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CHAPTER 2.星夜祭に願いを (5)

 星が幾筋も流れる中、ティファ達は村の中心部にいた。ここで儀式が行われるのだ。辺りを見回せば酔いを多少は醒ましたらしい村人達の姿が多く見受けられる。皆泥酔状態で儀式に臨むべきじゃないと理解はしているのだとティファは考えながら、炎の消えた場所で銀光が煌めくのを見ていた。村長が神器である銀の聖杯を高く掲げる。星明りに照らされた聖杯の前で、先程一部分だけ切った木が真っ直ぐに立てられた。改めて火が灯され、ぱちりと爆ぜる音を響かせながら村長が何やら呪文めいた言葉を紡いでいる。儀式らしい、と言えば儀式らしいが。

「何が起こるのかしら?」

「さぁ」

 この後に何が起こるかなどまるで予想ができない。そう思いティファがアレイズに声を掛けると、彼もよく分かっていないらしく首を傾げていた。おおよそを闇に預けてしまった髪が衣擦れの音を響かせて揺れる。そんな音が聞こえてくるほど、辺りは静まり返っていた。炎が勢いを増し、聖杯の輝きが増す。

(……でもこれ、炎の照り返しなんかじゃない)

 ぱっちりと二人の双眸が見開かれ、銀の聖杯へと注がれる。彼らの契約を示す指輪に似たような反応に目が離せなくなっていた。朗々と流れていた村長の声が、唐突に大きく響く。それは強い音となって炎にも力を与えた。

「星々の女神、レイシズ様の奇跡を此処に!」

 天に伸びる炎が一瞬陽炎のように揺らめき、不安定な大きさになるその刹那。

 ひゅん、と音を立てて空から眩しいほどの光を放った星が降ってきた。

「なっ!」

「このままじゃぶつかるぞ!?」

 どれだけの遠くからやって来たのか、勢いよく降る星は大きさこそ大したことはないもののそれでも子供程度の大きさはある。こんなものが速度を上げてこちらに向かっているなんて、あり得ない。いや、でもあり得ないと言いたくとも既に向こうはこちらに向かっている。それならばせめて回避して衝撃から逃げなければ。

 アレイズの切羽詰まったような声に足に力を入れる。しかしそれは星の速度を考えれば到底回避が間に合うようなものではなかった。瞬きすら敵わぬ、ほんの刹那のことなのだ。しかしそれだけの速度を誇っている星がティファやアレイズを襲うことはなかった。

「――!?」

 二人して息を呑む。冷や汗がじっとりと額に浮かぶのを拭うこともできずに、ただ呆然と彼らは村長の持つ聖杯を凝視していた。

 ――星が、聖杯に吸い込まれている。

 眩い光が小さな聖杯の中に収まろうと、緩やかに形を変えていく。それは一見奇妙であり神秘的でもあった。ティファは自らの髪が夜であるというのに鮮やかな空色を映すのを見て、アレイズへと視線を向ける。彼は元々闇色の立ち姿をしているからあまり変わらないのだが、その彼も闇に溶けることなく光の下に姿を曝け出していた。目を見開いて聖杯を見つめる姿は、ティファのそれと大差ない。神と言えど、他の神を崇拝するものが行う儀式のことなど知らなかったのだろう。特にまた起きたての神に分かろうはずもない。

 星が、聖杯にその身を捧げる。眉間に皺を寄せてでも目を開いてそれを見ていると、やがて全てを飲み込まれた光が緩慢に消えて行き、炎が消える。すると闇が再び手を伸ばし、暗転するように光度が変わる。その差にティファはちかちかする視界を一度閉じた。体力を消耗したのか、胆力を削ったのか。村長が溜息を漏らし、しかしすぐに声を張り上げた。高らかな声は毅然とした態度で儀式の終了を告げる。

