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第21話 初戦闘

 先頭に立ったリォーが、短剣を取り出して枝葉を切り払い始めた。

 見えない追手よりも、魔獣の包囲を抜けることを優先することにしたのだ。レイもまた、時折肌を打つ枝や葉の鋭さに怯まず進む。

 だがそれも、緑の天蓋がまばらになり、生命力旺盛な草木の間に大きな岩がごろごろと転がる地形に変わった頃には意味を成さなくなった。


 ぎゅる……ぎゅるる……


 まるで腹の虫が鳴くような音が、まず耳に付いた。ぎゅるる、ぎゅるぐると、進むたびに音が幹に反射し、あちこちから聞こえてくる。

 何の音かと、問うことはしなかった。


(魔獣の、鳴き声)


 何の、という疑問の答えは、斜面の陰から静かに現れた。


穴狗狗キュオーンか」


 リォーが足を止める。

 岩陰の間から現れたのは、ヴァルと大して変わらない体躯に、猪のような頭部を持つ、犬に似た生き物だった。全体の体毛は黒茶色だが、腹毛だけが赤い。鼻が潰れているのは穴を掘る習性があるからで、その鉤爪はまたくわのように長く伸びている。

 体躯から想像する通りそこまでの力はないが多産の種で、数が多く、食欲が旺盛なのが厄介であった。


「腹を空かせた奴らはしつこい」


 舌打ちしながら、リォーがしゅらんと剣を引き抜く。

 レイの背筋が再びぞわついた。


「……戦うの?」

「仕方ない」


 リォーの首肯に、レイは生唾を飲み込んで初めての臨戦態勢を取った。と言っても、リォーの見よう見まねだ。両手に集まる水の気配を意識しながら、数メートル先の魔獣を睨み据える。

 その背に、ヴァルの怒号がかかった。


「レイ、後ろ!」

「ッ!?」


 反射的に振り返る。その視界に青空と、覆いかぶさるように穴狗狗の赤い腹が見えた。


「ッ!」


 ぎゅるる!


 喉で反響する唸り声と獣臭さがすぐ眼前に迫る。目は決して瞑るなと護身術の先生に散々教え込まれたせいで、その潰れた鼻の皺までよく見えた。

 だというのに、神言は喉に引っかかったように出てこない。


(む、無理……!)


 ひゅっ、と息を呑む。その鼻先で白刃が横凪ぎに閃いた。


 ぎゃん!


「!!」


 何が、と理解する前に、穴狗狗の体躯が真横に吹き飛んでいた。真っ赤な血の筋がその後を追いかける。


「ぼさっとすんな! 神法は!」

「ッ……わ、分かってる!」


 リォーの怒号と翻る剣身に、レイは一拍遅れてどうにか怒鳴り返す。それでも、声の震えには気付かれてしまっただろう。だが、今はそんなことを恥と思っている余裕もなかった。


「こ、こいねがうは……」


 声がしつこく震える。その間にも次々と穴狗狗は現れては飛びかかってくる。

 レイの目の前で、リォーは跳躍した一匹を一刀のもとに斬り伏せ、ヴァルもまたレイに近付こうとする一匹を威嚇して遠ざける。


(しっかりしろ私!)


