第22話 リォー、捕まる
ザザッと土を擦る音が耳の中で響き、左肩に鋭い痛みが走る。だがリォーはすぐにその場で体を回転させて立ち上がった。
(相殺されたか!?)
風の盾があるからと油断していた。破壊したか無効化したかは分からないが、この反応の速さは神法士でも精鋭だろう。
「レイ!」
更に後ろの方で黒猫――ヴァルの叫び声が響く。
相殺された影響を最も受けるのは神法の行使者だ。慣れない者は気絶するほどとも聞く。
「立てるか!?」
「……へい、き!」
振り返らぬまま問うと、強がった声が返ってきた。初めての実戦だろうに、意外と根性はあるらしい。だが。
(どうするか)
リォーの目的は宮廷の誰にも捕まらないことだ。だがレイは違う。
王証のために一緒に逃げてはいるが、捕まっても皇太子誘拐の犯人とまではされないはずだ。どの派閥でも、プレブラント聖国の王女を殺すことの意味を理解していない愚か者はいない、と信じたい。
(置いていくか)
神法を連続して行使すれば、当然だが疲弊する。慣れない者なら倒れることもある。レイは今までの対応を見るからに、どう見ても実戦は初心者だ。足手まといになるなら、これ以上行動を共にする理由はない。
そもそも、一緒に逃亡していることが知られれば、その時点でレイの証言も効力はなくなる可能性もある。そうなれば、リォーにとってもレイと一緒にいる益はない。
「おい」
逡巡は一瞬。
背後でハルウに支えられながら起き上がったレイに、リォーは端的に告げた。
「二手に分かれるぞ」
「……どうやって?」
レイの反応は悪くはなかった。身を低め、リォーのすぐ後ろに膝を付く。
「俺が下に降りる。その間にお前はこのまま道を突っ切れ」
「勝算は?」
「ないのに提案するかよ」
適当な軽口を叩く。十人程度なら負ける気はない、と言いたいところだが、神法士の実力によっては分からないのが本音だ。
だがそれを馬鹿正直に言うつもりはない。レイは完全には信じきれない目をしつつも、最後には頷いた。
「……分かった。落ち合う場所は?」
「あぁ……。旧道の出口で」
何もなければ辿り着く予定だった場所を適当に口にする。
そこに別の声が割り込んできた。
「フェルゼリォン殿下とお見受けする! 投降すればこれ以上の攻撃は加えない!」
木々を揺らしながら、姿を見せない敵が名乗りも上げず要求する。当たっても構わないような弓引きをしたくせに、よくも言うものだ。
「リォー、まさか……」
「三つ数えたらもう一度盾を作れ」
投降するのかと狼狽えるレイの言葉を遮って告げれば、レイがハッと顔を上げる。
肩越しに振り返れば、レイの橄欖石のような瞳と目が合った。緑濃い森の中で見るレイの瞳は、陽光を受けた湖面のように複雑に輝いているなと、リォーは場違いなことを思った。
「走るぞ」
「……うん!」
言うと同時に互いの心の中で数を数える間に、リォーとヴァルが駆け出す姿勢を取る。レイの体の前に再び空間の歪みが生まれる。その気配を、離れている帝国の神法士もすぐに気付くだろう。その前に、リォーとヴァルがそれぞれの向きへと飛び出した。
「ッ」
レイとハルウが遅れてヴァルに続く。それを、無意識に目の端で確認してしまった。
ヒュンッという風音に反応して前を向いた刹那、目と鼻の先に火でできた矢があった。
「ッ!」
ぐっと首を限界まで真横に捻って躱す。右足が砂利に滑りながらもどうにか着地する――その爪先に二の矢が来た。
咄嗟に剣で払う。だがこれを構成しているのはただの火だ。弾き飛ばせない。
普通の剣ならば。
「なめんな!」
長剣が触れた個所から、火矢がバジュッという独特の音を上げて真っ二つになった。リォーの爪先から、着地点を僅かにずらす。代わりに、踏み潰した草の先が黒く焼け焦げた。
