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CHAPTER 2.星夜祭に願いを (4)

 アレイズが村に戻って一刻経った頃に現れたティファとマイを、村人は総出で歓迎した。皆事前にアレイズから事情を聞かされていたこともあり、彼女達の無事を願っていたのだ。だから大丈夫だと話したというのに、とアレイズは喜ぶ村人を見て胸中で溜息を漏らしたが、契約者が無事であったことへの喜びを彼自身感じてもいた。

 恐らく何があっても大丈夫だとは彼は思っていたのだが、万が一ということもある。事情が事情とはいえ契約者と離れたことに関して少し反省の念を感じていると、視界に村人達がティファとマイの周りを取り囲んでいるのが見えた。

「ありがとうございます、ありがとうございます!」

「あなた達はこの村の恩人です!」

 手を取り何度も礼を言う者、英雄のように凝視する子供達、中には涙を流している者までいることにアレイズは驚きを禁じ得なかった。

(どうやら、本当に星夜祭はこの村にとって大事な儀式らしいな)

 農作業をしていた者もいたのだろう。しかし彼らは各々がその手を止めてティファとマイに礼を述べていた。アレイズはその輪から幾分離れた所で彼女達を見ていたが、やがてその視界に黄昏が見えることに気が付いた。夜が近いのだ。

 黒瞳を空へと向ける。すると一番星が煌めいた。ティファも時刻に気付いたのか、茜色に染まった頬を緩めて聖杯を掲げる。黄昏の光を浴びた銀は常よりも遥かに熱を帯びた色を発し、村人達の視線を奪う。

「これで、祭りが出来るわ。さぁ、皆で準備に取り掛かりましょう。もう夜まで時間がないわ!」

 神を示す紋章が角度によって輪郭を表す。祭りの時以外見ることがないであろう神器にほぅと溜息のような息を漏らした村人達はしかし、ティファの声を聞いてはっと我に返ったように目を見開いた。夜まであと一刻もない。その間に星夜祭の準備を整えねばならないのだから。

 聖杯を村長らしき老人に託し、ティファも活気付く村人に混ざろうとくるりと背を向ける。しかしそこでふと何かに気付いたのか、彼女はアレイズの方を見て首を傾げた。

「どうした?」

「マイは?」

 声を掛けると彼女は怪訝そうな声を上げてゆっくりと村を見渡す。木で造られた家々は燃えるように紅に染まり、その身を闇で沈下されることを待っている。しかしその紅に染まっているはずのマイの姿は見当たらない。一体いつの間に姿を消したんだろうかとアレイズもティファと共に彼女を探したが、結局は見当たらなかった。

「ま、いっか」

 自分のメイドが遠くへ行くとは考えていないせいだろう。ティファはうんっと伸びを一つして村の奥へと進んで行く。スカイブルーと黄昏が混ざり合い、どこか紫に似た色合いを帯びる彼女はそのまま雑踏の中へと消えて行った。

「やれやれ……」

 ティファのあまりと言えばあまりの適当さ加減に呆れて首を振ったアレイズは彼女を追うために歩を進める。彼女に振り回されて多少の疲労感を感じてはいたが、それも微々たるものだ。少し歩けば回復するだろう、星夜祭は執り行われ今の所問題などないのだから。そう考えてややゆったりとした動きで歩き、ゆらりと影を揺らす。しかしアレイズの間違いには、一つだけ間違いがあった。いくつかの木造家屋の前を通り過ぎた頃聞こえた、奇妙な音がそれを示していた。

「?」

 耳朶を打つ硬質な音の発信源を見やると、そこには宿屋らしき建物が鎮座していた。マイと共に行動していたせいで宿屋の位置など知らなかったが、民家にしては大きいことからまず間違いはないだろう。

「そういえばメイがここにいたな」

 ぽつりと呟き、そこでようやく双子の妹がティファによって拘束されていたことを思い出す。幾ら何でもいい加減助けなければならないだろう、とブーツの踵を鳴らして数段階段を上がり宿屋のドアを開く。

 鈍いドアベルが来客を告げるが、そこに人の気配はない。どうやら宿屋の主も星夜祭の準備に参加しているようだったが、アレイズはそれに気を悪くすることはなかった。メイド姿の少女がベッドに拘束されている姿など、見られないに越したことはない。硬質な音が、再度耳朶を打つ。

「何だ?」

 先程よりも強くなった音は宿屋の二階部分から聞こえるらしく、アレイズは怪訝そうな顔をしながらも階段を静かに上がっていく。争うような声が聞こえないことから剣呑な展開にはなっていないのだろうが、用心するに越したことはない。足元までを覆う外套の裾をひっつかみ、木に擦れ合うことのないよう慎重に動く。もう一度、冷たい音。しかし今度は近づいたせいか音の正体をはっきりと聞き取ることができ、アレイズは途端に渋面になって足を止める。

