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CHAPTER 1.聖女と神の邂逅 (1)

 ――青い髪の少女に出会った男は、今日も穏やかな空の下苦労を抱え込んでいた。


◇ ◇ ◇


「ちょっと、待ちなさいよ!」

 世界の片隅にある小さな村の酒場の一角で、その声は放たれた。

 そこには、ウェイトレスを脅すようにして如何わしいことをしようとしていた大男に食って掛かる少女が一人と、それを呆れて眺める男、そして慌てた様子で少女を止めようとする双子の姉妹の姿が見えた。酒場のマスターを除けば現在酒場にいる人間はただそれだけであり、酒場の外の道にも人の気配は感じられない。時刻が昼間ということもあり、村人はすべて自分達の農作物の世話に躍起になっており、村の中心部に存在する酒場には誰も寄り付かないのが常なのだ。そんな酒場に突如として現れた少女の連れである双子の姉妹は、一体どうしたらこの状況を止められるものかと少女を凝視し、解決策を思案している様子だった。その様子を眺め、男も少女を一瞥する。

 高い声を張り上げた少女は、普通の人間だったら決して持ち得るはずのない色を持っていた。腰まで伸ばされた真っ直ぐなスカイブルーの髪も、勝気そうに吊り上げられたダークブルーの瞳も、今まで生きてきた中で彼女以外に見たことがないと双子の姉妹は結論づけていた。

 綺麗に整えられた髪の毛は酒場の照明を受けて光を放ち、快晴の空を思わせる輝きを見せる。加えてレースの入った白のブラウスにこれもまた白のロングスカートには染み一つなく、恐らくはこうして甲高い声を上げさえしなければ誰もが良家のお嬢様と信じて疑わなかったに違いない。しかし良家のお嬢様ならここで声を上げず震えているはずだし、仁王立ちなどせずに淑やかに座っているはずだと考え嘆息すると、双子の姉妹も同じことを考えたのか同じように嘆息していた。一卵性双生児である彼女達はその仕草までもが揃っており、重なった溜息がどちらから発されたのか、どちらもが発したのかそれは当人達以外誰にも分からなかった。

「大の男が女の子に手を出すなんて最低よ! 身の程を知りなさい!」

 そうして彼らが嘆息している間にも少女が再び声を放つ。仁王立ちする少女の左薬指にはまる翡翠色の宝石があしらわれた指輪がきらりと光を放ち、少女をより一層お嬢様然とした姿に見せていたがこのような状態ではそんな見た目など何の役にも立たない。

「放っておけ」

「で、でも……」

「どうせ俺達が止めようとした所で火に油を注ぐだけだ」

 険悪な空気が漂う中、双子の姉妹の挙動不審な動作を止めたのは男の低い声だった。彼は長い黒髪を束ねた全身黒づくめという少女とは対照的な出で立ちで椅子に腰掛け、あまり照明の光が当たらない暗がりで椅子を揺らしながら呑気に座っている。呆れた様子で少女を一瞥する姿にはこの場を止めようという気概は感じられない。双子の姉妹はそんな男の薄情とも言える姿に一言文句を言おうと口を開くものの、結局は彼の言うことが正論なのだと理解し口を閉じた。

 彼女達にも分かっていたのだ。いや、恐らく彼女達は男以上に分かっていたに違いない。怒る少女を止めることがどれだけ困難なことなのかということを。

「しかし、このままでは」

「まぁ死にはしないだろう。よほど危なければ俺達が介入すればいいさ」

「……十中八九危ないことになりそうだけどね」

 深い憂慮を込めて言葉を発したのは、双子の姉妹の姉だった。彼女は肩に少しかかる程度の亜麻色のセミロングヘアに同じく亜麻色の生真面目そうな瞳をしており、着込んでいるのは少女と瞳と同じダークブルーの簡素なロングメイド服。前部分を覆う純白のエプロンも簡素で、これも丈が長い。

 そして男の言葉に溜息混じりの軽口を叩いたのは、双子の姉妹の妹だ。彼女は顔や持つ色こそ姉と遜色ないものの、髪は下ろせば腰まであるのだと思わせるような長い髪をツインテールにしており、着込むのは真紅のメイド服だ。だが、色のみが違うのかと思いきやこちらはスカートもエプロンも丈が短い。そうすることで区別がつくようにとあえて対照的な姿を幼い頃からしてきたのだが、若干本人達の嗜好の問題もあるらしい。元々彼女達は好みが正反対なのだ。

