リォーは血が滴る頬を皮肉に歪める。その無様な姿を、ネストルは満足そうな笑みで見下ろした。


「あぁ、間違えました。まともな『交渉』でしたな」

「……その件なら、渡さないと断ったはずですが?」

「この状況でもまだ同じことを言いますか」


 せせら笑うような声は明らかに優位を確信していて、事実リォーは追い詰められていた。

 左足を貫いた矢は骨こそ砕いていないようだが、傷口からはどくどくと血が溢れている。その上から容赦なく両手首を押さえ付けられているせいで、失血が酷い。剣も取り上げられている。

 それでも、リォーはこんな程度で諦める程素直な性格をしてはいなかった。

 部下から彫言の剣(レスティンギトゥル)を受け取るネストルを睨み上げながら、頭の回転数を上げる。


「……そもそも、俺が『何か』を持っていると思うのが分からない」

「持っていないから、死んでも構わないと?」

「生憎、俺は自分の利用価値をそこそこ理解しているものですから」

「潔いとは素晴らしい」


 リォーの駆け引きなど取り合わないというように、ネストルが嗤う。

 実際、青の王子は貴重だ。だが諍いの火種でもある。

 例えば第四代皇帝グラウィスは末子で、史書にまで泣き虫だったと記録されるほどの人物であったが、その髪と目が父祖サトゥヌスと同じという理由だけで、皇帝に祭り上げられた。その裏で動いていたのは勿論過激なハィニエル派だ。

 治世は帝国史の中では平和な時代だったとされるが、在位は短く、その後の皇位継承は荒れに荒れた。男系長子継承が制定されたのもこの時代だ。


 直近で言えば、前皇帝の異母弟イグナウス公爵もまた子供の頃には僅かに青みがかった髪だったがために、ハィニエル派が水面下で動いていたという噂もある。イグナウス公爵の場合は、年を経るごとに青みが薄れたために皇位継承の争いにまで発展はしなかったが。

 そんな面倒な者よりも、宮廷としては完璧な王証を取り戻した者の方が皇位継承者として価値がある。そして民もまた、根拠のない偶像よりも確かな実績を求める。

 王証が欠けていた事実を隠蔽していたことは問題だが、それを完全な姿に戻した者は、その時点で英雄だ。公表する意義はある。

 そして皇太子アドラーティは、それに応えられる器である。

 そうとなれば、リォーの生き死になど大したことではない。暴れるのはハィニエル派でも一部だけだし、死んだリォーの遺志を継いだとでもいえば、アドラーティなら平和裏に沈黙させられるだけの力がある。


「勘違いなされているようですが、殺しはしませんよ」


 彫言の剣(レスティンギトゥル)の切っ先をリォーの青い瞳に合わせて、ネストルが言う。


「ただ、空気の良い静かな場所にでもいてもらうことにはなるでしょうが。リッテラートゥスが皇太子に……いいえ、即位するまで」

「それはまた、随分な長期計画で」


 遠回しな言い方だが、それが人里離れた山の中に監禁するという脅しだというのは明白だ。そしてリォーが皇太子殺害の容疑者となっている今のこの状況なら、ネストルは罪に問われることなくそれを実行できる。


(このままフィデス侯爵領に連れていかれれば、面倒だな)


 逃げ出す自信はあるが、その足で帝都に戻っても殺人か国家転覆罪でも捏造されて手配中ということにされかねない。

 だが王証を渡したとしても、リォーとアドラーティの身の安全が保障されるわけではない。


(『王証は常に王家の災いのもとであった』、か)


 いつか、アドラーティが言っていた言葉を思い出す。

 王証の謎について、先に気にかけていたのはアドラーティの方だった。専学校に入った頃からは、レテ宮殿の至る所にある英雄神の絵画や歴史書、国史を読み漁り、王と王証の関係を自分なりに考察したりもしていた。

 偶然見つけたある寝室付女官の記録から、サトゥヌスの死後一時期行方を晦ましていた王証が、サトゥヌス妃の死後の部屋から発見されたという記述を見付けたという話も教えてくれた。

 それが事実かは不明のままだが、リォーが旅先で古い財宝の類を探すようになるには十分なきっかけだった。

 だから偶然王証を発見した時にまず考えたのも、兄が喜ぶ、という単純なものであった。即位の一助となればと思ったのは、帰る道すがらだ。

 だがそもそも王証が見付からずとも、アドラーティの実力であれば即位は盤石だった。そして見付からなければ、継承権に影響を与えることもなかった。


(くそ、腹の立つ)


 王証を兄に渡し、父が元に戻し、謎は解かれる。

 リォーが願ったのは、それだけの単純なことだったのに。


「ご理解いただけましたかな?」


 ネストルが吊り目を細めて顎を上げる。リォーは自分から刃に近付く程に身をよじって、こう言った。


「ざけんな」


 首の筋を突っ張らせて、挑発的に笑う。

 ネストルもまた笑った。額に青筋を浮かべて。


「腱を斬れ」


 そして、部下にそう下知した。



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