 聞こえたのはじゃらりという、つい先程洞穴内で聞いたばかりの音だった。

 逃げたら駄目だろうか。一瞬そんな考えが脳裏を過ぎる。しかしこのまま引き下がって見つかりでもしたらそれこそ恐ろしいことになりそうだと思い、結局アレイズは溜息を一つつきながら今度は足音を鳴らして進む。外套が木に擦れ、衣擦れの音を発した。

 民家に比べれば大きいとは言えど都会のそれとは比べる由もない宿屋には二つしか部屋がなかった。その中の一つに二人分の人の気配を察したアレイズは鍵のかかっていないドアノブに手を掛け、ゆっくりと回す。歩く時よりも更に慎重さを増して開け放った先に見えたのは、簡素なベッドが二つ在るのみの殺風景な作りの部屋で揺れる、予想通りの二つの影。

「うーん……」

 一人は常ならば結んでいるはずの髪を解き、亜麻色のロングヘアーをベッドから垂らしつつ穏やかな寝息を立てていた。あまつさえ呑気な声で寝返りまで打っている。誰だ、拘束されていると言ったのは。

 嘆息し主によって拘束されていたはずのメイドを遠目に見下ろす。真紅のメイド服が穏やかに上下し安眠を伝える様を見つめながら窓の外を見る。そこから空色の髪を見ることはできなかったが、もしいたら一言文句を言ってやりたい所だった。陽の光が似合う亜麻色は今や窓から差し込む西日に染まり、金に近い色を放っている。それをアレイズの闇色の双眸が捉えていると、もう一つの影がすっと隣に並んだ。深青のメイドだ。

「マイ?」

 彼女はベッドで眠りこける少女と瓜二つの顔をしながらも、幸福そうな顔などしてはいなかった。いや、笑んではいるのだ。ただその笑みの種類が格別に違う。硬すぎる空気を纏うアレイズが声を掛けると、マイはそっと口の端を緩めながら彼に微笑みかける。

「少々みっともない所をお見せするかも知れませんが、余り気になさらないでくださいね」

「あ? あぁ」

 完璧とも言える形に吊り上がったその唇に戦慄しながらもアレイズが頷くと、彼女はそっと腕を伸ばしベッドの上の少女の腕を掴んで揺らす。

「メイ」

「んー……」

「起きなさい、メイ」

 しかしいくら声を掛けても揺らしても、少女が目覚めることはない。命知らずなことに。

 優しく、慈母のような声で揺らされているメイはそれでは覚醒には足りないとばかりに唸りながらごろんと寝返りを打った。ミニスカートを履いているせいか、ほっそりとした太股が顕になる。だがそれにアレイズが視線を取られることはなかった。そんなことよりも恐ろしいものが隣に存在していたせいだ。

(……殺気が)

 アレイズが心中で呟き、恐る恐る横目にマイを見やる。すると彼女はにこにこと笑んだまま腰元からじゃらりと先刻使ったモーニングスターの柄を握りしめた。微かな血臭がそこから漂うのはアレイズの気のせいではないだろう。

 そうしてすうっと息を吸い込んだマイはベッドで眠る同じ顔の少女に向けて、穏やかに最終宣告をした。

「早く起きないと殺すわよ」

 姉は強し、という言葉が思わず脳裏を過ぎる。なぜならその一言でメイが弾かれたように起き上がったからだ。それこそバネ仕掛けの玩具の様に。

「はい! おはようございます!」

 乱れた髪の毛をそのままにしゃきっとした声を上げる。高らかなその声の持ち主はただ一身にマイのみを見ており、太股が顕になっていることもアレイズが目の前にいることも気付いていない。まぁ、こんな状況で周りを見ろだなんて自分は言えないが。

 ベッドから下りぴしりと背筋を伸ばしたメイを見てマイが穏やかに笑みを浮かべる。それはとても満足気なものだったが、亜麻色の瞳の奥だけが笑っていないことをこの場の誰もが理解していた。

「メイ」

「は、はいっ!」

 静かな声に、怯えた声が混ざる。

 あまりにもアンバランスな二つの声は傍から見ていると滑稽だが、同時にはらはらする。その感情の半分はとばっちりが来ないかどうかという不安から来るものなのだが。よほど緊張しているんだなと感じさせられる声が室内を見たし、びぃんと木材を反響して余韻を残す。それがノイズとなり空気に同化してからマイが口を開いた。

