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CHAPTER 2.星夜祭に願いを (9)

 世界に、レイナに会うためには契約者が差し出す魂が必要になる。それは世界自らがアレイズに託した言葉から明らかなことだった。そして自分を起こすのがティファニエンドということも聞かされていた。となると必然的に魂を奪われるのはティファニエンドということになる。

 無論、切迫した状況で聞くにはあまりに時間がなさすぎて、アレイズはティファニエンドという存在について詳しく聞かされてはいない。強き意志を持つ魂、その容姿のことしか。だが、ティファニエンドが自分や世界の願いを叶えるために必要であることだけは理解できた。どのような形で叶えられるのかは定かでないが、確実にティファニエンドに死をもたらすだろうことにも間違いはない。なぜただの契約者ではなく、名前も姿も決められた存在なのか。眠りの中で何度も考えたアレイズだが、事実ティファニエンドが自分を起こした以上事態は動き出してしまっているのだ。緩慢に、だが確実にティファニエンドの死へと。

(このままでいいんだろうか)

 事情は決して話すなとレイナに釘を刺されているものの、何も知らないティファニエンドを本当にこのまま連れて行ってもいいものか、アレイズは事ここに来て悩む羽目になってしまった。頭をかきむしり、悪態でもつきたい気分になりながら目を閉じる。

『会えるよ』

 世界に会いたいと願った自分にそう励ましてくれたティファの笑顔が脳裏に浮かぶ。あどけなさの残るその表情はアレイズを契約神として認め、信頼してくれているのが見て取れた。

 そんな少女を自分は。

「くそっ……」

 無邪気に自分を信じてくれるティファが犠牲になることだけはしたくない。だが仮に世界が存在すると言われる場所に辿り着けたとしても、ティファの魂がなければレイナに会うことは出来ない。

 無論それは絶対のことではないのだろう。今までだって神は世界に会ってきたのだから。

 だが、レイナはこうも言っていたではないか。望む望まないとに関わらず、必然的にティファニエンドは巻き込まれるのだと。だから事情を知らなくとも彼女と契約をして自分を訪ねればいいのだと。

(あの話をした時、レイナは何を隠してたんだ?)

 ふと、かつての記憶で引っかかったことを思い返す。あの時のレイナが確実に何かを隠していたことをアレイズは確信していたのだ。

 煙に巻くような口振りでただ笑んでいた姿は、とても全てを信ずるに値するものとは言えないだろう。神として、レイナの友人としては不適格だと言えるが、何か裏があると思えてならない。

(それにレイナはなぜ、笑っていられたんだ)

 人間が一人、自分達のせいで死んでしまうというのに。

 世界とは全ての生きとし生けるものの頂点に立つ意志だ。人間一人の命程度気に留めている方がおかしいと言われれば、成程そうかと言わざるを得ないだろう。だが、果たして自分の友人はそんな心根の持ち主だっただろうか。

 ――レイナは一体何を隠しているのか。

 考えれば考えるほど、違和感は強くなる。世界を疑うなど他の神が知れば目を剥くだろうが、ティファと契約してから今までずっと胸に巣食っていた罪の意識がアレイズから緩やかに理性の箍を取り去っていた。だが、いくら疑おうと会わないことには確かめることさえ出来ない。問題は、会う方法なのだが。

 伏せられた瞼が与える闇色に意識を集中し、アレイズは何度も自問自答する。

 このままでいいのか、他に何か方法はないのか。せめてグラドに着く前に答えを見出ださねばならないのではないか。しかし、方法などどこに――。

「ジュード」

 鋭い声が耳朶を打つ。至近距離で放たれたその声にびくりと身を竦ませるとティファがぱちりと目を見開いた。しかしその距離も異常な程に近い。アレイズは自分の髪に触れる頬に視線を向け、ついで襲ってきた感覚に上ずった声を上げる。

「何だティファか――っておい!?」

「何?」

「何? じゃない! 何してるんだ!」

 肩に乗しかかる重みを慌てて振り払おうとするものの、ティファは不満そうに頬を膨らませて更に重みを掛けてしまい逆効果になってしまった。アレイズは横から自分を抱きしめる華奢な体に突き放すことも抱きかえすこともできず、驚きを怒声に変えて放つ。昼間から人――自分は神だが――を抱きしめるなんて一体どういう了見だ。