「これにて儀式を終了する! 次の年もこの聖杯に宿りし星によって我らに平穏が訪れますことを、そしてレイシズ様の加護あらんことを。我らが世界の名の下に契約せし!」

 耳が割れんばかりの大音量で、歓喜の声が上がる。

 夜もとっぷり暮れているというのに、村中に響き渡る声が空高くまで突き抜けるように伸びた。しかし、ティファもアレイズもその事態に付いていくことができない。むしろ何も知らずに二人でわたわたと慌てていたのだ。村人達はその間大人しくしていたというのに何だか恥ずかしい、そう感じてアレイズを見ると彼も微かに耳を赤くしているのが見えた。

(二人して、馬鹿みたいだわ)

 胸中で呟くと自然と笑みが零れ落ちる。

 ふっと最初に吹き出したのはどちらだっただろうか。どちらからともなく笑い出すと、ようやく祭りが終わったのだと実感できた。祭りが再会され、再び喧騒に包まれる。ティファとアレイズはその中で思う様身を揺らして笑いきってから、やがてどちらからともなく夜空を見上げた。他の明かりに邪魔されることのない、満天の星空。

「綺麗ね……。星に手が届きそうってこんな感じなのかしら」

「あぁ、下手したら本当に届きそうだな」

 手を伸ばしながらティファが呟くとアレイズが笑みを含んだ声で答える。そう言われると本当に星に手が届きそうだと思えて、ティファは目を細めて笑んでから星を掴むようにゆっくりと手の平を閉じていく。

 煌めきは無論ティファの手からこぼれ落ち、形を確かめることはできない。しかし不思議と胸に満ちる満足感にティファはくすくすと笑っていた。まるで子供みたい。そんな言葉が脳裏に響くが、その全てを無視する。しかし天に伸ばした手が、唐突に他の手に包まれてティファははっと息を呑む。自分の手より大きいそれが誰のものであるか理解していたからすぐに持ち主を見やると、当人である神が不敵な笑みを浮かべた。精悍な顔に浮かべるにはあまりに若い、楽しげな顔だ。

「まだ夜は長い。祭りの間ぐらい遊びに付き合ってやるから、覚悟しておけ」

 悪戯っぽい声が耳朶を打つのに合わせてティファが唖然とした表情を浮かべる。

「まずは何をするか。……自分が人間だった頃にしていたことでいいのならいくつかあるんだがな。とりあえず呑むか」

「へ? いやでも私お酒は――」

「大丈夫だ。この村の酒は女子供でも呑めるぐらいだからな」

 酒を呑むなという戒律はないが、かといって好き好んで呑む気にもなれない。そう思ってアレイズに反論すると彼は横顔で笑って見せながらティファの手を引く。村人達が集う広場まで連れて行こうというのだろう。聖夜祭の夜をティファと共に過ごす為に。しかしその顔は義務感や同情で付き合うにはあまりに楽しそうで。

「やっぱり、ジュードって全然神様らしくないのね」

 ティファは思わず目尻が熱くなるのを感じながらも、軽口を叩くように笑って素直にアレイズの手に引かれることにした。

 おかげでその夜、ティファとアレイズには多くの話相手ができた。老若男女問わず親しく接するティファの性格もあったのだろうが、皆旅人が珍しいのだと二人に村の外の話をせがんできたのだ。

 ティファは大聖堂で生きてきたのでそれらにあまり答えることはできなかったが、アレイズは古いながらもそう変わってはいない知識を彼らに与え、子供達が目を輝かせる度に困ったようにティファを見ていた。好奇心に満ちた輝きが苦手なんだ、そうティファがからかうと憮然とした顔をされたが彼女はそれを笑い飛ばす。実はそんなやり取りが村人に受けていたことを彼らは知らないが。そうやって過ごす長い夜の間にティファは祭りでは大体何をして遊ぶのかを多く教わり、アレイズが人間だった時祭りで何をしていたのかも知ることができた。それは子供の時に行った祭りと同じぐらい、もしくはそれ以上に心が踊る出来事で、ティファは満足気な吐息を漏らしながら空をそっと見上げる。話しかけるように唇が動いていた。

