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第1話 最悪の出会い

 双聖暦四百九十八年。


「――すごい。凄い凄い!」


 人と物でごった返す広場を何度も見渡して、レイは無邪気に歓喜の声を上げた。


「ここが大陸随一と謳われるエングレンデル帝国の首都ウルビスかぁ! あっちにもこっちにも何でもある!」


 くすんだ麦穂色の髪を揺らして、レイは次から次へと変わる景色をその濃い翠色の瞳に映していく。

 その言葉の通り、東西南北の城門から発する二本の主要通りが交差するアルクス広場は、二段式の八角形噴水を中心に様々な情報で溢れ返っていた。

 二頭立ての箱馬車がゆっくりと行き交う間を、器用にすり抜ける人々。彼らへ向けて高らかな売り声で囃し立てる露店の主人たち。彩色も鮮やかな異国の布や食器を物珍しそうに眺めるご婦人方の間を、工房の徒弟らしき少年が忙しそうに駆け抜けていく。


「ねえねえ、あれってシルヴェストリ王国産の組木細工じゃない? あ、あっちにアルワード新国王夫妻の絵姿がある!」


 少し動けば肉の焼ける香ばしい匂いが食欲を刺激し、三歩も行けば今度は花の蜜のような甘い芳香が鼻腔をくすぐる。路地の隙間には画板を持った者もちらほら見かけ、様々な人々が活き活きと行き交っている。


「ひゃーっ、お肉美味しそう! この匂いは香辛料かな? うへぇ、よだれ止まんない」


 見るもの全てが目新しいレイは、歩くだけで目も耳も鼻も大忙しだ。だがその後ろに付き従う二つの影はすっかり呆れていた。


「完全なお上りだな」

「生まれてこの方十六年間、ずっと聖砦に閉じこもっていたようなものだから、仕方ないよ」


 けれどレイはそんな会話にはまるで気付かず、くるりと一回転、満面の笑みで両手を広げて見せた。


「凄いよ、ヴァル、ハルウ! 歩くだけでお腹が空く! エフティヒアとは大違いだね!」

「聖国でも指折りの田舎と比べてどうする」


 中性的な濁声でそう答えたのは、ヴァルと呼ばれた獣である。猫に似た体躯は宵闇のような漆黒で、紅玉のような赤い瞳と、耳先や足先の白だけが鮮やかだ。猫にしては大きな三角耳の先には、瞳と同じ色の石を嵌めた耳飾りが陽光を受けてきらきらと輝いている。


「あそこも結構大きな巡礼地だけどね」

「そうなの? ハルウ」


 相槌を打ったのは、先程の会話のもう一人、ひょろりと背の高い、二十代後半のように見える男だ。右目は栗色、左目は深緑色の髪と同じ色をした虹彩異色オッドアイで、左腕にも髪と同色の宝石を嵌め込んだ古い腕輪をしている。

 ハルウは、細い目を更に細めて少女に頷き返した。


「あの場所は、双聖信仰の最後の巡礼地だからね。神殿だけなら、そこそこ立派だよ」

「けど規模で言ったら、ここの大神殿の方が圧倒的に大きいし金もかかってるけどな」

「そこはそれ。なにせ帝国だから」

「帝国ねぇ」


 ヴァルとハルウの掛け合いに、レイは通りの向こうに見える幾つかの尖塔を見上げた。赤茶色の瓦屋根の向こうに見える尖塔は、白く輝く大神殿ヘセド・エメスの一角だ。あの中でも、この大陸を救った二柱の英雄、双聖神が崇められている。

 また反対側に視線を滑らせれば、その英雄の片割れを祖に持つ一族が暮らす見事な王城の一部、背の高い鐘塔を視界に収めることができる。


「レテ宮殿、だっけ」


 レイの呟きに、足元にちょこんと座ったヴァルが「あぁ」と頷く。


「エングレンデル帝国皇帝一家が住む、大陸最大の宮殿だな」

「……行かなくてもいいよね?」


 それまでキラキラと観光地を映していた瞳から輝きを消して、レイがまるで鬼門を見るように及び腰になる。だがそもそも、レテ宮殿に入れるのは王侯貴族以下、役職や仕事を賜る役人たちや出入りの商人だけで、一般市民が簡単に立ち寄れる場所ではない。