 もちろん正反対なのは好みのみ留まらず性格も含まれるのだが、元々少女付きのメイドとして幼い頃より傍に控えていた幼馴染でもあることから少女が絡む事態になると一致団結をすることが多く、今回も例外ではなかった。

 男は深々と嘆息する姉妹を横目に、ついと視線を大男へと向けた。

 怒り狂う少女の背の低さとは対照的に、大男は身長二メートルを超えていてもおかしくない程の巨漢であった。下卑た笑いを張り付かせてウェイトレスの体を触っていたその大男は、少女の声に反応して目を向けたもののその表情には虫けらを見るような感が漂っていた。

 しかしそれも仕方がないことだろう。何せ少女は何の武器も持たずに、己より遥かに巨体の男に食って掛かっているのだから。大男が己の勝利を確信し、戦う前から興醒めしても何ら不思議なことではなかった。しかし、とそれを眺めていた男が呟く。

「力だけであいつをどうこうできたら、俺達のうちの誰も苦労などしてない」

 拳を固めて振り回せば必ずしも少女に勝てるわけではないし、口論で勝とうなどより無謀なことだと男は断定する。大男は知らないのだ。この世界には力任せで勝てない戦いもあるのだということを。そして少女が力任せの相手に打ち勝つための力を持っていることも。

「お気の毒に……」

 双子の姉妹のうちのどちらかがぽつりと漏らす。どちらの声だったのだろうかと男が一瞬思案するものの、声も同じ彼女達のことだ、判別などできないと諦めて胸中で同じ言葉を呟いた。

 彼らが感じていたその言葉は、決して少女に向けられたものではない。むしろ大男に向けてしみじみと感じた言葉だったのだ。決して少女のことを薄情な目で見ているというわけではないのだが、彼らはこの場にいるウェイトレスや酒場のマスター、そして大男が予想し得ない勝敗を知っているがゆえに、相手の身を案じたのだ。

「あ、あの私なら大丈夫ですから!」

「あなたは黙ってて!」

 少女の身を案じてのことだろう。ウェイトレスが声を上げるも、それは少女の一喝によってかき消されてしまった。びくりと身を竦ませたウェイトレスに双子が頭を下げる。

「我が主が申し訳ありません。ですが、あの方なら大丈夫ですので」

「で、でも」

「それよりもこの建物の方が心配、かな」

 真紅のメイド服を着た双子の妹が酒場全体をぐるりと見渡し、ふと不安げに漏らすのが聞こえる。男はその声を聞き、少女の周囲に目を向けた。五感を澄ませてみれば、少女が周囲に力を集めつつあることが手に取るように分かる。そして彼女が激していることと、周囲に集まる力の量から察するに、これからこの酒場が無残な廃墟になることも知りたくはないことだったが手に取るように分かった。常ならばある程度力を制御することができるはずなのだが、感情が昂ぶるとたちまち力を制御できなくなるのが少女の欠点だった。

(さて、逃げるか)

 胸中でそんな呑気なことを呟いた男は立ち上がり、酒場から逃げるべく足を出口へと向けた。長く伸びた黒髪が動きに合わせて静かに揺れる。照明の光が当たる場所に出ると、その横顔がはっきりと見えた。

 暗がりでこそ分からなかったものの、男は精悍な顔立ちをしていた。苦労が絶えないのか少し表情に陰りが見えてはいるものの、少し口元を緩めれば爽やかな好印象を生みそうな顔立ちをしている。

 男はそんな横顔を傾け、漆黒の双眸を焦ったまま固まる双子の姉妹に向ける。しかしそんな二人も男の視線の意味に気付いたらしく、慌てて荷物を手に取って男の元に駆け寄る。それを確認してから共に酒場を後にする。もちろん、酒場のマスターとウェイトレスを避難させることも忘れずに。


