CHAPTER 2.星夜祭に願いを (3)
少しの後に、ようやくティファ達は洞穴の最深部へと辿り着いた。
後ろでは何やらアレイズとマイが仲良さそうに話しているのが見えたが、ティファは先程何か話しているようだったからそれに関係があるのかもしれないと結論付け、すぐに思考を切り替えてそこにたむろしていた男達を睨めつけた。
屈強な大男に狡賢そうな男達。まるで悪人面の店でも開いているんじゃないだろうかと思わずティファが胸中で呟くほどに彼らの人相は悪かった。こんな顔なら神器を奪ったとしても驚くことではない気がする。それに派手に魔法を叩きつけても許されそうだとティファは剣呑なことを考えた。暴力的な思想は元々好まないが、悪漢となると話は別だ。大聖堂には細かい戒律などはなかったが、盗みが罪であることぐらい彼女にもよく分かっていたのだから。
「貴方達が、神器を盗った賊ね」
後ろに控えていたマイがすっと目を細めティファより少し前に出る。いつでも身を盾にできるようにとのことだろう。そこまでしてくれなくても大丈夫なのに、とティファは胸中で申し訳なく思いながらも静かに尋ねた。いきなり感情を荒らげてしまったらまたアレイズに文句を言われてしまうからだ。
ティファの言葉に、男達は最初呆気に取られているようだった。人相の悪い顔についた二つの目を見開き、まじまじと洞穴へとやって来た三人の男女を凝視している彼らのあまり大きくない瞳に映るのは一人の青年と二人の少女。しかも三人が三人とも冒険者の物とは思えない身なりをしていた。黒の外套はともかく、全身白のお嬢様然とした風貌に深青のメイド服だ。そして唯一の男は丸腰状態。ティファは帯剣していたが、恐らく彼らの目には止まっていないだろう。
余裕を取り戻し嘲笑を浮かべる男達の姿に、服をそれらしいものに新調した方がいいのだろうかとティファは思案する。これはこれで気に入っているのだが、向かう敵向かう敵皆に舐められていたら少し腹立たしい。マイは決して服装を変えようとはしないだろうから、自分だけでもどうにかしたいものだった。
嘲笑が哄笑へと変わっていく。男達の声に気付き他の面子も出てきたのだろう。
(もう誰が誰だか分からないじゃない)
全員が全員悪人顔だから区別がつかないとティファが辟易した顔を浮かべていると、それが伝わったのかアレイズが失笑する。ふるふると震えた手の平がティファの肩を数度ぽんぽんと叩くと、連鎖するようにマイが溜息を漏らした。そんな彼らの様子には気付かず、一番奥に座る男が胡座をかいたままにやりと下卑た笑みを浮かべた。リーダー格だろうか、その態度の端々にどことなく偉そうな色が見える。
「そうだぜ。もしかして、嬢ちゃん達が取り返しに来たってのかい?」
「そうよ」
「御覚悟を」
揶揄するような声にティファは平然と答えるが、その声はひんやりと冷たい。空色の髪が一気に冬の冷たさを帯びたような声にマイが鋭い声を発すると、二人の少女の声に怯んだように男達が一瞬押し黙る。意外と肝の小さな男ばかりだと評価を下していると男達はすぐに哄笑を返した。今までの経験から言って予想通りという流れに、今度こそティファは辟易とした溜息を漏らした。
(やっぱり服買おうかしら)
「うわっはっは! おい、てめぇら! こんな嬢ちゃんが神器を取り返しに来ただとよ!」
「可笑しくて腹がよじれちまいそうだぜ!」
「御頭、せいぜい可愛がってやりましょうや!」
下卑た声と言葉にマイが珍しく怒りを表すように片眉を上げたが、彼女はその怒りを口に出して表すことはしなかった。恐らく増長するだけだと理解しているのだろう。アレイズに至っては我関せずという風に見守っているだけだ。これも予想通りとはいえ、契約者が馬鹿にされているのだからもう少し何か反応があってもいい気がする。
ティファは口々に嘲りの言葉を口にする男達を尻目に鋭く視線を走らせ神器の在処を探す。