「震えてるみたいだったから抱きしめたんじゃない」

「昼間からはしたないことをするな!」

「はしたないって何よ! こっちは心配してやったんだからね!」

 メイやマイに聞こえないようにとの配慮だろうか、ぽつりと呟いたティファにやはり怒号を返すと怒りに頬を紅潮させたティファに勢いよく言い返された。意地になったのか更に力を込められた腕がアレイズを離さないというように巻き付く。柔らかな温もりが半身に伝わり、アレイズは無防備過ぎるティファに一体何て説教をすればいいのやらとしばし思案する。だがティファが返した言葉の中に心配という言葉が含まれていることに気付いて、小さく溜息を漏らした。震えている自覚はなかったが、悩んでいたことは事実だ。恐らくティファはそれを見抜いたのだろう。だとしたら問題はアレイズにある。

「何か悩んでるみたいだったけど」

 怒りの矛先を収めたティファの静謐な声が耳朶を打つ。

 吐息でアレイズの髪を揺らすその言葉に緩慢な動きで首を振った。

「大丈夫だ。……少し、考え事をしていた」

 考え事の内容にティファが関わっていたとは口が裂けても言えないが、考え事をしていたこと自体を否定すると嘘になる。そう考えたアレイズが告げると、ティファはふぅんと言ってぎゅっとアレイズに抱きついた。ブラウス越しに胸の膨らみが押し付けられ、アレイズはマイに腕を抱かれた時同様どこか落ち着かない気持ちで視線を逸らす。すると多分に怒りを含んだ声が周囲の空気を震わせた。

「全然大丈夫そうじゃないわ」

 きっぱりと、決めつけるような声に逸らしていた視線を元に戻す。そうしてティファをまじまじと凝視すると、怒りに吊り上がったダークブルーの双眸と視線がかち合う。心の奥深くまで見透かそうとするかのような鋭い瞳は、アレイズの悩みの一片までも掬い上げようとしているようだった。だが、一体どうしてそこまでしようとするのだろうかとアレイズは困惑に眉を顰める。ここまでしてもらえるほど、自分は良い存在ではないというのに。

「お前は、もしも自分の願いを叶えるために誰かを犠牲にしないといけないと分かったら、どうする?」

「え?」

 知らず、言葉が漏れていた。

 呆けた声を上げるティファに向けて、更に言葉を紡ぐ。

「その願いはどうしても叶えなくてはならないもので、誰かと言うのは自分にとって大事な人間だ……その時、お前ならどうする?」

「どうするって、そんなこと急に言われても」

 そうだ、急に言われたらきっと誰もが困惑するだろう。だがその状況が急に起きたわけではなく元々理解していた事象だとしたら、人は一体どのような行動に出るのだろうか。アレイズは胸中で渦を巻くその問いに対する答えを見出せないままふるふると首を振った。ティファに訊いても、詮無いことだ。少なくとも犠牲者になる予定の人間に問うようなことではない。

「すまない、忘れてくれ」

 自分は一体何を言っているのだと自己嫌悪しながらアレイズが告げると、ティファはしばしアレイズを見据えた後で考え込むように目を閉じる。

「でもね」

 先程とは違い、静けさに満ちた声にアレイズが片眉を上げる。

「どんな状況であろうと、私はそんなこと絶対に認めないと思う」

「だが、それでは」

「叶えるしかないんなら、絶対に別の方法を見つけてみせるわ。だって一つしか方法がないなんて誰も言ってないし、言われたとしても自分で探してないじゃない」

 凛とした高い声に、甘い考えだと笑ってやることもできた。だがアレイズは何故かティファの言葉に笑うことが出来ず、縋るように笑みを浮かべる。そういう考え方もあるのだと、今は信じたかった。

「そうか」

 レイナが告げたただ一つの方法。それは世界の意志が告げた唯一の方法なのかもしれない。だが、別の方法がないとは言われていないし模索すらしていない。ならば世界に会うまでにその方法を探すことをしても、さしたる遠回りにはならないのではないか。たとえいつかティファニエンドを犠牲にする日が来るとしても、何もせずに迎えるよりずっといい気がした。

