その1
2001年9月11日夜
付けっぱなしのテレビ。
ツインタワーから黒々とした煙が立ち昇り、巨大なビルが不自然な程綺麗に崩れ落ちる映像が繰り返し流れている。
社内で残業をしていた内の数人はテレビの前で釘付けになり、その内の一人がこんな事を言った。
「不謹慎だけど…炎や煙とかボリュームレンダリング系のいい参考になるな…」
隣の部署、映像チームのリーダーの一言に同チームメンバーが頷く。
俺は、そんな光景とテレビからの音声を、目と耳の端でなんとなく見聞きし
「21世紀になって早々、世の中大変な事になってるなー」
などと脳味噌の5パーセント程の処理能力を消費しつつ、残りの処理能力の大半を目の前のモニターとマウスとキーボード操作に割り当てていた。
遠くの大国アメリカの事より、明日の締め切りの方が大事だ。
一人取り残されて孤独な戦いを強いられているわけでも無く。
上司や先輩も一緒に残業し、共に協力し合っているわけだが…
入社半年程度で、既に深夜残業や泊り込みが当たり前になるとは思ってもいなかった。
………いや、そんな事は覚悟の上で入った業界だ。
俺の夢はゲームクリエイターになって、自分で考え出したオリジナルのゲームを世の中に送り出す事だった。
脱サラして、専門家学校に通い直しCGの事を学び、何度も就職活動を失敗した挙げ句ようやく入れた制作下請け会社。
株式会社デラマンチャ
従業員30人程度の小さな会社だ。
半年前からこの会社で新人非正規社員として働いている。
希望の業界に入れて嬉しさとやる気に満ち溢れこそすれ、この程度の残業に不満などあろう筈も無い。
今でこそブラック企業と言えば「入っちゃいけないヤバい会社」程度の認識は誰もが持つところとなったが、その当時はまだ一般的ではなく、もしかしたらそんな言葉事態存在しなかったかも知れない。
目の前のCTRモニターには、銀色のキャラクターが映し出され、奇妙な動きを繰り返している。
まるで運動不足で関節の固まった年寄りが、初めてエアロビクスでもやっているかの様な、キレも優雅さもない、ただ『動いているだけ』と行った感じのもの。
誰だこんなモーション作った奴は。
俺だ…
作ってる最中はこれで良しと思っても、暫く時間をおいて見返してみると悪いところが見えて来るものだ。
悪い所は見えたとしても、それをどうやったら良くできるのかが分からない、難しい。
この時の俺はその程度の実力しか無い、なにせまだ仕事としてやり始めて半年程度しか経っていないペーペーのど新人なのだから。
…いや、この『悪い所が分かっても、どうしたら良くなるのか分からない』ってやつは今後も長くお付き合いする事になりそうだ。
兎に角、今はこれらのモーションを修正しクライアントからの承認を貰わないとならない。
更には新規のモーションデータも順次作成し、数も揃えなければいけない。
スケジュールが遅れたら怒られてしまう。
怒られるのは嫌だ。
もはや深い思考力は失われ、言われるがままにリソースデータを生産する機械と成り果てていた。
そんな機械にも、まだ少しはものを考える力は残されていた。
「それにしても、このキャラはどんな奴なんだろうか…?」
実は、このキャラクターに何の思い入れも無いし、名前すら知らない。
制作中のモーションデータがどんな使われ方をするのかすら良く分かっていなかった。
唯一分かっていることは任天堂やSONYやセガではなく、パチンコの液晶画面に表示される演出用のデータだった。
パチンコなどと言う遊びは殆どやった事も無く、煙草と騒音と負ける事が嫌いな俺からしたら、わざわざ近付く必要の無い遊戯施設だった。
ふと壁掛け時計を見ると、24時を越えて日付が変わっている。
バイクで通勤しているので終電を気にする必要はないが、どちらにせよ今日は帰れない。
それよりも、銭湯の時間を逃したのが痛かった。
近所の銭湯は24時で閉まってしまう、毎週水曜日は定休日。
昨日から…いや日付が変わっているので正確には一昨日から2日ほど風呂に入れていない。
ラストスパートに向けて一度リフレッシュしたかったが、もはやこのまま続けるしかない。
なぜこんな事に成っているのだろうか…
要因はいくつかある。
慢性的な人手不足、作業者の実力不足、スケジュールの見誤り………
何にも増してこの時この俺に言える事は、不慣れなCG制作ツール。
3dsmax。
俺が専門学校で覚えて来たツールはsoftimage(略称si)だったのだか、今使用しているのは3dsmax(略称max)と言う全く別物のツールだった。
どちらもゲームや3DCG開発で使用されるツールで、使い慣れれば同じ結果をだせる優秀なツールなのだか、操作方法に大きな違いがあり慣れるまでにとても難儀する。
例えるならストⅡでリュウかザンギエフどちらを使うかと言う様なもの。
立ち向かう敵に対して、リュウなら波動拳で飛ばせて昇龍拳で落とす作戦ができるが、ザンギではそれは出来ない。
敵の攻撃をかい潜り、なんとか近付いてレバー一回転コマンドを入れてスクリューパイルドライバーに持ち込む必要がある。
因みに、この当時同じ様な3DCGツールは他にも幾つかあり、maya、LightWaveと言う2つのツールも有名だ。
ガイルか春麗か…
体力は残り少ない。
必殺技コマンドの入力も何度もミスり、成功率が悪い。
制限時間は金曜日、つまり今日中だ。
改めて時計を見ると、いつの間にか午前3時を過ぎている。
時の流れは早いものだ…
「じゃ俺帰るわ、お疲れ様ー」
上司の大泉は、そう言うと上着を羽織って自転車に跨り闇夜に消えて行った。
気付けば他のメンバーは、机の下で寝袋に包まっている。
近所のディスカウントストアトで買ってきた、青や緑色の安物寝袋。
まるで、巨大な芋虫の様だ。
全員ラスト目前で回復タイムに入った、このタイミングの見極めが重要なのだ。
遅すぎても早過ぎてもだめ、短過ぎても長くてもだめ。
そして俺も愛用の寝袋に潜り込んだ。