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第19話 魔獣の巣窟へ

 発見された時にまだ距離があったのが幸いした。

 森の中で待ち構えていたハルウとも合流したレイたちは、リォーの先導で街道を躊躇なく離れて、プリュト大森林の奥へとひた走った。


(速い)


 皇家が管理する御領林だけあって、森の外縁部は倒木もなく、下草も少ない。追う方にも容易だが、逃げるにも速度を出せる。

 自然豊富な――というかほぼ自然しかなかった最後の聖砦(エスカトン・フルリオ)を庭にして育ったレイには、手入れされた綺麗な森など何の障害にもならない。

 だが前を行くリォーの足取りもまた、都会で育ったとは思えない身のこなしだった。根に足を取られることもなく、何より迷いがない。風靴ウォラーレの補助もあるのだろうが、気を抜けば置いて行かれそうだ。


(ぐぬぬ……っ)


 負けたくないと、こんな時なのに手の付けられない劣等感が、チリ……と顔を出す。

 が、そんな屈託も長くは続かなかった。


「ってなんか戻ってる気がするんだけど!?」


 途中から、踏みならされた小道に沿っていることには気付いていた。だが先導されるまま走ったことで、方向感覚は大分狂っている。

 最初、レイは街道から離れる方向――北東に進むのだと思っていた。だがリォーは、途中で付け髪を親の仇とばかりに遠くにかなぐり捨てたあとは――ああっとハルウが嘆いていた――何度か左に曲がっている。

 その結果どうなるかは、レイでも分かる。


「今は距離を稼ぐよりも目晦ましだ。道を外れるのは得策じゃない」


 確かに、新しく踏まれた場所は目に付きやすい。だがそれでも、帝都から離れる道が全くないわけではないだろうに。


「それに、身を隠すならクラスペダ山岳に近付いた方がいい」

「そうなの? でもあそこって、一部立入禁止じゃなかったっけ」

「一部だけな。こっちの方が地形が複雑で起伏も多いんだ」


 言われてやっと、周囲の地形の変化にも気付く。

 森に入ってすぐの平坦部はとっくに消え、剥き出しの根が土を抱えるように凹凸が激しくなってきている。それは進むごとにどんどん大きくなり、時折背丈よりも大きなものもあった。

 地面が先程よりも湿っているところを見ると、大雨でも降った時には水の通り道になるのだろう。

 木の根が張りだした斜面を軽く駆け上がりながら、リォーが独り言のように続けた。


「お前が簡単に落とし穴とか作れたらいいんだけどな」

「え? 作れるよ」


 レイもまた木の根に足をかけて軽く跳躍しながら、あっさりと答える。リォーが上で目を剥いた。


「は?」

「だから、落とし穴」


 歴史や神話の教師としてやってくる女史たちから逃げ回るうち、レイは幾つかの実践的な神法の習得に成功した。その内の二つは、既に実用している。

 主に女史が諦めて帰ったかどうかを確認するための盗み聞きと、怒っている時にこっそり逃げるための雲隠れ。そして見付かって逃げる時の時間稼ぎのための、落とし穴である。

 本来なら馬ごと大きな穴に落とし込めるものらしいが、回を重ねるごとに熟達した結果、穴の深さ大きさは自由自在であった。


「勉強嫌いが役に立つ日が来るとはね」

「うっさい!」


 ぴょんぴょーんと後を追いながら余計な注釈をくれたヴァルに、がおうっと吠え返す。だが背後でハルウまでくすくすと笑うのだから、無意味な抵抗ではあった。


「……理由は聞かないでおく」


 先を行くリォーが、微妙な顔で微妙な優しさを発揮した。余計なお世話である。


「浅くていいからなるべく数を多く作れるか」

「なーるほど。まっかせて」


 時間稼ぎということだろう。穴に身を隠してもいいだろうが、時間が経てばそれだけ動員される人数は増える。多少の罠を仕掛けてある程度の足止めと攪乱を狙うのは賢明といえた。


