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第9話 交渉決裂

 くしゃ、と芝生の緑を踏みつけて、レイは軽やかに着地した。ヴァルが駆け寄ってくる。


「どうだった」

「やっぱり持ってた。でも……あれはどう見ても弓じゃないよ」


 レイの身の心配もなく真っ先に本題を訪ねたヴァルに、レイは一瞬の躊躇の後、見たままを伝えた。

 フェルゼリォンが持っていたのは剣の先のようだったこと。水没した都市から引き揚げたこと。相手は皇太子で、王証の件は秘密にしたこと。知られれば、継承権争いが起こるかもしれないこと、など。


「なるほどな」


 一通りの説明の後、ヴァルが紅玉の瞳を細めて口周りをぺろりと舐める。しかしレイには、ヴァルの理解よりもはるかに重大な問題があった。


「それよりも、本当にあれがユノーシェルの王証なの? もしサトゥヌスのだったら、こんな所、早く出た方がいいんじゃ」


 勘違いで乗り込んだ挙句、何の罪もない相手に詰め寄ったり盗み聞きしたとなれば、不利なのはどう考えてもレイの――ひいては聖国の方だ。

 直截に言えば早く逃げたい。

 そう訴えるレイに、けれどヴァルは「いや」と首を横に振った。


「セレニエルも言ってただろ。品物の特定が難しいって」

「……そう、だっけ?」


 出立前のセレニエルとの会話を示唆され、レイは曖昧な笑みで口元を引きつらせた。

 確かに、セレニエルは王証の気配を追うのにヴァルの存在が必要とは言ったが。


「でもそれって、見付けちゃえば特定も何もないでしょ?」


 単純な疑問として口にする。するとヴァルは、僅かに顔を顰めてから、どこか頭痛を堪えるように説明した。


「あれは、神の気で出来ている。持つ者の望みによってその姿を変える場合がある」

「変えるって、じゃあ……」

「あの男、追いかけなくていいの?」


 簡単に常識をひっくり返されて言葉に詰まったレイに、見張りから戻ってきたハルウが口を挟む。フェルゼリォンが列柱廊を戻り、レテ宮に向かっているという。


「行く!」


 レテ宮内は舞踏会のために人の出入りが激しいし、何よりどこかの部屋に入られてしまえば探すのは困難だ。ヴァルになら探せるだろうが、そもそもヴァルを見られるのが問題だ。


(本人は魔獣じゃないっていうけど)


 何か言われれば猫の新種で押し通してきたが、気付く者が見れば魔獣のそしりは免れまい。

 円形となっている玉妃宮の壁を回り込んで、列柱廊に向かう。


(そう言えば、結局ネストル伯爵は第三皇子あいつに会いに来たんじゃなかったのかな?)


 先を越されると心配した相手は、結局どこにも見当たらなかった。あの部屋にもいなかったということは、皇太子に用があったわけでもないということなのだろうか。

 とまれ、考えても仕方ない。


 列柱は途中で直角に曲がって、レテ宮の北側に連絡している。柱の足下にはそれぞれ光の彫言があり、歩くだけなら明るさは十分だ。渡り廊下の向こう側に広がる令妃宮の庭園――散策の小道や噴水を淡く照らし出し、降り注ぐ月光とも相まって実に幻想的だ。

 とその夜景を横目に捉えていたレイは、その中の一部に違和感を覚えて、流していた視線を一瞬止めた。


(あの噴水、欠けてる?)


 広大な敷地と無数の建物を持つレテ宮殿は、それでも隅々まで手入れがなされ、歴史的価値だけでなくどこも景観として美しい。だがその噴水だけは、水が抜かれその機能を停止していた。

 何故なら、円形の噴水の縁の一部が、まるで椀で削り取ったような不自然な曲面で途切れていたからだ。


(何かあったのかな?)