幸い洞穴の最深部はそれほど広くはなく、更に男達が灯す松明のおかげで神器一つなら探すのにあまり苦労はしそうにない。
(人を馬鹿にしている暇があったらお宝を隠すことね、三下)
そう胸中で毒づくティファのダークブルーの瞳に、きらりと光る物が見えた。
――あった。
リーダー格の男の斜め後ろ。少し影になるその場所に銀の聖杯が置かれているのが見えた。遠目からでも分かるほどの繊細な装飾に紫水晶、何より紋章らしき物がついていることからして間違いないだろう。ただ、どうやってあれを手に入れればいいのか。
攻撃を外さない自信ならあったものの、魔法はいかんせん威力が強すぎる。制御をすれば弱い攻撃もできるだろうが、それだと相手が倒れない可能性もある。対人用の魔法の練習などしたことがないティファには、物を壊さずに人を倒すという力加減が分からなかったのだ。
ちらりと黒の双眸がティファヘと向けられる。それに対し視線のみで神器の在処を伝えると彼は納得したように頷いた。視線のみの応酬に男達が気付くわけもなく、彼らはティファが何も言わないことを怖気づいたからだと考えたらしい。次第にティファへの距離を縮めてくる男達の足は緩慢で、まるで恐怖心を煽るようなものだった。最深部は土が細かいのか、石が土に擦れる音があまり聞こえない。静寂の中で満ちるその小さな音が更に恐怖心を煽ると計算したのだろう。ただ、それは大きな間違いなのだが。
「なぁ、嬢ちゃん。怖いかもしれねぇが、ちぃと遊んでけや」
舌舐めずりの音が聞こえてきそうな、いやらしい声がティファ達の耳朶を打つ。頬に傷を持つ男の地を這うような声に、部下達が嘲笑と歓声を上げた。息を呑む音と共に硬質な音が隣で聞こえるが、それに対しティファが横目で合図するとすぐに収まった。マイが武器を取り出そうとしたのを止めたのだ。
マイから視線を外したティファの目に映るのはリーダー格の男ではなく、神器唯一つだった。自分が見られていると感じたのかにやにやとした笑みを深める男を無視しながらどうするべきか思案していると、すぐ傍で先程の男の声がする。
「ほら、こっちに来いよ」
ごつごつとした、かといって農作業によって培われたものだとは到底思えない汚れた手がティファに伸ばされる。
「ティファ――」
気配に気付いていないと思ったのだろう。アレイズが慌てたように声を上げるが、その刹那にティファはひらりと身を翻し銀光を横に滑らせた。松明の明かりに照らしだされるそれは細剣だ。
鞘から抜き放つ音と共に軌跡を描いた刃に視線を注ぎつつ、歌うような高い声が辺りを満たした。
「近寄らないで」
男の喉元にぴたりと突きつけた細剣は、少女が持つ剣とはいえ殺傷能力に長けたものだ。皮をやんわりと裂くか裂かないか、その絶妙な距離感で突きつけられたそれに男が屈辱に顔を赤くさせながら仰け反る。微かに漏れた息が低い呻き声を発した。
「おい! その女を捕まえろ!」
部下の危機を察したリーダー格の男の怒声が響き渡る。びぃんと洞穴内の暗がりに余韻を残したそれに周囲の男達が色めき立ち、ナイフを手にティファヘと近付く。ようやく本気で取り合う気になったのかとティファは口の端を緩やかに吊り上げて笑った。焦りのないその表情に、男が安堵の息を寸前で止めるのが見える。
「こんな状況で何笑ってやがる。少しは怖がったらどうなんだよ」
「だって怖くないんだもの、仕方ないじゃない」
きらりと光るいくつもの短い銀光が視界の端に見える。次第に近付き大きくなるそれを視界に入れつつも、ティファは恐怖心などまったく感じなかった。絶対に勝つというのは驕りでしかないが、それを差し引いても彼女には負けなど有り得なかった。なぜなら彼女は一人ではないのだから。
仲間に刃を向けられたことへの怒りだろうか、ぎらついた目をした男が無言のままナイフを振りかぶる。ティファはそれに対しどう避けようかと考え、すぐに体の動きを止めた。
――来る。
「炎よ」
