5話覚えてないことにした
「ぷは~。美味しいですね。これ!」
まるでビールを飲むかのように梅酒の炭酸割を飲み干す。
度数は少なく見積もっても、9%以上だというのにな。
「豪快だな」
「これからは、ちびちび飲みますから大丈夫ですよ」
炭酸割ではなく、氷だけのグラスに梅酒を注ぐ。
そして、ちびちびと飲み始めた。
「彩芽さんって普通にお酒が好きだよな。飲み会とかで良く飲んでるし」
「はい。お酒大好きです! 」
「でもまあ、ほどほどにしとけよ? あの時は正直に言うと、超危なかったからな」
「あははは……。あの時はありがとうございました」
彩芽さんはサークルの飲み会で盛大に飲んだ。
で、べろんべろんになってお持ち帰りされる寸前になっていた。
それを助けてやったのは今でも、よく覚えている。
「お持ち帰りされたら大変だからな……」
「ん? なんか、その物言い。経験がおありみたいな感じですね」
「いや、俺は無いぞ。ただ、目の前で男友達が男の先輩にお持ち帰りされてな……」
次の日、男友達は何故か死んだ目をしていたのは記憶に新しい。
ああ、うん。これは、やられたんだなと俺は優しくしてやった。
「そ、そうだったんですか。重ね重ねお礼申し上げます。あの時は、さりげなく助けて頂いてありがとうございました。ささ、おいしもう一杯。どうぞ」
空になりかけていたグラスにお酒を注がれる。
俺はまだビールだ。
彩芽さんは最初から梅酒を飲みたいって事で、飲み始めて時間はあまり過ぎていないが、普通に梅酒を飲んでるけどな。
「で、割と色々と作ってみたけど、俺の作った料理はどうだ?」
「はい! 美味しいですよ。特にこのローストビーフに掛かってるソースが美味しいです」
「喜んで貰えて何より。ほらよっと」
もりもり食べるのは昨日で知っている。
彩芽さんの皿に料理をよそってあげた。
そしたら、彩芽さんは嬉しそうに食べてくれる。本当に料理を作ってあげたくなる楽しい相手だ。
「あ、そう言えば、道人さんって専業主夫になってくれても良いんですが、将来の夢ってありますか?」
「なんでいきなり聞くんだよ」
「明るい家族計画のためです」
「っふ。なんだよそれ」
つい鼻で笑ってしまった。
しかし、彩芽さんは悩ましそうに眉間にしわを寄せてしまう。
少したって、気まずそうに彩芽さんは話し始めた。
「もし、私と道人さんが偽装夫婦から本当の夫婦になる場合。おばあちゃんのやってる事業の引継ぎとか、跡取り問題とか、割と計画を立てないとダメなんですよ」
こんなことを言えば、面倒だと思われてしまう。
だからこそ、眉間にしわを寄せ悩んで居たのか?
確かに言われてみればそうだよな……彩芽さんはお嬢様なんだしさ。
「お嬢様である彩芽さんと一緒になるって事はそういう事もある程度は覚悟しなくちゃいけないのか」
「あ、でも、その、出来る限りはしがらみに囚われないように頑張りますけどね!」
「というか、お嬢様である彩芽さんって俺と結婚して大丈夫だったのか? 」
「その辺は大丈夫ですよ。おばあちゃんも結婚した時は駆け落ちで結婚して、離婚すら経験した事がある理解があるお方なので」
「おばあちゃんはって。両親はどうしたんだよ」
「言ってませんでしたね。お母さんは生きてるんでしょうけど、父と離婚してどこかへ行っちゃいました。そして、父はもうすでに亡くなってます」
「悪い」
「気にしないで下さい。先に言っておかなくちゃいけなかった事なのに、黙ってただけなので」
ちょっとしんみりした雰囲気が漂い始める。
この空気を払しょくしてしまう前に、俺はすべてのもやを晴らす事にした。
「悪いがこの機会に聞かせてくれ。おばあ様の体調は実際の所、どうなんだ?」
偽装夫婦を続けるのはおばあ様が亡くなるまで。
タイムリミットがどのくらいあるのかずっと気になっていた。