 レイは自分の両頬を思い切り打ち挟んだ。


「希うは始源の天水あめ、全てを押し流せ、雨幕うばくうで!」


 叫ぶ。

 途端、雨雲もないのに瀑布のような雨が轟音を伴って出現し、斜面の向こうの穴狗狗を打ち付けた。

 ギャッ! という潰れた声が幾つも重なる。斜面を跳ねた水が奔馬のように地表をのたうち、そこから更に幾つかの個体が一緒に山の下へと押し流された。

 その水が、レイの足下にも大量に流れてきた。


「バカ!」


 苦情を言ったのは、当然というかヴァルであった。ぴょんとレイの肩に飛び乗りながら、魔獣と同じ体躯が切実な文句を上げる。


「そういうのは低地に向かってやっておくれ!」

「ご、ごめんっ」


 経験不足を如実に詰られた。

 だがそんな間の抜けた瞬間にもぎゅるっという鳴き声が耳に迫る。

 ハッと振り向く、その前にザッと布を袈裟に裂かれた。


「!?」

「レイ、危ない!」


 外套に魔獣の爪が引っかかったのだ、と理解する前にハルウに腕を引っ張られた。そのまま、バランスを崩してハルウの腕の中に倒れ込む。

 レイの肩にいたヴァルが再び飛び出す。


「レイ、短剣!」

「っ、うん!」


 言われて、やっと腰に隠した短剣を思い出す。

 神法の先生も、神法に慣れない間は片手に護身用の武器や盾を構えておくことは心にも余裕を生むと言っていた。


「ちんたらやってんな! 進め!」


 やっと短剣を右手に構えたレイに、リォーが更に一匹を斬り捨てながら叫ぶ。


(そうだ。戦うのが目的なんじゃなかった)


 戦闘に慣れない間は、目の前のことに気を取られて目的を見失いやすくなる。それもまた聖砦で教えられたことだった。


(逃げるために戦うんだ)


 そこでやっと、レイは僅かながら冷静さを取り戻せた気がした。常に数歩前を行くリォーの背を見付け、追いかける。

 リォーは、半分以上潰れている道を乱暴に切り開きながら進んでいた。その背にも数匹の穴狗狗が執拗に追いすがっている。


(でも、アイツなら大丈夫)


 だから構わず、レイは枕詞を唱えながらくるりと背を向けた。しつこく迫る魔獣の一群に両手を向ける。


「希うは一穿いっせんあなぐら、顎を開け、奈落の陥穽かんせい!」


 瞬間、岩陰のあちこちから延々と増え続ける穴狗狗とレイとの間に、ボゴンッと地響きを上げて大穴が口を開けた。


 ぎゅぐ!

 ぐるる!


 飛びかかろうとしていた前線の数匹が、ズザザッと陥没した土に巻き込まれて消える。その後ろでも、流石に穴に飛び込む気はないのか数匹が躊躇し、たたらを踏む。


「良くやった!」

「うん!」


 ヴァルの声に気をよくして、今度こそリォーを追いかけて踵を返す。数歩先に見える背中までの間に、ざっと見ただけでも五匹以上の穴狗狗の死骸が転がっていた。速い。

 それらを飛び越えて、やっと追いつく。


「リォー!」

「無事か」


 目だけで振り向いたリォーに是と答えようとして、レイは目を剥いた。


「リォー、血が!」


 頬と左の二の腕に、爪でやられたのか赤い線が走っている。

 だがリォーは少しも構いもせず先を急ぐ。


「掠り傷だ。それより、血に惹かれて他の魔獣も集まり出す。止まるなよ」

「うん」


 本当は、連続して手加減なしの神法を使ったことで、早くも肩で息をするほどに疲労を感じていた。加えて辺りには風に流されきれないほどの血臭が立ちこめ、頭がくらくらする。

 だがこんな所で揺らいでいる場合ではない。ヴァルとハルウもついてきていることを視界の端で確認して、全速力のリォーに必死でついていく。


(聖大母様。女神ユノーシェル、どうかご加護を!)


 胸元の首飾りを握り締めて祈る。

 その間にも張り出した枝を強引に押しのけ、倒木を一跨ぎで越え、時に追いついた穴狗狗の潰れた鼻先を短剣で弾き返す。

 一歩進む度にあちこちに擦り傷が増え、返り血が服を汚していく。だが足は止めなかった。何より、数歩前を行くリォーの気魄は凄まじかった。

 行く手に何匹の魔獣がいようが速度を落とすことなく突っ込む。冷静に、淡々とその黒茶色の四肢を切り捨てる。新しく買った外套は早くも裾が破れ、あちこちに鮮血が染みついていた。


(強い)