ティファの声ではない、低い男の声が紡いだ言葉が真っ直ぐに耳朶を打つ。同時に松明の明かりよりも遥かに鮮やかな炎が空中に顕現し、男が手に持つナイフを溶かしていく。どうやって制御しているのかは分からないが、その熱がティファを襲うことはなかった。
あくまで手に持つナイフのみを溶かしたその炎を愕然と見つめる男に肉薄し、呪文を唱えた男――アレイズが囁くように告げる。やる気がなかった割に面倒くさそうに見えないのは、少しぐらいは体を動かしておきたかったからなのか諦めからなのか。
「悪く思わないでくれ。こいつを傷つけさせるわけにはいかないんだ」
「っ!?」
鈍い、皮と肉が突き破られる音がする。濃い血臭に軽い吐き気を覚えながらティファがそちらを見ると、先程までティファを攻撃しようとしていた男の右肩に長剣が突き刺さっているのが見えた。剣の持ち主はもちろんアレイズだ。だけど、剣なんて一体どこに。アレイズは剣など持っていなかったはずなのに。
「ぐぁぁぁっ!」
どこからあんな長剣を取り出したのかティファやマイですら理解できずにいると、熱と激痛に襲われたのか男の絶叫が響き渡る。痛みと怨嗟を詰め込んだそれにぎゅっと唇を噛みしめていると、アレイズは申し訳なさそうに眉尻を下げた。哀れむような瞳で見下ろしながら呟いたのは、肉を突いた刃よりも遥かに柔らかい。
「手当ては必ずする。少しだけ待っていろ」
隣に並んだアレイズを見て、ティファの細剣の先にいた男がひぃ、と声を上げる。仲間の惨事を目の当たりにして平然としていられるような性質ではないのだろう。無論ティファもそうだったのだが。
勝気な瞳が吊り上がり、責めるような視線が黒瞳へと向けられる。引き結ばれた唇からは今にも罵詈雑言が飛び出しそうだった。――何も傷つける必要なんてなかったのだ。少し脅してそれで済めば万事問題ない。それなのに。
ティファとて建物を倒壊させることや相手を気絶させたりすることはあるが、焼け焦げたりと見た目は酷いが怪我としては軽症に当てはまるぐらいのことしかしてこなかったのだ。剣で人を刺したりなど、したことがない。無論必要であればするだけの覚悟はあるが、今がその時だっただろうか。
確かにアレイズの魔法を頼りはしたが、こうなるぐらいなら自分が避けておくべきだったとティファは内心で舌打ちをした。鋭いダークブルーの視線を受け、アレイズは困ったような顔をするだけだ。それはそうだろう、彼としては契約者を守るだけの行為に過ぎないのだから、ティファに感謝されこそすれ怒られるなどとは考えていなかったに違いない。そして守られた以上ティファは彼に文句を言うことなどできなかったのだ。だからこそ目で訴えたのだが……問題はアレイズだけではなかったようだ。
はっと息を呑む。耳朶を打つ阿鼻叫喚に意識が耐えられなかったせいだ。
「な、何?」
慌てて声の出所を探ると、野太い男の声が高く染まり幾重にも折り重なる。
「……あれを見ろ。とりあえず怒るなよ」
「? あ」
そういえば、どうしてティファを襲おうとした男が一人ではなかったことを今まで思い出さなかったんだろうか。そして残りの行く末を彼女は気にしなくてはならなかったのだ――相手のために。
悲鳴と絶叫を上げていたのは、いずれもティファを襲うはずの男達だった。涙を流さんばかりの勢いで叫ぶ彼らの肩は、いずれも片側が潰されている。一体誰がそんなことを? と一瞬思案したティファだったが、彼女はすぐに溜息と共に瞼を伏せた。愚問過ぎたのだ。
「つくづく恐ろしいメイドだな」
「主としては不名誉だけど、とりあえずありがとう」
ぽつりと呟くアレイズの声に答えると、男達が倒れ伏す中で一人笑んでいるマイがこちらへと駆け寄った。ふわりと舞う深青のメイド服にも白地のエプロンにも返り血一つ付いていない。代わりに、手に持つモーニングスターには幾らか赤みが見えたが。