「星が願いを叶えてくれるって本当なのね。――ありがとう」

「何か言ったか?」

 囁きに、低い声が問いを発する。見ればそこには酒に強いらしいアレイズが他の村人を酔わせながらこちらに首を傾げている姿がある。強いと言っても顔が赤かったり多少ふらついているようには見えるが、本人としてはまだ問題がない程度なのだろう。それは豪快に酒を食らう村人達とは違い随分と落ち着いていたが、間違っても神には見えない。ティファはそんなアレイズの人間臭い様子に微笑を深め、小さく首を振った。

「何でもないわ。ただ、星が綺麗だと思っただけよ」

 星が傾き、夜が明けていく。

 その時がもう少し遅れて来ればいいと願いながら、ティファはアレイズに酒を止めるべく立ち上がった。


◇ ◇ ◇


「もう少しここにいようよー!」

「そうだよ! お姉ちゃんがいないと寂しいよ」

 星夜祭より二日が過ぎた日の朝、ティファ達はようやく当初の目的を果たすべく再びグラドへと進路を取ることにした。……本当は翌日にでも発とうと思っていたのだが、村の子供達に引き止められて村を出るに出られないでいたのだ。

 現に今も子供達はティファを取り囲んで泣きながら抗議している。しっかりと掴まれた服は少々動いたぐらいではびくともせず、そしてティファは子供達を無下にすることができないから動くことすらままならない。

「だから、ね? お姉ちゃん達はグラドに行かなくちゃいけないの」

「やだー!」

 涙混じりの大声がきんと耳に響く。誰か助けてくれないのかしらと背後を振り返っても、三人は何やら話し込んでいるらしくこちらを助ける気配はない。薄情者。

 村の大人達はどうにか子供を引き剥がそうとしていたが、子供もなかなかどうして力が強く動く気配がない。というより、下手に引っ張られたらこちらの服が破れるせいで強硬手段に出られないだけなのだが。ティファはふぅと息を吐き、そっと涙目の男の子の頭を撫でる。優しい動作にきょとんと目を丸くする彼に向けて苦笑交じりの笑みを浮かべた。

「大事なことだから、急がなきゃいけないの。……終わったらちゃんと戻ってくるから」

「……ほんと?」

「えぇ」

 アレイズが世界に逢えたら、もう自分は用済みなのかもしれない。でももしそうであったとしても自分が物語の登場人物みたいに殺されるなんてことは考えにくかったし、だとしたらその時自分は晴れて――と言うべきかは迷うが――自由の身なのだ。そうすればこの村に立ち寄ることだって容易にできる。その時がいつになるかは分からないとしても。

 ティファの言葉に疑り深い視線が向けられる。しかしティファはその視線ににっこりと笑いかけ、大丈夫という風に頷いた。すると、服に掛かっていた重みがふっと消え去る。子供達が一斉に力を抜いたのだ。

「……行ってらっしゃい」

 ぽつりとした声が眼下で漏れる。

「絶対戻ってきてよ!?」

「うん」

 真剣な表情にもう一度頷くと、今度こそ服から手が離れた。ティファは一歩下がって軽くなった体を動かしてから踵を返す間際に手を振った。

「行ってきます」

 子供達のあどけない顔に満面の笑みが浮かび、ぶんぶんと大きく手が振り返される。元気という言葉を詰め込んだその仕草にティファは口元が緩むのを感じて、笑顔のまま三人に早く出立しようと告げようと歩を進めた。

「先日の神器の件について、一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」

 しかし、その足がぴたりと止まる。するりと入ってきたマイの声によって。

「何だ?」

「あの日からずっと考えていたのですが、もしかしてティファ様は少し特殊な体質なのではないかと」

 どうやらアレイズへの問いらしく、彼が促すとマイが続ける。しかしその内容はティファには納得の行かないものだった。

(私が特殊な体質?)