「今は大丈夫です。でも、まあ。よくおばあちゃんは長くはないって言ってます……。だから、どうしても、私が結婚して幸せに花嫁として衣装を纏う姿が見たいって」
「それで、俺と結婚したわけか」
「すみません。ご迷惑をお掛けします」
「いやいや、気にしないでくれ」
ちょっとしんみりした空気。
そんな雰囲気を吹き飛ばすために俺はビールを飲み干しテンションを上げて行く。
「ほらほら、せっかくだドンドン飲もう」
「そうですね。今日はたくさん飲みましょう!」
とまあ、二人してぐびぐびとグラスを空けて行った。
そして、あっという間に俺と彩芽さんは出来上がった。
ぐわんぐわんと心地よく歪む景色。
べろべろ一歩手前で、心地の良い倦怠感が体を襲っている。
「ふ~、道人さん。お酒はこのくらいにしましょうか……」
「ん、ああ。これ以上飲んだら悪酔いするしな」
「はい。じゃあ、片付けを……っとっと」
おぼつかない足取り。
片付けなんてとてもじゃないが任せられない。
それはどうやら、俺も同じようだ。
「あっちでゆっくりしよう。片付けは後でだ」
「それが良いですね」
酔っぱらった俺と彩芽さんはリビングにあるソファへ。
二人して座りながらテレビをぼ~っと見ながらくつろぐ。
そしたら、気がつけば彩芽さんが俺の手を握って来た。
振りほどく必要も無いので、こっちからも握り返す。
ぎゅっとされたら、ぎゅっとして、くねくねと弄ばれたら、こっちもくねくねと弄る。
何となくで手を繋いで弄り合う。
もたらされる、ふわふわとした幸福感。
それをひたすらに感じている俺は、手を繋いでる彩芽さんに質問していた。
「本当に彩芽さんと一緒になったら毎日、こう言う風に手を握らせて貰えるのか?」
「ふふっ。当たり前ですよ。というか、おばあちゃんのために偽装夫婦をしてくれてるんです。お望みであれば何でもしてあげますよ?」
「例えば?」
「んふふ。それは道人さんが決めて下さい」
妖艶な笑みで俺を誘う彩芽さん。
そんな彼女をちょっと困らせたくなった俺は酔っているのかバカげた事を言ってしまう。
「膝枕して赤ちゃんを甘やかすかのように、甘えさせてくれ」
気持ち悪い事を言っている自覚がある。
きっと、酔いが冷めたら酷く後悔するんだろうな~。
あ~、なんて事を言ってんだ? 俺……。
「そんなので良いんですか? じゃあ、はい。どうぞ」
膝をポンと叩き俺を呼ぶ彩芽さん。
綺麗な女性である彩芽さんの魅力に逆らえなかった。
普通に俺は膝枕をして貰う。
「ママのお膝でおねんね出来てえらいえらいです!」
そして、膝枕している俺を赤ちゃん言葉であやす彩芽さんであった。
次の日。
外は明るくなった頃、俺は目を覚ました。
「やっちまったなあ」
ソファーで目を覚ました俺は昨日の失敗を思い出し、手で顔を覆い隠し後悔する。
膝枕で赤ちゃん言葉で彩芽さんに甘やかされるという気持ち悪い事をしてしまった。
酒が入っているとはいえ、さすがにあれは無いだろ……。
「お、おはようです」
先に起きていた彩芽さんが俺に気まずそうに声を掛けて来る。
ああ、うん。これ、彩芽さんも普通に昨日のことをちゃんと覚えてるっぽいな。
「き、昨日って酔った後、なんかあったっけか? いや~、ソファーに座ったら、すぐに寝ちゃってさ。何も覚えてないんだよ」
「い、いえ。わ、私もソファーに来たらすぐに寝ちゃって覚えてないんですよね!」
「だ、だよな?」
「は、はい!」
昨日の夜、赤ちゃん言葉で甘やかされた俺と赤ちゃん言葉で甘やした彩芽さん。
紛れもない事実だと分かっていても、受け入れがたい事実。
なので、俺と彩芽さんは無かったことかのように振る舞うことにした。
「あ、あははは……。いやあ、飲み過ぎたな」
「飲み過ぎましたね……」
めっちゃ気まずい朝。
でも、不思議と嫌な気持ちは一切しなかった。