 幸いこれから目指すのは世界に最も縁が深いと言われる聖都市だ。あの場所に行くことでティファに害が及ぶ可能性が高くなるのではないかという懸念も残るが、虎穴に入らずんばという言葉もある。

 世界に会ったことのある神は数多くいる。だが彼等は誰かと契約などせずとも世界に会えているはずなのだから、自分に出来ないとは思えないし思いたくない。そしてその神にも縁が深いのがグラドだ。だから今はただ、グラドで有益な情報を得られることを願うしかないだろう。

「心配を掛けてすまなかったな――どうやら、俺の頭が固すぎたようだ」

 口の端を緩やかに吊り上げたアレイズにティファがようやく安堵の笑みを浮かべる。自覚のない震えが収まったせいかもしれないなと感じていると、ティファが呆れたように身を離した。温もりの残滓にそっと指先を触れさせると、消えた感触が少し惜しくなる。

「一体何なのよ、もう」

 照れ隠しか、ティファが文句を言いながら立ち上がる。だがその横顔が清々しい笑みを象っていたので、アレイズは謝罪の言葉を口にはせずに隣に並んだ。

(そうだ、答えは探していけばいい)

 無駄骨に終わるかもしれない、再び同じ悩みを抱くことがあるかもしれない。だがそれで膝を屈するには今はまだ早すぎた。そうするのは、自分のためにここまで来てくれたティファに対して失礼だ。

「よし」

 一声上げて前方を見据える。世界の意志たるレイナの残り香が強く残っているであろう聖都市。その方向を真っ直ぐに見たアレイズは若干乱れた外套を整え、ティファを見下ろした。

「メイとマイを手伝うか。早く森を出たいしな」

「そうね。……あれ、でも帰ってきたみたい」

 水汲み自体は本当に必要なことだと思うが、それ以上に深刻に話をするアレイズを気遣ってのものだったのだろう。だからこそ力仕事であるにも関わらずアレイズは休憩をすることができた。それを知っていたからティファとアレイズは双子を追いかけようとして、はたと木陰から見える真紅に目を止める。

「メイ?」

 ゆらりと揺れる亜麻色のツインテールにティファが声を掛ける。だが声を掛けられた当人はいつものように無邪気な笑みを浮かべることなく、無表情ですっとティファを見つめた。茫洋とした表情にティファが眉を顰める。同時に、周囲に集まった魔力にアレイズが息を呑んだ。

「――危ないっ!」

「きゃっ!」

 腕を伸ばしティファを突き飛ばす。腕を突き出して、結界となる簡素な膜を張る。刹那、がらんどうになった場所に氷の礫が叩き込まれた。びりびりと震える冷気が、アレイズの頬を撫でる。

「ぐっ……!」

 凍傷を起こしかねない風に小さく呻き声を上げる。そうして真紅の立ち姿を睨めつけると、彼女の足元に深青のメイドが倒れているのが見えた。

「アレイズ! マイ!」

「――来ないでください!」

 恐らく先に倒されてしまったのであろうマイと、衝撃に呻くアレイズの姿を見てティファが悲鳴を上げる。金切音に近い声に、必死で顔を上げたマイが怒鳴り返した。血の匂いがしない所からして外傷はないはずだとアレイズは安堵する。だが自分やティファに対して攻撃を仕掛ける気であることは明らかで、戦慄を押し込めてアレイズは震えるティファを横目に体に力を入れた。

「メイ、どうしてこんなことを!?」

 日差しがやんわりと真紅のメイド服を照らす。しかし依然として彼女は無表情でマイやアレイズを見下ろし、感情の片鱗も感じさせない。尋常とは言えないメイの姿にティファが駆け寄ろうとするのをアレイズが止めると、陽の光の下でメイが口の端を柔らかく吊り上げた。満面の笑みではなく、姉に似た理知的な笑みにマイが目を丸くする。

「メイ? ――っ!?」

「な、何!?」

「ティファ、お前は下がっていろ!」

 その瞬間浮かび上がった魔力の奔流にアレイズ達が目を細める。そうしながらティファだけは護ろうと一歩進むと、光が糸のように細くなりゆらりと流れていく。面を上げてそれを凝視していると、糸となる光が一点に集中していることに気が付いた。