 それを承知の上で、ハルウは笑い、ヴァルは「さぁな」と投げやりに言った。


「それはお前の心がけ次第だろ」

「心がけって言われても……あっ、あれ何かなっ?」

「あ、こら!」


 先程までしゅんと落ち込んでいたと思っていたら、視界を横切ったものにつられて再びレイが走り出す。このやり取りも、帝都に入ってからかれこれもう五度目であった。


「あんのお転婆が……」

「楽しそうだねぇ」


 ヴァルが器用に前足を額に当てて嘆息する。やってられないと首を横に振る姿は、笑って見送るハルウよりも余程人間臭かった。





(ヴァルはすぐお説教したがるんだから)


 いい加減追うのは諦めたらしい二人を距離をあけて振り返りながら、レイは何度目とも知れない愚痴を飲み込んだ。


(確かに私はずっと聖砦にいて、外を知らないけどさ)


 ヴァルが口煩いのも過保護なのも、心配してくれているからだとは分かる。けれどこの場所に来たのは、レイ自身が祖母から直々に頼まれたからだ。母の役に立てる唯一の機会に、ヴァルに唯々諾々と従うつもりも、失敗するつもりも毛頭なかった。


「さぁて、ちゃんと調査……の前に、腹ごしらえをっ」


 にひひっ、と口元を緩めて腰袋に手を伸ばす。その時、ドンッと誰かにぶつかった。


「あっ、ごめんなさ――」


 慌てて謝る。頭を下げながらも腰袋に手を伸ばして、気が付いた。


(スられた!)


 腰袋に入れていた財布がない。


「待ちなさい、このこそ泥!」

「ッ」


 声を張り上げると同時に、今し方ぶつかった男を追いかけた。距離にして十歩分。レイなら余裕で追いつける――はずなのだが、今ばかりは勝手が違った。両者の間には、今までレイが相手をしたことがない大量の人、人、人。


「ちょっ、どいてください、スリです!」

「ハッ、田舎者丸出しなんだよっ」


 誰かを押しのけて怪我をさせないように気を付けながら進んでいると、人混みの頭の向こうから男の小馬鹿にした声が返ってきた。相手が帝都に不慣れなレイを獲物にしたのだと知れ、僅かにあった遠慮は呆気なく吹き飛んだ。


「……ずぇったい捕まえる!」


 かっちーん、と頭にきて、今度は猛然と走り出す。

 道路の両端に並ぶ露店に群がっていた客たちの隙間を猫のようにすり抜け、店の脇に置かれた空箱の上にひょいと飛び乗り、さっと視線を左右に走らせる。


「見付けた!」

「げ!」


 田舎者と侮ったのだろう。早々に人混みから離れたのが運の尽きだ。身軽で足が速いのが取り得のレイにとって、密集度の下がる中央通りまで出れば逃す道理はない。

 レイは叫ぶと同時に、一足飛びに男めがけて飛びかかった。

 振り向いた男の横顔に、矢のように飛ぶレイの靴底が見事に吸い込まれる。


「ぶっ!?」

「やった!」


 靴裏の手応えに小さく快哉を叫びつつ、男の顔にめり込んだ足に再び力を入れて、一歩向こうに着地する。男の顔に乗ったまま着地しても良かったのだが、頭蓋を潰しては流石に後味が悪い。