「あなたは、ティファ様を見張っていたんじゃないのかしら?」

「あ……う、うん」

 表面的には問い掛けるような声。それにどもるようにメイが答えると、更にマイの問いが続いた。慈母のように優しい笑顔で、人を惨殺できるようなモーニングスターを突きつけながら彼女は凛とした声を上げる。それは先程山中で妹の身を案じていた姉の姿とはとても思えなかった。

「じゃあ、どうしてティファ様は私達のところにいらっしゃったのかしら? ついでに、あんたはどうして寝てたの?」

 びくりと体を震わせる。メイと、そしてアレイズが。

 普段の丁寧な口調ではなく、これが地なんじゃないかと思わされる言葉に驚いたせいだ。……いや、口調だけではない。凛とした清涼な声に見合わない凄みに圧倒されたせいでもある。

 既に神の身となったアレイズとて、元々は人間であり神となってからの日は浅い。貫禄も落ち着きもあったものではない彼にはマイの声はあまりに怖すぎたのだ。第一このような人間達と接する機会などアレイズにはなかったのだから。

 やっぱりここに来たのは間違いだったのか? そんなことすら考えてしまうほどの声に戦慄し、ひやりと背中を冷や汗が伝うのを感じていると沈黙を何だと受け取ったのかマイがモーニングスターを構え直す。鉄の棘が付いた鉄球が揺れ、まざまざと血を見せつける。どうでもいい話だが、マイ自身は血臭がこんなに漂っていても気にならないのだろうか。愚問だとは思いつつも疑問を抱いていると、ようやくアレイズの姿を捉えたらしいメイが腕を突き出し両手をぶんぶんと横に振った。

「ね、姉さんっ! アレイズさんがいる前で流血は駄目よ、ね!? アレイズさん!」

 同時に首まで振りながらメイはアーモンド型の瞳で必死にアレイズに向けて問い掛ける。誰だって命は惜しいのだ。懇願するようなメイの声にマイを見やると、彼女は先程の自分の口調にようやっと気付いたらしくこほんと咳払いを一つしてアレイズに小さく頭を下げる。洞穴内での事もあり、気恥しさを感じているのだろう。殺気を感じさせない、というよりも霧散させた理知的な瞳が黒瞳へと向けられる。ずっとこの表情ならば問題などないんだが、とアレイズが感じていると彼女が窓の外へと視線を向けた。

「アレイズ様、申し訳ありませんがティファ様の所に向かって頂いてもよろしいでしょうか?」

「?」

 モーニングスターの柄を下ろし、一旦腰に戻してからマイが深々と一礼する。その姿に何を言われるかと思って身構えていたアレイズが疑問符を浮かべたような顔を浮かべた。ティファの元へ行けと言われても、一体何を。今は祭りの準備ぐらいしかすることはないはずだが。

「今、ティファ様は御一人です。いくら指輪があるといっても何があるか分からない現状では少し危険です。……私はこの通りこの子にまだ話がありますし、申し訳ありませんが御願いできませんか?」

 恐らくマイが言うほどに危険なことなどないだろうし、これは口実の一つだろう。その証拠に視線をずらしてメイを見れば、彼女はマイとは打って変わって泣き出しそうな顔をしながら行かないでと目で訴えているのだから。

 視線を戻せば怖いほどの笑みを浮かべた少女、ずらせば泣き出しそうな少女。さて、一体どうしたものか。アレイズはゆっくりと瞼を閉じ、人間男性にしては若干長い睫毛を微かに揺らす。

「御願いします」

 再度マイの声が耳朶を打つ。逆らうことなど許さないとでも言いたげな声にアレイズは良心の呵責を感じながらも覚悟を決める。閉じた時同様緩慢に瞼を開き、きゅっと床を鳴らす。

「……分かった。ティファのことは俺が見ておく」

「ありがとうございます」

「ちょ、アレイズさん!?」

「あらあら、あなたはこっちよ、メイ」

 踵を返すとマイが優雅に一礼する。ふわりと広がる深青のロングドレスと白のエプロンは、メイド服とはいえ淑女の雰囲気を漂わせていた。……無論、本物の淑女は腰にモーニングスターなど装備してはいないのだが。

 責めるようなメイの声に心の中で謝罪をしつつ後ろ手にドアを閉める。すると困ったようなマイの声と同時にメイの悲鳴が上がった気がした。それが何となく断末魔の悲鳴に聞こえなかったわけでもないし、加えて何となくガラスが砕け散る音が聞こえたような気がしないでもないが、アレイズはその全てを気のせいだと結論づけて宿屋を出ることにした。