「ピコ……?」

 ティファがぽかんと目を見開いて光が辿る道筋の先に居る白の塊に向けて呟く。

 メイの体から放たれる光。その光と繋がっていたのは、双子の腕に抱かれていたはずの兎、ピコだった。

「どうしてピコの体から光が?」

 白い肢体は草むらでくつろぐように前肢を投げ出し、うっすらと目を開けている。だがそこに光はなく、魂ごと奪われているのではないかとアレイズは推測し、再びメイを見やる。

(まさか、この兎の魂)

 メイの表情に微かな喜色が浮かぶ。ようやく気付いたのかとアレイズに問い掛けるようにきらりと煌めいた亜麻色の瞳がゆっくりと細められ、腕が振り上げられた。

「くっ」

「メイ、駄目!」

「遅いよ」

 振り上げた腕から光が生み出され、ひゅんと振り下ろされる。先程と同じ氷の礫が生み出されたのだと気付くものの、結界を作り出すだけの時間はない。アレイズは逃げることも出来ない場所でにやりと笑んだメイを睨みつけたままティファを庇おうと背を向け――。

「……っ?」

 いつまで経っても訪れぬ衝撃に頭の上で疑問符を浮かべた。

 おずおずと振り返ってみれば、黒い外套より微かに離れた場所で乳白色の膜が見える。それは先程アレイズが作った膜と同じものだが、強度は遥かにこちらの方が強い。メイの姿に異変を感じて逸早く準備をしていたのだろう。意外ではあったが、それだけの魔力を練り上げられる人間が今この場にいないわけではない。

「ティファ……」

 アレイズは目の前で仁王立ちになる青い髪の少女に向けてぽつりと零す。すると彼女は不満そうに、そのくせ幾分かの満足感があるように笑みを浮かべた。ほっそりとした腕が元に戻されると乳白色の膜が消える。

「まったく、一人で格好つけないでよね? 私だってちゃんと結界ぐらい張れるんだから」

 ぱきんと音を立てて消えた結界の先に立つメイを見据えるダークブルーの双眸に灯るのは怒りという感情一点のみだった。大事なメイドにして友人が起こしたことであっても、やはり今回のことは許せないと見える。だが幸いなのは、ティファがメイそのものに対して怒りを抱かなくても良いということだった。

「ふふ」

 小さな笑い声が漏れる。それは真紅の立ち姿からもたらされたもので、苦しげに身を起こした彼女の姉は斬りつけるような凍える声を返した。

「何が可笑しいの?」

 髪型と服装さえ同じならばきっと今は誰も見分けがつかない。そう思わされる程に落ち着いた雰囲気で笑うメイを責めるようにマイが声を上げると、メイは可笑しくて堪らないという風に目を細める。アーモンド型の大きな瞳がすうっと糸のようになる。

「この可笑しさが伝わらないから可笑しいんだよ。ねぇ、アレイズ神?」

「俺を知っているのか」

「勿論。だからこそ僕はここに来た。まぁ、本命の用事は他にあるんだけど」

 凛とした高い声ではなく、ボーイソプラノといえるような声が周囲に響く。その声にマイが目を丸くするが、ここでようやくメイではない何者かがそこにいることに気付いたティファが怒号を放った。

「貴方、メイに何したのよ!」

「ん? ちょっと体を借りてるだけだよ。少ししたら返すから、大人しくしててくれると助かるんだけど。……それより僕のこと忘れたの? ずっと一緒にいたのにさ」

 両腕を広げて小首を傾げる体は明らかにメイのものだ。だが中に居る存在は明らかに別物、だとしたらそこにいるのは恐らく。

「ピコだろう」

「正解。でも君も仮にも神なんだから、もっと早く気付いてくれないと困るんだけどなあ」

 光は、恐らく魂同士を繋ぐものなのだろう。あまり見たことがない魔法ではあるが、存在しないとは言いきれないし第一相手は神かそれに近しいものだ。魔力を使うことに関しては人間より遥かに優れているのだから、人間にとっての禁忌を扱うことぐらい容易いことだろう。

 楽しげに笑うメイの首筋を凝視する。真紅のメイド服が鮮やかすぎて見えづらいが、白い首筋にはピコの首輪に描かれている紋章と同じものが見えた。

(――ということはあいつが)

