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CHAPTER 1.聖女と神の邂逅 (6)

「あ……っ」

 指輪を天井に向けかざすと、そこに微かな光が宿る。指輪にはまる宝石と同じ翡翠色は淡くティファの全身を照らし、純白のローブは教皇達と同じ色の高位のローブへと姿を変える。目を細めて指輪を凝視すると、淡い光が温度を持ったように降り注いだような錯覚を覚えた。

「何だか、暖かい」

 無論直接的な熱が与えられているわけではないが、なぜかティファにはそれが暖かいものに感じられた。鼓動を打つように光が強弱をつける。とくん、と血液が全身を巡るように穏やかに。まるで生きているみたいだ――と感じていると熱が更に強くなる。ティファはそれを全身で感じながら腕を下ろし、両手の平で指輪を包むようにして持った。振動など感じるはずがないのだが、やはりそこから鼓動を感じた気がした。

「……え?」

 その瞬間、強烈な光が指輪から溢れ出し部屋を白光に包んだ。

(何!?)

 思わず指輪を落としそうになりながらも奪われた視界の中で必死に状況を掴もうとする。だが元々大した情報を与えられていないせいか、彼女はこの状況への打開策など持ち合わせておらず、片手で目元を覆い隠しながら光が収まるのを待つことしかできなかった。扉が閉じられているとはいえ、もしかしたら双子にも光が見えたのかもしれない。それほどの強い光はしかし長らくの時間をかけずに収まった。

「一体何が」

 光に視界を焼かれ、ちかちかと明滅する感覚に首を振りつつティファが声を上げる。そこでふと指輪が手の中にないことに気がついた。

「あ、あれ。あの指輪は――」

 さっきまで持っていたはずなのに、と慌てて床を見るがそこに指輪は落ちてなどいなかった。台座にももちろん置かれていない。沈黙を貫く室内は冷たく、指輪が落ちた音など響かせていないと言うように無機質な顔をしている。

 じゃあ一体どこに、と思案しながら視線を元に戻す。そこでようやくティファは指輪の在処に気がついた。

「!」

 息を呑むティファの眼前。そこに指輪は存在していた――誰の手によるでもなく、自らの力で浮遊して。

 先程まで強い白光を放っていた指輪は再び元の翡翠色の淡い光を放っている。それに安堵すべきか否か迷うのは、恐らく指輪が意思を持っているように感じられたからだろう。温かな光は体温、伝わる振動は鼓動。まるで生きているみたいだと思わされる指輪は、それ自体が一つの生物であるかのようにティファの目には映った。無論、このようなことは教皇からも聖母から聞いてはいない。そもそも何の反応も返らなかったと言われたのだ。

 目の前に立つティファを翡翠色の光で包む指輪を凝視しながら、ティファは一体これはどういうことかと首を傾げる。彼女とてこのような反応が返ってくることは予想外だったのだ。たとえ指輪を足蹴にして神を起こそうなどと考えていたのだとしても。

 思案するティファを他所に、指輪は光を放ち続ける。あくまで穏やかに、ティファの視界を奪うことなく。ただ先程までと違うことが一つだけあった――光が徐々に照らす面積を増しているということである。

「こ、今度は何?」

 後ずさり、再び訪れる光に備えて片腕で顔を庇う。しかし指輪の光は強くなることはなくただ面積を広めるのみだった。

 ティファの全身を覆う程度の光が台座を、玉座をも覆う。だが、常ならば冷静さを欠いてしまいそうな現象が眼前で起こっているというのにティファは冷静だった。それは聖女としての立場がそうさせたわけではない。光があまりに温かすぎて感情を乱すことができなかったせいだ。翡翠色の光が面積を増す中、ティファは緩慢な動きで腕を下ろしじっと光を見つめる。ぼうとした意識の中でそれは、やがて面積を増す以外の行動を起こした。

 光がうごめき、何かの形を成そうとするのが見える。

 静かな動きで形成されるそれは腕であり、足であり、胴体であり、頭だった。

「何、これ」

 ――人になろうとしている?

