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CHAPTER 1.聖女と神の邂逅 (7)

「この世界に、意思があるのは知ってるか?」

 世界の誰もが知っているであろうその問いに、ティファは余裕を持って答える。

「もちろん。レイナって名前で、存在が世界そのものの意思なんでしょ?」

「そうだ。だが、レイナだって初めから世界だったわけじゃない。元は俺達と同じ人間だったんだ」

 胸を張って答えたティファの言葉に補足するようなアレイズの声が響く。それはゆっくりと部屋に浸透するように流れ、ティファの脳裏へと届き、彼女はしばし間を空けてから目を見開いた。ダークブルーの瞳に驚愕が湛えられる。

 世界に意志があることは誰もが知っているし、姿は人の如しと伝えられていることも彼女は知っている。しかし世界の意志が元々人間であったなどということは聞いたことがなかった。恐らくまだ誰もが仮説として定義していないことだろう。それほどにアレイズが口にしたことは突拍子のないことだった。

「アレイズ、貴方元々人間だったのね」

 驚愕とは別のことを口にすると、アレイズが憮然とした顔を浮かべた。笑えば爽やか好青年になるというのに。

「当たり前だ。神というのは皆初めから神だったわけではない。この世界に存在するものが世界に貢献した時、初めて神になるんだ。貢献したのが人間でも何らおかしなことじゃない」

(確かにその話は大聖堂で何度か聞かされたけど……でもそれなら)

 大聖堂での教えを彼女は信じきっていたし、疑う余地などなかった。

 しかしその前提があってなお彼女は目の前の神が自分と同じ人間であったという事実に驚きを禁じ得なかったし、ましてや世界がそうあったことにも疑問を抱いていた。この世界に生きるもの。それは例えば意志なき草でも意思ある人間でも変わらず、神となる素質を持っているということになる。

(でも、それならどうしてレイナは世界になれたのかしら?)

 それが不可解だった。

 世界の意思たるレイナが元々人間であったというのなら、世界そのものではなく神になっていて然るべきなのだ。少なくとも、大聖堂の教えが正しければ。

 しかしレイナは神ではなく世界になった――それは一体何故なのか。

「意外だったわ。貴方が元人間だったって言うことも、世界が人間だったことも。……というより、世界の話は誰も信じそうにないわね」

 今世界中で流れている説には、世界のために戦い貢献したものが神になれるとされている。そして誰もが讃える神になる方法を知っていて実行しないほど人間は謙虚ではない。だというのにもし世界になる方法の一端を知ってしまったら、それこそ世界を包む火種となるだろう。それは長らく大聖堂から出ることなく育ち、世間をあまり知らないティファでさえ容易に想像できる事実だった。

 話しても信じてはもらえないだろうが、そもそも話すことを止めた方がいい。

 神妙な面持ちで呟くティファにアレイズは困ったように溜息をつき賛同の意を示す。元人間である彼も、人間という存在の本質的な愚かさを分かっていたのだろう。

 指輪の光が失われた室内はしかし決して暗さなどなく、あくまで静謐さだけを湛えるその場所で黙り込んでいると浅く息を吸う音の後でアレイズの声が耳朶を打った。

「話を続けるぞ」

「えぇ」

 頷くと、再びアレイズの朗々とした声が室内を満たす。

 ティファはそれを聞きながら言葉を噛みしめ、一つ一つを要約していく。

 アレイズ曰く、世界となった人間はレイナ一人ではなく他にも数人いるということだった。

 彼らに共通するのは世界の真理に触れたことと、人間という種族であるということだと。

 そしてそれこそが神になるか世界になるかの分かれ道になるのだと彼は話していた。

 真理に触れたものは自ら世界になることを選び、その身も魂も世界に捧げ世界の意志となる。

 しかし彼らは元々人間だ。今はほぼいないとされている魔物や悪しき心を持った人間達に対抗する術を彼らは持っていなかった。

 否、知識はあったのだ。真理に触れ、この世界のすべてを手に入れたのだから。しかし打ち倒すことはできなかったし、人々の前に滅多に姿を現すこともできなかった。そこでいつかの世界が決めたのだ。己を守護する者を神と定め、別の生を与えることを。選ばれた、世界にとって一番初めとなる神はその世界がまだ人間だった頃に護衛をしていた人物だと補足のように話してくれた。

