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第20話 魔獣との遭遇

 山登りは、徐々にその傾斜を増していった。

 踏み固められただけの旧道は半分以上が雑草に侵食されて道の体を成しておらず、あったとしても倒木で塞がれるなどしていた。

 しかし更に不安を掻き立てられるのは、その倒木のあちらこちらに猫ではきかないほど太い爪研ぎらしき跡が散見されることだ。


「本当に大丈夫なの?」


 なるべく枝葉を折らないようにして進むリォーの背中を追いながら、小声で問う。森の中では聞こえていた鳥の囀りも、進めば進むほど聞こえなくなってくるのがまた不安を誘う。


「お前、枕詞は省略できないのか?」

「それはまだ……って、危ないの?」


 足を止めずに返されたリォーの質問に、レイは嫌な予感がいや増すのを抑えきれなかった。

 だがこれに答えたのはリォーではなかった。


「魔獣の生息域には既に踏み込んでるけどな」

「えっ」


 ヴァルの不穏な発言に、思わず濁った声が出る。

 最後尾をちんたら進むハルウも「えー?」と不満の声を上げた。


「そういうことはもうちょっと早く言ってよー」

「言っても仕方ないだろ。後ろには帝国の連中が来てんだから」

「まぁそれもそうかー。奴らはさくっと皆殺しに出来ない分、魔獣よりも相手するの面倒臭いもんね」

「み、皆殺しって! 一人でも殺しちゃダメだからね!?」


 物騒な会話をする二人に、レイは我に返って慌てて制止した。

 言いたいことは分かる。分かるが、そこは考えたくない。

 神法は神の奇跡を許されることから始まったが、その技術や体系が発達したのはやはり戦争期であった。その影響を色濃く残すように、協会編纂の基礎神言集のほとんどは対人用、対戦闘用が圧倒的に多い。

 それでも、レイは誰かを傷つけるために神法を使いたくはなかった。

 だがそもそも基礎知識が間違っていたようで、リォーまでが呆れたように注釈を入れてきた。


「そもそも、クラスペダの魔獣は討伐許可がなければ手出しは原則禁止だ」

「そうなの?」


 そんな決まりがあるとは知らなかった。だが確かに、帝都の目と鼻の先で日々魔獣と小競り合いをしていては、街道は常に封鎖の危機かもしれない。


「現代に残っている魔獣に破滅的な凶暴性はないし、人肉ばかりを好むわけでもない。それに、サトゥヌス帝と竜蜥蜴グアンロンとの約束もあるしな」

「藪をつついて蛇を出すなってこと?」

「まぁ、そんなとこだろ」

「へぇ」


 そもそもこの山には魔獣避けの法術がある以前に、国の他にも、山に接するウィーヌム州とユウェニス州とがそれぞれ官を置き、魔獣と山全体を管理している。

 絶滅危惧種を保護することまではしないが、魔獣の乱獲など、人間種ピリトスからの一方的な搾取を防ぐ目的はあるらしい。

 意外に無秩序でないことに驚いたレイだったが、これにもハルウがにこりと嘴を挟んだ。


「でも自衛のためなら構わないはずだよね?」


 視線を受けたリォーが、不機嫌そうに目を眇める。


「それでも、一番は殺さないことだ」

「あぁ、逃げるってことね」


 にこにこぴりぴり。


(仲悪いなぁ)


 二人が会話をするだけで、どうにも空気が悪くなる。女装させられたことをまだ根に持っているのだろうか。

 どちらにしろレイが解決できる話でもない。レイは殺傷能力の低い水の神への枕詞を先に唱えることにして、もう一つ気になることを聞いた。


「それはそうと、皇太子を攫ったのが誰か、目星はついてるの?」

「ついてるわけないだろ」


 あっさりと嫌な答えを返された。今度は振り向きもしない。


「ちょっと、それって大丈夫なの?」

「部屋もあらためてないのに分かるかよ。大体、誰が攫ったにしろ、追ってくるのは帝国軍に変わりはない」

「それはそうだけど……」


 理屈では分かるが、聞いた分だけ不安にならざるを得ない。

 それを察したのか、リォーは首だけを振り向かせて言葉を足した。


「一番まずいのは、第二皇子派の連中に捕まって犯人に仕立て上げられることだ。そうなったら、兄上が今は無事でも、俺が拘束されてる間に裏で暗殺される可能性が高くなるし、取り調べで天剣クシフォスを取り上げられたらそれこそ終わりだ」


