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第29話 洞窟の中の隠れ里

「いと高きにまします、世界を整えし始まりの神々が一柱、光の神フォスよ。天より来りて、恵みの一滴ひとしずくをこの身に分け与えたまえ」


 神代、地上から天上へと昇った神々の島は、常に光が溢れ常春の温もりに包まれた楽園なのだと云われている。

 レイは洞窟の入り口から射す光が見えなくなれば自分の手元も危うくなるような闇の中、天上からかそけく零れる光が自分の掌中に揺らぐ姿を想像イメージした。


「希うは天上の光、全てを照らせ、暁紅ぎょうこう煌星きらぼし


 神言を唱え終わると、なんだかほくほくするような温もりが両手を中心に広がる。光は瞬きの間に集束すると、ゆっくりとレイの顔の前に浮かび上がった。

 光はレイの視線に応じるようにふわふわと揺らぎ、まるで蝶が舞うかのようだ。


(きれい)


 レイは、この光が子供の頃から好きだった。不思議と心安らぐもので、夜な夜な意味もなく眺めていた時期もある。そのせいかこの神法を使うと、紐付けられた記憶が自然と呼び起こされてしまう。

 光に浮かび上がる暗い自室に、頭の上に乗る掛布団の重み、涙の匂い。


(って、今は違うでしょ)


 ふるりと一度だけ首を振って、レイはセネが消えた洞窟の奥を見やる。


「行こう」


 ヴァルにひとつ頷いて、レイは慎重に暗がりへと足を踏み出した。

 洞窟は、時折二人くらいしか通れないほど狭まったり、途中で突然急斜面が現れたりと、少しも気が抜けなかった。支えに手を突く岩肌は鋭利に抉れ、地面も水滴に穿たれたのか凸凹ばかりだ。油断すればすぐに手を切り、足を引っかけて転びそうになる。

 だがそんな悪路も暗闇もものともせず、ヴァルはどんどん先を行く。時々横穴や分かれ道もあるというのに、まるで道を知っているかのように迷いがない。

 その尻尾を信じて追いかけながら、レイは隣を行くハルウに尋ねた。


「ねぇ。起きたって、誰のこと?」

「サトゥヌスの息子だよ」

「……リォー?」


 英雄王の名を出され、レイは一瞬考えた。

 確かに、レイが目覚めた場所に他に人影はなかった。他の場所にいると分かったのなら一安心だが、リォーが起きるだけで何故セネがあんなにも焦るのだろうか。


(あの人がリォーの心配をするわけはないし……)


 首を捻るレイに、ハルウは少し面白そうに問いかける。


「あの場所で全員まとめて縛り上げられたんだけど、あいつだけ奥に運ばれたんだ」

「リォーだけ? なんで?」

「僕がレイから離れるわけないでしょ? そうこうしてる所に、レイが目を覚ましたんだよ。それを、あの女……」


 成程、あの場にリォーだけいなかった理由は分かったが、そうなると余計にハルウが縛られていなかった理由が謎になる。

 奥に連れていかれるということは牢か何かに入れそうなものだし、それなら余計に離れたくないと言っても聞き入れられるはずがないのだが。

 だが今は、それよりも気になることがある。


「それで、どうしてリォーが起きると走っていくの?」

「あぁ。考えてもごらん」


 再び冷たい光が滲みだしていたハルウの双眸が、にこりと笑顔に変わる。


「ここは魔獣があちこちに巣食う危険な山中にある、険しい谷底に隠されるように存在する洞窟の奥だ。そこに隠れ住んでいるのは迫害され続けた種族。その全員が、高い戦闘能力を持っていると思う?」