 悪いことは忘れるに限る。


◇ ◇ ◇


 宿屋を後にしたアレイズが目にしたのは、村の最奥近くにある森の入口で腕組みをしているティファの姿だった。アレイズの足音が聞こえないわけではないだろうに、彼女はそんなものは聞こえないと言わんばかりに木を見上げて何やら真剣に考え込んでいる。

「何をしている?」

「アレイ……じゃなくて、ジュード。どうしたの? どこかに行ってたんじゃないの?」

 遠くからでも悩んでいますと伝えられそうな雰囲気を纏ったティファに声を掛けると、彼女は周囲に誰もいないことを確認してからアレイズの名を言い返えて振り返る。真っ青な髪が大きく揺れるのを見ながら、アレイズは気を遣われているなと苦笑を漏らした。確かに真名を呼んでくれと頼んだのは自分だが、彼女がそこまで気にしてくれているとは思わなかったのだ。そして一番苦味を感じるのは、その事実を自分が迷惑に思っていないことだった。元来人に気を遣われるのは嫌いな性分なんだが、ティファ相手だとどうにも勢いに負けてしまう。そう考え苦笑を隠すようにぎこちなく笑みを浮かべて答えた。さすがに苦笑をそのまま顔に表すと彼女にまた心配されそうだったからだ。

「宿屋に行っていたんだが、マイにお前を探すよう頼まれたからな。それにあの場にいたら殺されかねない」

「マイが?」

「あぁ、それが――」

「いえ、いいわ。大体予想が付いたから。それにしてもメイには悪いことしちゃったわね」

 申し訳なさの籠った声にぴくりと眉が動く。

(悪いことをした? それは拘束をしたことか?)

 いや、しかしそれにしてはメイに拘束をされた形跡などなかったしあんなに呑気に寝ていたではないか。疑問に思っていたことにちくりと棘を刺される。それは痒みという痛みになってアレイズの疑念を刺激した。

「メイに悪いことをしたとはどういうことだ? さっきから不思議に思っていたんだが、お前まさか嘘をついたんじゃないだろうな」

 びくりとティファの肩が震える。本人としては揺らしていないつもりなのだろうが、長い髪がしっかりと体の動きを捉えていた。ぱっと顔を上げた彼女が引きつったような声を上げる。恐らくこれも本人は気付いていないのだろうが、その顔が怪しさ満点だということにいい加減気付いてもらいたい。

「え? あはは、本当に決まってるじゃないの。ジュードってば疑り深いのね」

「誤魔化すな」

 呆れ混じりの声で言い返すと、ティファはあははと掠れた声を漏らしながら首を振る。一応自分が分かりやすい態度を取っているという自覚はあるようだ。

 アレイズがじっとりと半眼で睨んでいるとティファはこの暑くもない中汗でも流しそうな勢いで顔をしかめ、ふいっと顔を傍にある樹へと向けた。最近あまり雨が降らなかったせいか、その樹は大分弱っているように見える。ティファはその樹をじっと見つめ腕組みし直してからアレイズをちらりと見る。

「まぁ、それは後で話すわ。でもその前にちょっと考えてもらいたいことがあるんだけど」

「? 何だ」

「これ、この樹よ」

 黄昏が次第に群青に変わっていく。その光に身を浸す樹を指差すティファがうーんと唸った。

「この樹ね、神器を使った儀式で一番大事な物らしいんだけど、普通に切ったら傷つけてしまうかなって思って悩んでたの」

「魔法を使えばいいだろう」

「調整が上手く行かなかったら困るじゃない。破壊したら今度こそ星夜祭は中止よ」

 契約者の顔を立てるために否定しようにもできないなこれは。ティファならばその気になればどうとでもできそうだったが、一度の失敗も許されないことは確かだ。樹には命が宿り、それを削ることは樹を殺すことになるのだから。

「今まではどうしていたんだ」

 しかしそれなら今まではどうやってこの樹を切っていたんだ。そう思いアレイズが尋ねるとティファは肩を竦めて首を振った。群青を切り裂く蒼が揺れる。

「樹がこんなに弱ってることがなかったみたい。人間にも分かるぐらいだもの、相当なのね」

「まぁ、確かにな」

 眼前まで進み樹に触れる。かさかさと乾燥した樹皮はやはり痛んでおり、葉にも艶がない。寿命もあるのかもしれないが、それ以上に天候によるものもあるのだろう。あとは――。

