第26話 それぞれの思惑
「下手くそ」
抉れているようにさえ感じる崖の下を見下ろしながら、リッテラートゥスは短く断罪した。
「申し訳ございません」
同じく隣で落下していく三人と一匹を見下ろしていたラリスが、丁寧に主人に向き直って低頭する。
反対側の足元では未だに神法士たちが付けた火が燃え続け、その周囲を軍人が固めている。火が燃えている間は魔獣は近付かないだろうが、リッテラートゥスにとってそれよりも面倒臭いのはいつだって人間だ。
それが戻ってくるまでに、リッテラートゥスはひとまずありったけの文句を吐き出した。
「小生は捕まえろと言ったのに」
「弁明の余地もございません」
「これで事態はますます面倒になった」
「あってはならないことでした」
「貴下、全然心が籠ってないだろ」
「仰る通りでございます」
「もう二度と小生の髪には触らせない」
「挽回の余地を頂きたく!」
「…………」
突然覇気のある回答が返ってきた。
相変わらずの変わり身の早さである。
「風鳳は無効化しましたが、建て直せない高度ではなかったはずです。落下地点を予測して神法の気配を追えば、今日中には居場所を特定できるかと」
リッテラートゥスの冷めた青眼に睨まれながら、ラリスは雄弁であった。よくもここまで豹変できるなと、相変わらず呆れてしまう。
「だったらすぐ」
「何のつもりだ、リッテラートゥス」
動け、と命令する前に、背後からドスの効いた声がかけられた。伯父のネストルである。
リッテラートゥスは面倒臭いという感情に蓋をして、印象の悪い目を細め、両方の口角を吊り上げた。
「伯父上。疲れは取れましたか」
「あぁ。怒りも相まって気力は十分だ」
「それは重畳」
自慢の笑顔で頷く。その襟首を強引に掴まれた。
「お前が邪魔をしなければ、ここであの忌々しい皇子を始末することが出来たのに!」
フィデス侯爵家の身体的特徴でもある吊り目を怒りに更に吊り上げて、ネストルが凄む。
帝国軍本隊で現在副隊長を務めるネストルは前線から退いて十年以上経ったはずだが、その上腕二頭筋にはまだ十分な筋力がついているようであった。
(つくづく似なくて良かった)
武人を多く輩出するフィデス家にあって武官事務を選んだリッテラートゥスは、毎回そう思う。そしてこれも毎度のことながら、相変わらず短絡的な発想だと首を横に振った。
「それはいけません」
「何故だ」
少しは自分で考えろ、という言葉を飲み込んで、リッテラートゥスは最も肝心な質問を先にする。
「兄上……皇太子は確保しているのですか?」
皇太子アドラーティを確保していれば、大抵の問題は消える。だがそうでなければ、我が身を滅ぼすところだったかもしれないのだ。
だが渋い顔をして力を緩めたネストルが、そのことを理解していないのは明らかであった。
「……いや」
果たして、ネストルはそう答えた。飲み込んだ溜息が出そうになる。
(フェルを殺した後で兄上が戻ってきたらどうするつもりだったんだ)
そしてそれがもし自作自演だった場合、考えるのも嫌になる。だがそんなことを言っても、今は時間の無駄だろう。
「では余計、弟になど構っている場合ではありません。先に兄上を見付けなければ」
だがこれに、ネストルはにやりと汚い髭面を歪めて断言した。
「じきに見つかる」
「確証が?」
「取引材料がある」
どこまでも自信満々な口ぶりに、リッテラートゥスは嫌な予感しかしなかった。
(何をしたんだ?)
