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第32話 襲い来る炎

 ハルウの言う『一番いい方法』が、レイには最後まで分からなかった。

 見かねたように現れた牡鹿の老人が取りなしてくれなければ、レイはきっとセネの怒りに『ダメ』以外の言葉を絞り出せないまま、交渉は決裂していただろう。


(全然、上手くいかない……)


 最後の聖砦(エスカトン・フルリオ)を出てから、何一つ思った通りに進まない。リォーとの交渉も、帝国からの追及も、善性種との対話ですら。

 それに対し、リォーは先程目覚めたばかりで状況も事情もろくに知らないはずなのに、全て承知したように牡鹿の老人と話を纏めてしまった。


(……ずるい)


 青の王子は、やはり皇子だ。どんなに口が悪くて放浪癖があって女顔で貴公子らしくなくても。

 レイにはないものを、全て持っている。


「な、なんだよ」


 目の前の橋を渡ってレイたちに合流したリォーが、レイの顔を見て気まずげに声をかける。知らぬ間に睨んでいたらしい。


「……、別に」


 レイは視線を外して、ぶっきらぼうにそう答えた。自分の劣等感の醜悪さに嫌気がさす。

 気付かれたくなくて、誤魔化すように話柄を絞り出した。


「……胸、大丈夫なの? 血が出てるけど」

「血?……あぁ」


 リォーがまるで平気そうに服を触る。それからその指を鼻に近付けて、すんと匂いを嗅いだ。


「これは多分果汁だな。匂いが甘い」

「へ?」


 予想外の回答に、レイは劣等感も忘れて目を瞬いた。

 そう言えばと、リォーの胸からひっぺがされた小さな蜥蜴もどきのことを思い出す。


「あの蜥蜴の子の口周りが赤かったのって……」

血紅柑マンダリニ辺りだろう。山腹や山肌によくる奴だ」


 思量するレイにそう教えてくれたのはヴァルだった。レイは素直に感心した。


「相変わらず、何でも知ってるねぇ」

「別に。子供の頃によく丸齧りしてたってだけだよ。アレは種が多いけど皮が柔らかいから、生食向きなんだ」


 どうということでもないと、ヴァルが話す。

 見た目は大きな金柑のような果物で、熟れすぎると皮から真っ赤な果汁が染み出し、怪奇的ホラーな見た目になるらしい。食べ方を間違えると片付けが大変なので注意が必要だとも補足されたが、出来れば食べたくないと思うレイである。


「つまり、あの子はその血紅柑を食べた直後か何かで、それがリォーの服に色移りしただけってこと?」

「大方ね」

「なぁんだ」


 実に間の抜けた結論に、レイはあほらしと半眼になった。その反応を、リォーは別の意味に解釈したらしい。


「その、心配かけて、悪かった」


 リォーは、難問に直面したようなしかめ面でそう言った。どうやらレイの不機嫌を、無駄に心配かけた上感謝もしないと取ったらしい。

 その反応に、レイは少なからず驚いた。傲岸不遜を地で行く男と、半ば本気で思っていたからだ。それがまさか自分から謝るなんてことがあろうとは。

 という失礼な感想が真っ先に出かかったが、どうにか飲み込んで、二度、三度とその意味を咀嚼する。

 そしてレイは、口を尖らせてこう言った。


「……ありがとう、がいい」

「……は?」

「でもありがとうって言われることまだ一つもしてないから、やっぱり要らない!」

「はあ?」


 困惑するリォーは放って、さっさと踵を返す。自分でも矛盾したことを言っている自覚はあった。だがそれが本心なのだから仕方ない。


(『心配かけてごめん』よりは、『心配してくれてありがとう』がいい、けど……)