「精霊が、少ないからか」

「精霊?」

「あぁ、自然がある場所なら大体気配を感じ取れるはずなんだが」

 森が大地が傍にある緑豊かな村。しかしそこから感じ取れる精霊の気配は酷く希薄だった。外套から手を出し、ゆっくりと胸元まで上げつつ手の平に意識を集中させる。すると空気が少し熱を増したようだったがそれでも予想よりは遥かに低い熱だった。

 神の命によってもこれだけしかいないのか。これでは樹が弱っているせいで精霊が少ないのか、精霊が少ないせいで樹が弱っているのか判断が付けられない。アレイズはふうと溜息を漏らし樹を見上げる。そうしている間にも夜が近付き、遠く耳朶を打つ喧騒に焦燥が混ざりつつあった。これではまた喧嘩が起きかねない。

「仕方ないな」

「え?」

「少し下がっていろ」

「う、うん」

 そうなるとまたこのじゃじゃ馬は首を突っ込むんだろう。双子のメイドや神の意見さえ聞かず。こんなことならもう少し上下関係のある付き合い方を望めばよかったんだろうかと後悔混じりに考えながらも、しかしアレイズはすぐに諦めたように首を振って腕を突き出す。指輪にはまる翡翠が柔らかな光を放ち、じわりじわりと辺りを満たしていく。

 精霊は確かに樹を育てるには満たない。雨も降らない。ならば対処療法として魔力を糧にするしかなかった。幸いなことにアレイズは魔力だけは豊富に持っていたのだから。

「これ……」

「黙ってろ」

 微かな驚きの声が耳朶を打つ。しかしアレイズはそれを黙らせて意識を集中させることに専念した。指輪から漏れ出すように辺りを満たす光に樹がざわりと声を上げる。命の糧が与えられることに歓喜を示すように。――魔力が順調に与えられていることを認めるように。

 樹の命に直接糧を注ぎ込んでいく。それは少し間違えば樹を殺して仕舞いかねない危険な作業だったが、アレイズはぴんと張り詰めた意識を保ったまま寸分の狂いもなく命を与え続けた。アレイズが意識を集中させる間、ティファの目は見開きダークブルーの双眸に樹が息を吹き返す様を目一杯に映す。

「樹が……」

 呆気に取られたその表情は酷くあどけなく、アレイズは思わず吹き出しそうになったが慌てて意識を集中し直す。掛けた時間は数分にも満たなかった。

「とりあえずはこれで問題ないだろう」

 呟いたアレイズの声に茫洋とした視線を向けたティファはしかしすぐにゆっくりと意識を取り戻すように瞳に光を宿し、一点のみを見つめる。樹がその身を星夜祭に与えても問題がないほどに回復していることを見て取ったのだ。驚愕と興奮でティファの頬が染まる。

「これなら大丈夫! 私、村の人達を呼んでくる!」

「あぁ」

 放っておいたら飛び跳ねそうなティファの様子に苦笑を漏らすと、彼女は即座に踵を返し喧騒の中へと駆けて行く。アレイズはその背を見送っていたが、数歩駆けた所でぴたりと止まった姿に片眉を上げる。他に何か問題でもあっただろうか。

「ジュード!」

「どうした」

 大きく響く高い声に対照的な低さで答えると、ティファがくるりと振り向く。

 舞った髪に顔の半分を隠すようにして浮かべた表情は満面の笑みだった。

「ありがとう! 貴方のおかげで聖夜祭が決行出来るわ!」

 心底嬉しそうなその顔はやはり紅潮しており、アレイズは苦笑を深めながら頷く。そうして再び駆けたティファの背を追うように足を踏み出しながら、自分の命でもある魔力を与えた疲労感に抜けた体を叱咤する。

(やはり少し疲れたな)

 アレイズは胸中でそう呟き、だがと続けて口の端を吊り上げた。それはどこかはにかむような、契約者のティファでさえ見ることのない笑みだった。照れているのだと自覚出来る笑みを抑えるべきか否かと考えつつ、彼は呟く。

「悪くない」

 心身共に疲れ果て今すぐに眠りたい気分だったが、こうして誰かに心から感謝されるとその疲れも和らいでしまう。

 結局の所自分もお人好しなのだ。自分が神だという自覚もいまいち希薄なのだから仕方がない話でもあるが。そう結論付けたアレイズは苦笑しながら喧騒の中へと歩いていく。闇に溶けるその姿は村に戻って来た時よりも足取り軽く、疲労感も消えているように見えた。