 光がすらりと伸びた体躯を形成するのを理解すると同時にティファはようやく光が何になろうとしているのかを理解し、目を見開く。双子や周囲の聖女達と比べて小柄なティファよりも頭一つ大きな光。その中心に影が落ち、どくんと振動した。恐らくそこが心臓部分なのだろう。

「かみ、さま?」

 光が細くなり、温かな熱が消えていく。それを呆けた声を発しながら見守ると、光は次第に自らが形成した姿に影を生み出し、最後に強い光を放った。人間の体であるはずのそれに、翼が形成される。両翼を広げるようにばさりと音を立てた。しかしそれも束の間、全てを形成し終えた光は己の役目を失ったとばかりに消滅し、残されたのは人間なのか何なのか分からない存在のみ。

 形から見ても分かるように、それは人間の男のようだった。すらりと伸びた体躯、長い漆黒の髪、そして神と同じ漆黒の双眸には穏やかな光が宿り、精悍な顔つきは茫洋とこちらを見ている。着込んでいるのは教皇や聖母と同じ翡翠色が織り込まれた高位のローブ。もしかして聖人なのだろうかと思案するも、ありえないことだと首を振る。指輪に宿る聖人なんて聞いたことがない。大聖堂の中でただすれ違っているだけなら、ただの好青年としてしか映らないはずの男。

(だけど――この人は人間じゃない)

 翼のある人間など存在するはずがないし、そもそも普通の人間は光から形成されない。無論魔術を使えば何とかならないこともないとは思うが、あえてそうやって現れる理由などないはずだ。そうなると残された可能性は一つ。彼が神であるということだ。

 小さな問いに、茫洋としていた顔に表情が宿る。無表情の一歩手前の、微かな感情が含まれた顔。

「何だ?」

 それは首を傾げながら実にあっさりとそう答えた。

(こ、肯定なのかしらこれって)

「あ、えっと」

 あまりにさらりと答えられたせいでティファは戸惑うように視線をさ迷わせながら、今度はしっかりとした口調で問う。

「神様、なの?」

 とりあえずこれだけは確認しておかねばならなかった。

 ……これで神ではないと答えられたらティファはもう答えに窮してしまうのだが。

「そうだが」

 返ってくるのはこれもまた簡潔な答え。

 ただ肯定の意がはっきりとした形で返ってきたことだけは確かで、ティファは自分の口調を改めるように一度深呼吸する。神様相手に対等な口を叩くなど、聖女としてあるまじき行為だ。すぅ、と息を吸い込むと心臓が早鐘を打つように激しく血液を全身に押し流すのを感じた。

 元々起こして文句を言うつもりだったのだ。予定が少しばかり狂ったからといって結果良ければ全て良し、のはずなのだが……それでもまさか本当に眠っていた神が起きるなどと本心では思っていなかったせいで、急に緊張が高まってしまう。男はそんなティファを見下ろし、ふむと呟いてから逆に問いを返した。

「お前が起こしたのか?」

「お、起こしたというよりは、ただ指輪に触っただけなのですが……」

「ふむ……。しかしそれだけで俺が起きるはずがないんだがな」

 不思議そうな声は決してティファを責めているわけではない。しかしそれを理解していても彼女は不安に駆られ、胸中で呟いた。

(どうしよう。もしかして起こしたら駄目だったのかしら? でも、私本当に何にもしてないわよね)

 強いて言うなら指輪に触ってしまったぐらいだ。もしそれで神が起きてしまうというのなら、とっくに誰かが起こしているはず。不安を胸に抱いたまま素直に話すと、神である男は顎に手を当てて何やら考え込む様子を見せた。そこにもやはりティファを責める様子はなく、文句を言う素振りもなかった。そのせいだろうか、ティファはこのような状況であるというのにやけに冷静に神を観察することができた。

(神様って人間とあんまり変わらないのね)

 違うのは翼があるという点だが、それ以外は特に人間と変わりがない。口調も、もっと仰々しいものだと思っていたのに大聖堂を訪れる礼拝客達と大差ない。それ以前に言葉が通じることに驚きを禁じ得なかった。ティファとて全ての神々との会話に神聖文字を使うとは思ってはおらず、聖書でも人の言葉が通じるのだと教えられたことがある。それでも驚きを感じるのは、自分が神を手の届かない高みへと置いてしまったせいか。

 胸中で呟きながら、もしも神に読心術があったら今のこの気持ちも伝わってしまうかもしれないという考えが一瞬頭を過ぎる。しかし結局はそれでもいいという考えに至り、彼女は思う様神を観察することができた。不敬が過ぎたら契約をしてもらえないどころか攻撃をされる可能性もあるのだが、不思議とそうなる可能性は低いと思えたからだ。

「まぁ、考えていても仕方がないか」

 やがて神が思考することを諦めたように顔を上げる。その動作に釣られるように背筋を正すと、神はティファに視線を止めてから何かに気付いたように眉を顰めた。

(な、何だろう)