 胸中で呟き、その途端に脳裏をぐるりと巡る思考を止めることができない。何故マイはそんな疑問を抱いているのか。自分が別に何をしたわけでもないのに。そして何故アレイズに訊いたのか。もしかしたら何か意味があるのかもしれないが、どの道最近目覚めたアレイズには分かろうはずもないというのに。でもそれよりも、一体何故自分はこんなにも特殊という言葉を気にしているんだろうか。

 きっとティファが特段気にするようなことではなかったのかもしれない。しかし彼女はどうしても感情を抑えることができなかった。ぐるりと一周してはまた巡る思考に果てはなく、せき止めてくれるものもない。こめかみがちりちりと痛む。ティファはそれを指先で押さえながら目を閉じ、何かを手繰り寄せることができそうな期待に鼓動を一つ高鳴らせた。

 何か、大事なことを忘れている気がする。

「ティファ様?」

「え?」

 はっと息を呑む。開かれた視界で唐突に世界が開かれ、色を帯びる。思考の波が引いて、澄んだ意識が戻ってきたのだ。

 怪訝そうなメイの声に呆然とした顔を向けると、彼女の声に同じく驚いた様子のマイとアレイズが慌ててティファを見た。今の会話が聞こえていたのか案じている、口にしたわけでもないのにそれが伝わるほど分かりやすい態度だった。しかしメイはあまり話の内容を理解していなかったのか、ツインテールを揺らして大きな声で笑った。亜麻色の髪が光を反射し先日見た星のようにきらりと光る。

「あははっ! どうしたの? そんなに驚いた?」

「え、えぇ」

 そんな風に笑われるのは主としてどうかのかと思わないわけではなかったが、間抜け面で驚いていたことに変わりはないので素直に頷く。すると真紅のメイド服が大きく揺れ、楽しげな声が凍りついた空気を動かした。先程の問いを引っ込めてマイが穏やかに笑む。しかしティファにはそれが取り繕うようなものにしか見えなかった。

 疑心暗鬼になっている。……こんなことではいけないのに。

「子供達は納得してくれましたか?」

「えぇ、まぁ。一刻も早くグラドに行かなきゃいけないからね。星夜祭のことで結構時間食っちゃったし」

「そうだな。事は一刻を争う」

 頷きながら近づくと深青のメイドの隣でアレイズが深々と頷いて同意する。しかしその態度にティファは「ん?」と眉を顰めた。確か昨日まではそんなに急ぐことはないと言っていたはずなのに、どうして急に。

 違和感を感じる声にしかしティファは胸中で首を振るのみでそれ以上の詮索はしない。気になることは山ほどあるし、問い詰めたいところだったがそうしていると日が沈んでしまいかねない。もう二日が経過しているのだ。これ以上ここで足止めを食らうわけにはいかない。ただでさえもう大分日が昇っているのだから。

 じゃり、と砂を踏みしめて村の入口へと向かう。ブーツの踵から浮かんだ砂埃を蹴るように歩くと三人が後ろから付いてきた。歩く道の脇で村人達が親しげに声を掛けてくる。ティファはその一つ一つに親しみを籠めた笑みを返しながらも、胸の隙間にそっと入り込んできた冷たさを拭えないままに村を後にした。


◇ ◇ ◇


「ですから、ティファ様にはもう少しお料理が出来るようになって頂かないと困るんです」

 再び、場所は森の中。鬱蒼としたその場所をさくりと音を立てて歩きながらティファの耳に聞こえてくるのは“妻として最低限出来るようにならなくてはならないもの”講座だった。ぴんと人差し指を立ててくどくどと続けるマイの態度はどう客観的に見てもいつも通りで、ティファは胸に湧いた疑念をひとまず遠くへ追いやって普段通りの声を上げた。聞こえないという風に耳を塞ぎつつ、ティファがマイの横顔を睨みつける。