 レイの心配は、結局のところ何の役にも立っていない。感謝されるに見合うものなど何もないのだ。


「何の謎かけだい」

「良かったねぇ。死ななくて」


 後ろからも、ヴァルの呆れ声とハルウの陽気な声が上がる。レイは居たたまれなくなって、さっさと光の神に祈って明かりを灯した。ずんずん進む。

 ヴァルとハルウは普通に、リォーの足音は少し間を空けてから憤然と続いた。

 暫くは黙々と歩いていたが、それも気詰まりになってきたレイは、気を紛らわすためにずっと気になっていたことをヴァルに聞くことにした。


「ヴァルって、翼がないのにどうやって助けてくれたの?」

「何だい、藪から棒に」

「だって、考えれば考えるほど気になって」


 崖から落ちた時のことだ。

 ヴァルが変身して助けてくれたから皆無事だったというのは分かったが、人型に変身したヴァルにも翼はなかった。そして神法も使えないと聞いている。

 ずっと、方法が謎だと思っていたのだ。


「べつに、大したことじゃあないさ」


 水に濡れたくないがために慎重に足場を選んで進んでいたヴァルは、気負うこともなく答えてくれた。


「生まれながらに翼を持つ者は、大抵風の精霊の恩寵も賜るんだ。翼を失っても、風の精霊を敬う気持ちが変わらなければ、恩寵は失われない」

「それって魔法に通じるやつ?」


 レイは授業で聞いたような気がすると思いながら、一つの単語を持ち出した。

 神法は神に力を借りる方法を系統化したものだが、似たような力は他にも幾つか存在する。その対極に位置するのが魔法だ。

 そもそも、神の力を最初に借りようとしたのは賢才種ソフォスであった。

 無限に智慧を修得し続けたいと願った賢才種たちは、不老不死の手掛りを得るため、まだ地上に留まっていた神々の楽園に忍び込み、神々の御業の一部を盗んだ。

 だが御業は神の御意志でしか成されず、神の所有物を盗んだ者に力を貸すこともまた決してなかった。


 賢才種は罰として彼らの島から出ることを禁じられたが、彼らは盗み見た御業を元に、自然界からも似た力が得られることを導き出した。

 神々が作りたまえし世界の、生きとし生けるもの。そこに潜む神の力の残滓ざんしに干渉し、真理を紐解き、理解すること。その気の遠くなるような過程もまた、彼らには無上の喜びであった。

 結果、彼らは力の流れを一時的に変え、物質を再構築する中で求める力を抜き出す、という手法を編み出した。

 これが魔法の源流である。


 魔法は神法と違い、円の中で図形や文字を完結させて一つの疑似世界を作り出すことで世界に干渉すると云われている。

 この円陣は力を使う者が様々に体に取り入れ、服や杖、髪飾りなどの装飾品に至るまで、あらゆるものに施した。賢才種などは、魔法を最も効率よく使うために体中に刺青を入れたという資料もある。

 これを脅威と感じた神々が、人間種ピリトスの英雄にのみ教えたのが、借神法かみほうの始まりだとされる。

 人間種しか神法みほうが使えないのはこのためで、他の五種族は野に宿る神々の残滓と精霊の残した恩寵を感じる程度だということは、やはりヴァルから昔聞いた話だ。

 だがヴァルはこれもまた否定した。


「少し違うね。魔法を使うのは、賢才種と強人種スクリロスくらいだ。善性種のそれは、どっちかというと神代の生き物の本能に近いだろうね。蹄なら土とか、鱗なら水とか」

「あー……そういえば、他の種族は神様の怒りを畏れて、魔法は禁忌にしたんだっけ?」

「そう。思い出したかい?」


 目線を泳がせて応えるレイに、ヴァルがいつもの呆れたような声で頷く。思わぬところで復習させられてしまった気がして、なんだか損した気分になるレイである。


「だから使うのは恩寵だけだ。人間種にもごくたまにいるようだが、やはり古い生き物の方に圧倒的に顕著だな。それが生き物の特性に依るところから、根源は神獣と考える奴もいる」

「神獣? って神々を天上に運んだあの?」


 突然、興味津々と言ったリォーの声が会話に割り込んできた。ヴァルが一瞬耳をそよがせたが、まぁいいかという風に「そうだ」と応じる。


「善性種でも、誇りだけ無駄に高い奴もいるからね。そいつらが言うには、特に動物の特徴が顕著なのは四体の神獣を源流とする証拠だとか」

「恩寵だけじゃ、神法のような治癒や無効はできないって本当か?」

「半分正解で、半分外れだな。中には複数の恩寵を賜るやつもいるから、ある程度の治癒ならこなすやつもいる」

「……じゃあ、やっぱり俺たちを治したのって、水の恩寵がある奴で」


 パンッと、レイはそこで手を打ち鳴らした。リォーとヴァルが物言いたげな目で振り返る。が、レイは構わず続けた。


「はいもうこの話おしまい」

「はあ? 何でだよ、これからが本題なのに」

「何でもです」


 不満を訴えるリォーに、レイはつーんと顔を背ける。

 こうでもしなければ、ヴァルの講釈は延々と続くのが常なのだ。こんな非常事態だといのに、話を聞いてくれる相手がいると止まらないのだからいけない。


(別に、話が難しくなってきて除け者にされた気がしたからとかじゃないもん)


