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第30話 ハルウの提案

 内心では割と心配してここまでやってきたレイは、少々拍子抜けした思いながら声の発生源を探した。

 聞こえてくるのは中央の岩場からのようなのだが、目の見えるのは茶や白や灰色の何やらもこもことした塊だけだ。それがちょこちょこと忙しそうに動いていて、そこから色んな声が聞こえてくる。


「あおいよ」

「あおいね」

「ここもあおい」

「バッ、服めくんな!」

「へんなかんじ」

「においもへん」

「いくつもある」

「漁るな! 懐を漁るな!」

「へんー」

「へんなのー」


 それは、どう聞いても子供の声であった。しかも声が上がる度にそのもこもこが動き、リォーの間抜けな声も上がる。

 その傍らに、血相を変えたセネもいた。


「この豆チビ共! 近付くなって何度も言ってんのに!」


 顔を真っ赤に怒らせながら暖かそうなもこもこに手を突っ込んでは、むんずと引っこ抜く。


「わあっ」


 甲高い悲鳴とともに、毛糸玉がごとき塊がぽいっと飛んでいく。


 むんず、ぽいっ。


「きゃんっ」


 むんず、ぽいっ。


「きゅいっ」


 そんなことを何度も繰り返していたら、その内の一匹が橋を渡ろうとしていたレイの方に飛んできた。ひゅるるー、と放物線を描く物体に合わせ、両手を揃える。


「お?」


 ぽすっと手の平に収まったのは、爬虫類のような肌質の何かであった。

 蜥蜴のような体に、太く長い尻尾、額には生え始めのような小さな二本の角、背中には蝙蝠のような羽根もある。


「……う?」


 ボールのように丸まっていた蜥蜴もどきの仔が、小さな頭を持ち上げてレイを見る。小首を傾げる仕草がなんとも愛らしい。

 だがその口周りが赤く濡れていることに気付いて、レイはあっさり取り乱した。


「だっ、大丈夫っ?」


 怪我をしているのかと、慌ててその小さな体をころころと回して検分する。

 だがその蜥蜴もどきはぺろりとその赤いものを一舐めすると、見事な跳躍でレイの手の平から逃げだしてしまった。


「あっ」


 そのまま、投げ飛ばされた他の子供たちのところに駆け戻る。どうやら、怪我ではなかったらしい。

 なのであれば、もう少しだけ撫でまわしておきたかった。


(残念……)


 などと一人嘆いている間にももふもふの山は切り崩され、ついにその下から一人の男が現れた。

 蒼天色の髪をした残念な美形、リォーである。


「……どういうこと?」


 全く状況が呑み込めないまま、レイが首を傾げる。


「意外と平和そうだねぇ」

「どっちもどっちだな」


 事情を知っているはずのハルウとヴァルから返る声もまた、平和そうであった。余計に分からなくなって首を捻る。と、ヴァルはやっと嘆息とともに説明してくれた。


「セネが走ったのは、起きたリォーがガキたちに危害を加えるんじゃないかと思ったからだろう。だが実際には縄は解けないし、ガキには玩具にされてたってところのようだね」


 程々に小馬鹿にした声であった。だがお陰で状況はなんとなく理解できた。

 辺りに転がっている毛糸玉たちはどうやら善性種の子供たちで、物珍しさのためにリォーに群がっていたらしい。

 転がされた子供たちは怒るでも泣くでもなく舞い戻って、今度は嬉しそうにセネの肩や背中や頭にぺたぺたと張り付いていく。それは二足歩行の兎だったり、人型に丸い耳と尻尾が生えていたりと様々だ。


「セネだ!」

「セネ、かえってきたー」

「おかえりー!」

「こら、お前たち! 今は危ないから引っ込んでろと……!」

「なんっ、何なんだこれは!?」


 先刻までの緊迫感もどこへやら、一気にわちゃわちゃしだした所に、リォーが腹筋だけで上半身をその場に引き起こした。

 その驚きようから、リォーもまたこの洞窟に着く前に気を失っていたらしいと知れる。


「っあ!」


 そこまで考えて、レイはその胸に見えた色に愕然とした。


(赤い!)


 もみくちゃにされて乱れた上衣の胸辺りだけ、赤黒く変色していたのだ。それを見てやっと重大な事実思い出す。


「リォー、胸に矢が――!」

「来るな」


 しゅらん、と刃が鞘の内側を走る音と共に、セネの硬質な声がそう命じた。その右手には、ヴァルに蹴り飛ばされて失ったはずの曲刀――ではなく、見覚えのある直剣が握られている。リォーの腰にあったものを瞬時に引き抜き、その先をリォーの首に当てたのだ。


「……おいおい、それは俺のだぜ」


 人質にされたリォーが、突然剣幕の変わった女に探るような声をかける。だがそれはセネを逆撫でするだけだった。


「一歩でも動けば殺す」

「どうぞ?」

「ハルウ!」


 勝手に笑顔で応えたハルウを、レイが慌てて制止する。幸い、セネはこれを無視した。

 リォーの首筋に刃を当てたまま、セネは声調を一転させる。


「チビ共。家に戻ってな」

「けんか?」

「おきゃくさんじゃないの?」

「ごはんとられたの?」

「……いいから!」


 頭から肩からかかる無邪気な声に、セネがくわりと怒鳴る。すると蜘蛛の子を散らすように、子供たちが周囲の壁に空いた穴の中へと飛び込んでいった。

 だがその間もきゃらきゃらと可愛らしい声が響き、ここが今までどんな風に時間が流れていたかを教えていた。


(平和、だったんだ)