 二妃制になってから、妃は常に生家の代理戦争をしているようなものだ。そしてその争いは、子供たちにも強制的に引き継がれている。

 現在は皇太子アドラーティと第二皇子リッテラートゥスを掲げる派閥が水面下で睨み合い、常に間諜を送り合っては互いの足を引っ張ろうと目を光らせている。

 そしてそれは、皇子か侯爵家のどちらかが僅かでも失態を犯せばすぐに決着がつくだろう程度には危うい。

 皇太子が自分から消えたのか攫われたのかは別として、この状況を利用しようと考える輩は必ず現れる。加えてそこに王証を手にした者が現れれば、大勢たいせいは必然的にそちらに傾くだろう。


「第三皇子派とかに助けてもらえば良かったんじゃない?」


 派閥と言えばと、カーランシェ皇女の誕生会で見た心酔者を思い出す。彼に助力を乞えば、リォーの身の安全だけでも確保できそうなものだ。と思ったのだが。


「あんな奴らなんかに、貸しの一つでも作ってたまるか」


 リォーは苦虫を噛み潰したような顔で口をへの字に曲げた。予想外の嫌いようだ。どうやら、あの夜は表情筋を総動員して無理やり笑顔に固定していたらしい。


「大体、連中にそんなことを頼んでみろ。俺を密室に閉じ込めてる間に兄上を始末されかねない」

「すごい飛躍……」


 つい顔が引きつった。それでは心酔というより狂信ではないか。


「そこまでなの?」

「あぁ。昔、サエウム州で不作と魔獣の襲来が重なって飢饉が起きた時、第三皇子派だと名乗る狂信者が兄上を襲撃する事件が起きたくらいだからな」

「え、なんで?」

「俺を皇太子にしないからサトゥヌス帝が怒ったんだと」

「うわぁ……」


 あまりの短絡さに、レイは引き気味の声を上げた。

 確かに、リォーが皇帝となるためには、兄皇子たちを押しのける理由が要ることは分かる。だがリォーを皇帝にしたとしても災害は無くならないし、地上は楽園になったりもしない。

 そもそも神々が人々の生活に関わっていたのは何千年も昔の話だ。四百年前の双聖神降臨と魔王討伐は、神々が天上に昇って以来唯一の例外イレギュラーと言える。

 今や、神の子供たちに奇跡を起こす力はない。

 それを神孫たちは身をもって知っているが、外側から――民から見たら、違うのだ。


(普通に、生きて死ぬのに)


 まだ神を見ている。そういうことなのだろう。


「だから、最も大事なのは兄上の捜索ではなく、俺自身がどの派閥にも捕まらないことだ」

「……じゃあ、お兄さんは探さないの?」


 淡々とした正論で締めくくるリォーに、レイは探るような声でそう聞いていた。

 リォーは城を出てから一度も、皇太子を探そうとも、その安否を気遣うことも言わなかった。聞いてはいけないのかとも思って、レイもあえて今まで話題にしなかった。

 だが理路整然と説明するリォーのその横顔が、語れば語る程冷めていくように見えて、レイは居たたまれなくなった。

 王証の交渉をするのはリォーの安全が確保されてからという条件であり、皇太子のことは関係ない。だが室内に血痕があったという話だったし、きっと心配しているだろうと思ったのだが。


「……分からない。侯爵家の様子を見てからだな」


 私情のない意見だけを短く述べて、ふいと前を向く。その眼差しに落ちた一瞬の影に、あぁ、と思った。


(やっぱり、心配だよね)


 盗み聞きした時の様子から、二人が互いに心を許しているのは感じていた。兄弟は他にもいるとは言え、同母の男児は二人だけだ。

 リォーは自分の特別な髪色が嫌いと言っていたし、それを理由に疎外されていたこともあるのかもしれない。その動機が信仰でも迫害でも、子供が受ける寂しさに変わりはない。


(その時に、味方になってくれたのがお兄さんだけだとしたら)


 それは、きっと大きな救いだろう。例えばレイにとっての祖母やハルウのように。


「あの、やっぱり、探しに――」


 いこうよ、と言おうとした声に、がささっという別の音がかぶさった。草を踏む音だ。


「!」


 先頭を行くリォーが、真っ先に身構えた。気配を殺して腰の剣に手を伸ばす。


「追手……?」


 レイもそれに並びながら、両手に水の気配を濃くする。

 これに、ヴァルが足元で鼻をひくつかせながら答えた。


「違う、獣だ」

「獣って、ま、魔獣?」


 音のした方――胸まで茂った夏草で見通しが聞かない道の先を、両手を構えて睨む。けれど初めての魔獣との遭遇に、レイは冷静にと言い聞かせるのも忘れるほど手が震え始めていた。


(ど、どうする? もう唱える?)


