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幕間 大人たちの密談

「いかがなさるおつもりですの?」


 皇子たちに関する問題の報告を終えた侍従長が退室した後、ソファに腰掛けていた玉妃レリアがゆっくりと口を開く。

 虎斑とらふが見事な楢材ならざいの執務机の前に座った皇帝ドウラーディ二世は、妻の静かな問いに軽い嘆息とともにこう返した。


「子供同士のいざこざに、親が出しゃばるものでもあるまい」


 それは、公人としての答えならば悪くはなかったろう。けれどその子供はぽかぽかと泣きながら殴り合うような年ではないし、静観するには事態は少々大きくなり過ぎた。


「一人は殺されたかもしれず、一人は殺したかもしれないのにですか」

「まだ二人残っておる」


 世継ぎというなら、そうであろう。令妃ヘレンの男児二人は、この件には無関係だ。


(まだ、表向きにはね)


 だがレリアが問題としているのはそんなことではない。長男アドラーティは血痕を残して行方不明、次男フェルゼリォンはその殺害容疑者として追われる身。

 アドラーティの捜索については、まだドウラーディ二世に頼んでまで裏から手を回す段階ではない。だがフェルゼリォンの容疑に関しては、早急に対処する必要がある。


「それでは約束が違います」


 レリアは、フェルゼリォンが誕生した時に内密に交わした約束を持ち出した。

 先祖返りとして、瞳どころか髪までも青に染まって生まれてきた赤子。初めはシルバーブロンドのような淡い色合いだったが、年を経るごとにその青みは増していった。

 玉座には、誰よりも始祖の血の濃い者を。

 それは約五百年続く帝室の中で暗黙の内に求められてきたことであり、それが末子であろうと、宮廷や民衆の求めるところは変わらなかった。だがそのせいで、兄弟間での権力争いや暗殺が横行した。内乱も幾度か起きている。

 それを防ぐために、男系長子継承の法が制定された。

 そして公的には伏せられているが、嫡子が一旦王位を継ぎ、然るべき時が来たら青の王子に譲位する道を模索するというのが最も安全で穏健な流れとなっていた。それが現実に行われたことは、制定されて以降青の王子が誕生していないこともあり、今までに一度もないが。

 だがドウラーディ二世は、冷淡にも首を横に振った。


「約束したのは第三皇子が皇帝となるとしても、余の代では第一皇子を皇太子とすることと、正当なる理由なく廃太子しないことだ」

「でしたら」

「だからと言って、罪人を玉座に据えることはない。たとえ先祖返りの青の王子だろうと」


 それは、悲しいながら至論であった。だが最も腹立たしいのは、夫がごく自然にフェルゼリォンを犯人と仮定していることだ。


(少しは我が子を信じて庇ってくださっても良いのに)


 こういう時、当然のように皇帝としての立場を優先する夫を、レリアは腹立たしく思う。情を見せるべきでないことは分かるが、それでも妻の前でくらい心配する素振りを見せても罰は当たるまい。

 だがここで反論しても、では無実を論証しろと言われるだけだ。レリアは不機嫌を美しい微笑の下に隠して、別の切り口から攻めることにした。


「では、女王陛下との約束も反故になさるおつもりですか?」

「…………」


 これには、さすがの夫も言下には反駁してこなかった。それもそうであろう。

 突然現れたプレブラント聖国の第二王女を受け入れたことは、まだ記憶に新しい。それもまた、九年前の事件の貸しの一つと言えた。


『このことは、こちらの手落ちと言うべきでしょう。帰国後、こちらから正式に謝罪申し上げます。噴水やその他の器物破損についても、諸々弁償させて頂きます』


 九年前の式典の折り、逃げるように帰ろうとしていた女王が帰り際に述べた言葉が思い出される。


『ですが、皇子ご誕生の際の贈り物を粗末に扱われたことにこそ原因があることも、決してお忘れ頂きたくはありませんわ』


 その痛烈な皮肉に、四百年続いた和平を言祝ぐ慈愛溢れる聖王の面影は跡形もなかった。


(睨んでいらしたものね、明らかに)