 それを、レイたちが踏みにじった。セネの燻り続けた憎悪に、最悪の風を送り込んでしまったのだ。


「……ごめん」


 気付けば、謝っていた。


「私は、ここを荒らしたかったわけじゃないの。でもあなたたちにとっては、山に踏み入ったこと自体が許せない、よね……」


 それは善性種たちに限らず、クラスペダの山中を最後の根城にするような魔獣を含む全ての生き物においての総意だろう。

 山角羊トラゴス穴狗狗キュオーンはレイたちを攻撃したが、それは自分の縄張りに土足で踏み込んできたからだ。彼らはもう何年も、目の前の帝都にも民にも危害を加えていない。


「本当に、ごめん。すぐにでも出て行く。でも、リォーは胸に矢が当たって、しかも崖から落ちたの。先に治療をさせてほしい」


 それは、レイなりの最大限の譲歩であった。

 これ以上この場を荒らすことはしたくない。だが負傷したまま出ていけば、すぐに逃げきれなくなる。

 リォーは一見元気そうだが、胸のあの様子では、歩くこともままならないかもしれない。

 だが、セネの瞳には凶悪さが舞い戻っていた。


「どの面下げて……! お前たちは、ここで殺す」


 それは、最早理屈ではなかった。危害は加えないとどんなに説明しても、きっとその刃を納めてはもらえないだろう。

 レイは、どうしようもなく悲しくなった。

 セネに罪はないが、レイにもまた罪はない。それでも、両者は相容れない。セネは人間種に属する者を誰一人赦しはしないだろう。

 だから、レイにはこう言うしか思いつかなかった。


「どうしたら、分かってもらえる?」

「……分かって……?」

「私は、誰も傷付けたくないし、誰かが傷付いてもほしくない。でも、私は今、あなたにお願いしないと何もできない」

「よくも言う。その腰の短剣は誰かを傷付けるものだろうに」

「それは……」


 苛立たしげに返されたセネの言葉は、反論の余地もないほど正論であった。レイは「だって」と続けそうになった言葉を、気まずい思いで飲み込む。

 身を守るために致し方なくとか、まだ一度も人に向けてはいないとか、そんなことを聞きたいのではないだろう。

 凶器を持てば、いずれ誰かを傷付ける。傷付けたくないと言うのなら、丸腰でいればいいだけだ。

 だがレイは、まだ怖いのだ。痛いのも、死ぬのも、何も成し遂げられないのも、怖くて少しも思いきれない。


(……弱い、から)


 ついにレイは言葉を見失ってしまった。

 祈りの言葉で神の力が借りられるように、言葉が気持ちを証明できればいいのにと、もどかしく思う。だが神への誓いの言葉はあっても、悪意がないと信じてもらえる言葉は、神識典ヴィヴロスの中のどこにもないのだ。


「……ふん」


 沈黙してしまったレイを鼻白んで、セネが鼻を鳴らす。


「だったら、お前が持っている気の塊を寄越せ」

「……気の、塊?」


 唐突に出てきた単語に、レイは思い当ることがなくて困惑した。セネが訝しげに片眉を吊り上げる。


「気付いていないのか? その首元にあるものだ。それが嫌なら、こいつの胸にあるものでも、そいつの腕輪でもいい」


 こいつと言いながらリォーに向けた剣先をひらと揺らし、そいつと言いながら小豆色の瞳がハルウへと向けられる。

 レイは余計に分からなくなった。


「えっと、首元にあるのって、これのこと?」


 取りあえず思い当るものを襟の下から引っ張り出す。亡き曾祖母がレイの誕生祝いとして贈ったという、黒泪型の首飾り。

 確かにこれは最後の聖砦(エスカトン・フルリオ)の祭壇にある宝玉を模してはいるが、使われているのは市場にも流通している一般的な宝石のはずだ。サイズも半分しかない。

 セレニエルに授けてもらった祝福はあるが、気の塊という程のものではないと思う。他の可能性でいえば贈り主の曾祖母だが、何かしたかどうかを確かめる術はない。


 気の塊というなら、それこそ神気ディーオに形を与えて出来たという王証こそが相応しい。と考えて、レイはやっと気付いた。

 リォーが持っている気の塊と言えば、まさにそれだろう。


「あ、王証!? それはダメだよ! あれは絶対私が国に持って帰るんだから!」


 女装して城門を通過する前に、リォーは天剣クシフォスを体のどこかに隠していた。検問でも気付かれなかったが、リォーがどこに隠したのかはレイも教えてもらっていなかった。


「ばかやろう、王証は俺のだ!」


 リォーもまた声を荒らげたが、その反論は半分以上レイに向けられていた。

 そんな二人のやり取りを冷ややかに一瞥して、セネが最後の一人に視線を滑らせる。


「だったら、お前が寄越すか?」


 その脅しを、ハルウは細い目を更に細め、にこやかな微笑で受け止めた。


「それはまだ出来ないなぁ」

「ならば死ね」


 言下に切り返す。リォーの首を狙う刃先が皮膚に食い込む――その前に、


「それもいいけどさぁ」


 ハルウが苦笑するように続けた。


「たった三人を殺すよりも、沢山殺した方が胸がすくんじゃない?」


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