 日差しは大分傾き暗がりを増していたが、それでもまだマイの持つ色なら闇から見つけ出すことができた。

「だから、その必要はないんだってば! 大体本来の神と聖女の契約は結婚なんて関係ないじゃない!」

「駄目です! アレイズ様との契約には御結婚が関係あるじゃないですか」

 辟易としながら怒鳴るようにして返すと、自分の武器を持ち出し攻撃しかねない勢いでマイが断じた。

 確かにティファは料理が下手だ。更に言えば下手という言葉を使うことですらおこがましいと言われそうな程度ではある。下手さ加減で競うことができたら、今頃世界一にでもなっているのではないかと言われるほどに。だから実際の所は、少し上手になったぐらいで人が食べられる料理が作れるわけではない。だというのにマイはどうにかせずにはいられないらしい。アレイズとてティファに料理の腕前が上達することを望んではいないというのに。

 ダークブルーの双眸をちらりとアレイズへと向ける。すると彼は彼女達の会話などどこ吹風と何やら考え込んでいるようだった。顎に手を当てる、考え込む時特有の仕草がそれを物語っている。

「おい」

 しかしそれもすぐに終わり、アレイズはティファ達へと声を掛ける。

「どうしたの?」

 助かったとばかりにティファが尋ねると、アレイズは天を仰ぎながら呟いた。その彼の視界には舌打ちしそうなマイの顔など見えてはいない。……見えていたらきっと言葉を続けることなんてできなかっただろうから。

 葉に隠れてあまり空を見ることはできなかったが、そこから星明りが覗いているのが見える。言い合いをしているうちに、夜が来てしまったのだ。

「もう夜だ。これ以上進むのは危険だから、今日はこの辺で休むぞ」

 ざわりと風に葉が揺れ、その動きで月が浮かんでいるのを見ることができる。確かにこれだけ遅い時間に下手に森を歩いたら道に迷いかねない。獣道という程の道ではなく、人が通れる道は確保されているとはいえ油断は禁物だった。アレイズはどうか知らないが、ティファ達は旅に関しては素人同然なのだから。それはさすがに数々のトラブルの発端となったティファにも理解できたので、彼女はそうねと言いながら適当な木の幹に荷物を預けた。丁度開けた場所だったので寝床や薪をする場所を探す必要もない。アレイズもそれを考えてこの場所で立ち止まったのだろう。一緒に旅をする上で頼りになるなと感じながら、同時に神様に頼ってどうするんだと自戒する。自分がもっとしっかり神の旅を補助すべきなのに。

 内心で苦笑していると、アレイズがふっと森の中へと姿を消す。薪に使う枝を集めに行ったのだと経験から推測できた。メイとマイもいつも通り食事の支度に取り掛かる。ティファは料理はできなかったので、食べ物を切り分けたりせせらぎを見つけて水を確保した。黙っていてもいつの間にか決まっていた役割分担はお互いに適したもので、彼らはそれぞれの出来ることをしながら眠るまでの時間を過ごした。

 穏やかに暖を取り、水浴びを終えたティファは寝袋に体を潜り込ませる。そうしてくらりと訪れた睡魔に目を閉じると、すぐに夢の世界へと旅立つことができた。


◇ ◇ ◇


 その夢は、常ならば決して見ないものだった。

(――誰?)

 目の前に広がる、先程までいた森ではない場所に誰かが立っている。少しだけ顔立ちが似ているような、でも色だけが似ていない大人達。確か、この人達は。

「父様、それに母様まで……?」

 歳は三十を少し越えた頃だろうか? まだ年若の男女の隣に、幼いマイが両親と共に立っている。何故かメイはいない。ティファはそこにいるはずのメイの姿を探そうときょろきょろと辺りを見渡して、しかしすぐに諦める。そういえばこの時あの子はいなかった気がする、そんな答えが出たせいだ。――あの時?

 自分自身の思考から疑念が生まれ、答えが出せないまま頭を抱えるとその手が酷く小さいことに気が付いた。まじまじと手の平を凝視すれば、子供のそれだ。よくよく考えてみれば目線も低いような。

 眼前を見ると、自分よりもずっと視点の高い金髪碧眼の男女がこちらを見ている。貴族然とした堂とした姿の男にたおやかな笑顔の女。父様、母様。そう口にしようとするとティファの男が腕を伸ばし彼女の頭を撫でる。暗い声が耳朶を打った。

「お前は誰なんだろうな……?」

「え?」

(何を、言ってるの?)