◇ ◇ ◇


 外に出てからどれほどの時間が経っただろうか。

 ダークブルーのメイド服を着込んだ少女が目を閉じたまま“その時”が来るのを待っていると、酒場から大音量の口論が交わされるのが聞こえてきた。

 甲高い声と野太い声は確認するまでもなく少女と大男の物であり、彼女は時が近いのだと感じ嘆息する。先程よりも遥かに昂った少女の感情が痛いほどに伝わってくるからだ。

 そろそろ来る。

 胸中で呟き待ち構えていると、やがて少女を知る者なら誰もが予想していた展開が訪れた。

「もう我慢できない! その根性叩き直してあげるわ!」

 一際高い少女の怒鳴り声が酒場の外の空気をもびりびりと響かせる。その瞬間空気の温度が上がり、彼女達の眼前にある酒場が膨れ上がったように見えた。いや、“ように”ではない。本当に膨れ上がったのだ。

 内側で空気が急速に温度を上げたことにより、酒場を形成する木材が大きくたわみ破裂する。爆発とも言える衝撃は激しい熱風となり彼らの頬を叩きつける。体を伏せじりじりと肌が焼ける風を腕で庇うとそれほどの時間の経過を待たずに熱風がかき消え、風が凪いだ。ウェイトレスと酒場のマスターが体を起こし、小さく息を飲む音が聞こえる。

「これは」

「……私の酒場が」

 へたり込む壮年の男に同情的な視線を向けた後に、双子が力なく酒場を見つめる。木片が飛び散ったにも関わらず誰にも怪我がなかったことは幸いだが、酒場として機能を続けるのはほぼ不可能に近い状態にまで建物が破壊されていることは間違いないような状態だった。これでは酒場の主がへたり込むのも無理はない。

「あらら……」

「またやっちゃったのね」

 二人して呟くと、黒髪の男が脱力したように肩を落とす。彼に出会ってから何度同じことがあっただろうかと二人が思案するも、すでに数えるのも馬鹿らしい数に上っていることは明らかなので思考を中断する。

「俺も焼きが回ったか……? こんな女と一緒に行動する羽目になるなんて」

「本当に申し訳ありません。見た目だけなら分かりづらいので騙されても仕方がないと思います」

「そんなこと本人に聞かれると怒られるぞ?」

「いいんです、どの道先に私達がお説教をする羽目になりそうですから。それより」

 酒場に人が集まらないほどの田舎町に相応しくないメイド服を着込んだ双子の少女と黒装束の男、そして理解不能な力を持った少女と言う一見するだけで変わっている一行に虚ろな視線を向ける酒場のマスターに向ける。恐らく彼の頭の中ではどうしてこんな変わった一行を招き入れてしまったのだろうかと後悔の念が渦巻いていることだろうが、その後悔に謝罪するより他に彼らにできることはなかった。

 だが他にもできることがあると言わんばかりに、ダークブルーのメイド服を着た双子の姉が足を酒場のマスターへと向ける。

 ブーツが大地を静かに踏みしめる度、ひっと彼が悲鳴を上げる。すっかり怯えきったその様子に目尻を下げ、敵意がないことを示すように両腕を広げてみせた双子の姉は腰に掛けていた鞄から袋を取り出しその中身を彼の手の中に握りこませる。

「大事なお店を壊してしまい、申し訳ありません。せめてこれで再建の足しにしてください」

 酒場のマスターが手の中に視線を落とし、今度は驚きに悲鳴を上げる。そこには彼が一度に目にしたことがない程の大量の金貨が握りこまれていたからだ。光を反射するそれは建物を再建してもなお釣りが来る量だった。それだけの金貨をあっさりと酒場のマスターに手渡した少女が凛とした横顔で破裂した建物へ視線を向けると、その先から少女が慌てた様子で飛び出てくるのが見える。

 スカイブルーの髪には焼け焦げた跡など見えず、純白の服にもすす一つ付いていない。しかしその場にいる誰もが少女の身を案じてなどいなかった。問題は大男の身の安全だったのだ。双子の妹がツインテールを揺らし、ぱらぱらと木片やすすが降り注ぐ元酒場を覗き込む。するとそこに黒焦げになった大男の姿が見えるが、どうやら息はあるようで胸が上下していることを確認した彼女がほっと息をつく。内部は先程の爆破より遥かに衝撃が柔らかかったようで、男も気絶こそしているものの火傷を負ったということはないようだった。黒いのはすすのせいだろう。大した怪我をしていないだけ少女の力の制御が上手くなったということではあるが、だからといって建物を一つ爆破させたことに変わりはない。その場にいる全員が半眼で少女を睨みつけると、彼女はたじろぐように一歩後退り乾いた笑いを漏らした。