妹の服に合わせたのだろう。真紅の柄を握りながら駆け寄るマイを追うようにじゃら、と鎖が鳴った。その先には棘付の黒々とした鉄球がくっついていた。名の通り星のような形状のそれは決してロマンティックな用途で使われることはなく、こうして敵を倒すことのみに使われることがティファとしては悲しい所なのだが。
「御怪我はありませんか?」
相手を殴るだけ殴ってすっきりしたのか、マイの表情は幾分すっきりしているように見えた。理知的な表情がふんわりと笑みを形作るのを見て、ティファは大仰に溜息をついて首を振る。どうやら主が貶されたことに相当御立腹だったようだ。
「……大丈夫よ」
「アレイズ様は」
「そういうことは男が訊くものだ」
「ふふ、それもそうですね。とりあえずは御安心ください。彼らの利き腕は潰しましたので」
にこやかに言うべきことではない気がするんだが、と思ったのはティファだけではないだろう、きっと。
「モーニングスターを振り回すメイドなんて俺は聞いたことがないんだが」
「私だって知らないわよ」
「それも御安心ください。モーニングスターではありませんけれど、もう一人武器を持つメイドなら居りますので」
「アレイズが言いたいのはそういう事じゃないと思うんだけど……」
思った通りどこか遠い目をして揶揄するような事を言うアレイズに、マイがどこか見当違いの返答をする。くすくすと笑うその表情は淑女のそれだったが、手にモーニングスターがあるせいでどこか違和感を感じざるを得ない。ティファは今にも悲鳴を上げそうな男に向けた剣を溜息と共に引き、顎をしゃくって下がるように告げる。このまま傍にいたら彼も肩を潰されかねない。身体的に色々と申し訳ないことをしてしまった罪悪感があるだけに剣を突きつけておく気にはなれなかったのだ。
細い悲鳴を上げた男がリーダー格の男の方へと逃げていく。すると血生臭い洞穴内で和やかに話していたティファ達に痺れを切らしたらしいリーダー格の男が声を張り上げるのが聞こえた。
「てめぇら! 俺を無視するな!」
そういえばいたような気がする、とその場にいた三人が三人とも思ったことだろう。
一種の心の叫びにも聞こえるその言葉にティファは一瞬ぽかんとした表情を浮かべてから、すぐに不敵な笑みを形作った。
「あら、悪党なんて無視されても文句言えないわよ」
「何だと!」
「そんなことより、さっさと神器を返しなさい」
白く細い手がすっと伸びる。二人の男は目を見開いてそれを見ながら獰猛な笑みを浮かべながら、そのままじりじりと後退り銀の聖杯を手に取った。汚い手で神器に触れるなど、と考えたのかは知らないがアレイズが眉間に皺を寄せるのが見える。
「そうそう、嬢ちゃんはこの聖杯をご所望だったんだよなぁ……」
そこに一片の勝機を見出したのか、くつくつと笑うリーダー格の男にティファが怪訝そうな顔をするとマイがじゃら、とモーニングスターを構えた。恐らく彼女は男の意図が理解できたのだろう。しかし臨戦態勢を取る彼女を制するように男が再度声を張り上げた。がなり声が発するのは、やはり典型的な悪者のそれだ。
「おっと、俺に攻撃したら神器にも当たるぜぇ? 良いのかい?」
「……っ!」
しかしいくら典型的な言葉であれど、手が出しづらくなることは事実だ。マイが悔しげに唇を噛み締めるのを見ながら、ティファは怒りを孕んだ視線を男へと向けた。確かに、剣ではなく鈍器なのだからもし神器に当たろうものならいくら銀製でも耐えられるか分からない。というか耐えられないだろう。
ティファが伸ばしていた手をゆっくりと横に薙ぎマイを制すると、彼女は無言で武器を下ろした。硬質な鎖の音が耳朶を打つ。その横顔はどこまでも悔しそうだった。男はにやついた笑いを崩すことなく後退り、ティファ達の眼前を通り過ぎて行く。恐らくこのまま入り口へと向かうつもりなのだろう。
「そうだ、そのまま動くな。俺が逃げるまでな」
「くっ……」
マイが呻き声を漏らすのが聞こえる。だが静観しているアレイズだけはどこか面倒そうな表情を浮かべているのみだ。