 雑学もたまになら面白いが、毎日聞くと嫌になるものなのだ。


「この勉強嫌いが」

「ふーんだ」


 足下からの文句は華麗にスルーした。

 いつもならこのやり取りの後もぐちぐち小言が続くのだが、今は状況を鑑みてくれたのか、ヴァルもそれ以上は言わなかった。

 リォーが後ろから「変な奴」とか「面白いのに」とかぶつぶつ言うのを無視しながら、所々岩壁が迫る洞窟を進む。

 だがほの青い光に辿り着く前に、微かな振動が足下を伝って一行の足を止めさせた。


「?」


 真っ先にヴァルが周囲を警戒し、ハルウが背後を振り向く。そこに、ぱらぱらと細かな石らしきものの落下音が続いた。


「揺れた?」

「……全部いるな」


 すん、とヴァルが鼻を動かしてそう言った。つい、レイも真似して洞窟内の臭いを嗅ぐ。

 湿った土、水の匂い、昆虫の糞、そこに微かに温かな空気が混じる。外の風が流れてきているのだろうか。


「全部って――ぎゃっ」


 なに、とレイが問う前に、パタタタッと小さな羽音が進行方向から響いてきた。慌てて頭を守りながらその場にしゃがむ。


「ヒカリバエか?」


 天井近くをかなりの速さで過ぎていく小さな物体の中に、薄く青白く尾を引く個体を幾つか認めて、リォーが声を上げる。その通り、羽音の正体はヒカリバエの成虫であった。青白いのは羽化したばかりの残光だ。

 だがヒカリバエは、羽化すると同時に母親を食べて血肉にする。成虫がさなぎや幼虫を置いて飛び立つということはまずない。

 などという冷静な思考はしかし、この時にする余裕はなかった。

 何故なら、


「レイ、風の盾を作れ!」

「えっ?」


 ヴァルが叫び、ハルウが後ろからレイに覆いかぶさる。訳も分からず神言の枕詞を唱える後ろで、リォーが素早く抜剣した。

 何かが来る。


「希うは一陣の風巻しまき、全てを阻め、鉄壁の風盾ふうじゅん――!」

「逃げろ!」


 狭い洞窟内で形を持ち始めた風を越えて、裂帛れっぱくの怒号が轟いた。


「セネ!?」


 先程レイたちより一足先に洞窟の外に向かった善性種のディーン=セネだ。落とした曲刀を回収し、光源もない中を凄い勢いで走ってくる――と思ったその背に、あかいものがちらついた。

 それは。


「うそ、火!?」


 飢えた獣のように襲い来る火の塊であった。

 火は壁や天井の岩を舐めては火の粉を上げ、消えてはまた伸びあがるというのを繰り返し、一気にレイたちのいる場所の温度を上げていく。いくら風が通り抜けるとはいえ、森林火災というには明らかに不自然で凶暴だ。


「退け! 長老様!」


 苛立たしげに叫んだセネが、少しも速度を落とさずまま、しゃがんだままのレイたちの頭上を軽やかに飛び越える。


「続くぞ!」

「わ、分かった!」


 リォーの即座の判断に、レイも慌てて駆けだす。ヴァルとハルウがそれに続き、うねる炎も後に続く。

 今日は全力疾走ばっかりだと思いながら、頭の中では消去法で残された可能性が巡る。


(これが神法なら)


 帝国軍は既に洞窟の入口を包囲していると考えてまず間違いない。火を放ったのは、他に魔獣しかいないと考えたからかもしれないが。


「魔獣は乱獲禁止じゃないの!?」

「帝国軍にはクラスペダ一帯の討伐権がある!」

「なにそれ!?」


 必死の文句はあっさりと謎の強権に押し潰された。


「長老様、みんな! 逃げろ!」


 先を走っていたセネが、岩の広場を視界に捉えて大声を張り上げる。レイたちの視界も一気に開け、降り注ぐ光に中央の岩場や、横穴から顔を出していた善性種たちの姿も見える。

 そこに、火が滝のようになだれ落ちた。


「ッやめ――――!」


 上部に開いた穴から、炎が柱のように隙間なく降り注いだのだ。縦穴に押し込まれ荒れ狂う炎はまず橋を焼き落とし、広場を舐め、横穴へとなだれ込む。

 セネの絶叫もまた、赤々と燃え盛る猛火に飲み込まれた。



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