「どうしてあれがピコだって分かったの?」

 マイが身を起こし、上目遣いにメイを睨みつけるのを視界の端に入れていると囁くような問いが発せられる。だからアレイズは極力唇を動かさないようにして告げた。

「紋章だ」

「紋章?」

「ピコの首輪に描かれていた紋章だ。よく見ないと分からないが、今メイの首にも同じものがある」

 あ、と声が漏れる。その頃やはり紋章に気付いた様子のマイが目を大きく見開いているのが見えた。恐らく彼女は誰かの知識に頼らずとも、答えを見出したに違いない。目一杯渋い顔をしたマイが凛とした声を上げる。辛辣で、悪意に満ちた声にメイの体を持つピコが楽しげに笑って答える。

「何故、妹の体を乗っ取ったのです」

「人間達と話をするにはこの方がいいと思って。人の体で顕現することもできるけど、魔力を温存したかったから」

「迷惑です」

「ふふん、生憎僕は人の迷惑は考えない主義なんだ。そしてこの子は人だ」

「そういう貴方は兎でしょう」

 とんとん拍子に進む言葉の応酬の終わりで、ピコがもう一度笑う。どうやら異質な存在に対して大きな口を叩くマイを見ているのが楽しいらしく、ピコはマイに手を伸ばしその体を起き上がるのを手伝おうとする。無論、その手はぱしんと叩かれてしまうのだが。

「それより、久しぶりだねアレイズ神。調子はどうだい? って訊くまでもないか」

 若干残念そうな顔をした後でピコの目がアレイズへと向けられる。その言葉に、アレイズは幾分抑えた声で返した。

「貴様はあの時の奴らの一人か?」

「やっと思い出したんだ! 結構鈍いね君」

 警戒心と殺気を抑え込んだ声に嘲笑が向けられる。メイの声で放たれるそれにティファが唇を噛み締めるが、ピコは特に気にした様子もなく腕を振り上げる。

「このままずっと目覚めなければ僕ものんびりできたんだけどね」

「抜かせ。監視などして俺の何をそんなに恐れている」

「恐れてなんかないよ。ただ、面倒の種は要らないだけさ。……本当、あの時死んでてくれたらよかったのにって心から思ってるよ」

 言葉通り、真実面倒くさそうな表情を浮かべてピコが溜息を漏らす。だがその言葉の中に気になるものを見つけアレイズが眉を顰めた刹那、先んじてティファが声を上げた。

「死んでたらって……。呪いでアレイズを神様にしたのはそっちじゃない」

「? 彼を神にしたのが僕達?」

 腕組みをして目を吊り上げるティファに、ピコはきょとんと目を丸くする。まるでそんなことを言われるなどとは思ってもみなかったというように。しばし沈黙が降りる。その後でピコはアレイズを一瞥して「へぇ」と呟いた。

「そっか、レイナはそう説明したんだね」

 揶揄するような声に、腹の底が冷えたようでアレイズは不快感を顕に「何をだ」と返した。一体何を、レイナが説明したというのか。呪いで神にしたのは、ピコ達ではないのか。腹の底から足先へと下がる体温に力が抜けそうになる。先程抱いたばかりの疑惑が、次第に増していく。

 ピコは、そんなアレイズをじっくりと眺めてから殊更ゆっくりと告げた。

「僕達神々は、元々の種族として命を生み出すことと神としての力を奮って命を殺すことしかできない。ただの生物から神へと命の本質を変えられるのは世界だけだよ、アレイズ神。君は僕達の呪いによって死にかけ、レイナが神にすることで生き長らえたんだ」

 嬲るような声色と言葉の破壊力に、ティファがさっと顔色を変える。アレイズはと言えば、ピオの言葉に平然としてみせる心のゆとりを生み出せないまま、ただ愕然とメイの姿をしたピコを見ていた。

「嘘、だ」

 ぽつりと言葉が落ちる。滑稽なほど震えた声。

(レイナは、俺が神になった時悲しんでいた)

 だからこそ、呪いを解く方法を教えてくれたというのに。

(しかし何故、神である呪いを解くのにこれほどの手間を必要とする?)