何か策でもあるのだろうか。そう考えたものの、彼に任せるとまた血が流れそうだと考えてティファはできるだけ彼に頼らない方法を模索した。すると優越感にでも浸っているのか、二人の男が獰猛な笑みを浮かべたまま続ける。
「お前達を寄越したのはどうせ村の連中だろう。見せしめに何人か殺っとかねえとなぁ」
「!?」
血が、沸騰するのではないかと思った。
暗がりと濃い血臭と、死。砂嵐と共に脳裏に浮かぶ強い死のイメージが、ティファの思考を緩慢にだが確実に支配していく。
(――駄目だ)
もうこれ以上。そんな言葉が浮かんだ瞬間、ティファはすっと目を細めていた。
「……さない」
知らず、ティファの口から呟きが漏れる。
「ティファ?」
「ティファ様?」
小さなそれはアレイズとマイにしか聞こえなかったらしく、二人が心配そうに顔を寄せるのが見えた。だがそれさえも気にならない様子でティファが繰り返した。うわ言のような言葉は今度ははっきりとした響きを持って発せられた。その間にも男達は入り口へと向かっている。
「逃がさないわ」
鋭く端的な、酷く冷たい声が響く。その刹那。
「何だこれは!?」
「っ! ティファ?」
呪文の詠唱も何もなく、唐突に入り口への道が塞がれた。光のベールが結界となり作用したのだ。どん、と男達が光を叩きつけるも、それが破られることはない。風でふわりと舞うことがあっても、力によって揺れることなどないそれに男達が半狂乱になる。恐らく魔法というものを目にすること自体が今までの人生でなかったのだろう。だが、今更のことだ。
ティファは凍りついた思考の中で驚愕に目を見開くアレイズとマイと無視して心の中で呪文を唱える。それはかつて教皇から一度だけ教わったものの、決して使うことはできないだろうと言われていた知識だった。
体が浮遊感に包まれ、刹那の暗転に襲われる。すると先程まで隣にいたはずのアレイズとマイが離れた位置に立っているのが見えた。代わりに男達が二人、眼前にいる。細剣を横に薙ぐ。ひゅんと風を斬ったそれは重量にぶれることなく真っ直ぐと男の喉元へと進んだ。白刃がぴたりと動きを止める。少しでも力を入れようものならすぐにでも頚動脈をかき斬れる、ぎりぎりの位置で。
「生殺与奪権は貴方にあるわけじゃないわ」
私にあるの、そう告げたティファは男をいつでも殺せるという体勢を取り、凍えるような笑みを浮かべた。事の展開に付いていけなかった男は、数瞬何が起こったのかを理解しようとするように瞼を閉じたり開いたりしていたが、やがて喉元に当てられた冷たさに気付いたらしく慌てたようにティファを見た。小さく笑んでやると、男の顔が歪む。傍に立つ部下はリーダーが襲われているせいか、一切の手が出せずにいるようだった――形勢逆転だ。
「神器を、返しなさい」
怒りも冷たさもない声が、ゆっくりと噛み砕くように言葉を区切って発せられる。微笑さえ浮かんでいるその姿はマイやアレイズに比べたら随分と穏やかな取引方法だったと思うのだが、男は信じられない物を見るような目でティファを見ていた。そのことに若干傷ついていると、幾分思考が動き始めてきたことを実感できた。砂嵐も今は遠い。
男は何度か口を開閉しながら答えを探しているようだった。恐らくそこからは怨嗟の言葉や呻きが漏れるはずだったのだろうが、その前にアレイズがティファの言葉を引き継いだ。
「素直に返した方が懸命というものだぞ? このままではそいつに殺されるのがオチだからな」
「ぐ……っ」
濃い血臭が現実味を与えたのだろう。呻き声を上げた男はとうとう観念したようで、足音もなく近付いてきたアレイズへと神器を手渡す。ティファが受け取ってもよかったのだが、そうするとまた逃げられてしまう可能性が出てくるからだ。
神器がアレイズに手へと渡る。それを見届けてからティファは柔らかく笑んだ。
「ありがとう」
かつて聖女だった頃のように。しかし阿鼻叫喚の中で笑みを浮かべるということは更に相手に恐怖心を与えてしまうらしく、男は顔を青くして彼女を見るのみだった。