 ――なるほど、とティファはアレイズから与えられる情報を持ち前の明るさを控えた顔で頷いて聞きながら、最後に尋ねる。世界についての貴重な情報は得ることができた。だけど、まだ肝心なことが聞けていない。

「それで? 肝心の契約の方法だけど、どうしてアレイズは契約の仕方が違うの?」

 世界の形も成り立ちも確かに重要な話だ。

 それこそ、教皇や聖母にとっては喉から手が出そうなほどのものだろう。

 しかしティファは教皇でも聖母でもなく、神と契約をするために遣わされた聖女だった。無論、今までの話の中に何かヒントが隠されているのかと思案することは欠かさなかったが、彼女にそれを見つけることはできなかったのだ。

 アレイズほどではないものの、彼女にしては低い声で尋ねると彼は眉根を寄せて若干困った表情を浮かべる。話すことが躊躇われる、といった様子だ。

「?」

 結界に邪魔されてこの部屋に入ることのできない双子の存在すら遠く感じられるほど、強い疑念と好奇心の熱が心に灯る。ティファはそれを自覚しながら首を傾げ、催促するようにアレイズを凝視した。ダークブルーの真っ直ぐな瞳に射貫かれ、アレイズは双眸を細めて逡巡しながらもやがて溜息と共に言葉を紡ぐ。

「俺の契約方法が違うのは、単に世界との誓約行為自体に違いがあるからだ」

「? 世界と誓約?」

 契約ではなく、誓約。しかも世界と?

(てっきり、気付いたら勝手に神様にされてたとかそういう話だと思ってたのに)

 心中で呟きながらも問いを重ねると、アレイズは何を馬鹿なことをとでも言いたげに半眼でティファを見た。

「護衛役とはすなわち騎士だ。騎士は主に忠誠を誓うものだろう? そのための誓約だ」

「そりゃあ、そうだろうけど」

「いやまぁ、俺は騎士というわけではないんだが……ほとんどの神は騎士と言っても差し支えないだろうな」

 騎士を実際に目にしたことはない。

 しかし騎士という存在がどういうものであるかはティファにも理解ができたし、確かにそれならば主となる世界と誓約を交わすことも間違いではないのだろうと考えることもできる。ただ、自分は騎士ではないと言ったアレイズの言い淀む姿が気にかかる。今まさに護衛役とは騎士だと告げたばかりだというのに。

(騎士じゃないってことは護衛役じゃないってこと? だとしたらアレイズって一体……)

 はっきりとしない態度に苛立ちを感じないわけではない。しかし伏し目がちな漆黒の瞳が映すものは優柔不断から来る逡巡ではないと感じられたせいか、ティファは怒りを声に出すことなくただ彼が口を開くのを待つことができた。何度見ても人間らしい――元人間だから当然といえば当然だが――そう感じられるような見た目をじっと見ていると、見つめすぎたのかアレイズが身動ぎした。

「俺は」

 身動ぎと共に出された声がすぐに区切られ、また放たれる。

「俺は世界と誓約することなく、他の神々の呪いが原因で強制的に神にさせられたんだ」

 まぁ、神に刃向かったのが悪かったんだろうがと続けられるアレイズの声に目を丸くする。

「呪いで、神になるものなの?」

 刃向かったから神にされる? そんな話聞いたことがない。そもそも野心のある人間達はどうやって世界を見つけて守れば神になれるのかとそればかりを考えているというのに、世界に貢献することなく強制的に神になる存在がいたなんて大聖堂が知ったら卒倒するのではないだろうか。崇める対象がそんな理由で神になったなど。そして大聖堂が守護する神が呪いで神になったなど、誰に想像できようか。

