プロローグ
ラッセル王太子の婚約者候補筆頭だったロザリーは
完璧に王妃修業をこなし、また強い魔力が受け継がれるゴールディング公爵家の長女であったため、誰よりも王妃に近いと言われていた。
王立学園でラッセル殿下に甘える妹を苦々しく思いながらも、注意すれば被害者ぶってロザリーを悪者扱いするので放って置いた。
妹の言い分を信じる生徒たちへの弁解もすることなく、ただひたすら自分を研鑽することだけに注力を注ぐ。
理由はただひとつ。
ラッセル様が好きだから。
ただそれだけだった。
妹に醜い嫉妬心をぶつけるなんて、王妃となるべき淑女の所業ではないことは分かっている。
だから、そんな感情を見せなくて済むように、自分から一歩引いていた。
そして卒業パーティーも迫る頃、ラッセル王太子から訪問の手紙が届いた。
(もしかして、エスコートの件かしら?)
ラッセル殿下との仲は睦まじい…とは正直言えないが、それはほかの婚約者候補も変わらなかったので、王妃教育の担当から一番出来が良いと言われている自分がエスコートされる可能性が高いと、そう信じていた。
訪問の当日、ラッセル殿下が到着したと侍女のメアリーが呼びに来る。
「どこかおかしいところは無い?」
そわそわと自分の身だしなみを気にしてメアリーの前でクルリと一回りする。
「ロザリー嬢様。大丈夫ですよ。いつも通りお美しいです」
「そう? 本当に?」
好きな人の前では綺麗でいたい気持ちが前に出てしまい、何度も聞き返す様子は16歳の少女そのものだ。
「私がお嬢様に嘘をついたことがありますか? ほら、早くしないと殿下がお待ちですよ」
「あ! そうね! ありがとう、メアリー! すぐに行くわ」
ハーフアップにした美しい銀髪を手で整え、紫水晶の瞳をキリっとさせて『淑女の顔』を作る。
ラッセル殿下の待つサロンへと急ぎ、扉を開ける。
「お待たせして申し訳ございません。ラッセル殿下」
「いや、大丈夫」
首を振るラッセル殿下の柔らかな金色の髪が窓からの光を浴びでキラキラ輝いている。
ロザリーはそれに見惚れて一瞬固まってしまったが、すぐさま「恐れ入ります」とお辞儀をする。
テーブルをはさみ向かいの席に座り、お茶を用意してくれたメイドたちを下がらせる。
「もうすぐ卒業ですね」
なぜかラッセル殿下がなかなか話し始めなかったため、ロザリーから話題を振ってみる。
「ああ、そうだね。ロザリー嬢にとって学園は楽しい場所だったかい?」
「そうですね…ただの貴族令嬢であれば知りえなかったことがたくさんありましたし、家柄も損得も関係ない友人ができたのも学園あってこそでした」
嫌なことも辛いことも確かにあったけれど、それ以上に充実した三年間の思い出に浸り、思わず淑女の仮面が剥がれる。
「とても楽しかったです」
16歳の少女の幸せそうな笑顔。
それはラッセル殿下には決して見せたことのない素の笑顔だった。
「…っ。そ、そうか……」
ラッセル殿下は少しだけ目を見開き驚いた様子を見せたが、それは一瞬のことでロザリーは気付かない。
「それで、お話と言うのは?」
普段はソツのない会話を続けられるラッセル殿下が今日は珍しく無言になることが多いなと少し疑問に思いながらもロザリーが本題に入る。
「……単刀直入に話させてもらう」
「は…い」
(エスコートの件じゃないのかしら……?)
