第17話 戦略的女装
外套の前を留め、フードを被るフェルゼリォンことリォーの横で、レイは先程はたき落とされた付け髪を拾った。
どこで買ってきたのか、手触りが良く、随分上質だと分かる。
(ハルウが誰かをからかうなんて、初めて見た)
今までセレニエルとヴァルしか相手がいなかったのだから当然といえば当然なのだが、存外楽しそうに見えた。
(いやでも本気なら、からかったわけじゃないのかも?)
しかし、それはそれでまたリォーが怒りだしそうだ。黙っておくのが賢明であろう。
「にしても、コレ、どうするの?」
付け髪の相場を知らないが、庶民よりも貴族が付けるもののはずだから、安くはないだろう。貴族街のある内郭を出た今、そこら辺に捨てるのは良くない。
「じゃあ、僕が」
「寄越せっ」
先に声を上げたのはハルウであったが、それよりも早くリォーが横から引ったくった。
レイが驚いている間にも付け髪をバッサと頭に被せ、その上から再びフードで顔半分を隠す。
だがその一瞬の間に、レイは確かに見てしまった。
女性よりも肌目細かな肌の上、茶色の絹糸が男性的な頬の骨格を隠すところを。
僅かに伏せた藍晶石の瞳にかかる睫毛は長く、頬は羞恥のためか少し赤いのもまたどこか女性的で、彼の美しさを押し上げていた。
「び、美人……」
「見るな!」
思わず零れた感想に、リォーがすかさず反応する。フードを更に引き下げて、顔を完全に隠してしまった。だが長い付け髪は肩から外套の胸元に流れ、知らない者が見れば女性だとあっさり信じてしまえるくらいに違和感がない。
これがあと二年もして背が伸び、肩幅も広くなれば違和感もあろうが、十六歳だからこそ出せる中性的な雰囲気と言えた。
「美人って得だなぁ」
「何度も言うな!」
しみじみ呟くと、またもや怒鳴られた。ぷんすか怒ってとっとと歩き出す。
「茶番は終わったかい」
毛並みの手入れに余念のなかったヴァルが、やっと顔を上げてそんなことを言う。本筋以外の余所事はまるで興味がないという風情で、いまだにくすくすと笑うハルウとは相変わらず正反対である。
レイはハルウに一応「めっ」と言ってから、リォーの後を追いかけた。
内郭門を離れる程、庶民たちが暮らす下町は雑多で取り留めがなく、賑やかになっていった。
馬車がすれ違えるような広い道は東西南北の城門に続く大通りぐらいで、一歩路地を行けば細い道が右へ左へと気ままに折れ曲がっている。
特にレイたちが通った門は大通りから離れている分、道の途中には当たり前のように麻袋や空の樽が積み上がり、その間を猫が悠然と歩いていく光景があちこちに見られた。
並ぶ店には統一感がなく、貸服屋の隣に細工師の工房や薬屋があったりする。右から錆びた鉄の臭いがすると思えば、左からは強い絵具の油の臭いが漂う。
視線を上に向ければ、時折左右に渡されたロープに洗濯物が翻り、日が翳ったかと思えば正面にアーチ門を持つ建物が突然現れたりもする。
(こんな風になってるなんて、全然知らなかった。往きは大通りを使ったから)
レイはリォーの迷いない足取りについていきながらも、周囲に目を奪われてばかりだった。路地には更に細い横道や裏路地が走り、そこは薄暗いくせに不思議な魅力を放ってレイを手招きしているようにさえ錯覚する。
追われる身でなければ、往きと同様あちこちに足をのばしては迷子になってヴァルに怒られていただろう。
「ぶっ」
「……何やってんだ、お前」
そして突然立ち止まるリォーの背に顔をぶつけるのも、一度や二度ではなかった。その度にハルウに引き剥がされ、リォーが買い物のため店内に入る。レイたちは外で警戒と留守番。
そうしてリォーは馴染みの店を回り、最低限の物を購った。日持ちする燻製肉やチーズ、堅パンなどの食糧を始め、水を入れる革袋、火打石に小型のナイフなど。
だが何より真っ先に購入したのは自分用の外套と、髪粉であった。
「あれ? 使うの?」
「普段から髪粉で染めてから布で巻いて隠してた」
レイの問いに、リォーは特段構えずそう答えた。平民の間にまで王家の情報が事細かに届くかというとそうでもないが、先祖返りの容姿が聖国にまで聞こえてくるのだから、隠した方が無難ではあろう。
だがこれに異論を唱える者がいた。ハルウである。
「えー? じゃあもうその髪やめちゃうの? 城門出るまではその方が絶対いいと思うんだけどなあ」
「お前の意見なんか聞いてない!」
だがその気勢に反し、リォーは付け髪をかなぐり捨てたりはしなかった。
どうやら城門もしょっちゅう通るせいで、やはり顔見知りの門衛がいくらかいるらしい。
「……念には念を入れる」
と、間違って砂をじゃりじゃり噛んだような顔で言われた。相当嫌らしい。
そうして、リォーの先導でごみごみとした下町を進み、帝都外壁を視界に収める頃には、支度はすっかり整っていた。
後は移動手段だが。
「いつも急ぎなら貸馬屋に借りるんだが」
「まぁ、馬を使う奴なんて目立つだけだしね」
リォーの言葉に、ヴァルがぽてぽてと歩きながら同意する。
実際、レイも途中までは馬車を使い、残りは船と歩きで来たが、金のある者ほど立派な馬車を使い、関所では時間をかけ、街道を占領していた。
大きな都市であれば、購入するのに近い金額で馬を借り、次の都市や宿場で馬を返すと賃料を引いた残りを返してくれるという商売もあるらしいが、そんなことをするのはやはり裕福な者に限られる。使うとしても、帝都を離れてからだと、リォーが説明してくれた。
(やっぱり、よく知ってる)
レイが知らないことを、この第三皇子は自分の経験に基づいて学び、吸収し、活かしている。本や旅人の話だけでしか知らないレイの知識と、それは圧倒的な差であった。
(……ええいっ、こんなことで落ち込むな!)