 アレイズに対する同情心が芽生えないでもなかったが、それ以上にティファの心を占めるものは神々への呆れだった。小さく吐息すると、アレイズは苦笑を浮かべる。

「ただ、世界は俺に人間として生きることを願っていた」

 頷き、苦々しい表情で続けられた言葉に更に問いを重ねる。

「……アレイズは、世界を知っているの?」

 世界の願いを知っているということは、世界の言葉を聞いたことがあるからなのだろう。そう考えて発されたティファの言葉にアレイズは至極あっさりと答える。誰もが探して探して、それでも見つからない世界を知っているのだと。

「あぁ、人の姿を取っていた時に会ったことがある。だからかは知らないが、俺が神にされたと知ってレイナは嘆いていたよ。その後で、神々の意見を無視して俺に呪いの解き方を教えてくれた――それが契約だ」

 けい、やく。

 小さく舌の上で転がすような声を上げると、それを聞き逃さなかったアレイズが頷いた。黒髪が流れ、翡翠色のローブを細い闇に包む。

「そう、契約だ。もっとも、契約しただけで解けるような呪いじゃないが」

 契約行為が神である呪いを解くために必須の条件。

(でも、それだけじゃ駄目ってことは根本的解決にはならないわ)

 必須ではあるがそれだけでは足りないのだと告げられ、ティファは何が彼を人に戻すのだろうかと自分の知識を総動員して考えを巡らせるが結局は何も浮かばなかった。神になるための方法は色々と説が流れているが、元に戻るための方法など聞いたことがないのだ。いや、そもそも戻ろうとする神がいなかったのかもしれない。

 真っ直ぐに見据えた先にいる神に想いを巡らせる。

(アレイズはどう思っているんだろう?)

 永い間眠り続け、神聖文字で世界に何かを伝えようとした元人間の神。石碑を読む限り彼はティファが知っている神と変わらず世界を守護したいと願っているようだったが、彼は本当に人間に戻りたいんだろうか?

「アレイズは、人間に戻りたい?」

(人に戻ってももう貴方の知っている人はどこにもいない。故郷だってあるか分からない。それでも、人として生きたいのかな……)

 知らず、声が漏れていた。心中をそのまま言葉にしたそれを聞いたアレイズは双眸を見開き、噛み締めるようにじっくりと間を空ける。そうして熟考する様子を見せてから、微かな肯定が返ってきた。

「あぁ」

 そこにどんな想いがあったのかは分からない。

「……分かったわ」

 ただ、決して楽天的な想いで発された答えではないことだけは分かったからティファは大きく頷いた。自分は神と契約する聖女であり、相手は契約することで人間へ戻る足がかりを掴める神だ。お互いの利害は一致しており、邪魔するものなど何もなかった。

「それで、契約って具体的に何をすればいいの?」

 契約した神が人間に戻ってしまったら教皇や聖母から叱られるどころの話じゃ済まされないかもしれないが、ティファはこの短い間にアレイズに対して同情に近い想いを抱いてしまっていたのだ。できることなら助けてあげたいと考え、契約行為を申し出る。しかしその瞬間、アレイズの顔が分かりやすいほどに固まった。

「アレイズ?」

 明らかに動揺した態度に首を傾げる。するとアレイズは不思議そうなティファと手の中の指輪を何度か見比べてから、最後には俯いて掠れた声を出した。

「口づけだ」

「あぁ、そう。じゃあさっさとやっちゃいましょ――って、えぇ!?」

 あまりにも小さい声だったからティファは一瞬さらりと流しそうになってしまったが、慌てて大声を上げる。きんと室内に甲高い声が響き渡った。

「……そうだ。契約の形はそういう風になっている。呪いが解けるには他の要素も必要になるが、まずは契約しないと始まらない。ちなみにレイナから聞いた契約方法はそれ一つだ」

「じゃ、じゃあもしかしてノルマン様やアリア様が試されても目覚めなかったのは――」

 ついでに聖人が試しても駄目だったのは、つまりはそういうことなのだろうか?