いつもの朗らかな雰囲気とは違い、剣呑ささえ漂ってきそうな空気に少し居心地の悪さを感じながらに頷く。
「私は君と婚約するつもりはない」
「え……? り……理由を伺っても?」
突然のことで驚き思考が止まりそうではあるが、どんな時も冷静に対処するよう王妃教育を受けてきた自分が反射的に返答する。
「君は王妃には向いていない」
「それは……」
どういう意味かと続けようとした時、サロンの扉が勢いよく開かれる。
「やっぱりラッセル様はわたくしを選んでくれるんですね!」
「デイジー……」
そこにはいつも以上におしゃれをした、一つ下の妹のデイジーがいた。
(ああ、殿下はわたくしではなくデイジーを選ぶのね……)
学園での仲睦まじそうなふたりを思い出すと同時に、体の力が抜けていった。
「お戻りください、デイジーお嬢様! お話を少し聞くだけと言う約束では!?」
慌てて侍女が止めに入るも、それをうまくかわしながらラッセル殿下の元へと駆け寄る。
どうやらデイジーは外で聞き耳を立てていたらしい。
ラッセル殿下の横へと断りもなく座り、その腕に触れようとした瞬間、殿下が立ち上がる。
「デイジー嬢。いつも言っているように、私は君に名前を呼ぶことを許可した覚えはないよ? それと、もう少し淑女としての立ち振る舞いを身につけなさい」
やや呆れた声色でそう言いフゥっとため息を漏らした後、とても低い声が発せられた。
「それはそうと、なぜ私が君を選ぶと?」
ラッセル殿下の威圧に気付いていないのか、全く気にしていない様子のデイジーは嬉しそうに微笑む。
「だって、ラッセル様、学園でわたくしと一緒にいる時はとても楽しそうにしてたじゃないですか」
「君がいてもいなくても、学園では楽しく過ごしていたつもりだけど?」
暗にデイジーが居ても居なくても関係ないと告げるラッセル殿下さらに続ける。
「そもそも君は王妃の器ではない。私はこの国を背負うものとして王妃の器ではないものとの婚姻はしない」
表情をそぎ落とした端正な顔で告げられたデイジーは顔を真っ赤にして荒く息をしている。
「……私からの話は以上だ。妹君も興奮が冷めないようだしそろそろお暇するよ」
婚約者候補ですらなくなったショックと、妹の乱入、そして妹が自分の目の前でフラれるという怒涛の展開に放心していたロザリーだったが、訪問局である殿下を見送らなくてはと意識よりも身体が動く。
「……ダ」
「え?」
立ち上がり殿下の後ろへ向かおうとすると、背後から声が聞こえた。
「イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ」
振り向くとデイジーがブツブツと何かを言っている。
「デイジー?」
「ラッセル様と離れるなんてイヤダーーーー!!!!!」
癇癪を起した子供のように大声で叫ぶデイジーの周りに魔力の奔流が起こる。
それは轟音とともに大きな渦となりイヤダと未だ続けているデイジーから離れ、ロザリーに向けて刺すように向かって来る。
(避けられない……!)
部屋中を視覚化した灰色の魔力が埋め尽くす。
その魔力の重さに足を取られ避けられないと感じ、衝撃に身を固め目をギュッと閉じる。
(え……?)
しかしロザリーに届いたのは轟音の中で自分の名を呼ぶ声と、頭と腰支える誰かの手、そして抱きしめられているのであろう感触。
そして灰色の魔力が薄まった時、ロザリーの目に飛び込んできたのは……。
「ラッセル殿下!?」
ロザリーを抱きしめた手が力なく落ち、ラッセル殿下はそのまま膝から崩れ落ちた。
もう助からないと一目見てわかるほど、彼の生命力が弱々しくなっているのがあふれ出る魔力で分かる。
「なぜ…!?」
うろたえるロザリーの頬にラッセル殿下はそっと手を伸ばす。
「王族としては失格だけど、好きな女性を守って死ぬっていうのは男としてなかなか悪くないな」
弱々しく笑う彼の表情は、ロザリーが初めて見るものだった。
(どうして? わたくしを庇ったの!?)
「私と結婚してなりたくもない王妃になるより、君は幸せな家庭を築いて生きて欲しい」
(なんで? わたくしのことなど興味もなかったのではないの?)
ラッセル殿下の死を感じ錯乱状態のロザリーは、その言葉を理解しきれず疑問ばかりが浮かんでくる。
「あ……。や……っ。い……や」
そして口から出てくるのは、浮かんで疑問ではなく、ラッセル殿下の死を拒否するものだけ。
それもあふれ出る涙とともに、嗚咽に変わっていく。
「できることなら、最後くらい、昔のような笑顔を見せてくれ」
「イヤ! イヤーーーーーーー!!」
(わたくしの魔力すべてと引き換えにしていいから、この人を助けて!)
そう願いながらすべての力を手に平に込め放出する。
その瞬間、すべてが真っ白な光に包まれ、意識を手放した。