リォーの剣は風靴同様神言が刻まれた特別な仕様で、消し去るという意味のレスティンギトゥルの名を持っている。ある程度の神法であれば物理的に破壊できた。
(殺す気満々じゃねぇか)
第一矢だけなら、魔獣だと思って牽制したといえばあり得る程度のことだった。だが既に相手はリォーと断定している。
宮廷神法士なら、ある程度の遠見も出来る。その上でのこの殺傷能力では、意図は明らかであった。
(先に神法士を無効化しねぇと)
そのために、どう回り込むか。
だが悠長に考えている時間はなかった。この間にも矢の形を模した真っ赤な火の塊は容赦なくリォーを狙い、矢羽根を持つ矢もまたその隙を埋めるように追撃してくる。
リォーはそれらを避けたり落としたりしながら、幹を遮蔽物にしてじぐざぐに山の斜面を駆け下りた。すぐに、根が大岩に張り出した陰に帝国軍の制服を捉える。黒地に青糸の縫い取り。
見える限りで弓兵三人に神法士一人。岩陰に更に何人か。
(やれるか)
自問は一瞬。目視できた二人が弓の弦を引き絞るのと同時に、リォーも木の陰から飛び出した。
ギュン!
と凶悪な音を立てて眉間を狙ってきた矢を首を捻って避け、二本目を下から切り上げる。次の足で地を蹴り、風靴の力で高く跳躍、岩の真上に着地する。その勢いを乗せて、敵の頭上から斬りかかる。
「放て!」
その横面目がけて、冷気を纏う氷の刃が幾つも並んで放たれた。
「ッらぁ!」
真下に振り下ろしかけた刃を、強引に氷弾が迫る方に振り切る。ガガッと幾つかの氷を削る、が威力までは殺しきれず、足元がぐらついて岩から転げ落ちる。それを追って、更に氷弾が迫りくるのを、無様に転がりながら避ける。ズガガガッと背後の岩に突き刺さる氷を横目に跳躍し、そのまま岩陰に隠れていた無手の軍人――神法士の頭に飛び蹴りした。
「こんの!」
「ぐあっ!」
苦鳴が上がる。が、手応えは薄い。不可視の盾を作ったのだ。だが。
「甘い!」
彫言の剣でなら斬れる。斬り裂いて出来た隙間に、つま先を捻じ込んで蹴り飛ばした。
その背に刃風が唸る。
「御免!」
「させるか!」
背後から後頭部を狙ってきた剣を、気絶した神法士の胸を踏み台にして振り返りざまに弾き飛ばす。白刃がギンッとたわみ、軍人が後ろにたたらを踏む。
(もう一人の神法士はどこだ)
大岩を背に、残りの兵士を警戒して視線を辺りに滑らせる――その目の前で、今飛び越えたばかりの大岩が爆発した。
「なッ!?」
大粒の破片が、すぐそばにいたリォーの体を無数に打ち付ける。咄嗟に剣を盾にして後ろに跳ぶが、全てを防げるはずもない。肩に、腿に、額に痛みが走る。
リォーは躱しきれず、ついにその場に膝をつく。その土が、ぼごりと盛り上がった。
(落とし穴……じゃない、檻か!)
咄嗟にレイの神法が頭をよぎったが、土は避けるどころかリォーの頭上まで伸びあがる。そして歯が噛み合うようにして、ぐしゃっとその口を閉ざした。完全な暗闇の中、ポロポロと僅かに砂粒が降ってくる。
(くそ……殺すと見せかけて、これが狙いか)
立てたままだった剣の石突で天井部分を突いてみるが、簡単には崩れそうにない。これが逆だったならば切り崩せたかもしれないが、刃先は地面をつつくくらいしか動かせない。時間をかければ脱出は可能だが、その間に土壁の向こうに増援が配置されるだけだ。そうなれば、逃げ場はない。
さてどうする、と考えるその耳に、鈍い声がかかった。
「お探ししました。フェルゼリォン殿下」
土壁を隔てているせいでくぐもった声だ。他にも、足元から複数の軍靴が歩み寄る音が響く。
結局、気絶させられたのは神法士一人だけだった。岩に隠れてもう一人いたから、今この壁の向こうには最低五人はいる計算になる。
逃げるには骨が折れると思いながら、リォーは軽口を叩いた。
「死体を、だろ?」
「皆、心配しております」
喋っているのは班長だろうか、その声は台本でも読むように単調だ。
(探れるか?)