 考えもしなかった。今までただレイナの言葉を信じて、彼女に会うために悩みながらも前に進もうとしてきた。自分の為に悲しんでくれた友人の言葉を、誰よりも信じていた。

 だが、考えてみればおかしな点が多すぎた。

 アレイズは人間から神になった。ならば何故、人間を神にできるはずの世界がその逆の手順を踏めないのか。呪いが特殊すぎるから? 今までに例がないから? 確かにそれは間違いではないのかもしれない。だが――真理を手にした世界は、果たしてそれを本当に不可能だと思っていたのか。本当にこれは、呪いを解くために必要な手順なのか。もしかしたら自分は何か取り返しの付かないことをしようとしていたのでは――。

 ピコはアレイズの声に笑うことなく「嘘じゃないよ」と返した。「記憶が混乱してたんだね。今聞かされるまで、全然気付かなかった」

「まったく、レイナも何考えてるんだか」

 呆れ混じりの言葉に、アレイズは自身が呪われた前の記憶しかないことに気がついた。呪いを受けた直後のことは覚えていない。ただ目が覚めたら神になっていたことしか。

 ティファが無言でアレイズを凝視している。一体どちらの言い分を信じていいのか、アレイズに分からないものをティファが理解できるわけがないせいだろう。しかし結論を出す前に「まぁいいや」という声が思考の渦をぶった切った。

「アレイズ神がどんな記憶を信じてても僕はどうでもいい。――ちょっと邪魔になってきたから死んでもらう予定だったし」

 にこやかに笑うピコの指先がついと空気を撫で、冷気を作り上げる。練り上げられた魔力が穏やかに収束すると、暖かい日差しにも溶けることのない半透明の氷の矢が出来上がった。いつでも攻撃出来る、そう匂わせる嘲笑はしかしすぐに硬くなる。

「もう誰にも攻撃させたりしないわ」

 横合いからぬっと手が伸びる。それはピコの腕を取って力強く握りしめた。

「今まで気に留めてなかったけど、いい目をしているね、君」

「御褒めに与り誠に恐縮ですが、褒められるぐらいならあの子が悲しまないよう早々に退散してくださいませ」

 愉悦に浸る声に冷たく返すのはマイだ。顕現する氷の矢ですら敵わぬほどの冷たさにティファが戦慄したように表情を硬くし、一体この場をどう納めるべきか思案する。いくら中身が兎ののもであっても、体はメイのものなのだ。そんな状況で戦いなどさせるべきではない。

 空いた方の手がモーニングスターへと掛けられる。本気でやる気だとアレイズが一歩踏み込むと、細められた亜麻色の瞳がその動きを牽制した。ちらりと背後を見やる。するとティファも同様に足を踏み込んでいたようで、アレイズは渋々ティファが前に進まないように腕を横に伸ばした。自分だけが近付くのならともかく、ティファが傍に寄ればろくなことがないと理解していたからだ。

「君に挨拶するのも良いんだけどね」

 んー、とピコが指先を唇に押し当ててにこりと笑う。それから視線をティファヘと向けた。アレイズの背から顔を覗き込ませていたティファはその視線に眉根を寄せる。さすがにアレイズの腕をどかせることはしないが、そうしたい気持ちぐらいはあるのだろう。邪魔そうにアレイズの腕を一瞥したティファは怒りを隠そうともせずに腕を突き出していた。これも、いつでも攻撃できるという牽制に他ならない。誰もが知らない事実に困惑しているとはいえ、ティファにとってピコは大事なメイドの体を奪った張本人という点では何ら変わりなどないのだから。

 だが一触即発の空気の中でもピコは泰然とした態度を崩さなかった。

「今回は君に話があったんだ、ティファ。……怪我はなかった? アレイズ神に当てるつもりがとんだ誤算だったよ」

「私? でも最初は私に当てようとしてたじゃない」

「久しぶり過ぎて手が滑ったんだよ。あれだけは君を庇ったアレイズ神に感謝してる」

 何が感謝してるだ。

 アレイズは思わずそう胸中で吐き捨てたものの、目を丸くしてまじまじとピコを見るティファの前でそれを口にするとややこしくなるだろうと考え口を閉じる。代わりに警戒心丸出しでピコを見やると、ピコは小首を傾げてにやりとアレイズに分かるように笑んだ後で頷いた。メイが浮かべるものと同じ無邪気な笑みが、彼女とは違う少し低い声を生み出す。