 ぱちりと目を見開き、広がった視界一杯に男の姿を捉えるが誰もその言葉に反論はしない。穏やかだが明るい性格でもあった母親も、執事やメイドだったマイの両親も、そしてマイさえも。

 悲しげな瞳が一身に向けられる。哀れむような同情心を湛えたような瞳にティファはぎゅっと唇を噛み締めた。

 心の奥底でその言葉を受け止めてもいいのだと誰かが告げている。しかしティファにはその言葉を受け入れるだけの情報などなく、何とか反論しようと口を開く。そうして何か言わなければと強迫観念にも似た想いに囚われながら、どうにか声を出した。

「私は私だよ? 父様と母様の娘のティファニエンドでしょう?」

 震えた声が紡ぐのは、当たり前と言えば当たり前のことだった。だが同時にそれは、口にしなければ忘れられてしまいそうな不透明なことに思えてならなかった。

 ティファニエンド=グランハート。

 そう、自分はグランハート家の一人娘で目の前に立つ男女の娘だ。記憶を手繰り寄せようとしてもそれ以上の情報は出てこない。しかしそれだけは断言することができた。

 ティファが紡いだ当たり前の言葉に男女が息を呑む。ひゅう、と喉元を締め付けるような音が聞こえると、女が蒼い目を見開いてうっすらと涙を浮かべた。胸に刺さった痛みが取れなくて、苦しんでいるような涙にティファは手を伸ばそうとするがその前にもう一度男の声が響いた。

「お前は誰なんだろうな」

 それは先程と同じ言葉だった。違うのはその声が感慨深げに、切なげに放たれたということのみ。しかしそんな情報はティファにとってどうでもいいことだった。

(私は私だよ? どうしてそんなことを言うの?)

 先程放った答えを無視するような問いに、心が悲しみに支配されそうになる。どうしてあの答えじゃ駄目だったんだろう、自分は何て答えればよかったんだろう。どう答えたら、父は自分を娘だと認めてくれるんだろう。

 髪を一房掴み、引っ張る。痛みを感じるそれに眉を顰めるが視界に映るスカイブルーが憎らしくて、引っこ抜いてやりたいと思った。ぽつりと、頬を水滴が流れていく。泣いているのだと自覚すると止まらなくなり、ティファは嗚咽を必死に堪えて目を閉じた。それが見えたのだろうか。女がティファの肩にそっと手を置いて、わざとらしいぐらいの明るい声で言い放つ。いつも家を明るく照らしてくれた母の声は、まるで何かに縋るようなものに聞こえた。

「そうだわ! 今度、聖都市に行きましょう? グラドって言ってね、とっても綺麗な街なのよ」

「グラ、ド?」

 聖都市グラド。どこかで聞いたことがあるような。ティファはその名をいつどこで聞いたのだろうかと思案し、これからティファがアレイズと共に向かう場所だと理解した。でもそれなら自分はどうしてこんな所にいるのだろうか。アレイズは、メイはどこに。

「そこでならきっと。どれだけ……が特殊でも」

 上から溢れるようにぽつりと振った声に顔を上げる。断片的な言葉の内容がティファには上手く聞き取ることができなかったが、聞き逃してはならないものだった気がして慌てて口を開く。

「母様ごめんなさい、もう一度――」

 それは全てを言い終える前に霧散し、暗転するように光景が変わった。

 ざざ、と砂嵐の後に見えたのは真っ赤に染め上げられた彼等の屋敷の廊下だった。

「ここ、は」

 ぞくりと背筋が冷える。鼓動が嫌な音を立てて跳ねる中でティファは見てはならないとは知りつつも、傍にある扉に視線を向ける。閉じられた扉の奥から、夥しい量の真紅が流れ出ている。それは鉄に似た匂いを発し、ティファの嗅覚を刺激した。