「あはは」

「……」

「――ごめんなさいっ!!」

 笑っても無駄だと理解したのだろうか。

 少女が大きく頭を下げると、爆破時に木材が見せた紅とは正反対のスカイブルーがばさりと前方へと揺れる。元々小柄な彼女は更に萎縮し、まるで親に叱られる子供のように上目遣いで周囲を見渡す。その姿を一瞥し、双子の妹が溜息を漏らした。どうあっても起きてしまったことは変えられないのだと諦めるように。

 同じように双子の姉も溜息を漏らす。普段はとても優しい方なのに、どうしてこうも感情が昂ぶると手が付けられなくなるのだろうかと憂いながら。

「頼むから、もう何もしないでくれ……」

 胸中で呟いていると、隣で黒装束の男が搾り出すような声を漏らす。それは彼女や妹の切なる願いであり、そうなってもらわなければ財布の中身が危ないという危機感でもあった。

「本当に申し訳ございません」

 呟くと男が脱力しながら首を横に振る。お前が悪いんじゃないと言うその姿に人の良さを感じ、彼女は口元に苦笑を浮かべながら主と同じスカイブルーの空を見上げた。

 髪をかき上げると先程までの熱風が嘘のように心地よい風が首筋を撫でる。その感触に目を閉じると少女の軽やかな足音が前方に向けられ、彼女はすぐに目を開く。己の主が目を離すとふらふらどこかへ行ってしまうことは知っていたのだ。放っておくことはできないと、その場にへたり込むウェイトレスと酒場のマスターに軽く会釈をすると、彼女はすぐに走り出した。それに続いて双子の妹と男が歩き出すと、まるで嵐が過ぎ去った後のような静寂が辺りを満たした。


◇ ◇ ◇


「大体お前はどうしてたった数日間でこれだけの損害が出せるんだ」

「だ、だってあの男が悪いんでしょ」

「確かにろくでもない奴かもしれないが、だからといってそれが力を行使する理由になどならないだろう」

 出会った時から饒舌な男だと思っていたが、まさか説教になると更にその饒舌さを増すとは思わなかったと、少女は男の言葉を聞きながら胸中で呟く。黙っていればそれなりに美男子の部類に入るはずの男はしかし喋ることで小姑のような性質を見せ、それが少し面倒だと感じたものの彼女は自分のせいで怒っているのだからと諦めの境地で説教を聞き続ける。彼女にとって説教というものは世界で最も身近にあるものであり、苦になるものではなかったからだ。それがいいことなのかどうかは別として。

 宿を探すべく道なりに歩きながら受ける説教は長く、未だに終わる気配を見せない。双子のメイドに助けを求めようにも、こういった事態で助けが入った試しがないことは実証済みなので、少女は何とか顔だけは伏せないようにしながら歩き続ける。

 歩き続ける道は見ず知らずの土地の物であり、土地勘のない彼女はふとどうして自分がこの場にいるのだろうかと思案する。

 ……いや、違うか。どうしてこの場にいるのか、ではない。

「――おい、聞いてるのか?」

「え? あぁ、聞いてる聞いてる。大丈夫よ」

「胡散臭いな。いいか? 大体お前は」

 あぁ、また始まった。

 思案することすら許さず説教を垂れる男に若干うんざりしながら少女は続く道に視線を向ける。そうして一体いつになったら宿屋が見えるのだろうかと道の先を遠く見渡し、胸中で呟いた。一体どうしてこのような状況に陥ってしまったのだろうかと。

 胸中の呟きに対し、すぐに脳が返事を返す。

 そうだ、そもそもあれは――。

 ゆっくりと、時間が巻き戻るように記憶が再生される。その記憶を冷静に噛みしめ、少女は耳と脳を通り抜けて行く説教が終わるまでの暇つぶしとして回想にふけることにした。一体記憶のどこに今に繋がる問題があったのだろうかと探るように、慎重に。

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