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序章 数千年前、或いは十年前

 世界の始まりには、ただ『無』だけがあったと云われている。

 無はただ一つであり、孤独であった。

 その孤独が一呼吸分なのか、全ての命が生まれて再び死に絶える程の永き歳月であったのかを知る術はない。

 ある時、無の中に一陣の『風』が起こった。

 風もまたただ一つであり、孤独であった。

 風は次第に強さを増し、嵐となって無を掻き混ぜた。世界の中で無と嵐が暴れ回る度に摩擦が起こり、『火』が生まれた。火は煙を上げてやがて雲を作り、『水』を降らせた。水は雨となり海となって世界を覆い、無を世界の外側に追い出した。

 その後も雨は降り続き、ついに火を大小二つに分けた。

 大きな方は火を保ったまま世界の外に逃げ、世界を覆う無を退ける太陽となった。小さな方もまた世界の外に逃れ、月となったが、その火は微かにしか残らず、無を世界から完全に退けることは出来なかった。月は太陽の火に嫉妬して、いつもその火を盗もうと追いかけていると云う。


 一方、世界には月の残した灰が降り積もった。灰からは八つの芽がきざし、海の上まで伸びて緑が広がり『土』となり、八つの島となった。

 こうして世界はあめつちにより仕切られ、ほしかぜによって整えられた。

 やがて雨が止むと、海の上の灰から四組の男女の巨人が生まれた。彼らはそれぞれ、時間と空間、光と闇、生と死、善と悪の概念より生またとされ、のちに第一の神々と呼ばれた。

 その後、四組の神々は、それぞれ四人の子供を産んだ。

 時間と空間の一組は四極を生み、それぞれ東西南北を任せた。

 光と闇の一組は四元素を生み、それぞれ天地てんちしんから零れ出る水、土、火、風を操った。

 生と死の一組は四季を生み、それぞれ春夏秋冬を司った。

 善と悪の一組は四情を生み、それぞれ喜怒哀楽を持った。しかし善と悪の子供にだけは体がなく、意識だけが世界を漂った。

 彼らは第二の神々と呼ばれた。第二の神々は世界を豊かにした。大地からは次々に植物が芽吹き、生き物が生まれた。

 世界は豊かに栄えた。


「神さまは、いつも二人ずつね?」


 祖母の優しい読み語りの声を聞きながら、少女はいつも気になっていたことを聞いた。

 祖母は忙しい仕事の合間を縫って、難しい本から童話まで様々な話を読み聞かせてくれる。動物が出てくる本も英雄が出てくる本も面白いが、その中でも創世神話は不思議と心惹かれて何度もせがんでいた。

 そして今日も、なぜだろう、なぜだろうと思いながら聞いていた。そしてふと気付いたのだ。

 出てくる神様はいつも二人とか四人で、いつも互いに向き合える相手がいると。そんな中で唯一、違う存在がいることに。

 偶数という概念もまだ知らない幼子ではあったが、そのことが心に引っかかってしようがないのだと。


「『無』は? ずっと『こどく』なの? 『風』といっしょじゃないの?」


 神話にはその後も第三の神々や、六種類の人類の祖も登場するが、彼らもまた相手がいる。孤独と言われるのは、最初に登場するものたちだけなのだ。


「まぁ……」


 祖母が皺の刻まれた手を止めて、感心したような困ったような顔をする。それを見て、少女は自分がまた失敗したのでは、と思った。

 少女は母に捨てられた。この上祖母にまで見限られてしまうのは、何よりも恐ろしいことであった。


「あなたは賢いわね」


 その不安を見透かしたように、祖母は笑う。挿絵の神々を慈しむように指でなぞりながら、泣き虫な孫娘を安心させるように、優しく。


「神話の中には、『ジオ』という考えがあります。光の神に闇の神が対応するように、人にも植物にさえも、この世に生を受けた瞬間から対を持つと言われています。目には見えずとも、対があることで、不完全な命が完全に近付くと考えられているのです」


「お祖母様にも、対がいるの?」


「えぇ。勿論」


 瞳の輝きを取り戻した少女に、祖母は大様に頷く。出生後も結婚や出産、死亡により対が変わることもあるし、不在となる時もあるが、必ず存在すると云われている。


「風もまた、火が生まれたことで孤独ではなくなりました。水もまた、灰の土が生まれたことで孤独ではなくなりました」


「じゃあ、無は? 無も、こどくじゃなくなった?」


 身を乗り出して尋ねる少女に、けれど祖母は首を横に振るしかなかった。


「無は……いつまでも孤独でした。だから夜ごと、対を求めて闇の帳を下ろすのです。そしてその帳から人々を守ってくださるのが、天上に昇られた神々です。神々は今も我々のために、世界から無を退けているのです」


 だから天上の神々に感謝の祈りを捧げましょう、と続けるのが、説教の定番だ。だがその前に、少女の甲高い声が割って入った。


「ダメだよ!」


 それは、必死な声であった。子供が思い通りにならないからと起こす癇癪とは、似ているようで違う。見れば膝の上に置かれた小さな手は、か細く震えていた。


「そんなことしちゃダメだよ。無がかわいそう。なかまに入りたいだけでしょ? ひとりは、さびしいもの……」


 大きな瞳に今にも零れそうな涙を溜めて、少女が言い募る。その雫が落ちる前にと、祖母は手の中にすっぽり収まってしまう小さな頬を包み込んだ。


「優しい子」


 可哀想な子、と言いそうになった言葉を寸前で上書きした。涙を指で拭い取る。


「でも、あなたは決して独りではないわ。それを忘れないで」


 それは少女が落ち込むたびに口にする、常套句のようなものであった。決しておざなりに慰めているわけではないが、それよりも今は、少女にどうしても覚えておいてほしいことがあった。


「けれど」


 と一段声をひそめて、少女の瞳を覗き込む。


「気を付けて。あまり無に肩入れしては、いつか無に――」


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