 ぐへっ、と石畳に沈んだ男を見て、レイは満足げに胸を張った。その手には、ちゃっかり奪い返した財布が握られている。


「弱者から巻き上げようなんて、小ずるいことするからよ」


 ふふんと、鼻息も荒く倒れた男の元に戻ろうとした時、


「危ない!」

「え?」


 ガラガラッとけたたましい車輪の音と声が、同時に耳に飛び込んできた。反射的に振り返る――その腕を、横合いから大きな手に掴まれた。

 あっと思った次には、ぽすっと誰かにぶつかる。その頭上を、背後を低速で駆けてきた馬車から怒声が響いた。


「馬鹿野郎! 前見て歩け!」


 先程と同じ声だ。そこでやっと、レイも自分が車道に飛び出していたと気付く。そのまま突っ立っていては、先程の馬車に轢かれていたところだったのだろう。

 ぶつかっても多分大丈夫な気もしたが、それでも騒ぎを起こして周りに迷惑をかけるのは良くない。

 レイは顔を上げ、腕を引いて助けてくれた人物を見た。そして目を剥いた。


(び、美人……!)


 まず目を引いたのは、藍晶石カイヤナイトを思わせる濃い青色の瞳であった。さざなみ立つ水面のように青の濃淡が揺らめき、陽光を受けてきらきらと輝いている。その間を通る鼻筋も黄金比のように整い、白い頬は砂糖菓子のようにきめ細かい。

 美しさで言えばレイの姉や妹もそれなりに美人だが、目の前の人物はどこかガラス細工で作った人形のような、容易に触れ難い繊細さがある。

 だが何より驚いたのは、頭に巻いた布から一房二房零れる髪の色であった。


(青い)


 まるで二人の頭上に広がる蒼天のように、鮮やかな青だった。青みがかっている、というレベルではない。女性にしては凛々しい眉も、レイよりも長い睫毛も、やはり同じ青だ。


「……綺麗」


 思わず、そう口にしていた。途端。


「あ?」


 低い低い声でそう凄まれた。それでやっと、助けてもらったのにまだお礼を言っていなかったと気付く。


「あっ、ごめんなさい。あんまり綺麗な人だったから見惚れちゃって」

「…………」

「さっきは助けてくれてありがとうございました。お姉さんが手を引いてくれなかったら、馬車を壊すところで――」

「誰が女だ!」


 感謝の意で下げた頭を、上からぐっと押さえつけられた。意味が分からなかった。

 微妙な角度のまま、頭を押さえ付けてくる目の前の女性を覗き見る。


「えっと……?」

「俺は、男だ!」


 よく分からないことを言われた。思わず頭に乗っていた手を退けて、まじまじと全身を凝視する。

 確かに、背は高い。レイよりも頭一つ分は上だ。肩幅も、よくよく見ればしっかりしている方かもしれない。だが全体的な線の細さはやはり女性的だし、どんなに薄汚れた男の恰好をしていてもレイより美人である事実は隠しようがない。

 ということで、出た結論は。


「まっさかー」


 笑い飛ばした。女性が眉根をきつく寄せる。


「こんだけ言っても分かんねぇのか」

「だってどこから見ても」


 と言いながら、視線が胸の辺りで止まる。確かに胸の膨らみは乏しいようだが、それはレイも似たり寄ったりである。全く気にならない。などと思考していると、その視線に気付かれた。


「自分の胸を基準に見てんじゃねぇよ」

「……ん?」

「助けて損した。田舎者は黙って森に引っ込んでろ」


 先に言われた内容を理解するのに、まず数秒かかった。その間に、自称男の女性は踵を返していた。数歩で人混みに紛れる。


「……ハ!?」


 そこで正気に返った。と同時にやっと理解する。


(あいつ、あいつ! 女だと思って優しくしてれば、むむ胸がどこにも見当たらないって!?)


 そこまでは言っていない。

 だが頭に血が上ったレイは、スリを確保して警吏に渡すのも忘れて後を追いかけていた。


「レイ!」


 遠く後ろからヴァルの呼び声が聞こえた気がしたが、今はあの失礼な自称男である。


「待ちなさい、この男女おとこおんな!」


 レイの捕り物にも関心を示さなかった住民たちの間を再び掻き分けて、外套を羽織った背中を探す。既に大通りにはいない。今度は行き交う馬車に気を付けて視線を滑らせると、反対側の横道に入る背中が見えた。