「え? うーん……」


 突然教師のような口振りになったハルウに、レイは聖砦での授業みたいだなと思いながら思考を巡らせた。

 善性種エピオテスはその性質上、戦闘向きの種ではない。長い歳月の中で獣の凶暴性や強人種の力を手に入れる者もあっただろうが、それはごく一部だ。

 もしこの洞窟内に善性種の一大集落があったとしても、隠れ住んでいるという時点でその総合的な戦闘力が決して高くはないのだろうということは推察できる。


「そっか、強い人ばっかりだったら、隠れてないで奇襲しそうだもんね」


 全員がセネのようなら、武器が揃った時点で帝都を襲うぐらいはしてもおかしくない。それくらい、セネの憎悪は深かった。


「だったら、奥にいるのって」


 そう言いかけて、視界の端がほの青いと気付く。導かれるように足を進めると、狭かった横幅が再び広がり、天井も高くなった空間に出た。

 そこで何気なく上を見上げ、レイは驚いた。


「……青い?」


 外光が届かないはずの洞窟内が、ほのかに青い光で照らされていた。

 光は天井部分が濃く、水滴が落ちるたびに儚い光を辺りに散らしている。


「ヒカリバエの幼虫だね」

「これが……?」


 光に手を翳すようにしながら、ハルウが呟く。名前だけなら、授業で聞いたことがある。

 元々は山間に生息する小さなハエに過ぎなかったが、突然変異で終齢幼虫の前蛹期ぜんようき――蛹化ようかする前の一時期だけ光るようになったという。

 原因は魔気ゼーンを浴びすぎたせいとも言われ、羽化した後にはその凶暴性も高まるが、刺激しない限り襲ってくることはない。


(本で見たのは、すごい気持ち悪そうな虫だったのに)


 実物は全然違うではないかとレイは思った。

 真っ暗な洞窟の天井から下がる青光は、まるで小さな夜空を彩る星々のようだ。その間をヒカリバエの幼虫が作る糸の筋が垂れ、まるで小雨が降りだしたその一瞬を永遠に止めてしまったようにも見える。

 あの本の著者は、絶対に虫本体ではなくこの幻想的な光景を描くべきだったと、レイは強く物申したい。


(“知る”って……すごい)


 暫し、状況も忘れて光に魅入った。

 ヒカリバエの巣があったのはこの一帯だけで、再び天井が下がってくると青い光も消えてしまった。巣作りの条件も読んだはずだが、勿論忘れた。

 レイはすっかり消えていた神法の光を再び灯すと、遅れを取り戻すように先を急いだ。

 そうして、最初の場所から上がったのか下がったのかも分からなくなるくらい、でこぼこの足場を進むこと暫し。


「いた」

「!」


 ハルウの声に、ハッと両手を握る。と同時に神法の光も消える。だが完全な暗闇が戻ってくることはなかった。視界の先がぼんやりと明るいのだ。

 レイはどきどきしながら、明かりの方へと慎重に踏み込んだ。

 もしハルウの推理が間違っていて、この先の隠れ里がセネのような連中ばかりだったらと思うと、少し足が竦む。だが目の前の岩を回り込み、更に光量が上がったと思った時、鼓膜の蓋が開いたように様々な音がここまで聞こえてきた。

 幾つもの軽やかな足音と衣擦れ、きゃっきゃっと響く声はどこか幼く、合間にセネの怒声も聞こえる。

 最後の岩陰に隠れて向こうを覗き込むハルウの背に手をついて、レイもそろりと覗き込む。


「……わぁ……っ」


 そこには、開けた空間が広がっていた。

 幅も高さも今までの比ではなく、小さな家ならすっぽり入りそうな広さがある。縦穴のように歪な円を描く周囲の岩壁は厚さもバラバラな細かな地層が剥き出しになり、地上まで続いている。

 天井部分は温度差があるのかけぶって見える――と思ったが、よく見れば霧がかった向こうには濃い緑が見えた。岩壁から生えている灌木もあるにはあるが、その緑はどうやら地上を覆う森の枝葉のようだった。天井部分は、雨水の浸食か振動かで陥没したのかもしれない。風のせいで時折生まれる葉の隙間から、僅かに青空がのぞいて見える。明るいのはそのためだ。

 もしかしたらこの縦穴のような場所は森深い木々の中に突如現れ、今現在も岩壁の淵ぎりぎりまでこんもりと茂った木々のお陰で、山の上から眺めても見つかりにくい構造になっているのかもしれない。天然の隠れ家だ。


 一方の穴の底は、中央が高く、その周りが低く抉れていた。水で浸食されたのか、雨が降れば水の通り道になるのかもしれない。レイたちが通ってきた洞窟から中央の岩場までにも溝があり、短いかずら橋が架けられている。

 そしてその橋は、一つではなかった。ぐるりを囲む岩壁には、レイたちがやってきた他にも大きさの異なる幾つもの横穴が開いていて、その入り口にはやはり手作りの橋が架けられている。

 それらの一つ一つが家ないし生活圏ならば、それらが集まる中央の岩場は、さながら町の広場のようだ。


「なんだか、一つの町みたい……」


 さてここからどうしたものかと思っていると、ヴァルがすたすたと目の前の橋に前肢をかけてしまった。レイも慌ててその後を追う。

 その足が橋に辿り着く前に、聞き知った声が聞こえてきた。


「――やっ、やめっ」

「! リォー!」

「あつっ、バッ、腹はっ、くすぐっ……こら!」

「…………」


 危機感は大してなさそうであった。



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