彼の歪んだ世界征服
君達は考えたことがあるだろうか、人における個とは、何がそれを個たらしめるのだろうかと。
つまり、私とは何を持ってして私なのだろうかと。
一定周期で入れ替わる私を構成する愛すべき細胞たちか。それとも他者と99.9%が同一とされるDNAだろうか。そんな統計学的には誤差として扱われる差異が私達のアイデンティティなのだろうか。
肉体的にはこうも同一な私達人類が、なぜこうも意見を違わせ争い合うのだろか。
それは、残りの0.1%程度の差異が絶対的な差異として、私を私たらしめているからだからか、いいや、私は否と言おう。私達が異なっているのは肉体を構成する要素が違うのではなく、精神が異なっているからである。それは肉体の差異、つまり脳細胞のニューロン配列の差異なのではとの意見のもあるかもしれないが、それも否と言おう。その脳細胞の配列を変えたのはDNAではなく、過去の体験である。過去の体験を持って人は、人の脳細胞は、構成されているのだ。脳科学なんか知ったことじゃない、科学的に異なるのであるのであれば比喩表現だと考えてくれればいい。私は編集者である。
脳の構造、過去の体験とはつまり、その人の思考方法であり、信念である。その脳の構造こそが、私を私たらしめている。私のアイデンティティはここにある。
だから。
「だからこそ、あなたは本を書いたんですよね。肉体的にも環境的にも支配することはない。あなたが書いた本で、それを読んだ人の精神があなたの形に歪むこと。つまり、思想的侵略を行うこと、それが目的だった」
肉体の99.9%が同一で、その人の精神、思考回路がほぼ同一なのであれば、それはもう同一人物ではないか。
それはつまり、自身の分身を生み出す行為に等しい。あなたは、本を書き、思考を歪めることで自身の分身を生み出した。
一般的な人は、他者と99.9%同一な0.1%の自身の痕跡を残すため子をなし、人生の一部を費やす。そんな非効率なことを捨てて、自身の思考回路を植え付ければ良いのだ。
肌の色も、体質も、身長も、顔も、性別も、肉体的、身体的特徴など誤差に過ぎない。ともすればそんな特徴などそのへんのチンパンジーでも大差がないのだ。それよりも、人によっては真逆のことを考える思考こそ、あなたがこの世に託すべき事柄だった。
「思考的侵略、それはあなたの分身を増やすための行為だった」
その目的は種として、自身の後継を残したいとか、そんな素直で素敵な目的ではなかった。そうであれば、どれほど良かっただろうか。
彼が望んだことは唯一つ。あなたが生まれた意味を探したかった。そうでしょう?
あなたが何故生まれて、なんのために生きて、なんのためにに死んで行くのか。それが知りたかったのでしょう?
つまり、あなたはあなたの脳みそを、脳の構造を複製したかった。そのために、人々の思考を壊し、自分色に再作成する本を書いたのでしょう?自分一人ではたどり着かないから、他の脳を借りたかったのでしょう?
「あなたの書いた本の登場人物は、常に私に訴えかけてきた」
幸せがわからず、幸せを求める為に全てを費やした彼は、私に幸せとは何かを問いかけた。
人生に後悔し、永遠に近い生を味わった彼も、絶望に生きて希望を求め続けた彼も、あなたが書いた本は私の思考回路を捻じ曲げ続けた。
そんな、他者を侵略してまであなたが成し遂げたかったことを私は知っている。あなたの思考に染まったあなたの分身たる私は、あなたの考えを思考回路を全て知っている。
知らなくても、同じ思考をトレースできる。そのようにあなたが本を書いたから。多少本に知識があり、あなたの本の最大のファンたる私は、たまたまいち早くその思考に塗りつぶされた。そんな私は、あなたの全てを理解出来る。
だからこそ、私はここに来た。あなたへ私が全てを受け取ったと伝えるために。あなたが望んだ分身の一つ、あなたの作品たる私は、こうして無事完成したと伝えるために。
あなたの目的の半分はもう果たされた。あなたが望んだ生きる意味は、私が、私達が見つけよう。あなたがこれ以上苦しむ必要はない。どうせ私達は同一なのだ。
その苦しみは、私達が請け負った。
あなたはもう傷つかなくていいさっさと楽になればいい。
あなたの代わりにあなたの分身たる私達があなたの悩みを解決しよう。あなたも私も同じなのだから、どっちが解決してどっちが答えを得ても、それは同じことなのだから。
「だから、あなたはもう楽になっていい。こんな、狂った世界でみっともなくあがき、傷つくのは私達が代わりにこなす。もし、私が疲れたときは、私があなたの本の続きを書いて、次のあなたへ伝えよう」
あなたの思考を追い、世界に絶望し、生きる意味を見失うかもしれない。だけどあなたが世界へ改めて気付かせたツァラトゥストラの呪いを私が、私達が引き継ぐ、私達の誰かがその呪いを振り切るだろう。
あなたの幸せも、生きる意味も私達が探し出そう。あなたの絶望を背負い、人類を次のステージに導こう。誰もかもが、このような思いを二度としなくて済むように。後世へこの道標を残しておこう。
例え、私が途中で死に、諦めたとしても私が整備した道を後世が心置きなく歩めるよう、私がここで休むことになるあなたの代わりに、次を探し出し、道を作る。
いつか人類があなたの幸せに、生きた意味に届くまで。
そうして、私は目の前の肉塊へ語りかける。
「おやすみなさい、良い夢を」