◇ ◇ ◇


 それからとっぷりと夜が暮れた頃、村長の声が村中に響き渡った。

「では、これより星夜祭を始めたいと思います!」

 わぁっと歓声が上がる。そこから先は無礼講のようで、彼らは酒を酌み交わし談話したりと思い思いに過ごしていた。

 神器を使う儀式は祭りの終盤にあるらしく、それまではこうして自由に過ごしてもいいらしい。これも村人が楽しみにしていた一時なのだろうなと考えていると、広場の中央で燃え上がる炎が高く伸びた。炎を取り囲むように輪になって座る彼らの中に真紅と深青は見えない。恐らくまだ宿屋にいるのだろうが……メイは無事なんだろうか。

 アレイズは村人に勧められるまま酒をちびちびと呑みながら置いてきたメイドの片割れを思い出す。怪我などしていなければいいんだが、そう思いながらも無理そうだなと結論付ける辺り薄情とも言えるが。

 ゆっくりと輪を見渡す。するとそこに空色の髪の少女を見つけたが、彼女はこの祭りの主賓にもなっているらしく村人からあれもこれもと食べ物を勧められているようだった。元々農業しか栄えていない村だから肉や魚と言ったものはないが、その分女性が好みそうな果物などが豊富なのだろう。その証拠にアレイズが呑んでいる酒も甘酸っぱい。

 喧嘩による剣呑なものではなく、穏やかな喧騒が村を満たす。

 ここでは大人も子供も等しく祭りを楽しむ一員となるのだ。それが聖夜祭の準備段階で起きていた喧騒よりも遥かに声量が強くなっている理由だった。アレイズはあまり人と接するのが得意ではない性分だったので大分距離を置いてはいるが、それでも村人が寄ってきては酒を注いで回る。さすがに強すぎる酒を勧められることはなかったが、何杯も呑んでいるとさすがに顔が赤くなっていくのを感じていた。神の身も酒に酔うんだなとアレイズは今になって初めて知った。

 仰向くように空を見上げる。すると炎に照らされてよく見えないものの、満天の星空であることは間違いないのだろうなと理解出来た。儀式の時には炎を消すと聞いているから、星明りを拝む時はそう遠くない。いい夜だ。アレイズは杯を傾けて酒を嚥下する。木の実の甘酸っぱさが舌で踊り、緩やかに胃袋へと収まっていくのを感じているとくらりと意識が傾いた。

「飲みすぎたか?」

 ふわふわと意識が揺れる感覚に酔っているなと苦笑するも、これもやはり悪くなかった。酒など久しぶりだし、祭り自体随分と久しい気がする。喧騒は苦手だが、祭りの喧騒まで嫌いになるほどアレイズも人間嫌いではなかった。心地良い酔いに目を閉じる。夜風が解いた黒髪を揺らしひんやりと火照った頬を冷やした。

「ジュード」

 小さく声を掛けられる。聞き慣れた声に目を開けると、眼前でティファがすっと手を伸ばすのが見えた。

「神様もお酒に酔うものなのね。知らなかったわ」

「俺だって今知ったんだ」

 そうなの? ときょとんとした顔を浮かべるティファはそのまま伸ばした手でアレイズの頬に触れる。冷たく感じる手は酔い同様心地良く、思わず目を閉じそうになる。

 すべすべとした手の甲が頬を撫でていく。しかしそこでティファは自分が男性に無遠慮に触れているということに気付いたのか、はっとしたように目を見開いて慌てて手を引っ込めた。心地良さが遠のき手を伸ばしそうになり、アレイズも慌ててそれを押し止める。酔っているからと言って何をしようとしていたんだ自分は。

「村人はどうした」

「皆すっかり出来上がっちゃってるわよ。勧めまくった甲斐あったわ、やっと抜け出せたんだもの」

 尋ねるとそう返され、アレイズはティファが指差す方向に視線を向ける。そこには赤ら顔の村人達が豪快に笑いながら更に酒を酌み交わす姿が見えた。きっともうティファのことなど見えてはいないのだろう……そうなるまで酒を勧めるというのは難儀なことだとは思うが。

 命を吹き返した森が吐き出す清涼な空気を吸込んで酔いを醒ましながら彼らを見ていると、ティファが隣に座って両膝を抱え込んでアレイズをちらりと見た。炎に照らされ所々紫に染まった瞳が向けられる。

「ありがとう」

「? 何がだ」

 唐突な言葉にアレイズがそう返すと、ティファはぎゅっと膝を抱え込む手に力を込めて微かに震える声を出す。先程は気が昂ぶっていて障害なく発することができた言葉はしかし、冷静になると言うのが辛いようだ。

「神器を取り戻さなかったら、今頃このお祭りはなかったと思うから。だからとにかく、その……ありがとう」

 礼など何度も聞いているが、それでもあえてティファは言いたかったのだろう。

 この降って落ちてきそうな星空の下で祭りが決行できたことへの感謝を。だが、いつもなら勝気な瞳でどこまでもきっぱりと言葉を発するティファがもじもじと恥ずかしがりながら礼を言うなどとは考えにくかった。