頭を振って、劣等感膨らむ思考を追い払う。その間にも足は進み、次第に民家の屋根の倍以上ある城壁が目前に迫っていた。
買い物が終わった後は大通りに並走する路地を通ってきたため、人通りも大分増えている。
「このまま城門の検閲に向かう波に紛れて外へ出られれば、ひとまずは安心だろ」
そう呟いてから、リォーがレイを振り返る。
「城壁の外に、北門から東門まで森が広がってるのは知ってるか?」
「プリュト大森林だよね? 聖国からはウィーヌム州を経由して東門から入ったから」
プレブラント聖国の西に隣接しているのはサエウム州だが、現在は直轄領となり、治安が一部悪化しているという情報があった。このためレイたちは大回りして、一部隣接するウィーヌム州からエングレンデル帝国に入国していた。
「ならベクトゥラ川に沿って南下してきたくちだな?」
北の山脈から流れる大河ベクトゥラは、南のソルティナ海まで蛇行しながら帝国を縦断している。
帝都ウルビスの河港リマニは、その水運の中継地として栄え、人口が増えて都市が拡大するとともに水路を周囲と都内に引き入れ、防衛と水利のために利用された。
貴族などは都内に入る平底の川船などに乗り、そのまま河港で大型船に乗り換えたりもする。
「ラティオ侯爵領に行くには森を抜ける必要があるが、城門での反応によっては街道を外れる覚悟もしておけよ」
森を越えるには二通りの道がある。東門から大河沿いに北上するテルグム街道と、北門から森を西に迂回するアーウェルサ街道だ。帝都への道のりはこのテルグム街道や、ベクトゥラ川を船で南下する者が多い。
逆に森の北側には魔獣の巣窟と言われるクラスペダ山岳地帯があり、余程のことがなければ一般の旅人は近寄らない。北門を出ようとしているレイたちにとって、街道を外れるというのは危険度が一気に増すことを意味した。
「船で逃げるっていうのは?」
「却下だ。余計な検閲が増えるだけだし、何より逃げ場がない」
「また神法を使えばいいんじゃない?」
「ダメだ。船にはないが、城門には同じように不正侵入が出来ないよう城と同じ神法感知の法術がある」
「むぅー」
帝都城壁には東西南北に四つの門があるが、戦争をする気がないのなら強行突破するには向かない頑丈さだ。害意を持つ者や後ろ暗い者たちなど、入国の記録を誤魔化そうとする者たちとの知恵比べは終わりが見えないが、今のところは門衛たちの勝利に終わっている。
「じゃあ、どうしたら……」
「だからこのまま行くんだろうが」
思案するレイに、リォーは不貞腐れた声でそう言い切る。
「探してるのは皇太子と、俺、そしてあんたらだ。男はまず間違いなくしつこく調べられる。この格好は……腹が立つが理に適ってる」
皇太子の失踪が発覚してから、既に二時間近くは経っている。門に確認が走ったのは間違いない。レイとリォーが行動を共にしていると考えるかは不明だが、男女三人組もまた危険だろう。
「あとはハルウが先に他人のふりして通れば問題はないだろ」
「あぁ、そうなると女二人旅ってことになるのね」
「護衛がないっていうのは少々疑われるかもだが、貧乏で、近くの村に帰るだけと言えばそうしつこく詮索されないだろ」
「なるほどー」
帝都には毎朝どこかしらの場所で市が立つ。大通りの市場は大きな商会などに押さえられているのがほとんどだが、小さな市場であれば近隣の村からやってきた者たちが直接野菜や手工業の品を並べるものが普通だ。
このためどの門も、朝は外からの流入者が、昼以降は内からの流出者が増えるのが基本だ。その波に紛れようということらしい。
今の説明にヴァルからも反論が上がらないようだし、危険は少ないと見て良さそうだ。
「えー? レイと離れるなんて僕は絶対やだよ」
一部異論はあったが、多数決が採用された。