まずは、この兵士たちがどこの配下で、誰の指示のもと動いているかを知る必要がある。
「そうか。兄上はどうしてる?」
「……鋭意捜索中です」
「それは知ってる。俺が聞いたのはリッテラートゥス兄上の方だ」
「……心配していらっしゃいます」
「へぇ。そりゃありがたい」
自分の声が狭い空間に反響するのを聞きながら、リォーは連中がリッテラートゥスとは顔を合わせていないことを知る。
リッテラートゥスの性格なら、まずリォーの行動を知れば呆れ、馬鹿にする。そして面倒くさがる。心配は最後にあるかどうかだ。
そしてリッテラートゥスの息がかかっていないのであれば、それを隠す必要はない。近衛なら大抵が知っていることだからだ。
つまりこの連中は、リッテラートゥスの麾下ではない。だが、第二皇子派寄りの可能性は高い。
(第三皇子を支持する連中なら、あそこまで攻撃的にはならないし)
問題は、第二皇子がどこまで関わっているかだが。
(リッテ兄上のことは……まぁいいか)
兄弟の中でも最も我が道を行くのがリッテラートゥスだ。子供の頃などは、学校の課題として魔獣を食用転化するからと試食を迫られたり、似顔絵を青一色で描かれたりなど、変な記憶しかない。
帝位についての執着を感じたことはないが、国の行く末について真面目に語る姿はとてもではないが想像できない。
(さて、次をどうするか)
すぐに殺されることはないだろうが、捕まってしまえば退路は無くなる。そう、思量を巡らせた時だ。
「そのまま入ってて!」
女の、よく分からない怒号が木霊した。
「ッ誰だ!」
ザザッと周囲が動く。だがその音を呆気なく消し去る程の轟音が、更に周りから押し寄せた。
(まさか……!)
嫌な予感とともに、握ったままだった剣を力任せに足の間に突き立てる。そして。
「水が!」
「神法士か!」
続く怒号と悲鳴も押し流して、どどうどどうっという野太い振動が土の檻の周囲を完全に飲み込んだ。それが続くこと、十数秒。
(……止んだか?)
雨後の濁流のような音がまだかすかに遠くに聞こえたが、それでも人の気配はもう感じない。
代わりに、細い光が幾つか、頭上から射し込んできていた。
「全然ダメじゃない」
水を含んだ自重でボロボロと崩れる土の向こうから、腰に手を当ててレイが現れた。傍らには、濡れた地面を嫌うように歩くヴァルと、ハルウもいる。
「……情報を引き出してたんだよ」
「はいはい」
ぼそりと呟くと、子供をあやすように受け流された。我ながら、苦し紛れにしか聞こえない言い訳ではあったと思う。
リォーは憮然としながら、柔らかくなった土塊を跨いで抜け出した。
(それにしても)
周囲を見渡すと、ここだけ豪雨が降って川になったかのように、一本の泥濘道が出来ていた。草は斜面の下に向かって綺麗に倒れ、落ち葉や枯れ枝は浚われて消えている。
土の檻だけは、神法士の力が残っていたせいでどうにか形が残ったようだが。下手をすればリォーまで一緒に流されていた可能性もある。その場合の惨状たるや、想像したくもない。
「お前、もうちょっと力の加減はできないのか?」
「えっ」
引きつり気味に視線を戻す。
ふふんっと勝ち誇ったように上がっていたレイの口元が、びしり、と固まった。