「地上に留まりし慈悲深き神々が一柱、土の神エザフォスよ。その恩寵を賜りし眷属の精霊よ。恵みの一滴をこの手に分け与えたまえ」


 一段登った分、見晴らしが良い。レイは先程走ってきた場所よりも遠くに向けて手を伸ばし、意識を集中した。


「希うは一穿いっせんあなぐらあぎとを開け、奈落の陥穽かんせい


 ボゴ……ッと小さな振動が、葉擦れの音に紛れて上がる。場所は背の高い草の間や根方、地面が抉れた下など、身を隠せそうな箇所を選んだ。

 見えない場所にまで作ることはレイには出来ないが、進行方向とは逆位置に落とし穴を作り、少しでも違う方向に敵の意識を誘導する。


(それにしても、こんな立派な文言で、やってることが落とし穴作りって)


 元々神言は神識典ヴィヴロスから引用されたもので、その原文は神々の行いや信仰の一説に依る。

 神話では死の神タナトスと土の神エザフォスとが争い、その足止めのために大地を穿ち、奈落の顎を開けたという、その一文から来ている。この大穴は今も海底のどこかにあるはずだと、探している研究者もいるくらいだ。

 とまれかくまれ。どちらも自衛行為であることは同じだが、なんだかあまりにも落差が激しい。


(まぁ、神様と人の所業を比べてもあれなんだけど)


 神様への祈りもそうだが、何より神言集を編纂した過去の偉人たちにちょっと申し訳がない。などと思うくらいには、レイも成長した。

 子供の頃は実に無邪気に毎日穴を開けていたのだから。

 それはそれとしてもう一つ、とレイが更に手を伸ばした時、


「レイ。もういい」


 長い耳をそよがせたヴァルが、その先を止めた。


「足音が近付いてきてる」

「! うん」


 ヴァルの聴覚に、追手の気配が引っかかったようだ。レイはすぐさま踵を返してリォーを見る。


「こっちだ」


 リォーも頷き一つ、再び走り出した。





 首都を現在のウルビスに定めたのは、英雄神サトゥヌスが帝位に就いてすぐのことであった。それより以前は、ここ一帯は多くの魔獣が棲息する深い森と山が広がる片田舎に過ぎなかった。

 その一つ、クラスペダ山岳地帯でも最も標高が高いアクラー山の頂には、今も魔獣が棲んでいると云われている。

 遥か昔からその山を縄張りとしていた一頭で、体躯は山頂を丸ごと覆ってしまうほど大きいのだとか。しかしその目撃情報はない。

 アクラー山全体が立入禁止となっている上、クラスペダ山岳地帯は山麓に沿って魔獣の出入りを拒む法術が施されているからだ。

 だがそれだけでなく、滅多に動かない種だからだとも云う。巨体に比例して長命ながら主には草食で、固い鱗は山の色に擬態し、山一つを丸裸にするまで別の山には移動しないという話もある。