「もうあんな所に」


 いつの間に行き交う馬車を越えたのか。だがそっちがその気なら、レイも少しは本気を出すにやぶさかでない。


「絶対謝らせてやる!」

「バカ、レイ!」


 気炎一発、石畳を蹴って馬車を飛び越え、華麗に車道の反対側に着地する。だがやはりそこまで人目は引かなかった。都会ならでは、周囲に関心が薄いのが幸いした。

 そのまま、男女の消えた横道に飛び込む。


「いない?」


 そこに、追いかけるべき背中はなかった。道を知る地元民らしき姿がちらほらあるだけだ。

 だがそこで諦めるレイではなかった。再び走り出しながら、路地の左右に現れる裏路地を片っ端から覗き込む。そして。


(いた!)


 少し先で行き止まりになっている道で、その後ろ姿を捉えた。

 絶対謝らせてやる、と息巻いた瞬間、男女がその場で飛び上がった。


「えっ」


 跳躍と表現するには、その姿は一向に地に落ちてこなかった。まるで見えない翼でもあるかのようにそのまま路地を塞いでいた屋根の上に着地し、次の跳躍でまた別の建物の影に消える。


「うそ、神法みほう?」


 アイルティア大陸には、繁殖力が高い代わりに特別な能力を持たない人間種ピリトスのために、天上に昇った神々から力を借りて行使する不思議の力――神法みほうがある。

 借神法は特に神に愛された者に顕著に現れると言われ、神話や伝説の中で彼らは王や英雄と呼ばれた。結果、王やその傍系である貴族たちに多くその力は現れ、脈々と受け継がれてきた。

 それは時と共に名前を神法と変え、様々な神法士みほうしの努力と研鑽により体系化されながらも、時代が下るとともに血が薄まり、その使い手を減らしてきた。

 新暦となった今では王侯貴族の血筋の他には、時折平民の間に生まれるだけで、その人口は一握りだ。それがこんな街中で偶然出会うなど、中々ない確率と言えた。

 さすが大陸中から人が集まる大都会というべきか。


(でも、そんな気配しなかったのに)


 納得がいかず首を捻っていると、背後から声がかかった。


「ありゃほうだね」


 仏頂面のヴァルである。振り返れば、後ろにハルウもいる。相変わらず、二人とも足音がしない。


「法具? って、神殿とかにしかないんじゃ……まさか、あいつ神職者なの!?」


 法具とは、神への祈りを基にしたと言われる神法の基本でもある神識典ヴィヴロスを刻み込んだ道具のことで、その道具が持つ能力を増幅させる効果がある。その製作は、神法の素質を持つちょう言師ごんしにしか出来ない。

 ちなみに、彫言師はその性質上神殿に属すことが多く、そのため法具もまた神殿が独占しているイメージがある。


「法具は一般にも出回ってるよ。高価ではあるけどね」


 横に並んだハルウが、笑顔で訂正する。だがレイは少しも納得できない。


「あいつ、全然金持ちそうに見えなかったけど」


 顔こそ整ってはいたが、纏っていた外套は裾が擦り切れていたし、腰に佩いていた革の剣帯も靴も、どこの歴戦の兵士かと思うくらいには使い込まれていた。


(ってことは、やっぱり男なのかな?)


 思い返してもいまだに自信が持てない。

 悩んでいると、険しい顔をしたままのヴァルが大事なことを質問した。


「ところで、あいつは誰なんだい」

「変態」


 即答した。初対面の女性の胸を推量する奴は、性別問わず変態である。


「……捕まえてこようか」

「あっ、違う違う、女の人だから!」


 笑顔のまま声を一段低くしたハルウに、レイが慌てて注釈を入れる。ハルウはヴァルと違って説教することは滅多にないが、よく分からないところでスイッチが入るから困る。


「そんなことはどうでもいいんだよ」


 押し問答を始めた二人を呆れたような目で見上げて、ヴァルが話を進める。その赤い双眸は、いまだ険しく、屋根の向こうに消えた姿を睨み付けていた。


「あいつから、王証おうしょうの気配がした」


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