 眠りすぎて夜目が利かなくなっているのか、目を眇める神はティファの髪をじっと食い入るように見ている。あまりの迫力にまさか本当に心が読まれたのかと後退りたくなっていると、低すぎるとは言いがたいが決して高くもない声が耳朶を打つ。

「お前の名は?」

「? あ、ええと。ティファニエンド・レイニウムです。昔は違う苗字だったんですけど、今は――」

「ティファニエンド」

 唐突な問いに若干の戸惑いを感じたものの、出会い頭に名前を訊かれることは決しておかしなことじゃないと考え素直に答える。神相手に人間と同じような身の振り方をするのはどうかとも考えたが、相手が人間に極めて近い姿と態度をしているのだから仕方がない。

 生まれた時に与えられた姓を名乗るべきか思案し言葉を続けると、神はその言葉を遮り素っ頓狂な声を上げる。そうしてティファの姿を頭の天辺から足の先まで凝視した。スカイブルーの髪、それよりも深い色を放つダークブルーの瞳。それを何度も何度も確認するように見てから、ようやく彼は「成程」と納得したように頷いて、静かにその身を地面へと下ろした。ふわりと長い髪が舞う。

 眼前に立った神の表情に何が宿っているのかはティファには読み取れない。しかしそれがある程度の納得と驚愕と決意によって構成されていることは見て取れた。理由は不明だが。

 神は自分が名乗っていないことに気付いたのだろうか。気まずそうに眉根を寄せてから告げた。

「俺はアレイズだ」

「アレイズ、様?」

 そういえば教皇も聖母も、大聖堂が守護する神の名を教えてくれていなかったと今更ながらに気付く。自らが眠っていた指輪を手の中で弄びながらティファを見るアレイズは、自分の名を反芻する彼女の姿に困ったように頭を掻いた。その動作一つとっても人間臭いもので、威厳というものを若干損なっているのではないかとティファは胸中で呟いた。だからと言って対等に扱うことなどできないのだから余計に扱いに困る。

「いや、様はいらない」

「?」

「様なんて付けられるのには慣れてないから気恥ずかしいんだ。あと敬語を使う必要もない、契約の邪魔だ」

「あ、はい。じゃあアレイズ、私もティファでいいです……じゃなくて、ティファでいいよ」

 言葉通り、本当に気恥ずかしそうなアレイズを見てティファは思わず口元を緩めそうになりながら小さく頷く。つい先程まで対応に困ると考えていた所なのだ、こうして神から気さくにしてもらえるとありがたい。それがいいことなのか悪いことなのかは別として。

 このままで戻ろうものならさすがの教皇や聖母も怒るかもしれないが、とりあえず今はこのままでいることにする。ただ、一つだけアレイズの言葉に引っかかりを感じてティファは早口に尋ねる。

「契約の邪魔って何?」

 気恥ずかしいとか敬語を使う必要がないとか、そんなことが邪魔になっただろうか。

「まさか契約の仕方を知らないのか?」

「いや、一応私聖女だし、契約の仕方は知ってるつもりだけど。でも私が知ってる方法だったら邪魔にはならないよ?」

 ティファは契約の仕方を幼い頃から散々叩き込まれて育ってきたのだ、知らぬわけがない。しかしアレイズに問われると何やら不穏な空気を感じ、本当にその方法でよかったのかと思案する。

 教皇達に教わった契約の方法は神聖文字と契約の呪文があれば事足りる。強いていうならお互いの同意が必要だということぐらいか。しかしそれも親しげに話す理由にはならない。今まで神と契約をしてきた聖人聖女の話を聞いたことがあるが、どれもこれも聖人聖女が神に従属するような形だったのだから。逆もないことはないが、それとて滅多に起こることではないのだし。

(どういうことかしら?)

 従属するのならばそれらしい言葉遣いや態度が必要になるだろう。人間が神より優位に立ってはいけないのだから。無論、対等の位置にも。そう考えると、受け入れておいて可笑しな話だがこれはあまりに異常な事態だと言えた。首を傾げて思案し続けるティファの眼前で、そっと溜息が漏れる。

「それは他の神との契約だろう? 俺は他の神とは契約の仕方が違う……というよりも、あれは契約とは言わないと思うがな」

「……どういうこと?」

 ますます訳が分からないといった様子のティファに、アレイズはどこから話そうかと思案するように天井を仰いでから頷く。

「まぁ、いい。起こしてもらった礼だ、順を追って説明してやる」

 そうしてようやく話す箇所がまとまったのか、アレイズの朗々とした声が室内を満たした。

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