 事情は既に説明してあったし、不可抗力であり、こちらもまた被害者であることは謝罪と共に十分伝えていた。

 だがそれでも収まりのつかない感情があると見えた女王に、レリアは初めて「母親」という共通事項がそういえばあるのだと気付いたものだった。


「あの王女はしかと受け入れた。いざとなればリッテラートゥスもいる。何より、あの件はどちらもが加害者であり被害者であった。そしてより多く要求できるのはこちらだ」

「要求? これ以上何を」

「それは玉妃といえど教えることはできん」


 レリアの言葉を遮って、ドウラーディ二世がしかつめらしく拒絶する。その言い様に、レリアはまあと思った。


(威厳を出すためだけに生やしているその髭、毟って差し上げましょうかしら)


 ドウラーディ二世とは政略結婚ではあるが、レリアにとっては姉と共に遊んだ子供の頃からの幼馴染みであり、兄であり馬鹿な男であった。昔ほどあからさまな口論をしなくなったレリアを、弁えてきたと勘違いしている節がある。

 仕返しは何がいいかしらと思いながら、レリアは表面上は淑女を気取って実のない台詞を返しておく。


「言っておきますけれど、陛下だけがご存知のことがあるように、わたくしだけが存じ上げていることもあるのですよ」

「それはそうであろう」


 うむうむとドウラーディ二世が頷く。


「そうかっかするな。手は既に幾つか打ってある」

「しておりません」


 機嫌を取るように適当なことを言う夫に、ふんとすげなく返す。

 そこに、叩扉の音がかぶさった。


「ラティオ上級書司官、お呼びに応じ、馳せ参じました」


 続く声に、レリアはドウラーディ二世を見た。席を外せと言われるかと思ったが、構わず「入れ」と入室を許可する。

 果たしてゆっくりと押し開かれた扉から現れたのは、どうにも顔色の悪い三十代の男であった。


「ニックス……。相変わらず胃が痛そうな顔をしているわねぇ」


 今上の前だというのにあからさまに嫌そうな顔をしているのは、ラティオ侯爵の嫡男であり、レリアの年の離れた弟でもある。

 王や諸侯、枢府などに関わる書類全般を作成保管する書司室に配属されたせいか、いつも面やつれしている感が拭えない。


「よく来た。呼び出された理由は分かるか?」


 ドウラーディ二世が、扉の前でこじんまりと固まっているニックスに呼びかける。ニックスはまず一度びくっとした後で、「えぇー……」という相槌なのか不満なのか分からない声を上げた。


「城内が何だか騒がしいようなので呼ばれた理由は大方察してもおりますが出来れば仕事のきりがつくところまで待っていただきたいのが真情ですがこればっかりはやはり無理を押し通すことは出来ないのでしょうねぇ……?」


 全く息継ぎせずにそう答えて、ちろり、と皇帝を上目遣いで見る。

 書司室でも、昔からの伝統で仲の悪い司法室や神職室との喧嘩を仲裁するのが仕事の一環となっているらしいニックスの、ここ数年の癖であった。


「ニックス。落ち着きなさいな」

「えぇー……、あぁ、はい。本題から逸れました。申し訳ございません」


 帝室御用達のせいちゃの、果実のような芳醇な香りを味わいながら諫める姉に、ニックスが顔を青くして謝罪する。それをいつものことと頬杖をついて見守りながら、ドウラーディ二世はさくさく話を進めた。


「その様子だと状況は理解しているようだな。お主に非はないが、しばらくは自宅謹慎を言い渡す。勿論、ウィーヌム州の領地にも使者は既に飛ばしてある」

「あぁー……。そうでしょうねぇ。引継ぎと復職時の後始末が死ぬほど大変そうですが致し方ありませんよねぇ……」

「面倒な掃除はこちらで手回ししておこう。お主が帰ってくる頃には、少しは片付いているはずだ」

「あれは性格というか体質というかですが……では、よろしくお願い致します」


 ニックスの仕事について随分細かく助力フォローするのだなと思いながら、二人の会話を聞く。そうしている間に話は纏まったらしく、ニックスは先程よりも少しだけマシになった顔色で退室していった。