「これからグラドに行くんだよね? だったら気をつけたほうがいいよ」

「な、何でよ?」

「色々あるのさ、グラドには」

「それって全然答えになってないじゃない」

 もっともと言えばもっともなティファの言葉にピコは苦笑交じりに頷いた。

「うん。だけど警戒した方がいいのはアレイズ神だって知ってるはずだから、ねぇアレイズ神」

「……」

 グラドの危険性については、アレイズはもとよりメイやマイも知っている。ただ、ピコが告げるのはそれ以上の意味を含んでいるようにアレイズには聞こえた。

 手の平を握り締めしかめっ面を見せると、ピコは意味ありげにほくそ笑んだ。やはり、何か別の意味があるのだろう。神器を盗もうとした事以外の何かが。だが、何故ティファに忠告をするのかが分からなかった。アレイズという神が不要な存在ならば、その神と契約する人間も邪魔になるはずだ。それが何故だかティファにだけはやたら親切な態度を崩さない。怪我をしていないか案じることもその一つだろう。一度ならず二度までも殺そうと企んでいるアレイズに感謝したぐらいなのだから、からかっているわけでもなさそうだ。

「そういえばさ、この子って可哀想だよね?」

「?」

「どういうこと?」

 ピコの言葉に沈黙で返しながら思考していると、不意に何やら思いついた様子のピコが胸元に手を当てて深々と息をつく。眉尻の下がった悲しげな、そのくせどこか慈しむような顔にティファとマイが怪訝そうな顔を浮かべた。

「記憶がないのさ。もちろん、全部じゃない。ほんの少しだけだけどね」

「!?」

 ツインテールが兎のように大きく揺れる。大仰に肩を竦めたのだと理解する前に驚きが心を満たし、マイが息を呑む音がアレイズ達の所にまで伝わってきた。殺気を滲ませて握り締めていたモーニングスターの柄を手放したマイが、ぽつりと尋ねる。

「……それは、いつの記憶だか分かるのですか?」

 震える声には、何か当てでもあるのだろうか。そう考えものの、記憶というただ一言でアレイズはそれがいつの記憶なのか予想することができていた。

 ティファと双子を結ぶ記憶で最も忌むべきものは恐らく。

「七年前だよ」

「っ!? どう、して」

 心を探るように胸に指先を滑らせるピコの答えに、しゃくりあげるような声が重なる。上げられたそれはティファのもので、彼女にはメイがどうして当時の記憶を失っているのかが理解できないようだった。ティファ自身が失っている記憶なのだからメイが失っていなくてもおかしくはないのだが、それだけの心因的外傷を受けたのだろうかとアレイズが案じながらピコの指先が這う胸元をじっと見ていると、ピコが愛おしむように心臓部分を撫でて歌うように告げる。

「君はこの子の姉みたいだけど、失われた記憶は君でも知らないあの時の真相さ。でもどれだけ引き出そうとしてもこの子は自分から思い出すことができない。記憶を閉じ込められてるんだからね。……気の毒なことだよ」

 悲しげな声は本当にメイを案じているようだった。神らしい慈愛精神がここに来て発揮されているのかもしれないが、どんな話を聞かされようとやはり元を正せばピコのせいで神になったといっても過言ではないアレイズからしてみればそれは反吐が出そうほどに嫌悪感が込み上げる声だった。

 腰に手を滑らせる。そうして剣の柄を握り締めると、攻撃しようとする気配に気付いたマイが慌てて腕を突き出した。来るなという合図だろう。

「それで、貴方は何かいい方法でもご存知なのですか?」

 引き出せる限りの情報を得ようという魂胆だろう。マイが静かに問い掛けると、ピコがうんと頷いた。

「いい方法かは知らないけど、グラドに記憶を元に戻せる人間がいるという話は聞いたことがある。絶対元に戻るなんて言い切ったりしないけどね」

「……そうですか」

 肩を竦めるピコの姿から一歩も進まず引きもしないマイは理知的に輝く瞳でピコを見据えたまま何やら思案しているようだった。アレイズはそんなマイの姿に今剣を振り上げてやろうかと考えるものの、ぎゅっと外套を掴まれたせいで動くことができなくなった。