(別に本当に殺しはしないのに大袈裟ね)
胸中で呟くも、それを口にすることはしない。
「さぁ、急ぎましょう。早く戻らないと、夜になってしまうわ」
「あぁ」
男から剣を離し、鞘へと収めてから踵を返す。腕を一振りするだけで解けた結界を超えて男達に背を向けるティファには彼らを捕まえようという考えはなかった。放っておいても、彼らはしばらく寝こむしかないのだから。しかし、一つだけ懸念が残っていたので彼女は振り返りにこやかに笑んで、指先を頬に当てながら実に可愛らしく言い放った。願わくばこれが男達の脳裏に焼き付いて離れなくなるようにと、精一杯明るい声を出す。
「忘れてたわ」
「ひ……っ!」
「もし村の人達に手を出すことがあったら、それは貴方が死ぬ日だってことを忘れないでね」
高い悲鳴を上げる男が何度も頷く。ティファはそれを満足げに見てから今度こそ踵を返し、アレイズに呼び止められた。
「ティファ」
「? どうしたの?」
振り返ると、アレイズは先程自身が刺した男を指差した。
「手当てがある。先に戻っていてくれ」
「そのぐらい待つけど」
「いや、少し時間がかかるからな。先に神器を持って帰っていてくれ。夜になったら困る」
少し早口のそれにティファは頭の上に疑問符を浮かべて首を傾げたが、すぐに手を伸ばす。神器を受け取るためだ。
「……分かったわ。それじゃ、また後で」
常人ならともかく、神ならばこの場に置き去りにしても一人でどうにかできるだろう。何か裏がありそうなことは気になったが隠されている以上追求することもできない。そう考え、ティファは空いた方の手を振ってあっさりと踵を返した。マイがそれに続く。その頃には、自分が先程感じた冷えた思考のことはすっかり忘れてしまっていた。
◇ ◇ ◇
ティファ達の背が見えなくなるのを見送ってから、アレイズが男へと声を掛ける。
「おい」
「……あん?」
先程までの悲鳴は何処へ行ったのか、柄の悪い返事をした男の態度にそう考えながらアレイズは問いを続けた。どんな態度であろうと、答えが得られれば問題などない。
「お前達は誰に頼まれて神器を盗んだんだ」
「誰にも頼まれてねぇよ」
問いに対し男が何食わぬ顔で答え、そっぽを向く。その胸元をぐっと掴んで手繰り寄せながら、アレイズは常よりも遥かに低い声を上げた。
「嘘をつくな」
松明の明かりの中で光るメダルを付きつけ、男によく見えるように眼前まで持っていく。男はアレイズよりも背が低かったこともあり、そうすることは容易かった。
「先程俺が刺した男が落としたものだ。これが何だか分かるか」
「知らねえよ」
「なら教えてやる。これは、とある場所住む者にしか与えられない特別なメダルだ」
昔と制度が変わっていなければの話だが、そう胸中で付け足すと男が息を呑む音が聞こえる。どうやら鎌掛けは成功したらしい。容易いものだ。
顔をひきつらせた男が、肩口を押さえて倒れている男のうちの一人を見やる。その男は他の男達に比べると、幾らか育ちの良さそうな顔をしていた。あくまで、彼らと比べるとなのだが。
(それにしても、これは予想外だったな)
アレイズはメダルを見て今回の事件の黒幕を大体予想することができたが、それは予想通りとも予想外とも言えるものだった。だからこそ、彼は問うた。
「言え。大方の予想はついているが確信が欲しい」
仮定だけでは何も語れない。そう考えたアレイズが鋭い問いを発すると、先程と同様に観念した様子の男が溜息と共に自棄糞気味の声を上げた。
「俺達を雇ったのはグラドだよ! さぁ、言ったんだからその手を離しやがれ!」
「あぁ、すまなかったな」
(やはり、グラドの仕業か)
男の答えに、予想していたこととはいえ瞠目したアレイズはすぐに男の胸元から手を離した。答えを聞いた以上、彼に用はなかった。
「手間をかけさせて悪かったな」
「まったくだよ」