竜蜥蜴グアンロンか」


 ヴァルが面倒臭そうに呟く。

 それは、天上に昇った神々の供をしたと言われる神獣が一頭、水龍の血を引くと言われる神代の魔獣の名だった。


「ちょ、そんな奴がいる所に行くの!?」


 踏み込んだ時のリォーの態度からは全く想像できない大物の存在に、レイは思わず動揺の声を上げた。

 既にプリュト大森林を西に進んだ結果、街道から山麓沿いに伸びる脇道を越え、本格的な山登りが始まった辺りでのこの説明である。

 心構えというものを何と心得るかと訴えたい。


「平気だ。サトゥヌス帝に負けて以来、帝都には手を出さないと約束したという伝説がある」

「え、その伝説、信憑性ある?」


 伝説と言われる話を散々ヴァルの超解釈で聞かされてきたレイにとって、伝説などただの美化である。

 そもそもたとえそれが真実でも、住処に向かっている時点で安全性は自分から捨てているようなものではないか。


「あいつのことだから、隠れて変な取引くらいしてそうだけどな。生贄とか」

「ぅぎゃ!」


 ヴァルが追加した生々しい単語の辺りで、思わず変な声が出た。背後から突然抱きすくめられたからである。


「大丈夫。レイだけは僕が必ず守るからね」

「びび、びっくりするじゃない! 突然しないでよっ」

「走りづめだったから、そろそろレイの温もりが恋しくて」

「今この状況でもそれ言う!?」


 抱きついて頬ずりまでするハルウをぐいーっと突き放す。平時ならばいつものことと許せもするが、さすがにこの緊急事態でじゃれ合う余裕はない。

 だがハルウはやはり気にするでもなく、今度はレイの髪を梳き出した。手早く後頭部の上の方で纏め、結い紐で一まとめに括る。


「何で突然……?」

「さっきも枝に引っかかってたでしょ? 僕の綺麗な髪が傷付くのは見ていられないよ」

「だからハルウの髪じゃないってば」


 相変わらず、気は利くのだが論点がずれている。


「大体、この中で逃げ遅れるとしたらハルウでしょ?」

「うーん。みんな足が速くて参ったよ」


 馬の尻尾のように揺れる毛先に口付けを落としてから、やっとハルウが離れる。だがその口調に悪気はまるでなさそうだ。

 だが実際、森の中でも最後尾を走っていたし、今も山道に取りかかり、全体の進行速度が落ちたことで追いついたようなものだ。

 リォーから預かっていた長剣も既に返しているし、短剣も嫌いだとか言って持っていなかった気がする。


(町でハルウの武器も買えば良かったかな)


 今更な不安が芽生えてしまった。

 ハルウは剣も体術も人並み以下で、神法もからきしだ。体中ある古傷も、随分昔に大切な人を喪って自暴自棄になっていた時のもので、別に隠れた歴戦の英雄ではないと自分で言っていた。

 だが、もう一人の不安はそれを軽く上回っていた。


「お前ら、状況分かってんのか……」


 先を行くリォーが、青筋を浮かべそうな目で二人を睨んでいた。


「わ、分かってるって。山道を行くんでしょ?」


 現在、一行がいるのはクラスペダ山岳地帯でも南に位置するアクラー山の麓である。

 北門を出てすぐの街道に穴を開けてからは三十分以上が経過していた。騎馬では通れずとも、森の中は増援を迎えた帝国軍で溢れ返っている頃だろう。

 時間をおけば、西門から迂回する別動隊も出されるかもしれない。その前に、クラスペダ山岳地帯を抜ける必要がある。


 南北に伸びるクラスペダ山岳地帯はプリュト大森林の北西にかかり、二つの州境にまたがる。街道は山々を西から迂回して、一部低くなっている山間を通ってウィーヌム州に入るが、馬鹿正直に通れば検問で引っかかる。

 最も警戒されにくいのは、クラスペダ山岳地帯の中の旧道や獣道を使ってそのままウィーヌム州側に出ることだ。そこからであれば、帝国軍でもさすがに無数にある生活道路からたった一つをすぐさま特定することは難しいだろう。

 神法での追跡だけは心配だが、余程の実力者でなければ州を越えるほどの範囲をカバーできることはほぼない。


「道って言っても、サトゥヌス帝が約束を交わしてから、山中はほとんど通行禁止区域だ。道を逸れれば一発で迷うぞ」

「う、うん」


 脅されて、改めて周囲を見渡す。

 細すぎる脇道を越えてから、地質が変わってごつごつした岩を含む硬い斜面になっていた。木々は斜めに傾いたり、途中で捻じ曲がったようなものが目立つ。日常的に人が出入りしている山とは明らかに気配が違う。

 ウルビスを出るために染めた髪粉も、伸び放題の枝葉に残った夜露に濡れて、すっかり洗い流されていた。


「道なんて分かるの?」


 嵐で折れたまま生長したらしい木の向こうに続く獣道を眺めながら、ハルウが懐疑的な声を上げる。神法士や神職者であれば方角の把握や失せ物探しの手もあるが、リォーは神法士ではない。