 まさかここは、と胸中で呟く。頭ががつんと殴りつけられたように目眩がし、倒れこみそうになった。しかしティファは倒れるわけにはいかないと必死に壁に手を付いて前を見据える。その手には翡翠の指輪がはまっており、大きさも十七歳のそれに戻っていた。これなら、間に合うかもしれない。

 錆びた匂いに嘔吐感が込み上げるのを無視して一歩一歩大股に進んでいく。大雑把な動作に廊下を飾る花瓶や花が音を立てて倒れたが、それも気にしてはいられなかった。長い年月を経て育ったのであろう木材でできた壁面の暗さが嫌な予感を駆り立てる。急がなければ、ティファは何度も胸中でそう呟いて扉に手を掛ける。足元に感じるぬるりとした感触を踏みしめて勢いよく部屋の中へと身を踊らせた。お願い、どうか。

「父様! 母様!」

 派手な音を立てて開け放たれた扉の先、そこには金髪碧眼の男女が折り重なるように倒れていた。扉にまで溢れる量の血を流して。

 燭台が陽炎のような炎を灯す。その照り返しを受けて光る金髪は常よりも儚い美しさで輝いていた。微かに身動ぎするそれにティファが飛びつく。二人とも、虫の息とはいえまだ息がある。これなら助けられるかもしれない。

「待ってて、今助け――」

「……ティファニエンド」

 翡翠の指輪に意識を集中させ呪文を唱えるべく口を開く。すると男が呻くように声を上げ、視線を遠くへと向ける。無論そこにティファはいない。虚空を見つめるような仕草に思わず口を閉じると、背後からきんと高い声が響いた。

「父様! 母様!?」

 開かれた扉から現れるのはスカイブルーの髪にダークブルーの瞳をした少女だった。

 彼女は先程ティファがしたように二人に飛びつき、何度も両親を呼んでいる。恐慌状態に陥っている少女や男達の助けになろうと一歩踏み出す。しかし結界のようなものに阻まれてそこから先に進むことができなかった。慌てて治癒の呪文を唱えてみるが、光さえ生まれない。翡翠の指輪は沈黙し、自身の魔力も発揮されなかった。その間にも少女が――幼き日のティファが必死に両親の手を握っている。何度も何度も声を掛け、しかしどうすることもできずに。

「また、助けることができないの……?」

 呆然と呟いた声に、そうだと誰かが答えた気がした。七年前、両親が死ぬ所を目の前で見ていることしかできなかった自分。そしてあの頃より魔法も使えるようになって、二人を救う手立てを得たくせに触れることさえ叶わない自分。

 変わっていないのだ、何もかも。絶望が心をじわじわと侵食していく、叫びだしたい衝動に涙が次から次へと流れた。どんと結界を叩きつけ少しでも彼等に近づけるように足掻くが、それも叶わない。一体何をしに来たのだろうか、自分は。

「ティファニエンド……」

 再び男の呻き声が耳朶を打つ。

「父様……っ! お願いだから、死なないで!」

 何度も名を呼ぶ男に、恐慌状態で叫び続ける幼いティファ。彼等の姿は涙で滲み、痛みだけに支配されながら目を逸らしたい衝動に駆られて首を振る。この後の展開を自分はよく知っている、そして何もできないことも。それでもこの場にいる以上、救えない以上はティファにはその痛みを全て受け入れる義務があった。それが何も出来なかった自分への罰なのだから。しかし、一つだけティファが思い出せずにいた言葉が耳に入り込み、彼女はその言葉で涙の収まった視界で遠目に男の姿を見た。

「ティファニエンド、よく聞け……。お……前は、一刻も早く逃げ……て、グラドへ……」

 息も絶え絶えの、途切れた言葉。その言葉はやがて最後の一言へと繋がり、完全に途絶えた。

「そこでなら、き……っと見つかる。おま、えの」

 生を示す鼓動が途切れた音が、こちらにまで聞こえてきた気がした。事切れたのだ。そして女は既に死に絶えている。大事なことは何も告げないまま、救えないままに。血色に染められた部屋が、血臭に満ちた部屋が酷く薄く見える。もやがかかったような気配にティファは必死に手を伸ばした。