 レテ宮殿の時や、街道の時とは勝手が違う。未知の脅威に、否応なく恐怖が湧き上がる。耳のすぐ内側でどくどくと血流が激しく脈打ち、喉が渇き、汗が手に滲む。

 その間にも草や落ち葉を踏む音はどんどん明瞭になり、そして。


《――余計ナモノヲ連レテキタナ》

「!?」


 意味の理解できる言葉の羅列が、ぼそりと耳に忍び込んできた。しかしその声は口の中でくぐもったように聞き取りにくく、どこか気持ちの悪い抑揚がある。

 やはり追手かと、レイが更に緊張で身を硬くする。その前で、ついに目の前の草が踏み分けられる。

 そして現れたのは。


「なっ……」


 ヴァルの言の通り、獣であった。

 ただし山羊のような体と髭を持ちながらも、顔と角は荒々しい雄牛。肩は不自然に盛り上がり、灰色の額には縦に裂けたように開く三つ目の目がある。

 その姿は正しく異形で、天地辰気より自然に生まれ出でた生き物の必然性は欠片も見当たらない。

 山角羊トラゴス。風を操る知性ある魔獣である。


「こ、希うは――」

「やめろ」


 無意識のうちに口走っていた神言を、リォーの鋭い声が止める。


「まだ手を出すな」

「!?……う、うん」


 なぜ、と思ったのは一瞬で、レイは息を呑んでその指示に従った。

 山角羊はリォーを見ている。ヴァルもハルウも臨戦態勢ではあるが、動いていない。


(まさか、人語を解するから、話をしてみるってこと?)


 レイにとって魔獣とは、書物の記述の中に現れる人に害なす危険な生き物でしかなかった。あるいはヴァルの昔話や、エフティーアに来る護衛から聞く、旅を邪魔する倒すべき敵の一つ。遭遇した時にすべきことは、魔獣の種類や生態を素早く理解し、どんな神法が最も有効で、あるいはどうすれば命を守れるのかを考えることだ。

 だが、リォーはそのどれとも違う行動をとった。それは、今のレイからはとても出てこないような発想で、あまりに価値観が違い過ぎた。新しくもうひらかれたような気さえして、レイはこんな時だというのに別の意味で震えてしまった。


(なんか……すごい)


 一時、同い年だからという対抗心も忘れていた。

 何がとは言えないけれど、心が俄かに湧き立つ。

 恐怖心と好奇心が入り混じるレイの目の前で、リォーは柄に手を掛けたまま、慎重にその口を開いた。


「縄張りを荒らして済まない。まずは謝罪する」

《……出テイケ》

「勿論出て行くとも。だが後ろには引き返せない。通過することを目溢めこぼし願う」

《喰ラウゾ。棲ミ処ヲ荒ラスモノハ喰ラウ》

「分かっている。何かあっても、あんたたちの巣には近付かないと誓う」

《…………》


 山角羊の鼻息は荒くも、その先の言葉はなかった。横長の瞳孔を持つ両目には変化がないが、代わりに額の目が細められたり開いたりしている。それは邪なものを見極めようとする本能の顕れのようで、レイは何故か肌が粟立った。

 果たして、睨み合うこと十数秒。


(あっ)


 山角羊が、そろりと後ろ脚を引いた。灰色の体毛に触れていた草の葉を揺らして、一歩ずつ道を引き返す。

 そうして、全員が見守る中、ついに山角羊の姿が草木の向こうに完全に見えなくなった。


「……はぁぁ~っ」


 まずレイが、胃の中が空っぽになる程に息を吐き出した。両手に集まっていた水の気配が、しゅわしゅわと霧散する。


「良かったねぇ、襲ってこなくって」


 すぐ後ろでも、ハルウがあーあと緊張を解く。

 だが、それだけだった。


「ダメだね」

「……あぁ、走るぞ」


 ヴァルの呟きに、リォーが頷く。

 え、とレイが反応するよりも早く、二人が駆けだしていた。


「ちょ、どうしたのっ?」

「魔獣が集まりだした」

「え!?」

「ここからは一気に抜ける」

「何でもいいから唱えておきな」


 リォーの言葉にヴァルも言い添えて、山角羊が消えた道に飛び込む。

 レイとハウルも慌てて続くが、やはり灰色の魔獣の姿は既にどこにも見当たらなかった。代わりに、落ち葉を踏む音や木々の葉擦れが、四方から不気味なほど静かに響き出す。


(……いる)


 異なる生き物の気配に、肌が否応なくざわついた。これは、良くないものの気配だ。


「ハルウ、遅れないでね!」

「えぇー?」


 早速ハルウは文句を言ったが、最早構う余裕はない。

 レイは改めて水の神に祈りながら、二人に続いて全速力で藪の中を駆けだした。



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