 だがリォーは、迷いなく歩き出しながら断言した。


「適当だ」

「えっ」

「魔獣を避けて進めばそのうち出る」


 もの凄い暴論であった。

 確かに、クラスペダ山岳地帯の半分以上は魔獣の棲息地で、伝説のように存在感の薄い竜蜥蜴の他にも、生息数の多い穴狗狗キュオーンや、風を操る山角羊トラゴス、獰猛な火獅子リュンクスの目撃情報もあると聞いた。

 現在も通れる道となると、必然的にそれらを避ける道となるのは分かる。中には獣道の先がその魔獣の巣という可能性もあるだろうが、それさえ間違えなければ人里には降りられるという考えらしい。


「あっきれたー」


 ハルウが会話を諦めて歩き出す。レイもついていきながらも同意であった。


「よくそれで今まで無事に戻ってこられたわね」


 本当についていっていいのかと、にわかに不信感が湧く。だが返された言葉は、更に酷いものだった。


「魔獣と遭遇しても迷っても、どうにか出来るようにするのが目的みたいなものだったからな」


 一国の皇子の台詞ではなかった。この男は一体何がしたいのか。


「何でそんなにうろちょろしてるの?」

「誰がうろちょろだっ」


 放浪癖のことを指摘しただけだったのだが、怒られてしまった。


「ただの純粋な疑問だったのに」

「別に……城にいるよりも有意義だからってだけだ。師匠も、経験は何にも勝るって言ったし」

「あぁ、一ヶ所に留まっていられないって性質たち?」


 ばつが悪そうに答えたリォーに、うんうんと頷く。

 そういう人間は、エフティヒアの町にもちらほらいた。主に巡礼の護衛などを請け負う者たちで、彼らから旅の話を聞くのはレイの密かな楽しみの一つだった。


「……お前、わざとか」

「え、なんで?」


 唸るような声に顔を上げると、リォーが半眼で睨んでいた。心外である。


「そういうお前こそ、どうなんだよ」

「何が?」

「王証のためとは言え、聖国の第二王女自らこんな真似して」

「!」


 野暮な好奇心が諸刃の剣になって返ってきてしまった。思わず顔を伏せて、枝や砂利ばかりの悪路に視線を逃がす。


「……別に」


 大した理由はないとは、すぐには言えなかった。

 レイはずっと、母に認めてもらいたくて頑張っていた。お前なんか要らないと、また捨てられてしまわないように。

 レイは既に一度、捨てられているから。


(……違う。捨てられたわけじゃない)


 レイが聖砦に預けられたのは、難産の上にほとんど産声もあげられず、瀕死に近かったからだ。後に産まれた双子の妹の方が少しだけ元気だったため、出産直後の母にはまだ望みのある子供を手元に残したと聞いている。産後の負担も考えれば、妥当な判断だ。

 そしてそれを判断したのは当時斎王だった曾祖母で、決定したのは女王だった祖母だ。母の意思はないと、何度も聞かされている。

 それでも、レイは思うのだ。


(私は、死んでも構わなかった?)


 そうでないと、祖母は言った。

 でもそれなら、妹が儚くなったあとも呼び戻してもらえないのは何故?


家族みんなと見た目が違うから?)


 何万回も繰り返した自問自答。何百回と飲み込んだ母への問い。けれど本当に求めているのは答えではなく、救いや慰めの類いだと――愛だと、知っている。


(だから私は、結果が要るの)


 けれどそんなことは、会ったばかりの他人に言っても詮無いことだ。


「王証のことを知ってる人間で、こんな風に動けるのは、私だけだから」


 だから、ちゃんと無難なことを言っておく。この理由も、間違いではない。

 ざっくざっくと、土を踏む音だけが耳につく。


「……まぁ、そうかもな」


 少しの間を開けて、リォーがそう言った。

 拒絶は、呆気なく伝わる。

 少しだけ縮まったと思った距離は、自分のせいで、また開いた。



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