 ――逝かないで。

 誰かに向けて発したその慟哭は幼き日のティファにも、誰にも届かなかった。


◇ ◇ ◇


「ん……」

 のろのろと身を起こし、うんっと伸びをすると日が高いことが見て取れる。朝を少し過ぎた頃なのだとティファが感じながら辺りを見渡すと他の面々が支度をしているのが見えた。急いで支度をしないとまたアレイズに文句を言われてしまう。そう思ったものの、ずっしりと頭にのし掛かる気分の重さが軽快に動くことを許してはくれない。まさかここまで寝覚めの悪い夢を見るとは。

 手の平をまじまじと見つめる。そこには血の色などなく、血臭もしない。しかしティファにはそこに父母の血がべったりと付着しているような気がして嫌悪感に眉を顰めた。実際に起きた出来事だったせいか、現実味がありすぎる夢を振り払うべく首を振る。。

「起きたか」

 そうしていると背後からアレイズが静かに声を掛けてきたので、ティファは寝袋の中から振り返り小さく頷く。既に旅支度を整えている彼はいつもと同じ黒の外套に身を包み、荷物をティファに向けて放り投げた。

「急ぐぞ。今日のうちにこの森を抜けてしまいたい」

「何かあったの?」

 少し急いでいるような早口を不審に思い尋ねると、アレイズは困ったように頬をかいて呟いた。

「少し、嫌な予感がするんでな」

 予感って、何て曖昧な。

 神が言うからには予言めいた何かがあるのかもしれないが、しかしそれにしては大雑把すぎるとティファは思わず突っ込みかけたが、その言葉を呑み込んで彼女は頷いた。今はそれよりも言うべきことがある。

「そうね。急いでグラドに行かないと」

 噛み締めるように決意を籠めた声で呟く。するとアレイズが眉を顰めた。涼やかな目元が細められ、問うような色が添えられる。

「どうした? お前自身にはそんなに急ぐ用事はないだろう」

「……夢を、見たのよ」

「夢?」

 ちくちくと刺さるなんて程度ではない、思いきり刃物を突き立てられたような痛みにティファは苦笑を浮かべる。するとその姿に不安を覚えたのかアレイズが膝をつきティファの顔を覗き込んだ。……この神はもう少し異性との距離感について学ぶべきじゃないだろうか。

 言葉を紡げばすぐにでも吐息が触れ合いそうな距離に後ろに下がろうとするものの、心配するようなアレイズの顔にうっと言葉を詰まらせる。ここで退いたらまた話がこじれてしまいそうだ。そう思いティファは言いたいことが山ほどあるにも関わらず頷くのみに留めた。

「えぇ。父様と母様が亡くなる時の夢よ。そこで、父様からグラドに行けって言われたの」

 あの言葉が実際に発されたものなのかティファには判別がつけられない。

 しかしグラドに向かうこの時期に見るのなら、あながち自分が生み出した妄言ではないような気がした。母が発した言葉は紛れもなくティファの記憶にあるものだったから、それだけでも行く価値がある。

「なるほど」

 ティファの言葉にアレイズは何を思ったのか、それきり何も訊きはしなかった。だからティファは自身も身支度を整え、無言のまま傍に控えていたメイやマイと共に出発しようと――したのだが。

「な、何?」

 突如としてがさがさと草が揺れる音に、メイが怯えた声を上げる。マイがそれに対し注意深く気配を探りつつティファの前に立った。何があっても護れるように片手を広げてティファに後ろに下がるよう促す。それに続いてメイも怯えながらマイの隣へと並び、手近な木の枝を草へ向けて投げつけた。するとそれは酷く驚いたように慌ててティファ達の前に飛び出す。

「!?」

 しかし、驚いたのはティファ達も同じだった。

「あら?」

「あの時の兎!」

 草むらから現れた真っ白な物体。それは大聖堂の地下で現れた、神の紋章を持つ兎だったのだから。

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