(いえ、でも聖女だって来たことはあるだろうしまさかそんな)

「いや、俺はお前が来て初めて起きたんだ。だから別に人を選んだわけじゃないが、どの道男や歳食った女と契約する気はないぞ」

 選ばれたわけじゃないと知り肩を落とすべきか安堵すべきか悩みながらティファはアレイズに向けて呆れの混ざった溜息を漏らす。世界も世界なら神も神だ。どうして揃いも揃ってこんなに大雑把なのだろう。契約方法の衝撃が吹き飛ぶほどの呆れに心を支配されていると、やはりアレイズも思う所があるのかやれやれといった様子で首を振る。

「レイナにも困ったものだ。契約中に同じ事をされたらその者に契約権が移るんだからな」

「それはまた、なんていい加減な」

「まったくだ」

 要するに、契約中にアレイズが他の誰かと口づけを交わした瞬間自分との契約が消えてしまうということなのだろう。それは神にとっては選択肢が増えていいことなのかもしれないが、契約をする聖女としては不安なことこの上ない。神が望んで他の誰かと契約をするのならまだ許せるとしても、不可抗力だったらどうしてくれる。

 ――その前にまだ契約をするって決めたわけじゃないとティファは自分で自分を律しながら目尻を吊り上げてアレイズを見据える。どことなく気まずい沈黙に支配される中、先に口を開いたのはアレイズだった。力ない声には緊張など含まれていない。

「で、どうするんだ? 俺はどちらでも構わないからお前の意思一つで決まるぞ?」

「……貴方の意思は関係ないの?」

「どの道、ここにいても始まらないしな。契約をしないとここから出ることも叶わない」

 一体それがどういう原理なのか、ティファには分からなかった。しかし当事者である神が言うのだからまず間違いはないのだろう。それでもティファは心の中で突っ込みを入れることを忘れはしなかった。

(そりゃあ確かにそうかもしれないけどっ! だからって相手も選ばずキスしていいわけ!?)

 選んだわけじゃない、選ばれたわけじゃない。ただ願われるまま地下へ下り、ただ意識の覚醒に合わせて目覚めた。それだけの関係だというのに、なぜこうも楽観的なのか。いやそもそも自分との口づけなど何てことはないのだろうかこの神は。心の中でぐるぐると渦巻く苛立ちと怒りが混ざった感情を持て余しつつ目を閉じる。

 黙ってティファの選択を待つアレイズの目にはやはり緊張などなく、ただ微かな申し訳なさを覗かせているのみだ。それをティファは知る由がなかったが、彼女は静寂に満ちた室内で心を落ち着かせながらやがてゆっくりと目を開いた。芯の通った声が凛と鳴る。

「分かったわ。私も貴方を目覚めさせておいて契約できなかったら大聖堂を追い出されそうだし、口づけぐらいしてみせるわ」

「……そうか」

 聖女の役目は神と契約をすること。それが存在意義であり、育ててもらった恩を返す唯一つの方法なのだ。ティファはそれを幼い頃から叩き込まれていたし、聖人聖女でそのことを知らぬ者などいない。だからこその決断だった。よもや追い出されるとは思っていなかったが、左遷されればそれに近い状態になることも彼女には分かっていたのだから。

 足を踏み出し、アレイズのすぐ傍で立ち止まる。頭一つ分高い場所ではアレイズが彼女を見下ろしており、ティファの答えに静かに答えながらも小さく笑んでいるのが見えた。どことなく柔らかい笑みに目を見張っていると、彼の唇がそっと動く。

「すまない」

 アレイズの背中を包む光の翼が霧散する。煌めきの残像を残して消えていくそれを茫洋とした面持ちで眺めながら、なぜ謝るのだろうかと思案する。相手は神なのだ。たとえ契約方法が違うと言えど、人は神に従属するものであり協力をするものではない。親しげに話しているからついそのことを忘れがちになってしまうが、ティファはその認識を崩すことはなかった。

 少し骨張った温度の低い手が肩に置かれる。ティファはその感触に一度身を強ばらせてから、覚悟を決めたように瞼を閉じた。

 熱が近付く気配を感じ、唇に吐息が触れる。一瞬だけ逡巡するような様子を見せたそれはしかしすぐにティファの唇に熱を与えた。柔らかな感触に、そういえばこれが初めてなんだとティファは胸中で呟いた。大事にしていたわけではないが、かといってこんな形で失うとは思いもよらなかった。