 喧騒が強くなる。アレイズはその中でかき消されそうな息を吐き出した。ふっと吐き出した息は次第に衝動のまま大きくなり、アレイズの肩を揺らす。衝動は笑いのそれだ。

「ははは! お前でもそんな風に恥ずかしがったりするんだな!」

「何よそれ! 私はいつもこんなのよ!」

 大口を開けて笑うとティファがぱっと顔を上げ、勢いよく立ち上がった。跳ねたのではないかと思うような俊敏な動作はやはり照れから来るものなんじゃないかと思うと更に笑いがこみ上げてきて、アレイズは涼やかな目元に涙さえ浮かべて笑い続ける。

 岩を砕き強盗相手に剣を突きつけるような少女が、礼の言葉一つでこんなに動揺するなどとは一体誰に想像ができるというのだろうか。きっとメイやマイですら見たことがないに違いない、と断ずることができる姿にアレイズは腹筋が痛くなる中で取り繕うように手をひらひらと振った。吊り上がったダークブルーの瞳が怒りを灯し始めたせいだ。

 このまま怒らせてもきっと面白いだろうが、あまりに酷い喧嘩になるとマイに怒られることが分かりきっている。それは避けたかったのだ。……さすがにモーニングスターは食らいたくない。

「まぁ礼は受け取っておこう。それで、さっきの話なんだがな」

「? 何よ」

 今度こそしっかりと礼を受け取る言葉を言ってから、話をすり替える。するとティファは不満のありそうな棘のある声を発したが、アレイズが次に発した問いに口を噤んだ。

「メイを縛ったのが嘘だったって話はもういいんだが、何故お前はあんなに星夜祭を決行させたかったんだ? そもそもお前はこの村で聖夜祭が行われることを事前に知っていたわけじゃないんだろう?」

 あぁ、と低い声が漏れる。同時に彼女は再びアレイズの隣に座り、膝を抱えて顔の半分をそこに埋もれさせながらも遠くを見つめる。

「……頼まれたのよ」

「頼まれた? 誰にだ」

「村の子供達よ。あの後、宿屋に子供達が来て私に聖夜祭のことを教えてくれたの。旅人さんも見た方がいいよって」

 成程、と呟きながらアレイズがティファの見つめる先を辿ると、そこには村の子供達がわいわいと騒ぎながら駆けている姿が見えた。じゃれ合っているのだろう、夜も暮れたというのに彼らは楽しげな声を上げて笑っている。あんな薄着で駆け回って風邪でもひかねばいいのだが、ぼんやりとそう考えているとティファが更に続ける。独白のような呟きは闇に埋もれて行くように沈む。

「私もね、父様や母様が生きていた頃に一度だけお祭りに行った事があるの。二人が生きてた頃の記憶ってもうほとんどないんだけど、でも楽しかったってことだけは覚えてるの。だからあの子達が楽しみにしてる気持ちがよく分かって、それで」

「メイはどうした」

「事情を話してお願いしたら、じゃあ私を拘束した事にすればいいよって言ってくれたから。その代わり絶対に一人で行動しないでって」

 確かにそれが一番確実だ。ティファの答えにアレイズはメイが正しい選択をしたことに安堵しながら溜息を漏らす。もしこれで反対などしようものなら、それこそ実力行使で一人突っ走っていただろう。それぐらいならマイや自分と行動させた方がいい。

 溜息を漏らす姿に呆れを感じ取ったのだろう。ティファは誤魔化すように笑ってからゆっくりと背筋を伸ばす。

「それにね、きっと私はもう二度とあんな風に純粋に楽しめないと思うから、せめて子供達には純粋に楽しんでほしかったの。いつかそれが叶わない時があの子達にも来るかもしれないから」

 成長することが純粋に祭を楽しめなくなることに繋がるとはティファは思っていないのだろう。

 両腕を伸ばして仰向くティファを見てそう感じたアレイズは、一体何が彼女に純粋さを奪ったのだろうかと思案する。アレイズから見てティファは十分過ぎるほど純粋な気がするのだが、それでも本人は何かが違うと思っている。だからこそのあの発言だ。しかし彼にはティファが歩んできた道など知る由もなく、また知った所で何をしてやれるわけでもなかった。神格の高い神ならば時ぐらい変えられるかもしれないがこちらはまだ新参者とも言える身分だ。そのようなことが出来よう訳がない。