 細い指先が触れる感触に首だけで背後を振り返る。すると七年前の記憶という言葉に体が反応したのか、ティファが青白い顔をしているのが見えた。衣擦れの音を響かせ、ぽんとティファの頭を撫でる。

「大丈夫だ」

「うん……」

 囁きのような声で呟くと、ティファが無理矢理に笑みを浮かべて頷いた。常ならば先陣を切って相手に魔法をぶつけるはずのティファが黙っているのは、彼女の脳裏に血の色をした光景が浮かんでいるせいかもしれない。未だ恐怖を抱いたままの顔からピコを隠すようにしてやると、深呼吸の音が聞こえた。

「ティファ」

 だがそうして隠してやっても、ピコは言葉を隠してはくれない。

「グラドに着いたら、くれぐれも用心しておいた方が良いよ」

 案ずるような言葉に眦を吊り上げてピコを睨めつける。するとピコはやれやれという風に肩を竦めてからすうっと息を吸い込んだ。「手元が狂ってまたティファに氷当てたくないから、今日は帰るよ。命拾いしたね、アレイズ神」

 刹那、光の奔流が四方八方へと分散される。

「っ! 眩し――」

 土も草も木も人間も、等しく奔流に巻き込む光にぎゅっと目を閉じると冷気が頬を撫でていく。しかし攻撃する気配のないそれはすぐに霧散し、辺りには再び柔らかな日差しが残された。

「「メイ!」」

 マイとティファが叫び、メイへと駆け寄る。その声にアレイズが目を開けるとぐらりと傾いだ真紅の立ち姿をマイがゆっくりと地に横たえているのが見えた。ティファもその横に並びメイの額に手を当てている。熱はないか、外傷はないか、そして何より魂は傷つけられていないか、それを魔力でもって確認したかったのだろう。アレイズのはめる指輪から緩やかに魔力が奪われていく、それが証拠だった。この様子なら少々怪我をしていてもメイは大丈夫だ。

 アレイズはそう考え、彼女達とは少し違う方向へと足を向ける。先程まで焦点を失っていた兎の眼前に立つと、ぱちぱちと瞬きをした赤い目がアレイズを見上げる。それはメイの姿をしたピコとは思えぬほど害のない視線だった。

 嘲笑もせず小馬鹿にするでもない白兎。その兎を抱き上げて首輪を見下ろすと、金細工がきんと光を放った気がした。

 兎自身が神なのか、隠れ蓑にしているだけなのかは分からない。だがアレイズはようやく見つけた手がかりに向けて、誰にも見えない角度で冷え冷えとした表情を浮かべた。

 神へと至るきっかけを作った一神。

(――ようやく見つけた)

 だが、ピコはアレイズの心を荒立たせるほどの大石を一つ投げ込んだことも忘れられない。あれは本当に事実なのだろうか。……どちらにせよ、敵であることに変わりないのは救いだが。

 剣の柄へと手が伸びる。今この場で兎ごと紋章を破壊すれば、恐らくは自分の気もさっぱりすることだろう。しかしそれはティファの手前することが叶わなかった。ティファにとってあの紋章は自らに関わる重要な証拠なのだから。先程の様子からして、ティファの両親を襲ったのはピコではないだろう。ただの人間を襲うほど神は馬鹿ではないし、ティファニエンドを殺すのなら今この場でやっているはずだ。だがピコはそれをしなかった……とはいえ、何かを握っていることに違いなどないのだが。

「神とはいえ、俺もまだまだ弱いな」

 深々と溜息を漏らし、剣の柄から手を離す。メイのツインテールを思わせるピコの長い耳が折れるように傾いだ。その様子を可愛いとも憎らしいとも考えられなかったアレイズは、胸中で挑むように告げる。

(次に遭った時は必ず仕留める)

 願わくばそれがピコ自身が人として顕現した時であってほしいのだが。流石にメイやマイの体を斬りつけることはアレイズにはできない。振り返り、メイの首筋に目を止める。そこからは紋章は跡形もなく消えており、アレイズは安堵の息を漏らしながら兎が逃げないようにがっちりと抱きしめて言い放つ。

「とりあえずは、メイの目が覚めるまでここに留まるか」

 下手をしたら今日は街道で野宿になるが、メイを担いで行くことは出来ない。

 そう考え提案したアレイズの言葉に、ティファとマイは一も二もなく頷いた。

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