ネストルが玉妃の子供たちを敵視していることは公然の秘密だ。常にアドラーティを太子位から引きずり下ろす機会を伺っている。他の六侯爵家以外にも、侍従たちを買収して情報を収集していても不思議ではない。
リッテラートゥスは、一つカマをかけてみることにした。
「それは、王証ですか?」
「知っていたのか?」
ネストルの太い眉が跳ね上がった。分かりやすい。だがこれにもネストルは首を横に振った。
「それはまだだ。恐らく、まだ第三皇子が所持している可能性が高い」
「あぁ。兄上なら、そう指示するでしょうね」
頷きながら、襟首を掴んだままのネストルの腕をとんとんと叩く。いい加減放してほしい。
(やはり、フェルはついに見付けたのか)
フェルゼリォンが子供の頃から城を抜け出していたのは、青い髪に向けられる様々な目から逃れるためであったことは、家族の皆が承知していることだ。だがいつ頃からか、それに目的が伴うようになってきたと、何人が気付いただろうか。
その変化の理由はリッテラートゥスには分からないが、幾つかの言動や情報から目的を推測することは容易であった。
父祖サトゥヌスが天から授かった王たる証――天剣は、剣先が欠けている。
魔王を討伐した際に欠けたサトゥヌスの神剣を模しているためとされているが、帝国史や他の史書を注意深く照らし合わせながら読み解くと、それが真実でないことは存外簡単に知れる。
史書の中に描かれたサトゥヌスの即位式では、天剣は欠けていなかった。だがその息子であるサナーティオの即位式では欠けている。
これもまたどこまで真実に忠実なのかは不明だが、少なくともレテ宮殿の玄関ホールにある巨大な絵画『神帝サトゥヌスの即位』の中では、天剣は欠けていた。
(思い切り描き直してあったしな)
ではその切っ先はいつ欠け、どこに行ったのか。
そのことに疑問を持つのも、致し方のないことと言えた。
「では尚更、一刻も早く弟を見付けなければ」
「僭越ながら、最後の一矢は胸に当たったようですが」
やっと話を戻せた、と思っていたら、離れていたラリスがそう口を挟んだ。
チッと睨むが、事実なので仕方ない。リッテラートゥスは面倒臭いと思いながら会話を誘導する。
「心臓に当たっていなければ、即死はしない」
「死亡していた場合はいかが致しましょう」
究極の問いをあっさり投げつけられた。ちらりとネストルを見る。
腕組みをして勝ち誇った顔をしていた。
「勝手に逃げて勝手に滑落した。何の問題もない」
「胸の矢傷をどう説明するつもりですか」
「どうとでもなる」
自信満々にそう言い切ったネストルに、リッテラートゥスはいよいよ頭が痛くなってきた。ついに堪えきれなくなった溜息とともに釘を刺す。
「……言っておきますが、先に見付けても殺さないでくださいよ」
「何故だ」
「そうなった場合、伯父上がフィデス侯爵家を危機に晒すことになるからです。大叔父上のように」
「何だと?」
大叔父の名前に、ネストルの形相が一気に悪化した。それもそのはずで、大叔父イグナウス公爵の名は、フィデス侯爵家では現在、禁句も同然であった。
イグナウス公爵は前帝の異母弟で、その母である令妃の生家はフィデス侯爵家だ。しかもその髪は、なんと誕生時には青みがかった栗色だった。
貴重な青の王子を得たフィデス侯爵家は、一躍時の権勢家となった。ハィニエル派を筆頭とした神殿側も次々に接触し、いずれ異母兄が玉座につけば、数年後か十数年後には譲位が約束されたようなものだった。
だが肝心のイグナウスは、悲しいくらいに凡庸だった。青の王子として持てはやされ、物心つく頃には自分は特別な存在だと思い込んだ。我慢と努力を嫌い、与えられるままに生きた。
徐々に髪色が濃くなり、十歳を過ぎる頃には青みの残滓も見当たらなくなっても、イグナウスは変わらなかった。当然のごとく譲位はなされず、結局十六年前の軍での汚職事件が契機となり、宮廷から公爵領へと追い出された。
それが決定打となり、フィデス侯爵家はついに現皇后の生家アウデンティア侯爵に権力を奪われ、フェルゼリォンの誕生後はラティオ侯爵家にまで後れを取る羽目になったのだ。
フィデス侯爵やネストル伯爵が帝位に躍起になるのは、そうした理由もあった。
「私を、あの血筋だけのろくでなしと同列に語るか!」
やっと離れたと思った腕が、再びリッテラートゥスの襟首を締め上げる。ネストルの額に、薄っすらと青筋が浮いていた。
どうやら言い過ぎたらしいと察するが、全て事実だ。フェルゼリォンを殺されてしまっては、挽回も後戻りも出来なくなる。その方が面倒くさい。
「まさか。ですが、今我々は好機であると同時に危機でもあるのです。そのことを承知いただいた上で」
「もう良い。お前は城に戻っていろ。後は私が指揮する」
「伯父上」
「殺しはせん!」
なおも引き下がると、怒声と共に岩の上に叩きつけられた。腰をしたたか打つ。
「ったぁ」
「殿下」
すかさずラリスが背後にしゃがみ込んだ。当然、大丈夫かと気遣われるのかと思ったのだが、
「帰ってよいそうですが」
「…………」
真顔でそう言われた。やる気が萎えた。
リッテラートゥスは途端に詰まらなくなって、早々に帰ることにした。
挨拶も勝手に省略して、ラリスが作りっぱなしにしていた岩の階段に向かう。その下ではいまだに魔獣避けとして燃えている木々があり、そこを通り抜けるだけでも汗を掻きそうで嫌だなぁと考えたところで、肝心な用件を思い出した。
あぁ、と声を上げてネストルを振り返る。
「帰る前に、一つお願いをしても?」
ネストルの眉間の皺がすかさず倍増した。