 噴水のある一帯は令妃宮のための庭でもあり、そこに壊れた物を放置し続けるのは不自然だ。修繕しないのには理由があるのだろうか。


「レイ。いたよ」


 気を取られていたレイは、ヴァルの声に慌てて列柱の間を進む。

 全速力で走ったお陰で、列柱が終わる寸前でその背に追いつくことができた。


「待って!」


 呼びかけに、今まさに宮殿内に入ろうとしていた足が止まる。

 円柱と窓から漏れる光を受けて、藍晶石カイヤナイトの目をした男が胡乱な顔で振り返った。眉根が寄っているというのに、こんな薄闇の中でも相変わらず美しい。


「またお前か」

「用があるって言ったでしょ」

「俺はない」


 息を整える暇もなく、フェルゼリォンが再び歩き出す。その腕を、咄嗟に引き掴んでいた。

 瞬間、ぱしりと思いのほか強い力で弾かれた。

 青い瞳が、冷ややかにレイを見下す。


「まだ踊り足りないのか? 相手をご所望なら舞踏会に戻られては」

「っ」


 それは、お手本のような厭味ったらしさであった。

 レイは瞬間的にカチンときた。

 本当は先程盗み見た王証が弓とは似ても似つかなかったから、一度実物を見せてもらって、違うなら素直に引き下がろうと思っていたのに。


「誰が踊りたいもんですか!」

「奇跡的な下手さだったしな」

「うるさい! それよりも、あなたが王証を持ってるのは知ってるのよ。かえ……見せて!」


 返して、とまでは、怒り任せにでも言えなかった。

 足元に追いついたヴァルが、阿呆かと言いたげに嘆息する。


「今度は仲間を増やして脅しか。ずいぶん強気だな」


 フェルゼリォンから少し離れた位置には、追いつたハルウが列柱にもたれて腕組みをしている。構図としては、確かに威圧的ではある。が。


「私は、その王証を追ってここまで来たの。帝国の邪魔をするつもりも、掻き回すつもりもないわ。ただ、確認させてほしいの」


 力づくで奪う気はないと説明する。

 実際、レイにはそれが本当に聖国の求めるものなのか、自信がない。だからこそ確かめたかった。

 だが。


「それで、俺は何を信じて奥の手を見せればいいって?」

「え?」


 一瞬、言われた意味が分からなかった。それほどに、レイ自身には悪意も疚しさもなかったからだ。

 代わりに、足元でお座りをしていたヴァルが答える。


「身分だけなら確かだぞ」

「は? その猫喋るのか?」

「猫じゃない!」


 くわりと牙を剥いた。折角格好をつけたのに台無しである。


「と、とにかく、私たちに敵意がないことは、信じてもらうしかないわ」


 遅ればせながらフェルゼリォンの疑念を理解し、レイは苦手ながら説得を試みた。

 正直、世間知らずで交渉事の一つもしたことのないレイに、嘲笑を浮かべるフェルゼリォンの嫌疑はまるで的外れにしか思えない。

 だが自分が不審な行動をしていて、問答無用で他人の所持品をあらためようとしていると思えば、確かに不躾で失礼極まりない。

 レイは自分の中にある情報を必死に掻き集めて、身の潔白を訴えた。


「陛下にお渡しした書状は本物だし、私は確かにプレブラント聖国の第二王女よ。内容は……言えないけど、これは本当に大事な使命で」

「話にならない」


 更に言い募ろうとするレイの言葉を、フェルゼリォンが冷たく遮った。


「どうやって嗅ぎ付けたかは知らないが、もし仮に俺があんたらの望む物を持っていたとして、その場合どうするつもりだ。奪う気か? それとも買う?」

「え……」


 その言葉に、レイは目を点にした。

 神弓トクソは聖国のものだ。持ち物が本来の持ち主の下に戻ることに、レイはいささかも疑問を持っていなかった。

 だから、まさか返さないなどと言われるとは、想像もしていなかったのだ。


(そ、そっか。誰かが先に見付けてたなら、返してもらう交渉をするだけだと思ってたけど)


 聖砦というごく狭い環境と人だけで育ってきたレイは、悲しいかな世間知らずだ。

 裁判記録や国内の法律を学ぶ授業も勿論あったが、大概逃亡(エスケープ)していた。埋蔵物や拾得物の所有権問題について、理解があるはずもない。

 今のレイにあったのは、ただ純粋な戸惑いだった。だが。


「う、奪うだなんて、そんなつもりは」

「だが初めにあんたは『返して』と言った。どのみち最終的には帝国から持ち去る腹積りなんだろ」

「ッ」


 フェルゼリォンの隠す気のない敵意と侮辱の前に、堪忍袋の緒が切れた。

 冷静さとか話し合いという考えが完全に吹き飛び、レイは交渉相手に食って掛かった。


「そ、それは元々聖国のよ!」

「その証拠を示せと言っている」

「だから、それは見せてくれれば分かるって」

「詐欺師はそう言う」

「さっ!?」


 あんまりな言い様であった。とても帝国の第三皇子とは思えない。


(私が何も知らないからって、バカにして!)


 この男と話していると、腹が立ってしようがない。ものの見方や見識がまるで違うというだけのことでなく、本能的に相性が悪い気がする。

 レイは半ば怒りに任せて、言うつもりのなかった情報を口にした。


「知らないみたいだから教えてあげるけどね。王証は持つ者の望みによって形が変わるのよ」


 だからフェルゼリォンが持っている物も、フェルゼリォンの望みを反映しているに過ぎない可能性があるのだ。と突き付けられれば、きっと動揺し話くらいは聞いてくれるだろうと思ったレイだったが。


「だったら、俺が持っているという王証は完全な姿なんだな?」

「え? あ、それは……」


 短くも齟齬そごのない反論に、レイは早くも言葉を失った。

 それは王証を持っていると認める発言でありながら、同時に完璧にレイを論破していたからだ。

 持つ者の望む形に変わる。

 つまりそれは、完全な姿を望む者が持てば、完全な形になるのではないか。

 だが聖国の王証はそうはならないし、フェルゼリォンの手中で見た物も、そうではなかった。つまり欠けた物体は本物ではないということになる。


「それは……分からない」


 そう答える以外、レイには言葉がなかった。


「それで使命だなんだと、よく言える」


 黙ってしまったレイを心底嫌悪する眼差しで、フェルゼリォンが吐き捨てる。

 そして今度こそ、レテ宮の中へと戻っていった。


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