一応の謝罪に対し男がぼやくのを聞きながら、アレイズは先ほど自分が傷つけた男へと手を向けた。じわりと手の平を翡翠の光が覆い男の肩を包む。すると男の呻き声が止み、傷口がみるみるうちに塞がっていった。呆気に取られる男達を余所に手当てを終えたアレイズは首筋についた髪を払いのけ、村へと戻るため空間転移の詠唱を始めた。
「なぁ」
その背に、リーダー格の男が問い掛ける。
「あの娘は人間なのか?」
「あの娘、とはどっちだ」
「空色の髪の方だよ。メイドも尋常じゃねえが、あの娘が一番おかしいだろ。何だありゃ、まさか神が来たなんてことは……」
怯えと共に吐き捨てた声には負け惜しみも含まれていただろうが、本心でもあったのだろう。その証拠に、アレイズもティファに対し驚きを禁じ得なかったのだから。ティファは呪文の詠唱なし結界を張り、なおかつ空間転移までやってのけた。人間でも極一部しか使うことができない、高位の魔法を。しかもその直後に男に剣を向けた所からして、彼女は冷静かつ自然にそれを行ったのだ。それは神であるアレイズには当たり前のことだったが、人間となると話は別だった。人間は呪文の詠唱なしに魔法を使うことができないのだから。
例えばそれはとても短いものでもいい。風よ、炎よと言うだけでも成立する。しかしそれすら彼女はしなかった。アレイズですら人間だった頃の名残から呪文の詠唱は欠かさないというのに。
だが、と彼は胸中で呟く。その間にも空間転移の呪文は終わり、あとは念じるだけという所でアレイズは黒の双眸を男へと向けて苦笑を漏らした。
「あいつは紛う方無き人間だ。少なくとも俺よりはな」
神が人間らしく扱われ、人間が神らしく扱われるとは何とも皮肉な話だ。そう思いながら答えると同時に浮遊感が彼を襲う。
空間転移する時独特の感覚に目を閉じていると、数瞬後には村の入口へと辿り着いていた。唐突に変わった視界の中でアレイズは先程までの思考を捨て去り、思案するように顎に手を当てる。
(このことを、あいつに言うべきなんだろうか?)
無論、あいつというのはティファに他ならない。そして話すべきか憂慮しているのは、グラドの人間が神器を襲ったというその事実。これから自分達はグラドに向かうのだから話しておいて警戒してもらうことに越したことはないとアレイズは考えるのだが、同時にそれは面倒事を背負うことになるという確信にも繋がるのだ。下手なことは言えない、だからこそ彼は悩んでいた。警戒はしてもらいたいが、犯人探しは御免だ。
「……マイとメイにでも相談するか」
とはいえ自分一人で決断を下すと後々ティファの護衛役でもある――護衛できているかは別として――双子のメイドに罵詈雑言を浴びせられそうなのでとりあえずは彼女達に先に話しておこうと結論づけて歩き出そうとし、そこで目を白黒させている男二人と視線がかち合った。見れば、先程まで喧嘩をしていた恰幅のいい中年男と細長い青年がお互い顔を青白くしてアレイズを指差している。
それはそうだろう。いきなり目の前に人が現れたら、驚くのも無理はない。空間転移ももう少し場所を考えるべきだったのに、間が抜けたことをしてしまった。そんな風に考えたアレイズはふと自嘲めいた笑いを漏らす。自分は既に人間ではないのに、一体何を気にしているのか。
「あ、あの」
「あの二人の女の子達は?」
驚きから立ち直った様子の男達がひとまずは問題を横に置き、アレイズへそう問い掛ける。気の強そうな空色の髪をした娘と深青のメイドの姿が見えないことが気になったのだろう。そんな彼らの心中に気付いたアレイズは二人を安心させるように口の端を吊り上げ、背後へと視線を向ける。これから帰ってくるであろう二人の少女を見るように。
空を見上げる。まだ夜には遠いその空の色はティファの髪よりも淡い色をしていた。
「大丈夫だ、今神器を持って帰ってきている。……これで祭りが出来るな」
そうして仰向いたアレイズが柔らかい声で返した瞬間、二人の口から歓声が湧いた。