 一人であちこちを放浪していたという言葉が伊達ではないと、その身で証明していた。


「数が減ってきた」


 周囲への警戒は怠らぬまま、リォーが僅かに速度を緩める。この頃には、レイも神法のせいばかりでなく息が上がっていた。ヴァルは平気そうだが、ハルウは手を膝につき、今にもへたり込みそうだ。


「ハルウ、大丈夫?」

「僕、走るの、嫌い……」


 補充~、と言ってハルウの手がレイに伸びる。それを呆れて眺めながら、リォーが剣に付いた血を振って落とす。


「穴狗狗の縄張りは抜けたかもな。このまま、」

「隠れな!」


 リォーの声を遮って、ヴァルの怒号が山肌に木霊した。

 最初に反応したハルウが、レイを攫うようにして眼前の木の幹に入った。続けてリォーもその場で身を低くする。そのすぐ目の前で、カン! と甲高い音を立てて木肌に何かが突き立った。


「矢……!」


 樹皮を裂いて刺さっていたのは、一本の矢であった。ヴァルにはこの矢羽根の風切り音が聞こえたらしい。


「まさか……帝国軍!?」

「派手にやりすぎたか」


 レイの言葉を肯定するように、リォーもまた這って辿り着いた幹に背を預けて唸る。その言葉に、レイは「あっ」と声を上げた。


「私のせい……!?」

「いや、魔獣の騒がしさに偵察を出したくちだろう」


 水や地響きのせいかと青くなるレイに対し、リォーの推察はあくまで冷静であった。

 確かに、北門を出た時点で既に応援があった。更に森を捜索する間に増員を呼べば、山での騒ぎに気付くのも時間の問題だったろう。特に弱い魔獣などは警戒や威嚇の鳴き声を上げて縄張りを主張する。常には静かな山中に異変があれば、捜索の手を伸ばすのは道理だ。


「どうするの?」

「さて、数によるが」


 斜面下の木々の間に、リォーが素早く視線を滑らせる。初夏の山は緑も豊かで、その分見通しが利かない。だが。


「ヴァル。人数は分かる?」

「五……六人。まだ増えるみたいだね」


 音もなく足下に寄ってきたヴァルが、長い耳をそよがせて答える。まごついている暇はなさそうだ。


「姿を隠して進む?」


 慣れない血臭と死骸による吐き気は、大分収まってきていた。まだ発見されていないうちであれば、眩惑の神法が有効のはずだ。

 だが二本向こうの幹から先を窺ったまま、リォーは否と答えた。


「多分無駄だ。矢の正確性から言っても、いるのは弓法科だろう。それにお前、音は消せないだろ」

「うっ……」


 帝国軍には遠距離攻撃支援部隊として弓兵と神法士の所属する弓法科がある。特に前線に出る神法士は攻撃支援に長け、味方の不利を様々な手で引っくり返すのを得意とする。

 障害物だらけのこの山道で音を消せなければ、レイの神法など意味はほぼない。


「それよりも、盾みたいな障壁は作れないか?」

「! うん、出来る」

「だったら駆け抜けた方が早い」

「分かった!」


 相変わらず繊細さの欠片もない作戦ではあったが、防御を優先するという考えに、レイの意思も決まった。風の神への枕詞を唱え、リォーとハルウにも目配せする。


「希うは一陣の風巻しまき、全てを阻め、鉄壁の風盾ふうじゅん


 レイの神言に誘われるように周囲の風が蠢き出し、盗み聞きした時の振動とは比べ物にならないうねりが鼓膜を揺らす。そして数度の瞬きの後には、手を翳したすぐ先の景色が歪んで見える程の風の壁が出来上がった。

 両手を伸ばしたよりも少し大きい程度だが、固まれば全員入れる。


「行くぞ」


 リォーの合図に、レイとハルウが幹から顔を出す。ヴァルもその足元について走り出し、リォーも途中で合流する。

 そのまま、ひとまず頂上方面へ向けて全員で走り出す――その横面を、見えない何かが吹き飛ばした。



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