 手とは違う柔らかな熱が離れていく気配に震える睫毛を押し上げて目を開ける。すると見事にアレイズと目が合ってしまい、彼女は熱くなる頬を押さえもせずに慌てて目を逸らした。瞬間、自身の体を光が包む。

「な……何、これ」

 見れば、アレイズの体も同じように発光している。温かな光は先程指輪から発されたものと同じ性質に感じられ恐怖感こそ感じなかったものの、自分が発光することに驚愕しない人間などいない。震える声で呟くと、アレイズは特に動揺した様子もなく小さく頷いた。

「話によるとこれが契約の証らしいな。この光が俺たちを結びつけてくれるんだが、この結びつきは――っ!?」

 キィィィィィィィィンッ。

 アレイズの低い声をぶつりと遮断する金切り音。音の強さはそれほどではないものの、あまりに甲高い音に耳を塞ぐ。しかしその音の出所がどこなのかを理解した瞬間、ティファはさあっと冷えた思考で駆け出した。

「っ! メイ! マイ!?」

 音の発生源は扉の向こう側。閉じられたその先で何が起きているかなど予想することもできず、それが彼女の恐怖に拍車を掛けた。契約した神のことすら忘れ無我夢中で扉を叩きつける。しかし音も漏れないように細工がされているらしく、双子の声は届かない。恐らくティファの声も届いていないだろう。

「急がなきゃ! 二人に何かが起きる前に何とかしないと!」

 集中して魔力をぶつけようにも上手くいかない。

(どうしてこんな時に――!)

 扉の向こうで何が起きているか分からない。罠でも発動したのかもしれないし、何か敵でも現れたのかもしれない。長らく手入れされていないから気をつけろとあれほど言われていたのに。二人が怪我をしていたら、怪我以上の傷を追っていたらと悪いことばかりが頭を過ぎる。

 半ば半狂乱となったティファは中途半端でもいいからと魔力を集めようとして、静かな声に制される。

「少し下がっていろ」

 落ち着いた声に顔を上げると、いつの間に傍に来たのか隣に漆黒と翡翠の神が立っていた。彼はこんな時でも落ち着いた様子で扉の向こう側を見るように双眸を細め、ティファの方を見ることなく告げる。

「俺の真名を呼べ」

「アレイズの、真名?」

 焦燥感と苛立ちに目頭が熱くなる中、その声はひどく強く彼女の心に響き渡る。

「俺は――俺の真名はジュードだ。それが俺の人としての名前であり、俺が存在するための名前。アレイズとは神として与えられた仮初の名に過ぎない」

 それならどうしてアレイズは最初にその名を教えてくれなかったのだろうか。そこまで考えてティファはつい先程自分が彼と契約をしたことを思い出した。恐らくそれがトリガーになっているのだ。契約者以外に真名を教えることなどできないのだろう。

「助けたいのだろう? なら俺の名を呼び、命じろ。それが今のお前が為すべきことであり、今のお前にしかできないことだ」

「……」

 どこまでも真っ直ぐで強い声。それは神としての声だったのだろうか、それとも人間としての声だったのだろうか。混乱する頭の中響く声を冷静に受け止めることができないティファにそれを探る術などなかったが、彼女はただ揺さぶるような声にすがるようにして震える体を叱咤した。

「ジュード」

 きっと扉を睨みつけ放った声は、神と同じ強い力を持つ声だった。

「この扉を開けて、私のメイド達を助けて」

 口にしたのは、神に対して放つには恐れ多い言葉だった。彼女は貴族ではない。メイドを従えているとはいえただの聖女だ。しかしこの時彼女は確かに大貴族ですら叶わぬほどの威厳を持ってアレイズに命じることができた。従属する姿勢でも希う姿勢でもなく、ただ彼が願うままに。

 永き時をかけて築かれた神と聖女の在り方にひびを入れた態度に、しかし彼は小さく笑みを見せただけだった。

「承知した」

 楽しげな声を含んだその声に、どうして彼はこの展開を願ったのだろうかとふと冷静になって考えながらティファが扉から背を向ける。瞬間、強い光が室内を満たし慌てた彼女が再び扉に目を向けた時、彼女と双子を遮っていたそれは跡形もなく消えていた。

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