 レリアもそれに合わせて青茶を飲み干すと、言葉少なに部屋を後にした。隣の控えの間で待っていた女性の侍従文官と侍従武官を引き連れて、玉妃宮に向かう。

 弟のニックスと再会したのは、案の定、北の列柱廊へと続く入口の前であった。


「もう帝都の屋敷に行くの?」


 護衛というよりも監視らしい武官二人に囲まれながら、柱の装飾の影よりも陰らしく佇む弟に声を掛ける。


「いぃえぇー。どうにか引継ぎの時間をいただけたので、一度職場に戻ります……」


 皇帝の前を辞した後だというのに、返る声は一向に冴えない。監視の二人が看護に見える。


「後で胃薬でも届けさせる、と言いたいところだけれど」

「疑われる方が面倒なので、ご遠慮申し上げますぅ……」

「今のところは、静かにしている方がいいのでしょうけれどね」


 フェルゼリォンの母妃が私的に実家に届け物をしたとなれば、要らぬ嫌疑を買うだけだ。それに胃薬の品揃えで弟の自宅よりも豊富な場所もそうあるまい。


(けれど、お父様の所には確認を取る必要があるわね)


 アドラーティの身に何かあれば、逃げる先はそう多くはない。

 王都の南に隣接するディナディオス州は帝都から最も近い直轄領であり、管理者もテナークス公爵位を与えられる皇太子となっているが、安全かと言えば難しい。帝国軍も州軍も完全に皇太子が掌握しているとは言い難いし、フィデス侯爵が手を回すにも地理的にさほど難しくない。

 現に今回も真っ先に検問が敷かれ、帝国軍からも最も多く捜索隊が派遣されている。

 フィデス侯爵家の手出しが難しい場所となるとレリアの生家であるラティオ侯爵家かその領内となるが、アドラーティと父のルードゥスは性格と志向の違いにより基本的に仲が悪い。頼るとも思えないが。


(それよりも、お姉様を経由して接触した方がいいかしら?)


 レリアの二歳年上の姉は、ウィーヌム州の中心的都市を収める豪族伯爵に嫁いでいる。長男の出産時期が重なった時に共に実家に里帰りしていたが、それ以降はごくたまに手紙でやり取りする程度だ。地理的にも関係的にも、警戒の優先順位はそれほど高くないはずだ。

 口には出さずに色々と考えを巡らせるレリアだが、その不穏さに気付いたのかどうか、胃弱の弟はこの沈黙に顔を情けなく歪めて身を引いた。


「やめてくださいよ僕の胃痛の原因増やすのはぁ……父上だけで十分なんですから」


 その顔に、レリアは思索を一旦中断して呆れ返った。


「まだ出世しろって言われているの?」

「そのために書司室に入れたんだからって、しょっちゅう」


 確かに書司室は王にも近く、側近として期待される職場でもある。だがこの胃弱の弟では、いくら優秀でも有能にはなれそうにない。


「あの権力欲の権化は……。幾つになっても困ったものね」

「姉上が青の王子なんか産むからいけないんですぅ……」


 久しぶりに恨みがましく責められて、レリアは大きく嘆息した。

 六侯爵の中でも皇妃の座を巡って権力闘争を繰り返すのは、当代では二妃の生家であるラティオ家とフィデス家、そして皇太后の生家であるアウデンティア家だ。

 現在は皇太后の影響力が強く、ラティオ家には往時の権勢がない。ラティオ家の当代当主はそれが我慢ならないのだ。


(呆れてしまうわ)


 父からすれば、自分たち姉弟もまた権力を得るための道具に過ぎない。子供もまた同じだ。

 だがその話に耳を傾ける気は、レリアには更々ない。だから返す言葉もいつも決まっている。


「子供に罪はありません」


 凛然と、弟を見据える。

 この言葉に、以前の弟なら嫌そうに顔を顰めるだけだった。だが念願の二歳の娘を持つ父となった今、その青白い顔は複雑そうであった。


「そう、でしょうね……」

「大事なことは常に一つだけです。そのためでしたら、少々の駆け引きや心象操作や脅迫くらいお茶菓子程度です」


 やっと親の気持ちが分かったかと、レリアは満足げに頷く。だがこれに、今度こそニックスは顔を顰めた。


「えぇー……。そのお茶会、僕の知らない所でやってくださいよ……」


 ひらひらと手を振って、柱の影から抜け出る。監視の二人が、よろよろとしたその足取りを不安そうに追いかけた。



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