「なら、今楽しめばいい」

「え?」

「昔みたいに純粋に楽しめないかもしれないが、それでも祭りを楽しめることに変わりはないだろう?」

 だからアレイズにはそう言ってやることしかできなかった。例え昔とは違っていたとしても、二度目の祭りはしっかりと記憶を抱けるように楽しめばそれでいいのではないかと。

 立ち上がり手を差し出す。それをぽかんと見ている丸いダークブルーの双眸に向けてアレイズは笑んだ。炎を背にして立つその姿に何を感じたのか、ティファの頬が赤く染る。そこで胸を襲うむず痒さに気付き、アレイズは気恥しさに言葉を探した。励ますことは悪くない、だがこうやって女性をエスコートするということがなかったせいかどうも胸や背中がむず痒くなってしまうせいだ。相手は契約者であるティファを利用しようとさえ思っているはずなのに、どうしてこんなことで動揺しなければならないのか。

「ま、まぁとりあえず儀式とやらを見に行くか。もうすぐ始まるだろう」

 ぐるぐると回る思考の波の中で必死に言葉を探してようやく出てきた言葉を発すると、彼女は何を思ったのかくすりと笑って手を伸ばす。

「えぇ!」

 冷たい手がアレイズの手を握る。ほっそりとしたその手を引っ張り上げるとティファが満面の笑みを浮かべた。


◇ ◇ ◇


「そんなことがあったの……」

 その頃、明かりも灯さずに星明りと広場の炎の明るさのみに支配された暗い宿屋の一室にメイとマイはいた。

 全ての事情を聞き、マイはひっそりと息をつく。メイを散々いびった後で、彼女の口から事の経緯を話してもらい終えた直後なのだ。……無理矢理吐かせたとも言えるが、それはメイがティファをきちんと見張っていなかったのが悪いとマイはあっさりと決め付ける。

「うん、そういうこと」

 しかし窓枠に手を掛け夜空を見上げるメイの後ろ姿を見て、唇に指先を当てたマイは彼女が下した選択が正しいことを実感していた。ツインテールに結ばれた亜麻色の髪が歓声と共に揺れる。綺麗な星よ姉さん、という声に小さく頷いてから呟いた。

「ティファ様はあまり祭りなどの行事を体験なさったことがなかったから、仕方ないのかもしれないわね」

(もっとも、行事そのものよりも御館様や奥様との想い出の方があの方にとっては大事なのだろうけれど)

 その頃のことを思い出そうとしても、マイにはほとんど思い出すことができない。その理由を探ることなど今まですることはなかったが、彼女達よりも幼かったティファは祭りのことを覚えているのだろうかとふと疑問に思った。覚えているからこその行動なのだろうから、幾らかでも記憶はあるはずだがただのお節介で行動した可能性もないわけではない。

 それにしても、どうして自分はあの頃の記憶を手繰り寄せることができないんだろうか。今まで気にすることもなかったが、気にしてこなかったことがおかしいのではないか。

「姉さん?」

 思考の波にはまりそうになっていたマイの姿にメイが怪訝そうに振り返る。姉と違って純真無垢な亜麻色の瞳を向けるメイに、マイは伏せそうになっていた瞳をぱちりと開けて首を振る。

 考えても、どうにもならない。

「何でもないわ。それより、そんな事情があったのならティファ様にはお祭りを楽しんでもらわないとね」

「そうだね、アレイズさんも一緒にいるし。……二人で楽しんで来てくれるといいんだけど。一応二人は家族なんだから、ティファ様にとっていい想い出ができるかもしれないしね」

「一応じゃないわ。本当の家族になるのよ」

「契約したから?」

「違うわ」

 きっぱりと言いきりマイが頬にかかる髪を払いのけた。

「ティファ様のあのじゃじゃ馬を上手く操れるのなんてアレイズ様ぐらいよ。これは私達に与えられた最初で最後のチャンスなの」

「まさか姉さん、私と二人で残ったのって――」

「お祭りの夜に二人きりで行動だなんて、ロマンティックじゃない。ね?」

「あんな短時間によくそんなこと考えたね……」

 きしりと音を立てながらメイの隣に並ぶ、そうして呆れ返る彼女が見上げていた空をマイも見ることにした。炎にほとんど邪魔されない場所にいるおかげで、二人の目は満天の星空に彩られた夜空が映る。きらきらと宝石のように煌く星は、それこそ手を伸ばせば届きそうな感覚に陥るほどの量だった。

「星夜祭に相応しい、いい夜ね」

 星の煌きに心からの笑顔を浮かべて、マイが呟く。

 その声にメイが肯定を返すとつうっと夜空を滑るように光が一筋流れていった。

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